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⚠️旧国⚠️ちょっとだけ史実⚠️
「………」
薄暗がりの部屋の中、ブチブチと己の羽を無理矢理抜く小さな子供が1人。
無表情としか形容できない顔で、何枚も何枚も。
「ドイツ帝国?」
「…父様」
そのうち、子供の親…プロイセンが部屋に入ってきた。
「ドイツ帝国、またやっているのか」
「ごめんなさい…」
「違う、俺は謝って欲しいんじゃない。どうしてそんなことをするんだ?お前も痛いだろう」
プロイセンは自分自身で傷つけていたドイツ帝国の翼を優しく触り、そっと抱きしめる。
少し羽が抜けていたそこは、痛々しく肌が露出しかけていた。
「……」
「…ほら、もう寝よう。ゆっくり寝れば、気分も晴れるさ」
「…はい」
そっと抱き上げたドイツ帝国はまだまだ軽くて、未来ある小さな子供そのもの。
不自由させているとは思っていないが、何がどうしてこの子に自傷をさせるのだろうか。
撒き散らされている綺麗な羽が物悲しい。
後で片付けておかなければ。
ドイツ帝国を抱えて寝室に向かい、ベッドに寝かせる。
「おやすみ、ドイツ帝国」
「おやすみなさい、父様」
あどけない顔を愛しそうに撫で、ドイツ帝国が完全に寝入るまでぎゅっと抱きしめた。
この子は賢い子だ。
だから、自分の知らないところでストレスを感じているのかもしれない。
近頃の情勢は少しずつ揺らいできているし、このプロイセンとてもう無敵ではなかった。
そのうちドイツを統一して、きちんと立て直さなくてはならない…
そうなったときこの国は、きっとプロイセンの名ではいられなくなる。
ドイツ帝国は未来だった。
プロイセンが消滅することになろうとも、このドイツを上手く扱ってくれることだろう。
何せこの子は、誇り高きプロイセンの息子なのだから。
「ん…すー…すー……」
しばらくそのままでいると、やがて無垢な寝息が聞こえてきた。
広げられた翼に引っかからないようにこっそり抜け出て、プロイセンは散らばった羽を片付けに行く。
やがて夜も更け、太陽が登る。
公務に赴いたプロイセンは、ドイツ帝国が起きるよりも前にベッドから完全に立ち去ってしまった。
ぱちり。
子供らしい大きな目を瞬かせ、ドイツ帝国はすっと起きる。
「…」
横に父がいないのはいつものことだ、もう慣れた。
そうだとしても、昨日まで自分と寝てくれていたあの温もりが残っていないかと、冷たくなった隣に触れてしまう。
昨晩羽を抜いてしまった箇所が、起きた途端に鈍く痛みを伝えてきた。
早く生え変わってほしい気持ちと、元の色は嫌だという気持ちが混ざり合い、複雑な表情を浮かべている。
「せめて、父様と同じ羽の色ならよかったのに」
無機質に呟いて、ドイツ帝国はベッドから抜け出した。
見知った長い廊下をてくてくと歩いて、ドイツ帝国は1人寂しく書庫へ向かう。
薄暗いその場所で、いつも通り貯蔵された数多の書を読んで1日を過ごした。
見たことのないもの、感じたことのない気持ち、知らないことがたくさん載っている。
分厚く重い本の数々は、凡そ小さな子供の読むものではないが。
それでよかった。
父はこうしていると喜んでくれる。
賢い子だと褒め、優しく頭を撫で、花が咲いたように素敵な笑顔になってくれるから。
本当は父と読みたい。
知らないことは父に教わりたい。
ずっと一緒にいて、自分だけを見てほしい。
