スピーカーを通して聞こえてきた懐かしい声に皆が沈黙してしまうが、一度深呼吸をしたリオンが随分と久しぶりじゃねぇか男前と太い笑みを浮かべる。
『そうだな、二年ぶりか。あの時はロクにさよならも出来なかったからなぁ』
姉が死んで悲しんでいるお前を慰めてやりたかったがどこかの誰かのおかげでそれも出来なかったと心底悲しんでいる割にはジルベルトが笑うと、小さな悲鳴が背後から聞こえてくる。
「どの口がそれを言うんだ?」
『そう怒るなよ』
「お前にゾフィーを殺されて今度はオーヴェを誘拐された。怒らないでいられるとでも思ってんのかよ? あぁ!?」
ジルベルトの挑発に乗ってはいけない、そう思いつつも背後の悲鳴がウーヴェのものだと理解した瞬間、リオンの瞼の裏が怒りで赤く染まりつい声を荒げてしまう。
『おぉ、怖い怖い』
「うるせぇなぁ。これでもかなり抑えてんだぜ?」
ヒンケルの視線やコニーの手が肩に乗せられたことで一瞬怒りを忘れて気分を切り替えたのかリオンの顔に太い笑みが再度浮かび、それにしても随分と面白いことをしてくれるじゃねぇかと笑うと面白いだろうとスピーカーから愉快そうな笑い声が流れ出す。
「あぁ。楽しいパーティだから俺も参加したい。参加させろよ、ジル」
『招待状を送ってやるから準備をして待ってろ』
「招待状? ドレスコードもあるとか言うなよ」
『そうだな、ドレスコードはビデオ通話だな』
リオンとジルベルトのまるで意気投合しているかのような会話を聞いていた仲間達はリオンの心がどこにあるのかが本当に理解出来ないと眉を顰め、ブライデマンの顔には強い呆れの色が浮かんでいた。
いつかの様にリオンの仕事に対する態度で不満をぶつけそうだとヒンケルが危惧したとき、コニーがブライデマンの腕を軽く突いて顔を振り向けさせるとリオンを見ろと顎で指し示す。
冷や汗を浮かべたコニーが示したのはリオンの手だったが、先程までコーヒーが入った紙コップを持っていた手の中から褐色の液体が床に流れ落ちていて、柔らかな紙コップを握りつぶしていることを教えていた。
表面上は平静さを装っているが内心の怒りの一端をそうして表に出すリオンをまじまじと見つめたブライデマンは、招待状の準備をするのに少しだけ時間が掛かるから待っていてくれとジルベルトが告げたため逆探知の用意とマクシミリアンに目で合図を送る。
『ビデオ通話が出来るラップトップを用意しとけよ』
「何を見せてくれるんだ?」
『お楽しみを今から話すわけがねぇだろ? もう少し待てよ』
相変わらずせっかちなんだからリオンちゃんはと笑われ、うるせぇクソジジイと二年前ならば何という事もない日常の会話のキャッチボールだったが、事件を境に二人の立場は追う者と追われる者になり、しかも一方は憎まれ許されざる者になってしまった今、その二人が以前と同じようにキャッチボールをする様に他の仲間達が耐えきれずに顔を背けるが、当のリオンは今もまた何を考えているのかを表すことはなかった。
「なぁ、ジル」
『何だ』
「……今どこにいるか言う気は……」
『あるわけねぇだろ、バカ』
このまま以前のように会話をしている中で居場所の特定に繋がりそうなキーワードが出てこないか、いや、ジルベルト自ら教えてくれないかと淡い期待を抱いたリオンだが、微苦笑混じりの声に否定されてにやりと笑みを浮かべるが、握りつぶした紙コップを床に投げ捨てその手で前髪を握りしめる。
「そーだよなぁ。言うわけねぇよなぁ」
『ああ』
分かったかバカ、バカにバカと言うなバカと何も知らない人たちが聞けば喧嘩するほど仲が良いのだろうと思われかねないキャッチボールをした後、リオンが握った拳をデスクに押しつけつつ低い声を出す。
