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ジルベルト曰くのパーティの招待状がリオンの携帯に届いたのはチャオと残して通話が終わってから二時間以上が経過した、周囲はすっかり暗くなり明かりが恋しくなる時間を迎えた頃だった。
窓の外を見れば粉雪が舞っていて寒さをより一層感じさせていたが、己のデスクに足を投げ出すようにして腰掛けていたリオンは手に巻かれた包帯の意味を思い出そうと矯めつ眇めつするが、何故巻かれているのかを思い出せずに居た。
別に怪我などしていないのにーと暢気な声を上げるとデスクの向こうでダニエラが心配そうに見つめ、コニーが窘めるように見てきたため肩を竦めて溜息をつく。
パーティの招待状を早く送りつけてこいと天井にジルベルトがいるかのように睨み付けるリオンだったが、携帯にメールが届いたことに気付き内心の焦りを極力出さないように全神経を使ってメールをチェックするとビデオ通話ソフトのIDとパスワードが書かれていたため、ヒンケルの部屋で待機していたフリッツに椅子の背もたれを軋ませて上下逆様の世界で合図を送ると皆がリオンの周囲を取り囲むように集まってくる。
ラップトップでソフトを起動させ指定されたID、パスワードを入力すると写真で見たのと同じケージのポールが見え、その手前に男の背中が見えたため汚ねぇ男のケツなんか見せるなとリオンが思わず毒突いてしまう。
『こいつのケツを毎日見てたんだろ?』
ジルベルトの失笑が響いたかと思うと苦しそうな声が小さく上がり、ラップトップのモニターの中で赤いリードを引っ張られて無理矢理上半身を持ち上げられるウーヴェの姿が映し出される。
「オーヴェとその男のケツを一緒にすんな」
『同じだろうが』
お前がこいつと付き合うことになったと教えられたときに感じた嫌悪感は今でも忘れる事が出来ないと身体を震わせているような声でジルベルトが告げると、リオンの目が細められる。
「何だ、ジル、ホモフォビアだったのか?」
『綺麗なお姉ちゃんの方が好きだっていつも言ってただろ?』
「あー、確かに言ってたな」
だがまさか同性愛者が嫌いだったとは思わなかったとフリッツが動画の録画を始めた合図を受け取ったリオンが椅子の上で座り直し、その男の顔を見てみたいとジルベルトに呼びかけると、程なくしてドラッグで脳味噌がやられる一歩手前のような顔で男が振り返る。
その男を見たリオンが口笛を一つ吹くと、よう、豚野郎と声を大きくし、男の目に掛かった靄を晴らすようなどう猛な笑みを見せつける。
「まだこの街にいたのか? 早く出ていかないと知り合いの肉屋に紹介するって言っただろ?」
リオンの声に当初は何ら反応をしなかった男だったが、どう猛な笑みを浮かべるのが誰であるのかを過去の記憶と突きつけた瞬間、恐怖から身体を震わせる。
『お、お前……っ! もしかしてこいつは……っ!!』
「何だ、今まで気付いてなかったのかよ。あの時大人しくこの街を離れてれば良かったのになぁ。お前、もう戻れねぇな」
行き先は刑務所か病院かはたまた棺桶の中だなと腕を組むリオンにジルベルトが不思議そうな声を上げる。
『何だリオン。知ってるのか?』
「昔ちょっと色々あってこいつの目の前でガキをボコったんだけどな、そいつさ、その時チビリそうな顔で座り込んでた」
そんなヘタレ以前の男だが肉屋に行けば使い道があるだろうから早くこの街を出て行け、出ていかないのなら肉屋に紹介すると何年か前のクリスマスマーケットでの出来事を説明したリオンは、ジルベルトの人と人とはどこで繋がっているのか分からないとの感嘆の声に頷き、身体を震わせた男が開き直ったように大声を上げて手に赤いリードを掴んだことからリオンが更に声を張り上げる。