しかし今日もまた、公務をされているであろう父がいる書斎の扉は叩けなかった。
「…この羽が悪い」
ブチッ。
「父様に似ていない、この羽が」
ブチッ。
「黒くなれ」
ブチッ。
「黒くなったら、生えてもいいから」
ブチッ。
自室に戻り、ドイツ帝国は自らを翼で包み込み、羽を引き抜いた。
強引に抜かれていくたび、ピリッとした痛みが走る。
ドイツ帝国は悩んでいた。
父とそっくりの形の翼が、父とは違う赤黒い色であったことを。
偉大な血を受け継いだ自分の容姿が、父のそれとはあまりにも異なっていたことを。
「本当、何度見ても気持ち悪い色だな…」
プロイセンの翼は純黒であった。
優しさと強さを兼ね備えたような、とても目を引く高貴な美しい色。
それに引き換え、息子であるドイツ帝国は赤っぽい色をしていた。
くすんだ黒寄りの赤で、血が乾いたようなそんな色。
あの美しい黒になりたい。
父が一緒にいてくれないのは、きっと自分が似ていないから。
ブチッ。ブチッ。ブチッ。
この羽を全て抜いて、新しく生え変わったなら。
真っ黒くて、綺麗で、神秘的で、ただその色になれたのなら。
どんなに素晴らしいことだろう。
だから、期待を込めて羽を抜く。
幼い手で乱暴に羽を掴み、引きちぎるように抜き、それを繰り返してはあたりにまだ小さな羽を撒いた。
顔つきも目の色も似ていないのだ。
せめて自分で見ることのできる翼くらい、父に似ていて欲しかった。
「父様みたいに」
本人からすれば、これは自傷ではない。
努力なのだ。
葡萄色の羽が舞った。
尊敬する父へ、少しでも近づくために。
1871年。そんなコンプレックスを抱えたままに、ドイツ帝国は大人になっていた。
結局翼の色は変わらず、今も自傷の癖は抜けていない。
父プロイセンへの憧れは強く増していくばかりで、自らの国を差し出してでもプロイセンの下にいたがり、今は宰相として国を支えている。
普墺戦争、普仏戦争などを乗り越えて ドイツ統一を成し遂げたプロイセンは、戴冠式を経て王から皇帝へとなり、プロイセン王国はドイツ帝国の一部として存在していた。
皇帝の立場にいたのはプロイセンのままであったが、 不思議なことに、プロイセンはほとんどの統治に関与していない。
宰相であるドイツ帝国が政治を担当し、国を治め、皇帝はもうお飾りにすぎず、少し軍事に干渉する程度。
国家の象徴。もはやそれだけの存在。
ドイツ帝国はプロイセンを生かし、彼の仕事を極端に奪い減らすことで自分との時間を作ろうと画策した結果であった。
そんなことをしても、ドイツ帝国のコンプレックスは解消しなかったけれど。
「父様、ただ今よろしいでしょうか?」
「あぁ、ドイツ帝国か…どうしたんだ?」
「その…たまには、ご一緒に食事でも、と思いまして」
「最近のお前は忙しくて、中々タイミングが合わなかったものな。もちろん、たまには親子水入らずといこう」
「ありがとうございます」
かつてドイツ帝国が父を待つ間を過ごした書庫は、今も父が本を貯蔵するための部屋だ。
昔と違うのは、プロイセンが積極的に利用しているというところだろうか。
プロイセンはフルートも好んで吹くが、どうしても体力的に厳しいらしい。
背の低い父を背後から見つめていると、ふと、その着飾った中にある細い首を絞めたらどんな反応をするのか、いきなり押し倒したら抵抗されるのか、それともこのサーベルで腹を貫いたら?
