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「君の瞳が蒼いのは――」
スラリとした体躯の青年が、歩いていたアメリカ人らしき女性へ唐突にそう声をかける。女性は不審に思って顔をしかめた後、青年の顔立ちを見て息を呑む。
整った目鼻立ちに、肩までの明るい茶髪。線が細いながらも男性らしいくっきりとした顔立ちが、彼女を釘付けにした。
とりあえずボクは黙って見ている。
「この空の色を映しているからなのかい? 少し……見せてもらえないかな」
距離を詰め、青年は女性の顎へ手をやり、優しく引き寄せた。
「あの……」
「ごめんね、僕は美しいものは全て欲しい。だから……君が欲しいんだよ、その蒼い瞳に、僕だけを映して欲しい」
戸惑ってはいるけど、女性は満更でもなさそうだった。よく見ると日本人に近い顔立ちをしているし、日本語もしっかり伝わっているようだからハーフなのかも知れない。
「僕の胸に触れてみて欲しい。わかるだろ、僕の鼓動。こうして口では平然としていられるけど、本当はすごくドキドキしてる。きっと君だけだよ、こんな気持ち」
そろそろイラついてきたな……とボクが思い始めたところで女性の顔が真っ赤になる。その瞬間、青年が口角を微かに釣り上げたのがボクに見えた……というこのタイミングで――
「さあ、行こ……ヴッ」
ボクの腹パン、入りました。
***
「ひ、酷いじゃないか……」
そそくさと去って行く被害者(さっきの女性)を尻目に、ボクに殴られた腹部を抑えながら抗議の目を向ける。
「はいはい事務所に帰るよ。全く何で急に出て来るんだか」
「まったく我儘で、素直じゃないよ君は。僕と一緒にいたいなら、素直にそう言っ……ヴッ」
「いい加減晴義(はるよし)の寝言は歯が浮き過ぎて抜け落ちそうなんだよ、ボクが入れ歯になったらどう責任取ってくれるのさ」
「入れ歯でも愛してるよ」
「はいはいありがとね」
適当にそう答えてから、ボクは青年の――晴義の手を強引に引いて事務所へと戻っていく。晴義の、ボクに引かれてない方の左手は依然として腹部をさすっていた。
この男、晴義七重探偵事務所の探偵、七重家綱の人格の内の一人だ。肩まで伸ばしたサラサラの髪と、女性を誘惑する甘いマスク。黙っていれば文句なしの美青年なんだけど、これがまたとんでもないナンパ野郎なのである。その上なんだかんだ本当に顔の整いすぎた美青年なので、なんとか減点しようとしても最終的には加点してしまう美貌だ。ちょっと悔しい。
しばらく顔を出してなかったんだけど、さっき家綱が昼寝し始めた途端不意に現れて事務所を飛び出し、近所で片っ端からナンパをし始めたのだ。止めるのはさっきので五回目、そろそろいい加減にしてほしかった。
「ほら、事務所で依頼人が待ってるかも知れないよ?」
「どうだろう、僕らの事務所は閑古鳥が鳴くレベルだからね。依頼人が来てたら逆立ちしてあげてもいいよ」
茶化す晴義にため息を吐きつつ、ボクは事務所のドアを開ける。すると、来客用のソファに白いスーツの女性が座っているのが見えた。
「あっ……」
ボク達に気がついたのか、女性は短く声を上げてこちらを振り向く。黒いショートヘアがよく似合う、三十代くらいに見える女性だ。パッと見てわかる程には美人で、思わず口から驚嘆の声がこぼれそうになる。
「あの、すみません……。外に『いない時は中で待っていて下さい』と書かれた紙が貼ってあったので……」
女性は慌てた様子でソファから立ち上がると、そう言ってボク達に頭を下げる。
「あ、いえいえ気にしないでくだ――」
しかしボクが答えようとすると、それを遮るようにして晴義が女性の前に駆け寄り、その白魚のような手に、跪いてそっと触れた。
「初めましてプリンセス。七重探偵事務所へようこそ」
おい、逆立ちしろよ。
***
依頼人の彼女の名前は、招原柚子(まねきはらゆずこ)。ピシッとしたレディーススーツを着こなした彼女は、正に出来る女と言った風貌だった。どこかで顔を見たような気がするんだけどイマイチ思い出せない。会ったことがあるなら、こんな綺麗な人そう簡単には忘れないだろうから写真か何かで見たのかも知れない。
「それで依頼は……ボディガード、ですか?」