「それを離せよ」
『……今夜のパーティの主役はお前だ、好きにすれば良い』
ラップトップの向こうから決して手を伸ばすことの出来ない男の言葉になど従う必要は無いと、男の肩に腕を乗せて悪魔のように囁く声にリオンの目が細められる。
『パ、パーティの主役は俺だからな! お、お前はそこから見ていろ!』
ルクレツィオの囁きが男に力を与えたのか、たがが外れたような顔でリオンに画面の向こうから指を突きつけた男は、傍にいたトーニオに手を貸せとその勢いで告げ、手首を拘束されたウーヴェを床に這いつくばらせると何度も強引に突っ込まれた結果の痛みすら感じなくなった尻を犯すために腰を上げさせる。
わざとはっきりと見せつけられるそれにダニエラが顔を背けマクシミリアンもヴェルナーも拳を握ってきつく目を閉じるが、その中でもただ一人リオンだけが半目でラップトップを睨み付けていたが、室内にも関わらずにタバコを取り出して火を付け行儀悪く足を組んでデスクに載せる。
リオンの後ろから見守っていたコニーだが、載せられた足が小刻みに揺れている事、タバコを吸う早さがいつもとは違うこと、そして何よりタバコのフィルターを噛み切りそうな程リオンが歯を軋ませている事に気付くとその肩に手を載せてぎゅっと力を込める。
フィルターを噛んで足を小刻みに揺らすことで今すぐここから飛び出したい思いを何とか堪えている事にヒンケルもブライデマンも気付くが、リオンと同じように今すぐ何も出来ない歯がゆさを噛み締めていた。
フリッツが音量を少しだけ下げたためにウーヴェの痛ましい声は小さくなるが画面の中で犯されていることに変わりはなく、男が大きく腰をぶつけて中に出すまでの一連の動きをリオンは一秒たりとも目を逸らすことなく見つめ続け、満足そうに男がウーヴェの中から出た瞬間を見計らい呼びかける。
「よぅ豚野郎。終わったらさっさとその汚ねぇケツをしまえ。いつまでも見せてんじゃねぇよ」
その声に男が振り返り、さすがにこいつの飼い主だけあって生意気なことばかり言うがこいつは随分と気持ちよさそうに腰を振っていたぞと笑うと、それを上回る冷めた笑い声をリオンが男にモニター越しにぶつける。
「気持ちよさそうにしていた? 当たり前だろうが」
『な、な……?』
「オーヴェがケツで気持ちよくなるようにしたのは俺なんだよ」
その言葉にモニターの中だけでは無くこちら側でも皆が言葉を無くし、一体何年付き合ってると思う、その間何回オーヴェと愛し合ったと思うんだと笑うと、男の薬で回らなくなった舌がああだのうぅだのと意味の無い言葉を吐く。
「それよりも、オーヴェが気持ちよさそうだったってマジでそう思ってんのかよ、お前?」
『う、うるさいっ』
「お前がFKKのオネエチャンにしゃぶって貰ってる時に相手を喜ばせてるって思い込んでんのと同じじゃねぇの?」
リオンの挑発の声に男が言葉を無くして画面の向こうから睨み付け、リオンの肩に手を置いていたコニーも何故そんな挑発するようなことを言うと耳元で囁くが、リオンの舌鋒が緩むことはなかった。
「お前の場合はオニイチャンか。でもさー、マジでオーヴェがそう思ってるってのならさ、……何でオーヴェはお前にキスしねぇんだ?」
『……!!』
「すげー気持ちよかったりノッてる時のオーヴェって何回もキスしてくるしずっと手を繋いでるんだよなぁ」