そんな良からぬ思いが湧き立つ。
仄暗い加虐心を抑えつけ、ドイツ帝国はプロイセンの後ろを歩き、食卓についた。
銀製のカトラリーが奏でる金属音を聞きながら、豪勢な食事を楽しむ。
元は孤児だったらしい父は、テーブルマナーを身につけることに苦労したそうだ。
自分が教えるのでは不安だからと、わざわざ講師をつけてくれたことも覚えている。
いつも自信に満ち溢れ、突発的な戦だろうと勝利を収めてきたプロイセンの意外な一面に、ドイツ帝国は幼いながら恋をした。
いや、恋などというかわいい言葉で表すこともできない。
彼の想いは日に日に増した、狂気的なまでの愛情であった。
箱入り息子と言われるかもしれない。
事実、温室育ちの飢えを知らない青年だ。
それでも立派になれたのは、父のおかげだ。
宰相として功績をあげ続けるドイツ帝国は勝利の美酒を飲み、公務を終えては父を探す。
先に寝ている父の小柄で薄い胸に顔を埋め、ドイツ帝国はそうして1日を終えていく。
充実していた。
誰に何を言われても良かった、だって自分には大事な大事な父がいるから。
貶されても気にしたことはなかった、だって自分には誇り高い立派な父がいるから。
この人は、もう自分だけのものだから。
ぎこちなく緊迫した雰囲気のまま2年後、1873年のこと。
「初めまして、会えて光栄です」
珍しくプロイセンが港へ出かけたかと思えば、誰かを連れて帰ってきたのだ。
何者かが訪問すると聞いていたような気もする。
連れられたソイツのやや高い声は訛りのひどい下手くそな英語しか話さず、 黒く長いまつ毛に囲われた瞳は、深い緑を湛えたジェード色だった。
「最近急成長している、アジアの日本という国だそうだ。 何でもこのドイツについて調査をしたいという。日本、こちらはドイツ帝国、私の息子だよ。国家としては彼が正式な存在だ。忙しいので機会は少ないだろうが、この国については私よりドイツ帝国の方が余程詳しい」
「ドイツ帝国様、よろしくお願いします」
極東の田舎から来た猿風情が。
そう言いかけて口を噤み、代わりに差し出された手を握ってやった。
言葉を交わす気はあまりなかったが、何しろドイツ帝国はまだ国際的に立場が不安定な国である。
下手に無視をするわけにもいかず、にっこりと笑みを浮かべてこう言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。我が国でどうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
身を屈めて目線を合わせ、しっかりと握手をする。
日本はこのとき、プロイセンとは似ても似つかない、と感じた。
「申し訳ございませんが、私にはまだ公務が残っているのです。父様、この方をお頼みいたしますね」
「あぁ、任せてくれ」
「それでは、失礼させていただきます」
くるっと美しくターンして、ドイツ帝国はそのまま公務へ戻る為に部屋を去っていく。
背を向けた彼の顔は、すんと凪いたような無である。
プロイセンはドイツ帝国が退室した後に小さなため息をつき、行こうか、と細く骨張った手を取った。
ドイツ帝国はヒトへの関心が妙に薄い。
もちろんきちんと対応したが、わかりやすく演技だった。
歓迎の気持ちは一切なく、むしろ目障りだとでも言いたげである。
自国のことはもちろん大切だ。
父親についても同じく大切だ。
でも、自国は父を生かし続ける為に必要な過程でしかなかった。
それほどまでに、ドイツ帝国は他人のことを顧みない。
優先順位がハッキリしているのは政治を担う者としては良いが、時にあまりにも非情な決断をもたらす。
ここまでなら、まだ良かったのだろう。
ただの外交関係なら、無関心で終わったはずだった。
日本が滞在し始めて一ヶ月、ドイツ帝国はメラメラと醜く嫉妬の炎を揺らしている。
理由は単純明快、プロイセンが日本にばかりかまけているからだ。
「日本語…これは、かなり難しいな…でも面白い言語だ、もっと色々見せてくれないか?」
「もちろんですよ、師匠。では、私の言葉で「プロイセン」と書いてみましょうか」
「おお、いいのか!どんな字になるんだ?」
プロイセンは普段、屋敷の中で身を休めていることが多い。
それは体が悪くなってきたこともあるが、何よりドイツ帝国は仕事で話し相手がおらず、暇を持て余しているからだ。
誰もいないから本を読み、誰もいないから寝て、誰もいないから視察と称した散歩をする。
おしゃべり好きなのに黙って暇を潰すことしかできず、剣を持とうにも数十分の訓練で体は辛いと訴えかける。
そんな中で、近代化を目指す日本が学びの地として選び訪問されれば、根っからの愛国者であるプロイセンは歓迎するに決まっているのだ。
何にでも興味を示し、1を語れば10を理解するような頭の良い日本は数日で気に入られ、プロイセンとは師弟関係になったらしい。
前は日本がプロイセンの翼を手入れしているところを見た。
それはドイツ帝国の役目であって、到底アレが触れていいものではない。
ドイツ帝国ただひとりを置いて、2人はどんどん親密になる。
こんなはずじゃなかった。
その醜い思いは段々と大きくなり、ついギラついた鋭い視線を送ってしまう。
蜂蜜にも似たアンバー色の瞳の中に、ギラギラと夏の太陽よりも深く熱い嫉妬という怒り。
プロイセンのネオンブルーが映すのは自分だけでよかった。
そうじゃなきゃダメだった。
なのに今は?