「良いよ。教えてくれねぇから自力で探し出す」
そして発見と同時にぶん殴ってやるから覚悟しろと凄むと一瞬沈黙が生まれるが、また背後で小さな悲鳴が上がる。
『言葉には気をつけた方が良いんじゃないか? さもないと、ほら……』
リオンの言葉に返したのはジルベルトと似通った冷たさを持つ別の男の声で、ほらと言った直後、耳を塞ぎたくなるような悲鳴がスピーカーから流れ出す。
「オーヴェ!!」
その悲鳴が誰のもので何をされているのかを比較的簡単に想像させ、押しつけていた拳を振り上げたリオンが今度はそれを振り下ろして言い放つ。
「前言撤回だ。……ぶっ殺す」
『刑事がそんなことを言っていいのか?』
「うるせぇ。俺が話してるのはお前じゃねぇ、ジルだ」
『……』
リオンが言い放った言葉に小さな溜息交じりの後あまり怒らないでやってくれとリオンを宥めるような声が流れ出すが、その背後では聞くに堪えないウーヴェの悲鳴が何度も響いていた。
今の悲鳴は何だと問いかければ、言う事を聞かない犬を調教しているだけだと底知れない憎しみが込められた声が聞くに堪えない笑い声を上げ、ありがたいことにこの駄犬を引き取りたい人がもうすぐ来ることになっている、俺とお前の仲だから最後の別れぐらいはさせてやる、優しい俺に感謝しろとどす暗い顔で笑っていることを想像させる声に皆が一様に顔を顰める中、リオンがウーヴェと話しをさせろと歯軋りの奥から懇願するが、パーティへの招待状をすぐに送るから準備をしていろと言い放ちチャオと携帯にキスまでして通話が終えられる。
「!!」
無機質な不通音を流す携帯を親の敵か何かのように睨み付けたリオンは勢いよくそれを掴んで床に叩きつけようとするが、ブライデマンがそれに気付いてリオンの腕を掴んで制止する。
「――離せ」
「この携帯はきみの大切な人に繋がる大切なものだ。それを壊してどうする」
ヒンケルでさえも寒気を覚えそうな暗い目で睨まれたブライデマンだが恐れることを良しとしない顔で毅然とリオンに告げた後目元を和らげ手当てをしてこいと伝えるが、己の火傷など感じていない顔でリオンが頭を振る。
「俺の怪我なんかどうでも良い! 今はオーヴェを……!」
「さっきの話だとジルから何らかのアクションがある。それを待つしかない。今のうちに手当てをして来い、リオン」
それがブライデマンだけの言葉ならば反発心から動こうとしなかっただろうがヒンケルにも促されコニーが肩を宥めるように撫でたことから己が我を忘れていたことに気付き、力なくその場に座り込んで頭を抱えてしまう。
「オーヴェ……っ!!」
ベルトランには写真だけが送りつけられたためまだ辛うじて堪えることが出来たが、悲鳴だけを聞かされてしまえば居ても立ってもいられなかった。
だが、ジルベルトの目的が何かが分からない為、今はヒンケルの言葉のように待つしか無かった。
頭を抱え込み小さく身体を丸めたリオンが何度も何度もウーヴェの名前を呼ぶ姿に誰も何も言えず、ダニエラが救護室から持って来たガーゼに包帯、濡れたタオルをコニーが受け取ってリオンの火傷を負っている手を冷やし薬を塗って包帯を巻く。
その治療作業の間もただウーヴェを呼び続けるリオンをヒンケルとブライデマンが痛ましげに見下ろし、逆探知の結果とビデオ通話が出来るラップトップの準備を急げと他の部下達に命じると、弾かれたように顔を上げた皆が慌ただしく動き出す。
「フリッツを呼んでおけ」
「詳しいのか?」
「ああ。ビデオ通話の録画をさせる」