今お前はオーヴェの手を拘束したままで繋ぐ事すらしていないしキスもしていない、なのにウーヴェが本当に気持ちよさそうにしてるとどうして思える、そんなものは単なる体の反応だ、そう思うお前の頭はクスリに関係なくイカレてるんじゃねぇのかとタバコの煙を画面に吹き付けたリオンは、床に投げ捨てて新しい一本に火を付けながらある思いを込めて呼びかける。
「……な、オーヴェ。お前と手を繋いでキスして良いのは俺だけだもんな」
なぁダーリンそうだよなと、どうか思いに気付いてくれと願いつつ画面の中でぐったりするウーヴェに呼びかけたリオンは、その肩がぴくりと揺れて傷だらけの背中が震えたことに小さく安堵するが、男がリオンの言葉を否定しようとウーヴェの顎を掴んで無理矢理キスをする。
それをじっと見守ることしか出来なかったリオンは、次いで上がった小さな悲鳴と殴られる音に身体を起こしてデスクを殴りつける。
画面の中、うつろな目で近付く男を見ていたウーヴェが無理矢理キスされたその直後、男が悲鳴を上げて距離を取り、舌をウーヴェに噛まれて頭に血が上ったらしく顎を掴んでいた手で顔を殴り、程なくしてウーヴェの口の端から血が流れ落ちる。
「オーヴェ!」
リオンの激昂の声と男がウーヴェを罵る声が響くがそれ以上に大きなジルベルトの声が響き、顔を殴るなと言っただろうと叫んだ直後、手入れされている革靴が画面に入り込み男の脇腹を蹴り飛ばして画面の外に倒れ込ませる。
『ぎゃぁあ!』
『うるせぇ!』
顔だけは傷付けるなとあれだけ言っておいたのにとウーヴェの傷が背中に集中している理由を零したジルベルトは、画面の外で蹲って悲鳴を上げる男を蹴りつけているようで、その暴行の音声だけがスピーカーから響き渡る。
「ジル、なぁ、おい」
『なんだ!?』
「何でも良いけど、そいつ殺すなよ」
お前が何をしたのかを証言させるのだから殺すなと苦笑し、再びタバコを床に捨てると新しい一本に火を付ける。
そのリオンの行為からかなりの感情を堪えている事を察したブライデマンはただ目を細めて事の成り行きを見守るが、リオンの肩に再び手を載せたコニーの腕も震えている事から今ここにいる者全てが元の仲間の残虐な行為と大切な仲間が受けている精神的なショックに思いを馳せ怒りを共有している事に気付く。
『……確かにそうかも知れないが、それでも他の男に犯されて気持ちよさそうにしている顔を見るのはどういう気持ちだ?』
ジルベルトが背後で男を暴行しているのを楽しげな声で笑ったルクレツィオだが、リオンの先ほどの言葉が気に食わないと呟くとウーヴェの脇腹をつま先で突いて呻き声を上げさせる。
「腸が煮えくりかえるっての? こーゆー事を言うんだろうなーって感じだな」
『そうか。その顔が見られて嬉しいよ、リオン』
「……そっか。それは良かった。ああ、お前か、ロスラーをあんな目に遭わせたの」
顔を見せずに声だけで嘲笑しウーヴェを嬲っていることを感じさせるルクレツィオにリオンが感情とは裏腹の暢気な声を上げるとよく分かったなと感心の声が返ってきたため、ジルがあそこまでやるとは考えられない、あいつは男に興味が無いはずだと笑うと画面の向こうで嘲笑っていたルクレツィオが不意に沈黙する。
「リアを刺したのもジルだな。でも刺したのは一度だけだ。ロスラーは徹底的に痛めつけられている。ジルは暴力的だけどそこまでサディスティックじゃねぇ」
サディスティックなのはお前だと冷笑混じりに告げると苦痛の声が少し大きくなり、画面の中では別の男がウーヴェの首から伸びるリードを引っ張って無理矢理上体を起こさせようとしていた。
『……随分と知ったような口をきくな』
「そうだな……こっちでずっと一緒に仕事をしてたからな。……なぁ、ジル」