不気味なジェードを見つめて心底楽しそうにしている。
何が悪かった?
何故こうなった?
「………」
邪魔なやつだ。
「大変お世話になりました。お陰様で、我が国もより良い発展を遂げられる事でしょう」
「あぁ、日帝が今後とも繁栄していくことを願っている。頑張れよ」
「師匠、私はこの恩を決して忘れません。いずれ、恩返しに来ます」
「いいってことよ、俺も助かったところはある。お互い様というやつだ」
プロイセンはぽんぽん、と泥棒猫の軍帽を被った頭を撫でる。
「………」
唯一父譲りの鋭い歯は、今にも音を立てて割れてしまいそうだった。
こんなに微笑みを絶やさぬよう努めても、目の前でこのように屈辱的なことが行われていてはどうも我慢が効かない。
「あ、ありがとうございます…ふふ」
形式ばったセリフを忘れ、泥棒猫も心底嬉しそうに笑う。
まるで何かに取り憑かれたように、ドイツ帝国は日帝を睨んだ。
腹が立って仕方がなかった。
プロイセンの、父の愛を受け取るのは自分1人だけでないといけない。
だって、だっておかしいじゃないか。
あんなポッと出の田舎者に関心を向けて、自分だけが見られたあの笑顔をただの島国なんかに見せて、そんなのおかしいじゃないか。
考えれば考えるほどに憎しみと怒りが増大して、どうにかなってしまいそうだ。
「さ、そろそろ船が出る。悲しいが、もう出発の時間だ」
「そう、ですね…本当に、寂しくなります」
あざとく眉を下げ、声音を落とす。
人の親を取っておいて、なぜそんな顔ができるというのか。
「…そんな顔をするな、お前は笑っていた方が良い。なに、今生の別でもないのだから、またいつでも遊びに来い」
「…はいっ!私大日本帝国は、必ずや師匠の弟子として、更なる成長を見せにやって参ります!」
「その意気だ!楽しみに待っているぞ!」
「はっ!!」
ビシッと敬礼して、日帝は直角にお辞儀をする。
他の使者と共に船へ乗り込み、あの田舎者は無駄にでかい、やはり下手くそなドイツ語で叫んだ。
「ありがとうございましたっ!!」
そっと父の耳を塞ぎ、海へ出る船の汽笛を聞いていた。
邪魔者はひとまずいなくなったことであるし、もう一度、あの慎ましく幸せな生活を送ろう。
父と、自分と。それだけの世界。
それだけあれば、自分はそれで構わない。
「…オーストリアのバカが、セルビアに戦争を仕掛けただと!?」
発展と共に迫り来る戦からは、目を背けた。
…背けていた、はずだった。
1914年のことだ。
かつてドイツ・オーストリア同盟こと対ロシア防衛を共にしようと手を組んだオーストリア=ハンガリー帝国が、セルビアの若者に皇太子夫妻が暗殺されたとのことで、大層怒り狂っている。
セルビアに加担したロシアやフランスの陣営と、オーストリアにつくしかなかったドイツの陣営。
この頃になると、もはやプロイセンは動くことが困難になっていた。
意識ははっきりしているし、会話もできる。
咳き込みはひどくなり、顔色は悪く、少し長く歩くだけで気分を悪くしてしまうらしいが。
それでもまだ、生きている。
生かしている。
美しい漆黒の翼や傷だらけの逞しい体が、少しずつくすんで弱々しくなっても。
プロイセンはまだ残っていた。
完全にドイツ帝国の一地域として、しかし最も重要な中心地であった。
まるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のような、逃げることも死ぬことも、まして状況を変える手立てひとつない。
ただじんわりと、ゆっくりと蝕まれながら、己の朽ちるその瞬間を待つのみ。
ただ、生きるだけの存在になる。
───そうしているうちにも、国自体が大きく変動し続けていた。
