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結局部屋に戻った後もすぐには眠れなかった。
自分が死んだときのことをどうしても思い出せない。
記憶はぼやけて想いはループを繰り返す。
やがてたどり着いた一つの結論。
「浩一さえ生きていれば、それでいい」
自分以上に大事な人がいる事実に、美穂は納得し満足して目を閉じた。
――うめき声が聞こえてくる。
『うう……うううう……ううう……』
男の声。
浩一?
違う。
『助……けて………』
もっと低い。
誰―――?
『開けないで……お母さん………』
トントン。
ノックの音に目を開いた。
――はずだった。
「おはようございます」
しかし目の前にはアリスが覗き込んでいた。
「ヒッ!」
思わず悲鳴を上げて、毛布を手繰り寄せる。
「みなさん、もうお揃いですよ」
アリスは姿勢を直すと、さっさとドアから出て行ってしまった。
―――あの子、苦手……!
そもそも彼の話が本当ならば、アリスは死神なのだから好感を持てるはずもないのだが、それを差し引いても彼のことが苦手だった。
淡々とした話し方。
見た目や声とはそぐわない大人びた言葉の選び方。
そして―――。
大きい眼が、変に透き通っていて、何もかも見透かされているような……。
美穂は起き上がろうと毛布をはがした。
「―――きゃあああ!!」
――その手が、真っ赤な血で染まっていた。
アリスが振り返る。
「筒井さん?どうしましたか?」
「血が……!!」
美穂は言いながらもう一度自分を見下ろした。
「――――あれ?」
べっとりと血がついていたはずの手は、元の華奢な手に戻っていた。
自分の手を裏返して確認する美穂をアリスはクスリと笑った。
◆◆◆◆◆
ダイニングテーブルを囲んだ椅子の前に立った。
昨日は長方形だったテーブルは、いつの間にか丸いものに変えられていた。
右隣に花崎が座っている
美穂が座ると、「おはよう」と小さな声で言い、微笑んだ。
その奥に昨日花崎とやりあった仙田が面白くなさそうに座り、正面にはアリス。その隣に尾山が座り、美穂の左隣に座る尚子へと続く。
「おはよう。大丈夫?」
美穂はボーっと目を伏せている尚子を覗き込んだ。
「……………」
尚子はゆっくりと振り返りこちらを見つめた。
そして唇を動かした。
「………ら、……しょに……ほしい……ったのに……」
「―――え?」
小さすぎて声が聞こえず、美穂はその唇に耳を寄せた。
「―――だから、一緒にいてほしいって言ったのに!!」
左の鼓膜から右の耳に抜けていくような怒号が響き渡った。
「あんたのせいでしょう!?なに偽善者ぶってんのぉ!?」
眼帯をしていない方の眼を見開きながら、尚子が奥歯をギリギリと噛み鳴らす。
「あんたのせいだ!この性悪女!!!」
「ちょっと、落ち着いて。悪いのは筒井さんじゃなくて、仙田さんでしょう!」
尚も叫びながら、美穂に掴みかからんばかりの勢いの尚子に、花崎が立ち上がる。
「黙れ!!あたしは怖いから一緒にいてほしいってこの女に言ったんだよ!守ってくれなかったのは、この女なんだ!!」
花崎にも牙を剥きながら尚子が叫び続ける。
「……ははは!」
仙田が椅子にふんぞり返りながら笑う。
「そうだそうだ―。悪いのは、そのすかした感じの女だー」
「お前……!」
花崎が仙田を睨み、仙田も応戦するつもりなのか顎を上げる。
「この女が私を――んん……ええ!?何こ……んんんん!!」
美穂は驚いて彼女を見つめた。
真っ赤な糸で、上下の唇が縫い付けられていく。
「………………!!」
尚子はすっかり閉じられてしまった口を覆いながら、先ほどから黙って座っている少年を見下ろした。
「――うるさいって漢字でどう書くかご存知ですか?土井さん」