「……ええ。あなた方に、お願いしたいのです」
招原さんの依頼内容は、ボディガードだった。もっと何か別の、普通の探偵っぽい調査を依頼されるんじゃないかと思っていたから少し意外だった。雉原さん達の時のようなストーカー関係かな、と思うと思わず三井を思い出してしまって少し気分が悪くなってしまう。
「招原さん……でしたね。まるで現代に蘇ったジャンヌ・ダルクのような気高さと美しさだ。ポスターで見るのとはまた一味違いますね」
「は、はあ……ありがとう、ございます……?」
晴義の軽口に、招原さんは困惑した様子を見せる。普通なら晴義が一言二言こんな感じのことを言えばとろんとしてしまう人の方が多いんだけど……。それが余計晴義を駆り立てたのか、ボクの隣から移動して招原さんの傍へ座って更なるアプローチをしかけ始めた。
「晴義」
……ので肩を掴んでボクが制止した。
「どうしたの由乃ちゃん」
「逆立ちは?」
そう言って軽く睨むと、晴義はそそくさと招原さんから離れてボクの隣へと戻って来る。
「すいません、度々……」
「いえいえ。気さくな方なんですね。探偵さんって、もっと渋くてお硬い人かと思っていたので……」
「いや、まあ……なんというか……」
晴義は別に探偵ではないんだけど、探偵本人であることに違いはない、というちょっとややこしい存在なので説明出来ずに歯切れが悪くなってしまう。その内家綱が顔出すだろうから、それまでにある程度説明しておいた方が良さそうだ。
「……そういえば晴義、さっきポスターって言ったよね?」
「うん、言ったよ。もう一度言おうか?」
「いやいい、簡潔にどこでどんな風に見たのかだけ教えてくれる?」
「つれないなぁ……。さっき近所の掲示板で見たんだよ、次の市長選挙の立候補者さんだって」
晴義がそう言った瞬間、ようやくボクも思い出す。多分ボクも町を歩いている時にポスターやビラで見たんだろう。
「はい、良ければ、よろしくお願いしますね」
そう言って、招原さんは美しい姿勢でお辞儀して見せた後、丁寧な動作で名刺を差し出した。交換したい所だけどボクも晴義も名刺なんて持ってないので、会釈して名刺を受け取ることしか出来なかった。
「……っとすいません、話題がそれてしまいました。それでその……ボディガード、というのは?」
「……はい。先日……不気味な手紙が届きまして」
そう言って、招原さんがポーチから取り出したのは封筒だった。そこらで売っているような安っぽいものではなく、見た目だけで紙質が良いのがわかるような封筒で、触ればすぐに違いがわかると思う。
招原さんは丁寧に封筒から折りたたまれた一枚の紙を取り出して、机の上に開いて見せる。書かれている内容は作法も何もない、ただ簡潔に「市長選挙を降りろ」とだけ印刷されている。それ以外は特に何も書いていないのが逆に気味の悪さを引き立てる。
「これはいつ届いたんですか?」
「数日前です。まだ何か起こったわけではないのですが……」
「……悪戯では? 失礼ですが僕達よりもまず警察に連絡した方が良いとは思いますが」
不意に割って入って来たのは、急に真面目な顔つきになった晴義だった。あまりにも真面目な意見にボクが感心して見つめていると、晴義はそのまますぐに招原さんの手を取る。
「ですが、僕と行動を共にするための言い訳だとしたら……こんなにいじらしいことはない」
「いえ、それは違います」
にべもなく断ってから、招原さんは一息吐いて言葉を続けた。
「一応通報はしたのですが、この印刷された文書だけでは特定が難しいようです。この封筒から特定出来ないかともお願いしたのですが、指紋は見つからないと言われて……」
「出処から何かわかったりしなかったんですか?」
「はい……ある程度絞れたようですが、特定は難しいと……」
もしほんとにそこから絞ろうと思うのなら、相当根気のいる捜査になるだろう。もう少し何か手がかりがあれば良いんだけど、今のところ招原さんは封筒が届いたこと以外は何もされていないらしい。特につけられたりしている感じもしないみたいだし。
「何か、心当たりとかは?」
「……個人の超能力使用を制限する法案を提出する動きがあることを、ご存知ですか?」
「……はい」
一応ボクも新聞はチェックしているのである程度はわかる。
