――トントン。
ドアがノックされた。
慌ててベッドから起き上がった美穂は木製のドアを睨んだ。
「……あの、美穂さん。すみません」
その声にほっとして足を下ろす。
解錠してドアを開けると、そこには尚子が立っていた。
|土井《どい》|尚子《なおこ》。
都内の高校生だそうだ。
彼女は部屋に用意されていたTシャツと短パンに着替えて、こちらを見上げている。
「あの、少し、話をしてもいいですか?」
美穂は小さく息を吐いた。
正直、今は自分のことを考えるのでいっぱいいっぱいだ。
なぜ自分は死んだのか。
一緒にいたはずの浩一がどうなったのか。
どうしても靄が掛かったようで思い出せない。
そんな状態なのに、こんなところに来てまで他人の、しかも初対面の年下相手に気を使ってなんていられない。
「ごめん、今は一人で考えたいことがたくさんあって……」
「あ、じゃあ、一緒に寝てもいいですか?」
尚子が尚も食い下がろうとする。
1つの大きな目がこちらを見上げる。
―――この視線……。
一気に嫌悪感が増し、美穂は彼女を突き飛ばした。
「ごめん」
言いながらドアを閉め、施錠する。
「……………」
ドアの向こうには、少しの間彼女の気配がしたが、やがて諦めたのか、足音と共にそれは遠ざかり、ギイ、バタンという音の後は何の音もしなかった。
*************
『筒井美穂です。神奈川県の観光センターに勤める26歳です。これくらいでいいですか?』
自己紹介のトップバッターを指名された美穂は、少年に聞いた。
「うーんと、そうですね」
彼は少しだけ首を傾げて微笑んだ。
「せっかくだから、どうやって死んだかも言い添えていただきましょうか」
今度は美穂の方が首を捻った。
「思い出せ……ません。彼氏と旅行に……」
「ヒュー!」
壁際から銀髪の男の野次が飛んだ。
「ズッコンバッコンやってる最中だったんですけど~~」
ヘラヘラと笑っている。
「そうか。廻天による記憶の混濁。……今は皆さん、そうかもしれませんね。無理に思い出さなくてもいいですよ」
少年は男の野次を無視して微笑んだ。
「ーーー直に思い出します。嫌でも、ね」
**********
「嫌でも、か」
いちいち癪に触る。
美穂は再びベッドに横になりながら天井を見つめた。
異様な部屋。
目の前で男が浮いたり唾液が消えたり、そうかと思えば壁が喪失したり部屋が現れたり。
少なくともこれはテレビ番組の企画やドッキリではない。
――リアル。
そしてもし少年が言っていることも正しいとすれば。
自分はすでに死んでいるーーー。
「――――っ」
ズキズキと頭が痛む。
何があった?自分に。
浩一は無事か?
理奈は?
「――――理奈?」
そうだ。あの子だ。
待合に使った高速道路脇の駐車場。
駆け寄った美穂に、浩一が笑った。
『理奈ちゃんも誘うなら、そう言ってくれればよかったのに』
振り返った美穂の背後に、
――笑顔の彼女が立っていた。
「きゃああああああああ!!!!」
その時、空間をつんざくほどの悲鳴が聞こえた。
美穂は慌てて飛び起きた。
「やめてえええ!!いやああああ!」
――この声は……尚子だ!
美穂は慌てて立ち上がると、ドアを開けた。
真っ暗になった共用スペースを抜け、尚子が寝室に使っているドアを叩く。
「尚子さん!?どうしたの?」
叫ぶように言うと、
「美穂さん!!助けて!助けてえええ!!」
中から悲鳴が聞こえる。
ドアノブを回す。
開かない…!開かない!!
「どうしたんですか!?」
振り返ると、スウェットに着替えた青年が立っていた。
************
『花崎祐樹です。埼玉県の旅行代理店で働いています。年は27歳。よろしくお願いします』
美穂の次に自己紹介をしたのは、彼だった。
美穂の職場にも旅行代理店の営業マンは頻繁に出入りしている。
花崎の爽やかさと、物腰の柔らかさは彼らと相通じるものがあり、美穂は一気に親近感を持った。
************
「今、悲鳴が聞こえて!!」
花崎は美穂に代わってドアノブを回した。やはり開かない。
「土井さん!?大丈夫ですか?!」
「いやっ!!アあッ!タスけてええ!!」
その声に明らかに艶が混じる。まさか―――。
「あの少年は?えっと名前、なんだっけ?」
花崎がノブを強く回しながら振り返る」
「あ、えっと、あれ……?」
美穂も花崎を見つめた。
思い出せない。少年の名前が。
先ほど確かに聞いたのに。
変な名前って胸の内で笑ったのに。
美穂は周りを見回した。
こんな騒ぎになっているのに、少年どころかあの男も駆けつけてこない。どうなっているのだろうか。
「まあいいや。ドアを蹴破ります。離れていてください!」
花崎は言うと、自分も二、三歩下がって、大きく深呼吸をした。
そしてフローリングの床が凹むくらい強く左足を踏み込むと、右足で一気に蹴り破った。
――初めに目に飛び込んできたのは、その男にしてはやけに白い尻だった。
「―――おっと、やべえ」
銀髪頭が振り返る。
「―――美穂さん……!!」
ベッドの上で彼に跨れた尚子は、Tシャツを首元までたくし上げられていた。