人は泣き叫び、逃げ回り、戦いに行き、そして簡単に消える。
プロイセンは質素なベッドの上で、外を見ていることしかできない。
もし、この愛息子すら抱き留められなかった手で、剣を握ることができたのなら。
もし、義兄達と自然に鍛えられた無駄に頑強な体を取り戻すことができたのなら。
この慎ましく文化的で栄え始めた街を壊す輩だって、きっと相手できるのに。
行くことすら叶わない戦場で、愛しい国民たちがそこらのアリのようにされるのは、ただ耐え難い苦痛だった。
「役立たずが…」
我慢ならない。
そう思ってベッドから足を地に降ろし、剣を取るために歩く。
ふらついて目の前がくるくると回った。
死に損ないという言葉を自分にかけて、無理やりにでも奮い立つ。
義兄が生かしてくれた命を無駄にするわけにはいかない。
こんなところで息絶えては、後悔しか残らないに決まっている。
できることは限られていた。
だが、きっとなんとかなる。
プロイセンはそう信じ続けた。
だって息子はあんなにも優秀で、国のために身を粉にして働いているのだから。
どうにかしなくては。
争いばかりしてきたのだ、こんな時くらい役に立ちたい。
役に立たなければならない。
プロイセンは歩いた。
軍服は着ず、冠も置いて。
愛国者は歩いた。
もはや自分ではないこの国を。
歩き回って、小さな小さな、自分が子供の頃にドイツ騎士団を刺したあのナイフのように、剣とすら呼べない代物を片手に。
外に出て、街を歩いた。
プロイセンが住んでいるのは首都であるから、目立った戦争の影響は、一見少ない。
でも、街の人々には活気が見られず、戦争のために働いている。
「…」
かつて、プロイセンの君主はこう言った。
戦争を国民に悟らせてはならない、と。
その通りだ。
皆が世界の終わりのようだと暗い顔をして、人が人をやっつける道具を作らなくてはならないなんて。
胸が痛み、プロイセンはやはり歩いた。
戦場がどこなのか、ドイツ帝国は詳しく教えてくれない。
言ったところで死に損ない一人では辿り着けないくらいこの国は大きくなったのだ、無駄と判断したのだろう。
もう首都から出ることすらできなかった。
1918年。
四年もの間、各国は熾烈な争いを繰り広げ、過去最悪とも言える被害を出した。
七年戦争を想起させられたが、そんなのはまだ可愛く見えるくらい恐ろしいものだったと、プロイセンは思う。
あの戦争も随分酷かった。
しかし、今回より悲惨な結果は早々ないだろう。
目の前で追い詰められる傷だらけの愛息子を見ながら、国が食われていく様を眺めることしかできなかった。
ヴェルサイユ宮殿はきらびやかで、王が住んだのも納得の美しい建物だ。
自分の戴冠式もここで執り行った。
そんな美しい場所で行われているのは、敗戦したドイツ帝国の処理。
英仏は言葉巧みにあれやこれやと言って、明らかにおかしい条約を結ばせている。
口出しは、もはやできる立場にない。
「僕たちこんな怪我負わされたんだよ?そんな金額で足りると思う?ねえ?」
「貴方が毒のガスだなんて使うから、人手が全く足りないのですよ。海外領土だなんて持っているお暇も、貴方にあるのですか?我々が代わりに戴いてさしあげます」
「そうそう、あとアルザス=ロレーヌも返して?あれは僕のだ」
条約はどんどん負担が重ねられていく。
あれもこれもと欲しい物は全部手に入れようとするなんて、強欲にもほどがある。
「フランス殿が、父様にお渡ししたのでは」
「は?あいつがバカみたいな賠償金請求してきたから、仕方なくなんだけど。僕があの野蛮人にそんなことするわけないだろ。それとも何?ドイツじゃあまともな歴史教育もされないの?」