アリスはダイニングテーブルの上で組んでいた手の人差し指を立て、宙に漢字を書いた。
「五月の蠅、と書くんですよ。気候が温かくなって元気に飛び回る蠅、全くを持って不快ですよね」
その手にはいつのまにか何かが握られている。
「次、五月蝿くしたら、今度は鼻の穴も縫い付けますよ?」
アリスはにこやかに蠅叩きを振って見せた。
◇◇◇◇◇
「それでは静かになったところで」
口を抑えながらどんどん青ざめていく尚子を尻目に、アリスは再びテーブルの上で指を組んだ。
「改めて説明します。皆さんは2021年6月19日、それぞれの場所で、何らかの理由で死んでいます」
アリスは皆を見回した。
美穂を含め全員がそのことはすでに諦めているようで、静かに互いの表情を窺っている。
「なんで死んだのか、聞いてもいいか」
花崎が口を開き、皆がアリスを見つめる。
「うーんと。そこは思い出さない方がいいかと」
アリスは肘をつき、組んだ手を首元まで持っていくとそこに小さな顎を乗せた。
「ある人は事故で。
ある人はナイフで刺されて。
ある人はタイルに頭を叩きつけられて。
ある人は飛び降りて―――です」
―――事故?刺殺?圧殺?自殺?
美穂は目を見開いた。
皆の顔も青くなっていく。
「―――4人じゃないか……」
昨日からほとんど口を開いていない尾山がボソッと言った。
「―――ああ、ホントだぁ。確かに」
仙田がアリスを見下ろす。
「そうですね。死に方は4パターンです。というのも、事故でお亡くなりになった方がお二人いらっしゃるので」
アリスは楽しそうに皆を順番に見回した。
「自分が事故だといいな、って皆さん思いました?そうですよね。バグとは言え、人から殺されるほど恨まれるのは嫌ですよね?」
アリスは立ち上がった。
「ですが、今、自分の死に方を想像するのは無駄な行為です。だってあなたたちの大半が生き返ることができるわけですから」
「――――」
花崎がピクッと反応しアリスを睨む。
「―――大半って何だ……。生き返ることができない人もいるということか?」
アイスはふっと笑った。
「そうです」
「なぜ?俺たちが死んだのは、お前たちのミスだろう。なら何で全員を生き返らせない……!」
花崎の言葉に尾山も頷く。
美穂もつられて頷いた。
「そうしたいのは山々なんですが」
アリスはクククと笑った。
「変だと思いませんでしたか?僕は皆さんの死をバグだと言ったんですよ?」
「―――」
花崎が僅かに頷いた。
「――――自殺者……か?」
アリスは目を瞑って頷いた。
「そう。この中には自殺者が1人紛れ込んでいます。だから、この中の1人は自殺ということで処理させてもらいます」
「―――なんだそれは……」
尾山がアリスを睨む。
「それならその自殺した奴だけ地獄に落として、俺たちは無条件で生き返らせろ!今すぐにだ!」
言うとアリスは大きな目を見開いた。
「……あれ?僕がいつ、“無条件で生き返らせる”なんて言いました?」
「は?」
花崎が眉間に皺を寄せる。
その顔を見つめてアリスは不気味に笑った。
「僕たちはすでに、あなたたちを、6月19日に死んだ人数に入れています。申し訳ありませんが、これは揺るぎません」
「―――揺るぎませんって、なんだよ……」
花崎がアリスを睨む。
「花崎さん」
アリスも大きな瞳で花崎を睨み返す。
「いちいち突っ込まれたんじゃ話が進みません。僕は事実を述べているだけなので、とりあえず聞いてください。じゃないと彼女のように唇を縫い付けますよ?」
アリスは組んでいた手をテーブルにどんと突いた。
「…………」
「どうしてもというならそうして差し上げますが。でも唇を縫い付けられることは、これからは大きなハンデとなりうる。気を付けてください」