この世界で超能力が認知されてから久しい。だけど、法も警察もまだそれに対応し切れていない段階だ。一部ではもう対超能力警官として超能力を持った警官が起用されていたり、施設によっては超能力者を感知するゲート(空港や国会議事堂等)が設置されている場所もある。だけど超能力犯罪は増える一方で、対応に追われているのが現実だった。
その中で、超能力を法的に制限しよう、という動きがある。
「私は、この罷波市で超能力を制限する条例を実施し、超能力規制法案を通すための足がかりにしたいのです」
「それがあなたの公約、というわけですか」
晴義が呟くようにそう言うと、招原さんは静かに頷く。
超能力を規制するか否かはかなりデリケートな問題だ。超能力犯罪が増え始めている今、ボクみたいな一般市民からすれば早く規制して欲しいものだけど、何かと問題があるんだと思う。
「でもそれって、条例の範囲を越えちゃいませんか?」
とは言ってもそもそも超能力に関する法律がないのだから、法律の範囲も何もないとは思うけど。
「そうですね……正直、難しいと思います。ですが、少しでも声を上げなければ……」
本当に難しいことだと思うけど、招原さんの表情は真剣だった。
確かに、超能力犯罪者からすれば面白くない動きだし、犯人側の目的は何となく理解出来る。招原さんを妨害しようとしてるってことは、罷波市内の人間だと思う。単純に招原さんの対抗馬かも知れないし。
「犯人の特定が不可能なら、せめて身辺警護を誰かにお願いしたいと思ったのです。正直私も悪戯ではないかと思うのですが、少し神経質になっていて……」
「そういうことなら……あなたの不安な夜を、僕達が終わらせましょう。必ず守り抜きますよ」
さらっとそんなことをのたまう晴義に良いの? とボクが問うと晴義は良いんじゃない? と軽口で返してくる。
「僕じゃなくて家綱が表に出てたってこの依頼は受けただろうし、アイツは基本的に依頼を拒まないだろう?」
「まあ、それもそうだけど……。選挙当日まで結構あるし、それまでずっと警護することになるんじゃない?」
「うーん、良いんじゃない? 僕は構わないよ」
「いや、そうじゃなくて。ナンパしないで真面目に出来る?」
「うん、出来るよ。ナンパも仕事も両立出来るさ」
「するなって言ってんの!」
逆立ちはしてくれない癖に!
まあ、晴義のことだから仕事自体は真面目にやると思うけど。
その後依頼料の話をしてみた感じ、割に合うだろうと判断したボクは、結局招原さんからの依頼を受けることにした。
こういう判断してるとたまに思うんだよね、もしかしてこの事務所の所長ってボクなんじゃないかって。
***
家綱からは事後承諾だけど許可をもらい、ボクと晴義(また勝手に出てきた)は翌日から招原さんの身辺警護にあたった。とは言っても一緒に行動しているだけで、特別なことは起きない。ボクも晴義も真面目に目を光らせてはいるけど、とりあえず依頼を受けた翌日は何事もなかった。
招原さんの選挙活動が終わった後、ボクと晴義も一応封筒について調査をしてみたけど、お高い封筒で一般市民が使うようなものではない、ということ以外はわからなかった。
「すみません、調査まで……」
「いえいえ、むしろ付き合わせちゃってすいません」
そう答えた後、ボクは小さくため息を吐く。一日二日で何か成果や動きがある方が珍しいとは思うけど、こう何も進展しないとやっぱり閉塞感がある。晴義は、警護自体は真面目にやってくれるんだけど、事あるごとに通行人か招原さんかボクを口説こうとするので止めるのも一々大変だった。
明日は家綱が出てきてくれると助かるんだけど。
日が落ち始めて空が赤くなった頃、招原さんと別れたボクと晴義は真っ直ぐに事務所へと戻って行く。
「……晴義はさ、今回の件どう思う?」
ふと気になって聞いてみると、晴義は少しだけ考えるような仕草をしてから口を開く。
「それは犯人についてかな? それとも招原さんという美の具現についてかな?」
「ボクが今このタイミングで後者について真面目に聞くと思ってんの!?」
「僕なら聞く」
「そっかぁ……」
もういいやこの話……。
「とまあ冗談はさておいて。実際気味が悪いよね。裏で何が動いているのか不明瞭だしさ」