ルクレツィオが何かを堪える声で告げたそれにリオンが何でも無いことのように返し、なぁと呼びかけると、男を暴行して気が済んだらしいジルベルトが画面半分だけ顔を出す。
懐かしい、二年前とあまり変わらない男前の顔に皆が息をのんでしまうが、リオンが己の爪を見下ろしつつすぐ傍にジルベルトがいる時と何ら変わらない口調で呼びかける。
「……オーヴェと話をさせてくれよ」
お前がウーヴェを連れ去ってから何日が経っていると思うんだと告げて顔を上げてなぁとジルベルトに呼びかけると、ジルベルトが画面の中で躊躇うように視線を泳がせた後、ウーヴェとトーニオを引き離してモニターではっきりと声も拾える場所に連れてくる。
画面に映るやつれて生気を失っている目を見たリオンの拳が大きく震えた後、デスクに限界まで押しつけつつも声は今までと全く変わらないそれで呼びかける。
「ハロ、オーヴェ」
お前が連れ去られてからずっとずっと声が聞きたくて仕方が無かった、やっとお前の声が聞けると口調は普段と変わらないが掠れる声でウーヴェに語りかけると、リオン以上に掠れた声が見ないでくれと返してくる。
『……頼む、見ないで……くれ……』
こんな姿を、無理矢理なのに身体が反応している様を見ないでくれと掠れた声で懇願するウーヴェにリオンが一度口を開いた後、深呼吸をしてうんと頷く。
「うん。でもごめん、オーヴェ。お前が遭った全てを知りたいから見てた。……ごめんな。今皆でお前のこと探してる。でもまだ手がかりが掴めてねぇ。ごめんな」
あと少しもう少しで何か分かる、だからもう少しと噛み締めた歯の間から告げると、ウーヴェがのろのろと薄く無精ひげを生やしやつれた顔を上げ、リオンの口から知らず知らずのうちに安堵の溜息がこぼれる。
「……あぁ、オーヴェだ」
その言葉に籠もる思いの深さや強さの一端しか皆感じることは出来ないが、もう少しだから後もう少し待っててくれと繰り返す意味は皆痛いほど理解出来たため、それぞれが改めて早く見つけ出すと決意をする。
リオンの握りしめられていた手がモニターに伸びウーヴェの顔の輪郭をなぞるように動かされると、それが伝わったかのようにウーヴェが俯いて肩を震わせてしまう。
「オーヴェ。絶対にお前を迎えに行く。だからもう少し待っててくれ」
今も必死に頑張っているお前を画面越しにではなく抱きしめてキスをする為に必ず迎えに行く、だからと告げた後モニターを撫でた手を再度握りしめたリオンは、ウーヴェを小さく呼んで顔を上げさせたかと思うと、今度はモニターについているカメラに向けていつも携帯にしているときと同じように小さな音を立ててキスをする。
「オーヴェ、……Du bist mein Ein und Alles.」
いつもふざけたような口調で真剣な顔を滅多に見せないと思われるリオンの口からウーヴェに向けた心の底からの思いが伝えられると、ウーヴェの苦痛に曇っていた双眸にわずかに光るものが浮かび、言葉に出来ない思いが一筋だけ頬を伝っていく。
「すぐだ、オーヴェ。約束する。すぐに迎えに……」
行くとの言葉は急にブラックアウトした画面に伝えられ、皆が何事が起きたのかとリオンの前にあるラップトップを覗き込むが、通話相手がシャットアウトしたことを知り誰も口を開くことが出来なかった。
その中でリオンがデスクを一つ殴った後何本目になるか分からないタバコに火を付けるが、コニーが心配そうに肩に手を置いている事に気付きその手をぽんと叩いて感謝の思いを伝えるとそれが皆に伝播したのか、今のビデオ通話を録画したものからなんとしても家を特定しろ、接続サービスをしている業者に情報提供の要請をしろとヒンケルが命じ、それぞれが自分に出来る精一杯のことをする為に動き出す。