お前たちが今ふっかけようとしているのは、その何倍多いのだろうか。
「……」
「ふふ、まぁまぁそんなに怒らずに。ドイツ帝国さん?早くサインしてくださいな。それとも、私どもの言葉がわからないのですか?」
「……」
あぁ、可哀想なドイツ帝国。
父にはもう何もできない。今日ここにいるのは、フランスが無理矢理連れてきたからでしかないのだ。
アンバー色の目はじっと紙を見つめ、悔しそうに顔を歪めながらこくんと頷いた。
「あ、サインする気になった?ペンならこれ使いなよ。おしゃれだろ?」
「…この、美しい羽はまさか…」
「こいつの羽だよ。ティルジットの和約の時に作った」
ドイツ帝国が手に持っていたのは、プロイセンの羽で作られたペン。
つやつやと純黒に輝く美しい羽にはインクが注がれている。
「…っ」
「どうしたの?早く書きなよ」
ニヤニヤと下衆な笑みを浮かべ、フランスは嘲っていた。
ドイツ帝国はそれ以上何も言わず、ゆっくりとサインを書く。
カリカリ、とペンが紙の上を滑った。
何百億という借金が、小さくなったドイツ帝国にのしかかる。
己の運命を悟り、プロイセンは小さくため息をついた。
その帰り道、ドイツ帝国は何年かぶりにプロイセンと手を繋いだ。
隠していたコンプレックスの翼を外套の外に出して二人の世界を覆い、決して離れぬようにぎゅうと強く、小さな手を握り続けた。
その後、ドイツ帝国が名を変え顔を変え、ヴァイマール共和国として生き始めた頃。
ハイパーインフレが起き、父は少しでも金を作るために、愛していたフルートを売ってしまった。
もう吹けない体だから、もう聞いてくれる人はいないから、と言って。
ここにいたのに。
その次は、もう誰もつけるものがいないからと言って勲章を売っていた。
買い戻す金もなく、すべてフランスのコレクションへ。
ようやくプロイセンを捻じ伏せられたと、奴は心底嬉しそうにしていたのを覚えている。
そのまた次は、数多の肖像画たちだった。
古い絵は本当にたくさんあって、幼い頃の父と、穏やかに微笑む誰かの絵は特に多かった。
父は芸術が好きな人だから、大切な思い出だから、最後まで残していたのだろうに。
その絵についてだけは、何も話してくれなかった。
高額な賠償金を求める条約を結ばされて以来、ドイツ帝国改め、ヴァイマルは更に仕事に打ち込んだ。
同時に、プロイセンへの執着も増していた。
世界大戦の末期に行われたドイツ革命によって、プロイセンはもう国ですらなく、両目も失われたからである。
現在のプロイセンの正式名称は、プロイセン自由州。 ドイツの州の一つに過ぎない。
その代わりに、国という大きな存在全体の不調を負担しなくなった分、元気になった。
とはいえ、革命当日まだドイツ帝国だった頃、 家に帰ったとき、床に臥していたはずのプロイセンは地に倒れ、左の目から流血していたのだから、あれは肝が冷えた。
家は扉が破られて、引きずり出されたのだろう、プロイセンのものと思われる血で汚れてもいたし、本当に死んでしまったかと思ったのだ。
そりゃあ、今までよりも依存してしまうだろう。
「父様、お加減はいかがですか?」
「とても良いよ。まだ見えないことには慣れていないが、お前がいるから何ともなく過ごせる」
「そんな、私は当然のことをしているだけですのに。ありがとうございます、父様。少し、失礼しますね」
プロイセンは目が見えないので、日常生活の殆どをヴァイマルが見ている。
まずはブラシで翼を解きほぐして汚れを落とし、蒸したタオルで顔や体を拭く。
国だった頃は国内の状態に敏感で、プロイセンは不定期に体調を酷く崩していた。
