数日後。
圭太を連れて、アルバイトのデータを渡しに行く。
遠藤に会える日だというのに気が重い。
「こんにちは」
「こんにちは、岡崎さん、あ、圭太君だったっけ?こんにちは。今回もキッチリ納期通りですね」
「はい、やらなきゃいけないことは、きちんとしたいタイプなので」
「助かります。わりといるんですよ、子どもが小さいからなかなかできないとか、風邪をひいたから遅れるとか。そうするとこちらも仕事を頼めなくなってしまうので、きちんとされてると助かります」
「そうなんですか?仕事として受けたのなら納期は守るのが当然なのでは?」
「そうなんですけどね。あ、確認しますのでメモリーを。よかったら冷たいコーヒーでも」
冷蔵庫から私には缶コーヒーを、圭太にはりんごジュースを出してくれた。
ぷるぷると音がして、テーブルの上の遠藤のスマホが光って待ち受け画面が見えた。
_____奥さんと子ども?
たくさんのレンゲの花の中で、二人がこちらに向かって微笑んでる写真だ。
離婚したのに、まだ奥さんのことも忘れていないということだろう。
「あの、唐突なんですが、少しお訊きしてもいいですか?」
「えっと、なんでしょうか。この前のドラマのこととか?」
そういえば、先週仕事の不明点を問い合わせた時に、ドラマの話で盛り上がったっけと思い出す。
「いえ、あの……、やっぱりいいです」
_____私はこの人になにを訊こうとしてたんだろう
本当に仕事の電話で子どもから目を離したんですか?なんて訊けるわけないのに。
その時、自分のスマホの着信音がした。
相手は雅史の母だった。
憂鬱な気分で通話する。
「はい、もしもし?」
『杏奈さん?今ちょっといいかしら?』
「え、あ、今買い物中なので…」
後にしてくださいと言おうとした。
『あなた、浮気したんですって?』
「は?!」
突拍子もない義母のセリフに、答えに詰まる。
『したのよね?だから、雅史が怒ってうちに来たのよ。しばらく家に帰らないそうよ』
「ちょ、ちょっと待ってください、なんでそんなこと……」
『少し頭を冷やしなさいね、あなたはうちの、岡崎家の嫁なのよ、わかってる?』
「違います、浮気なんてそんなっ」
目の前の遠藤が、怪訝そうな顔で私を見る。
そこで電話は切られた。
「すみません、次の資料はどれですか?」
「あっ、あぁ、これですが。何かあったんですか?一週間、休まれてもいいですよ」
「いえ、仕事は気分転換にもなるので。じゃ、来週木曜日、また来ますので。さ、圭太帰るよ」
「バイバーイ」
遠藤がまだ何か言いたそうだったけれど、とにかく早く帰ることにした。
こんなところにいるのを、また義母や雅史の知り合いに見られたりしたら、話がややこしくなる。
_____どういうこと?私が浮気したって雅史がお義母さんに言ったってこと?なんで?
あの写真のことなら成美とのランチだったと説明したし、実際浮気したのは雅史のほうなのに。
わけがわからず、混乱する。
家に帰り、圭太にオヤツを用意してから雅史に電話をかけた。
なのに、2回コールしたところで切られた。
LINEにする。
〈どういうこと?お義母さんが電話で言ってた意味がわからないんだけど〉
すぐに既読が付いたのに、返事はない。
〈なにか言いたいことがあるなら、きちんと私に話して。実家に逃げるなんて卑怯でしょ?〉
今度は既読もつかない。
「なんなのよ、もうっ!」
イライラして、バン!とテーブルを叩いてしまった。
「おかーたん、こわい」
圭太が驚いて、プリンを食べていたスプーンを落とした。
「ごめんごめん、なんでもないんだよ。ゆっくり食べてね」
代わりのスプーンを渡すと、一口すくって私の口へ運んでくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
こんな小さな息子が私を気遣ってくれるのに、雅史という夫は都合が悪くなったら実家に逃げて行った。
_____こんなひどい人だったっけ?
どこでこうなったんだろうか、考えてもわからない。
私のせいなんだろうか?
「おいしいね」
にこにこしながらプリンを食べる圭太の頭を撫でた。
_____私はこの子の母なんだから、しっかりしなくちゃ
圭太の無邪気な様子を見ていたら、母としての責任と覚悟が湧き上がった。
夜中に、義母からメッセージが届いた。
《杏奈さんが雅史にきちんと謝罪して、今後はしっかりと嫁としての務めを果たしてくれたら、私は何も言わないことにします》
嫁としての……。
それはきっと、義母の老後をみるということだろう。
「冗談じゃない!」
そのメッセージを見た瞬間、離婚することを決めた。
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