そこから何が何でも情報を引っ張り出してドクの救出とジルベルト、ルクレツィオの逮捕に漕ぎ着けるぞとヒンケルが声を張り上げると、皆の気合いが一瞬で漲ったように顔つきが変わり、鑑識のフリッツを呼びにマクシミリアンが部屋を出て行く。
「……必ず、ドクの救出とジルを逮捕する」
ヒンケルのその決意の言葉はリオンの耳に届いているはずだったが腕で覆い隠した頭が上げられることはなく、平静さも日頃の軽口も総てを喪ったようなリオンにもう一度痛ましげに溜息をつくのだった。
「さすがは駄犬の飼い主だな!」
ペットは飼い主に似ると言うが中々素直にならない所などそっくりだと、リオンにお前じゃないと言われた直後冷静な怒りが脳天を突き抜けたルクレツィオは、トーニオや男が声をかける暇もなく落ちていた鞭を掴むと手加減なしにウーヴェの傷だらけの背中に振り下ろす。
「ァアアァア……・ッ!!」
リオンとの会話でかなりプライドを傷付けられたのかルクレツィオが余裕を無くした顔で鞭を何度も振り下ろし、ようやく薄い瘡蓋が覆っていた傷口が開き新たなそれと一緒になって血を流す度にウーヴェの悲鳴が地下室に響く。
首輪に繋がるリードを引っ張り背中を覆う激痛と喉が締まる苦しさに咳き込むウーヴェを極低温の目で睨み付けるルクレツィオに溜息を零し、あまり怒らないでやってくれとリオンに伝えたジルベルトだが、小馬鹿にされた己ではなくリオンを庇うような幼馴染みの口ぶりにルクレツィオの怒りが更に増したのか、ウーヴェをペット以下の扱いで投げ捨てると背中の傷から血を流しながらも起き上がろうとするその肩をどんな希望も願いも潰してやると言いたげに踏んで床に這いつくばらせる。
「……良い姿だな」
どうせならばこの後のパーティでもっと良い姿を飼い主に見せてやろうと笑うルクレツィオにジルベルトがもう一度溜息をついた後携帯を背後に投げ捨て、後で行うビデオ通話でこちらの居場所を特定されないようにするために足取りに繋がりそうなものを部屋から撤去させる。
ルクレツィオが怒り狂う姿とジルベルトが平然と片付けをする様に何ともいえない思いを抱いた男は自分ももしかしてそのビデオ通話に映るのかと恐る恐る問いかけ、もちろんだ、今夜のパーティの主役はお前なんだと男の肩に親しげに腕を回して笑みを浮かべたジルベルトは、男が嬉しさを隠しながら何をすれば良いんだと問い返してきた為、まだ大人しくなっていないからトーニオと二人で調教してやれと笑うと男の目が淫靡に細められる。
「楽しそうだな」
「ああ、思う存分楽しんでくれ」
そしてその後、総ての罪を背負って死んでくれと胸の中で続けたジルベルトは、この家が特定されたとしてもトーニオとマリオを囮に使ってルクレツィオと二人で逃げるだけだと決めていた為、怒りに頬を紅潮させているルクレツィオを見ると、視線に気付いたのか些かばつの悪そうな顔でそっぽを向く。
「ルーク、拗ねるな」
その囁きは二人が出会った頃から幾度となく交わされた約束のようなもので、どちらもその言葉に逆らえないことを知っているため溜息混じりに前髪を掻き上げたルクレツィオは、気分転換に声を明るく跳ね上げさせて振り返る。
「……ルーチェ、喉が渇いたから上でビールを飲もう」
「ああ」
パーティの用意はトーニオとマリオに任せて少し休憩をしようと笑い互いの腰に拳を一つぶつけて許し合った二人はぐったりするウーヴェを一瞥することもなく地下室を出て行くが、パーティの時に好きにさせてやるから今は手を出すなと男とトーニオに命じ、メインディッシュを喜んでくれるだろうかと話ながらリビングに戻っていくのだった。
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