昨日まではにこにこと笑って外を眺め、自立歩行も可能だったのに、今日は起き上がるのですら苦しそうにしている、なんてこともよくあったものである。
その時から続けていたのだし、元よりヴァイマルはプロイセンの世話をなんら苦労とは感じていなかった。
むしろ、役得だと考える下賤な心すら持ち合わせている。
屋敷の土地を売って小さな小屋に移り住み、服がボロボロでも食べるものがなくなっても、ヴァイマルはプロイセンの翼のケアだけは怠らなかった。
毎日あくせくと働いて稼いだものはプロイセンのための食事に変え、自分は食べないなんてこともザラにある。
なぜそうまでするのかと言われれば、理由はひとつ。
愛しい父が持つこの美しいものを、長く見ていたいから。
「お美しいです、父様」
「そう言ってくれるのは、もうお前だけだよ」
ヴァイマルとプロイセンは毎晩同じベッドで眠り、至って幸せそのもの。
子供時代のようにプロイセンと仲睦まじく過ごせるのは、ヴァイマルからすれば夢のような話で。
だからこそ、もう二度とプロイセンを傷つけられたくはなかった。
愛しき父がボロボロになって、土埃に塗れ、己の翼のように汚らしい色の血に汚れるなんて、許せるはずがない。
プロイセン自由州
そこは州都が赤いベルリンと呼ばれるほどに左翼が蔓延り、社民党のオットー・ブラウンが自由州の首相としてあり続けていた。
自由州には小さな独自政府があり、プロイセンもそのおかげで生きている。
最後の生命線とも言えるだろう。
だがある時、ドイツ国の首相はこう言った。
「プロイセン州が政府の命令に違反した」と。
そして大統領に令を出させ、プロイセン自由州にクーデターを起こした。
国家からの命が下るのならば、動かざるを得ない存在がいる。
少し前まではヴァイマルだった、ドイツ国である。
「…父様とは、戦いたくありません。貴方を傷つけたくない」
親子は最悪な形で対面したが、思い詰めた表情のドイツ国に比べて、プロイセンはケロッとしているようだ。
「甘ったれるな。お前にも責務があるのだろ?遠慮なくやればいい」
相手は両目の見えない貧弱な退役軍人。
現役のドイツ国からすれば、なんてことはない。
「降伏してください、どうにかしますから」
「そりゃできない相談だ。何度も言うが…ドイツ、甘えるな。やれと言われたならやれ」
「………」
プロイセンは譲らないと言う。
手塩にかけて育てられ、全てを捧げて恩返ししてきた大切な家族に手を上げろと。
偉大なる父は、それ以外の道を許してくれそうになかった。
自分が毎朝丁寧に丁寧に磨き上げてきた翼が見える。
美しい。
堪らなく美しくて、もっとずっと眺めたくなるような、宝石のようなそれ。
とてもじゃないが、切るなんてできない。
「はぁ……」
突如、プロイセンは重いため息をついた。
ドイツ国から背を向けて、苛立ったように翼を揺らす。
「そんな腑抜けに育てた覚えはなかったのだが。教育に失敗したな」
「…父様…それは、どういう…」
「わからないか?失望したと言っている」
「なぜ…」
「なぜも何も。国家の象徴たるもの、国家の言うことが聞けず何ができる。失望したよ、お前には」
失望した、という一言に、ドイツ国はサッと顔を青ざめさせた。
今まで何をしても笑って支えてくれた父が、こんなことで。
期待に答えなくては。
失望したという言葉を取り消してもらわなくては。
焦燥感が胸を焼く。
「…ごめんなさい」
剣を振り上げたとき、父の口元は優しく弧を描いていたような気がする。
直後に飛び散った赤黒い液体は、ドイツ国の背から見える翼の色と瓜二つであった。
昔、父をサーベルで突き刺したらどんな反応をするのか、気になったことがあった。