その中、ヒンケルをじっと見つめたリオンは部下への命令を一段落させたらしい上司に呼びかけて部屋で話をしたいと顎で示すと、ブライデマンとコニーも一緒にと二人にも声を掛ける。
四人でヒンケルの部屋に入ったが誰も口を開こうとはせずヒンケルのデスクの前に椅子を並べてリオンが口を開くのをじっと堪えて待っていると、タバコの煙を細く吐き出した後、靴の裏でもみ消した吸い殻をゴミ箱に投げ捨てたリオンが立ち上がりデスクに手をついて頭を下げる。
「……ボス、お願いがあります」
「何だ」
リオンのぼそぼそとした声に必死に耳を傾けたヒンケルは聞かされた言葉に目を丸くするが、深い溜息とともに頷いて腕を組む。
「……ゾフィーの時もそう言っていたな」
「Ja.……冷静でいようとは思いますがいられる自信がありません」
このままここにいればきっと捜査を妨害するような行動を取ってしまう、そうなればウーヴェの命が危うくなりジルベルトにも逃げられてしまうと告げたリオンは、顔を上げてヒンケルの目を見つめながら震える声で俺を事件から外してくれと二年前と同じ言葉を告げ、背後で上がる驚きの声に自嘲する。
「内勤をしていてもきっと事件のことを考えるでしょう。そうなれば……」
夕方のように感情の暴発で大切な情報を逃してしまうかも知れない、それは絶対に避けたいと己の腹の内を伝えると、コニーとブライデマンがリオンの顔を見上げて眉を寄せる。
「職場離脱をするのか?」
「Ja.人手が足りないのは分かります。ただ……二年前の事件をぶり返すマスコミもいますし、さっきのように感情を抑えられなかったら……!!」
家族が関係する事件には関わらせないのが決まりではあったが、リオンの場合一人にしてしまえば何をするか分からない不安があり、その危惧がヒンケルにその決断を遅らせてしまっていた。
だが、先ほどのビデオ通話で見せられたものを考えるとその心配よりもリオンが言うようにここは職場離脱という名目で自宅待機にする方が良いと決断し、分かったと短く返す。
「どこにいるか朝に必ず報告をすること、進展があればいつでも出動できるように準備をしておくこと。それが出来ないのなら辛くても苦しくてもここにいて他の事件を担当しろ」
ヒンケルの思いの深さを窺い知ることが出来るその言葉にリオンが目を見張りコニーとブライデマンが当然だと頷き合うが、リオンのくすんだ金髪が上下に揺れ、必ず報告はすること、いつでも出動できるようにしていることを確約すると、コニーとブライデマン、次いでヒンケルの顔をじっと見つめた後泣きそうな顔で頭を下げる。
「……オーヴェを、俺のオーヴェを……」
頼む。そして、もしも出来るのならさっき見たものを忘れてやってくれ。
喉を振り絞るように声を出すリオンに三人が頷き、コニーがどの類いの言葉も掛けずにただリオンの下げられた肩を撫で腕を撫でて部屋を出て行く。
ブライデマンはヒンケル達ほどリオンの心の奥深くを知らないが、きみの大切な人を少しでも早く迎えに行くために頑張るから時間をくれとブライデマンにしか出来ないまっすぐに生真面目な思いで伝えてリオンの腕を撫でてコニーと同じく部屋を出て行く。
ヒンケルの部屋で上司と二人きりになったリオンは顔を上げて椅子に力なく座り込むと、ヒンケルがデスクの引き出しからリオンがいつもからかい半分で奪っていくチョコを取り出し、何も言わずにリオンの手にそれを握らせる。
「……ボス……っ」
「……今日だけ、だ」