ピンク色のブラジャーから乳首が覗き、それは今しがたまで嘗められていたようにテカっていた。
「あんた何してるんだ!!」
花崎が叫びながら、男のタンクトップを両手で掴み、ベッドの下に引き落とした。
「………いてててててて」
ひっくり返った男の露出した下半身が、真黒に反り返っている。
「――――!!」
嫌悪感に美穂は口を抑えた。
「………へへへ。いいじゃんかよ。減るもんじゃないし。もう妊娠だってしないんだし」
男は笑いながら立ち上がり、自分のナニをダメージジーンズの中に納めた。
「そういう問題じゃない。仙田さん。もし今後、こういうことをするなら、俺にも考えがある」
男よりも少し背が低い花崎が見上げる。
「へえ?なんだよ、楽しみだな。温室育ちの坊ちゃんに、何ができるのか」
チャックを上げ終わり両手を広げて見せる男を、スウッと花崎が息を吸い込みながら睨む。
美穂は改めて銀髪頭を見上げた。
************
『仙田隆太(せんだりゅうた)。29歳。茨木で鳶やってまーす。ハイよろしこ』
************
床に座ったまま、やる気なく手を上げた仙田を思い出す。
鳶職なんていったら、筋肉も並大抵ではない。
一営業マンである花崎が敵うわけがない。
「何の騒ぎだ……やかましい」
隣の部屋から男が出てきた。
「……………」
ーーーあんなに騒いでいたのに、助っ人に出てこなかったくせに。こんなタイミングで出てきて、白々しい。
美穂は男を睨んだ。
************
『|尾山《おやま》|雅次《まさつぐ》、41歳。埼玉県会社員』
彼は言葉少なにそう言うと、勝手に部屋を決め、とっとと入っていってしまったのだった。
************
―――変な人……。
睨み合う男たちの脇から、尚子が逃げてきて、美穂にしがみ付いた。
「こここ、怖かった美穂さん……!」
下唇が震えている。
「馬鹿ね!なんで鍵をかけなかったの?」
「か、かけてたんだけど。仙田さんが、あの、アリスさんが呼んでるからおいでって……」
アリス―――。
そうだ。少年の名は―――。
************
『僕のことはアリスと呼んでください。僅かな期間ではありますが、よろしくお願いします』
************
「ーーーなんの騒ぎですか?」
振り返ると、ボタンのある紺色のパジャマに身を包んだ少年ーーーもとい、アリスが立っていた。
「ここは、土井さんの部屋では?」
尾山がさっとアリスに道を譲り、彼は中に入ってきた。
「何があったんですか?」
睨み合ったままの体勢でこちらを見下ろす二人を、アリスは順番に見上げた。
「この人が……。仙田さんが」
口を開いたのは花崎だった。
「土井さんを強姦しようと……」
「強姦―――?」
アリスは視線を美穂の後ろに隠れたままの尚子に向けた。
「―――強姦されそうだったんですか?」
尚子はアリスから大きな目から視線を逸らしながらも、コクンと頷いた。
「へえ」
アリスはどこか冷ややかに彼女を見下ろした。
「………ちゃんと罰してくれ」
花崎は仙田を睨みながら言った。
「ーーー罰する?なぜ?」
アリスは花崎を振り返った。
「僕が皆さんにお願いしたのは共有スペースのことであって、個室での性行為も自慰行為も、禁止していませんよ」
「――――な……!」
花崎が目を見開く。
「よって今回のことは特に問題ありません。どちらかというとーーー」
アリスは尚子を睨んだ。
「皆さんが寝静まった夜中に、騒音をまき散らした彼女の方が問題で……」
「ちょっと……」
今度は美穂がアリスを睨んだ。
「彼女に罰を受けてもらおうかと」
言うなりアリスは音もなく移動し尚子の前に立った。
――――早い……!
美穂が慌てて振り返る。
「ダメですよ、土井さん。今日は皆さん、疲れているんです。それこそ死ぬほどね?」
アリスの眼が赤く光る。
「不安が募るとセックスしたくなる心情はわからなくもないですが、今日は大人しく眠っていてください」
その瞬間、尚子は顎を上げふっと目を瞑って、その場に倒れ込んだ。
「ちょっと……何すんのよ!」
その身体を慌てて花崎が抱きかかえる。
「眠っていただいただけです」
アリスは踵を返すと、スタスタと部屋を出た。
「―――イカれてる……」
花崎が呟いた言葉は、アリスには聞こえないようだった。
「さあ、みなさん。部屋から出てください。施錠しますよ」
「…………へっ」
予想外にお咎め無しで安心したのか、仙田がヘラヘラ笑いながら出て行く。
尾山もため息をつきながら自室に戻っていった。
花崎は倒れている尚子を抱きかかえ、ベッドに乗せると、美穂を見つめて小さく頷いた。
「――――」
美穂も小さく頷くと、花崎に続いて部屋を出た。
アリスが手を翳すとドアが閉まり、ガチャンと施錠の音がした。
「さあ、僕たちも寝ましょう。明日はやることがたくさんありますよ」
アリスはそう言うと、花崎と美穂の間を抜けて自室に戻っていった。
「………………?」
美穂は振り返った。
アリスから微かに、消毒の匂いがした。
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