今でこそ若気の至りと言えなくもないのだが、ある意味でその夢は叶ってしまった。
とんでもなく不覚で、不快な形として。
血溜まりに倒れ、プロイセンの服も翼もくすんだ黒寄りの赤へ染まっていく。
ネオンブルーは目隠しのような眼帯に覆われ、黒色と金色の刺繍で州の象徴たる鷲だけが存在し、 顔立ちはよく見えない。
「…お揃いですね、父様ぁ」
ざっくりと背中を斬りつけたものだから、プロイセンの翼は血でべたべたになっている。
ドイツ国は服に血がつくのも構わずに抱き起こし、そのべたついた羽を白い手袋越しに撫で上げた。
あっという間に手袋が赤く染まるのが面白くて、ついクスクスと笑いが出てくる。
「父様、私、ずっと自分の翼が嫌いでした。悪魔みたいな色をしていて、父様とは似ても似つかないのですもの」
血を流すプロイセンを抱きしめたまま、ドイツ国は続けた。
「でもね、今ようやく気づいたんです。今のこの汚れた父様の翼は、私とそっくり…砂もついて、ぼさぼさで。父様のは朝、手入れしたばかりなのに 」
外套を脱ぎ捨て、ドイツ国は笑う。
「どう足掻いたって、これは美しくはならないのでしょうね」
プロイセンを切り捨てた剣から血を払い、ドイツ国は露出した自分の大きな翼に剣を中途半端なところへ当てた。
「それなら、もうこれはいらない」
ゴトリと落ちたのは、ドイツ国からすれば必要のないもの。
何をしても変わらないと理解してしまった、赤黒い翼
もう片方の翼も適当に切り落とすと、ドイツ国はその場でくるりと回った。
「あぁ、肩が軽い。ふふ、今まで背負い続けてきた意味なんてなかったのですね」
神経を断ち切っているのだから、痛みも出血も多い。
それよりも上回っているのは、不思議な幸福感だった。
「こんな重いものを背負っていたのに、父様はいつも素敵で…本当に神様みたいに完璧な人…」
ぎゅうと抱きしめたプロイセンの体は小さくて、ドイツ国の両腕にいとも容易く収まる。
ドイツ国の中で、プロイセンがおかしくなっていく。
「私はもう飽きましたが…父様は血に塗れても美しいのだから、赤も案外素敵な色なのかもしれません」
プロイセンの最後の生命線を取り込み、プロイセンはほとんど死に絶えているのに等しい。
それでもドイツ国は、公的にはプロイセンが存在していることを知った。
眠り続けるようになったプロイセンを新しい家に連れて、また家族として過ごす。
毎晩一緒に眠ったし、新しい衣装はどれもプロイセンに倣った。
やがて新たな政党がドイツ国に就き、後に彼はナチスドイツと呼ばれる。
そのナチスドイツの旗は、真っ赤な色に、黒く歪んだ十字であった。
翼を捨てたドイツ国は瞬く間に堕ちていく。
登り詰めるときに使ったのは、もう存在すら微かな父の翼。
2人分も支えきれなくなったそれが折れてしまうまで、残り十年とちょっと。
コメント
3件
読み終えました…!! ドイツくん!!!!君は十分プロイセンに愛されているよ!!!!でも君はきっとプロイセンの視線が注がれるのは自分だけであってほしいと思っているんだね… プロイセン…!!あんた父親だよ…!!でも我が子のコンプレックス見抜けなかったのは失態だよ…!!!赤黒い羽、ブランデンブルクを少し感じてたりとかしないんですかね?きっとプロイセンは我が子は羽あっても羽無くても大好きです。伝わります。でなきゃ最後背を見せるなんてことしないですから…!!! 切ねぇです。私は只今大変切ねぇです。
はい!昨日はプロイセンとドイツ帝国の誕生日かつプロイセンの一回目の死でした!!! 遅刻!!!!!! 次プロイセンメイン出すのは2月25日くらいかな プロイセンは3度死ぬ