今日だけどれだけチョコを取っていっても許してやる、だからジルの逮捕とドクの救出の時には必ず駆けつけろと命じたヒンケルに泣きそうな顔のままリオンが頷いて再度頭を下げると、今日はこのまま帰ります、明日朝一番に報告しますと立ち上がる。
肩を落として出て行くリオンの背中を見送ったヒンケルは久しぶりに見たジルベルトの顔が当時と変わっていないこと、そしてウーヴェを嬲ることが心底楽しいと言いたげなルクレツィオの嘲笑が耳についていて、つい苛立ちに任せてデスクを殴りつけてしまう。
自分ですらこれほどの怒りを覚えるのだからリオンのそれはどれ程のものかとつい今し方部屋を出て行った部下の心境に思いを馳せ、やるせない溜息を零しつつもなんとしても近日中に決着を付けると新たな決意をするのだった。
粉雪が降る中、後のことを仲間に任せて職場を後にしたリオンは自宅に帰るための電車に乗るはずだったが、気がつけばぼろぼろのフェンスに囲まれた古びた教会が目の前にあり、何だ、ホームに帰ってきたのかと呟きつつ雪が薄く積もる敷地に足を踏み入れる。
教会の横にある小さな礼拝堂-子ども達はこの扉に描かれた絵から天国と呼んでいた-の扉をのろのろと開け、小さな教会にふさわしい小さな礼拝堂に並ぶ長いすに腰を下ろすと、天井を見上げて白い息を吐く。
教区からの補助よりも周囲の寄付のお陰で何とかやっていける程の小さな教会。その教会に付設している児童福祉施設で育ったリオンは成長するにつれ己の境遇に不満を抱くものの、マザー・カタリーナや他のシスターらに手を上げる事はせず、外で悪いことばかりを繰り返していた。
その中には十歳頃に覚えた女性関係での悪行も含まれていて、ああ、何だと肩を揺らす。
初めて女に包まれる経験をしたリオンはそれ以降半ば中毒気味に一夜を過ごす相手を求め、胸の中にぽっかりと口を開けた孤独にエサを与えるように女を抱き、一人にならないようにする為にいつも二人以上の女と付き合ってきていた。
そんな学生時代を過ごし刑事として働き出してからもそれは変わらず、中には今思えばデートレイプで訴えられても仕方の無い行為をした相手も幾人もいた。
「……そっか」
自分の行いが今巡り巡って己に戻ってきているだけだと自嘲したリオンだが、違うという否定の声が脳内に響き、己に戻ってきているのではないと断罪する。
「……!!」
そうだ、己の行いが己に返るのではなく最も愛する人に向かっているのだと指を突きつけられて愕然としたリオンは、その非難に耐えられないというように頭を抱えて膝の間に頭を押しつける。
「オーヴェ……、オーヴェ……っ!」
もしもあの頃、幾人もの女性の心を踏みにじるような事をしなければ今ウーヴェはあんな目に遭わないですんだのだろうか。
全ては己が悪いのだろうかと様々な感情が入り交じってリオンを混乱させるが、ウーヴェをナンパした男がウーヴェを犯している映像が脳裏に浮かび、悔しさと憎しみに拳を握って長いすを殴りつけ、その音が意外と大きく礼拝堂内に響くが次いで上がった声に掻き消されてしまう。
「オーヴェ!!」
画面の向こうで涙を流すウーヴェを抱きしめることも苦しみから解放することも出来ない己は一体何なのだ、何をしているのだと脳内で再び断罪され、うるさいとその声を追い払おうとしたリオンは、床に膝をついてそのまま幼い子どものように蹲ってしまう。
歯を噛み締め拳を握り身体を感情に震わせるがその口から流れ出すのはウーヴェを呼ぶ声だけで、握った拳で床を殴り続けるのだった。
ウーヴェを求める悲痛な声を上げながら床を殴るリオンを、幼い頃からの善行悪行全てを見守ってきた聖母マリア像があの頃と変わらない静けさで見下ろしているのだった。