ボクが話を投げそうになったのを察したのか、それともちゃんと考えてはいたのか、晴義はそう言って話の道筋を戻した。
「……うん、やっぱ晴義もそう思うんだ。大丈夫かな……」
ボクは単純に不安だった。確かにボクは家綱達と、色々事件を解決してきたし、超能力の関わる危ない事件だって最近二つも解決した。だけど今回は選挙、法案、色々事情が絡んでいるせいで色んな可能性が示唆出来るから怖くなってくる。
「ま、大丈夫だよ。何があっても由乃ちゃんのことは僕らで守ってみせるからさ」
「あっ……」
そんな晴義の言葉に、ボクはうまく答えられずに言葉が詰まる。普段このくらいのことはキザな顔で色んな人にポンポン言う癖に、ふとした瞬間こうして何でもない顔で言われると戸惑ってしまう。晴義自身はほんとに何でもなさそうな顔で、夕焼けを適当に見つめていた。
……何だよ、ちょっとズルいな。
「ふふ、僕の隣を歩いていると誰もが逢魔ヶ時さ。由乃ちゃんの顔も夕焼け色だね」
「あー……もううるさい! 急にいつもの調子に戻らないでよ!」
少し高揚したのを気取られたのが恥ずかしくて、ボクは晴義から目をそむける。そんなやり取りをしている間に事務所のすぐ近くまで辿り着いた。
「……あれ?」
よく見ると、事務所の前に誰かが立っているのがわかる。目を凝らして見てみると、その人物がボクのよく見知った人物だとわかって驚くと同時に嬉しくなってつい駆け出してしまう。
「おじいちゃん!」
そこにいたのは、かなり身なりの良いおじいさん――ボクの祖父、和登八朗(わとはちろう)だった。
「おお、由乃!」
おじいちゃんが駆け寄ってくるボクを迎えるようにして両手を広げたから、ボクはそのままおじいちゃんの胸に飛び込んだ。懐かしい香りがして、そのまま顔を埋めてしまいたくなる。
「どうしたの!? 家抜け出したの!?」
「ちょっとな! ちょっとだけな! おじいちゃん由乃のこと大好きじゃからな、こうしてたまに顔見んとな!」
「もう、また怒られるよ!」
そう言いつつも、おじいちゃんに会えたのが嬉しくて仕方がない。
ボクの家は裕福な家で、ボクはそこの長女として生まれた。だけどお父さんの教育が厳しくて耐えられなくなって、家を飛び出して家綱に出会った……というのが、ボクが家綱の助手になるまでの経緯だ。
「いやなに、おじいちゃん偉いから大丈夫じゃろ」
「そう言っていつも抜け出した時は怒られてるじゃんか!」
和登家でボクが親しかったのは、幼い時に亡くなったお母さんと妹、そしておじいちゃんで、ボクは辛い時は大抵おじいちゃんの書斎に逃げ込んでいた。家出する時も、こっそり手引きしてくれたのはおじいちゃんだったりする。
「でも嬉しいじゃろ由乃! わしじゃよ、おじいちゃんじゃよ!」
「うん……ありがとう」
家出した後、おじいちゃんはこうして度々ボクに会いに来てくれている。こっそり家を抜け出しているから大抵家の人に怒られるみたいだけど。
「どうじゃ、生活には困っとらんか? お小遣いいるか?」
「良いって良いって、給料で何とかやってるよ。ごめん、心配かけて」
「全くじゃよ、おじいちゃんが生きとる内に帰って来るんじゃよ?」
「縁起でもないこと言わないでよもう……。それより、上がっていってよ、お茶くらい出すから」
「いや、わしゃ由乃の顔見に来ただけじゃからな。それに家のモンに追われとる」
やっぱ追われてるのかよ。
「それに、勝手に事務所に上がっちゃそこの家綱くんに悪いじゃろ?」
そう言っておじいちゃんは晴義の方を見る。晴義は少し気まずそうに小さく会釈するだけで、おじいちゃんには何も言おうとはしなかった。
「それじゃ、またの、由乃」
「あ、うん……」
本当に顔を見に来ただけみたいで、おじいちゃんは辺りを見回しながらそそくさとその場を去って行く。名残惜しかったけど、まあ仕方ないか……。
「……ごめんね晴義、待たせちゃって」
「……いや、いいよ。全然構わない。帰ろうか」
そう言った晴義に頷いて、ボクは晴義と一緒に事務所の中へと帰って行く。そういえばおじいちゃん、晴義のことを家綱って言ってたけど……ボク、家綱の能力の話なんかおじいちゃんにしたっけ……?
そんな小さな違和感も、おじいちゃんに出会った嬉しさと一日の疲れで掻き消えてしまったけれど。