いつの間にかアリスの小さな手の下には、ペンと白い紙が転がっていた。
「いいですか。今までのことを整理します。
①皆さんは死んでいる。
②でもそれはバグによる間違いだったので、生き返ることができる。
③死んだ数は変えられない。
これらから導き出せる結論は?」
アリスは顔を上げた。
口を開く者はいない。
「鈍いなー。こうでしょ?」
アリスはペンを持って、白い紙に何やら書き始めた。
「はい。ここに筒井さんがいます」
「筒井さんを生き返らせるためには、数字合わせのために、誰かに死んでいただく必要があります」
「―――な……!」
美穂が目を見開く。
「でも他人のために誰かを殺すのは殺人と同じ。私たち死神に、殺人は行えません。だから、あなたの死を一番悼んでいる人に、こう聞きました」
アリスは美穂を見つめた。
「“あなたが死ねば、筒井美穂さんは生き返りますが、どうしますか?”」
「わかりますか?筒井さん。今、あなたがここにいるのは、あなたのために、誰かが死んだからなんです」
目の前が真っ暗になった。
その暗闇に、あの笑顔が浮かぶ。
「そうなれば、その人が死んだのはバグではなく自殺。そうですよね、自ら命を差し出したんですから」
「これでバグの調整完了。自殺者が増えるだけです」
「―――この、人でなし……!」
花崎がアリスを睨む。
「確かに、人ではないですね」
クククとアリスが笑うと、
そのメモには血が滴ったような跡がついた。
「つまり。今からあなたたちの中から4人、誰かの命を犠牲にして生き返ってもらいます。そして残る一人には、自殺者として単独で死んでいただきます」
「自殺者と俺たちのくくりをなぜ一緒にする。自殺者はもう自殺で完結しているはずだろ……」
尾山が言う。
「そうですね。確かに。でももしかしたらこの中には―――」
アリスがこちらを見た。
「”誰かが自分のために死ぬくらいなら、自分が死んだ方がマシだ”と名乗り出る人間もいるかと思いまして……」
美穂が口を結ぶ。
「へへへ」
尻を前に滑らせ、ずり落ちそうになりながら座っていた仙田が座り直しながら笑う。
「俺のために犠牲になったなんて―――どの女かな?心当たりがありすぎてわかんねえや」
「ーーー誰が自分のために犠牲になったかは教えてもらえないのか?」
花崎の言葉に美穂はアリスを見つめた。
「それは教えられません。そうしたら良心の呵責が入るでしょう。僕の役目はあなたたちの中から4人を甦生させることなので。5人が5人とも、自殺志願者になられたら困ります」
アリスは微笑んだ。
「でもここで挙手をしていただいたところで、自分の代わりに誰かが死ぬくらいなら、と考えている人は、今現在複数いる。だから、皆さんには公平公正にゲームをしてもらいます」
「―――ゲーム……?」
花崎が息を吸い込む。
「安心してください。皆さんが知っているような簡単なゲームを選びます。そしてそのゲームで一番初めに負けた人に、生き返っていただきます」
「……んん!!んんん!!!!」
口を縫われている尚子がブンブンと首を横に振って見せる。
「おやおや。そんなに生き返るのが嫌ですか?土井さん」
アリスは呆れてたように目を細めた。
「………自殺したのってお前なんじゃねえの?メンヘラっぽいし」
仙田が笑う。
「そんな綺麗なおっぱいしてるのに。勿体な―――」
花崎が仙田の胸倉を掴む。
「―――んだよ?」
仙田が小鼻を引くつかせながら花崎を睨む。
「―――それともお前か?なんか暗そうだしな」
「ちょっと黙ってろ……!!」
こめかみに血管が浮き出ている。
冷静に見えて花崎も、今アリスが言ったことに動揺しているのだ。
彼は自分のために犠牲になった人間に心当たりがあるのだろうか。
美穂は俯いた。
自分には………そんな人間、1人しかいなかった。