「控えろ、愚鈍。まずは目の前の高貴な御方にひれ伏して、慈悲を請え」
与えるつもりもない慈悲など求められても困るなぁと、浮かべた苦笑を切り替える。
貴女でも怒るんですねぇ、と夫が楽しそうに笑ったときに作った唇の形。
聖母の微笑へと。
両側に座っている雪華と彩絲の手で、ベールが持ち上げられる。
隠されていた顔が露わになった。
化粧で生み出された女神顔に、聖母の微笑。
ヨーゼフィーネは目と口を大きく開いた。
「時空制御師最愛の御方様であらせられる。貴様がそそのかした愚か者が、御方様へ罵声を浴びせベールを引き千切る不敬を働いた。如何にして贖うつもりであろうか」
「は! え? うそっ! こいつが、あの方の最愛って! はぁ? 醜い女なんじゃなかったのっ!」
何度私の最愛は、全てを凌駕する美しさを持っているので、貴女程度は歯牙にもかけませんよ? ってしつこく言ったんですけどねぇ。
夫が首を振る様子まで連想できる声色だった。
やはり絡まれた過去があったらしい。
ん?
そうなってくると夫は、数多の伝説を築いた過去以外にもこちらへ足を運んでいたのだろうか?
いいえ、違います。
彼女は特殊な血筋でしてね。
死しても尚、記憶を受け継げる体質の者が時々生まれるのですよ。
彼女もそうです。
名前も同じとは驚きですが、彼女はその血族の中でも承認欲求が強い女性のようで。
ふんふん。
オタクはこの手の現象に強いですからね。
大丈夫、理解しました。
ヨーゼフィーネが生粋のお花畑ちゃんって、ことは。
「ま、まぁいいわ。最愛なら公爵令嬢如き、どうとでもできるもんね! ちょっと、あんた、私をこの娼館から解放させなさい。そして、私をないがしろにした者に罰を! あとは、そうね。私をこの国の王妃になさい! あの、頭に花が咲いている女とは比べようもない賢妃になるわ!」
どこからどう突っ込んでいいかわからないが、まず言葉使い!
元公爵令嬢なんだよね?
ローザリンデさんを見習うべきだと思う。
あとはね。
頭に花が咲いているのが寵姫なら、貴女の頭はお花畑だ。
花が見渡す限り咲いているって、こと。
つまりは、寵姫より、王妃に相応しくない、ってこと。
口にするのは駄目らしいので、変わらぬ微笑だけを浮かべて黙っておく。
「ちょっと、アンタさぁ。私が話かけてやってるんだから、返事ぐらい!」
ここで、雪華が立ち上がる。
すぱーん! といい音をさせてヨーゼフィーネの頬を打った。
「な! な!」
「黙れ、外道。貴様に許されるのは我が麗しき主様に慈悲を請うことだけだったんだ。まぁ、上手に慈悲を請えたところで、貴様の処罰は変わりないがなぁ!」
「そうじゃぞ。不敬の罪を重ねおってからに、どこまでも愚物じゃのぅ。外道の末路など、おとぎ話でも広く知れておる。子供でも知っておる絵にも描けぬ悲惨な末路じゃ」
「……敬愛すべき御方様が、貴女へくださった慈悲は、最下級娼館への館《やかた》落ちです」
「え? はぁ? 嘘、でしょぉ?」
「嘘ではありません。貴女の行き着いた先は『最果ての楽園』での奉公ですよ。良かったですわね。御方様のお慈悲で、貴女に賛同した者も全て同じ処遇となりました」
「なんで? わたしのような、こうきなものが、そんなおぞましい、まつろに、まつろにぃいいい!」
ベッドの上に腰掛けていたヨーゼフィーネが立ち上がり、こちらへ突っ込んでこようとしたが無理だ。
透明の壁が邪魔をして、ヨーゼフィーネは一歩たりともこちらへ近づけなかった。
「勘違いした貴女が排除を目論んだローザリンデ様は、御方様のお力添えで表舞台に復帰なさる。そして排除される愚物の代わりに王妃の冠を賜られるのだ。愚物が排除されたとて、貴様の出る幕なぞないわ!」
いろいろと鬱憤が溜まっていたんだろうなぁ。
まだ解禁されないはずの情報まで垂れ流しだ。
「館主よ。情報漏洩しすぎじゃ。貴殿の心労も理解はしておるが、それだけじゃぞ。控えよ」
「は! 申し訳もございません」
彩絲の冷ややかな牽制に、トゥルンヴァルトは静かに従った。
「さて、外道よ。ヨーゼフィーネ・マルテンシュタインよ。我が主に対する、貴様の不敬は天井知らず。そんな貴様に主の忠実な守護獣たる妾から格別の慈悲をくれてやろう……」
「ぎゃあああああああ!」
艶美に笑う彩絲がヨーゼフィーネの額に指先をあてる。
それだけでヨーゼフィーネは魂が引き裂かれたような、凄まじい絶叫を上げた。
口の端から泡を吹いて、虚ろな目になったヨーゼフィーネの額には一輪の小さな花が咲いていた。
入れ墨などではない。
瑞々しい睡蓮の生花だ。
白く可愛らしい。
「額に生えた妾の呪いは強力じゃ。聞いたことはないかぇ? 睡蓮が招くのはなんじゃ?」
しかし、その可愛らしさと相俟って刻まれた睡蓮が齎すものは凄まじかった。
「すいれんが、すいれんののろいが、まねく、のは、めつ、ぼう」
「そうじゃ、滅亡じゃ。しかも妾の滅亡は家にも及ぶ。遠くはない未来に、マルテンシュタインの血を引く者は一人もいなくなるであろう。末端に至るまでの完璧な駆除じゃ」
「嘘。うそうそうそうそうそ! うそよぉっ!」
やはりマルテンシュタイン家は、何かしらの陰謀を練っていたのだろう。
上手くいけばヨーゼフィーネも、元の地位へと戻れたのかもしれないほどの大がかりなものを。
「彩絲が睡蓮の呪いなら、私は……わかりやすくいこうかな」
「ぐわぁああああああ!」
雪華はヨーゼフィーネの両手首をがっしりと掴んだ。
掴んだ場所から何やらを流し込んだらしい。
「棘《いばら》の呪いね」
「ふむ。さすがじゃなぁ。実に見事に文様が出ておる。当然全身なのであろう?」
「ええ、ランディーニ殿。この呪いは罪なき者にはかけられない呪いですからねぇ。一番強いのは色欲ですかね? 続いて承認欲かな。それ以外にも存分な欲で溢れかえっているみたい! ふふふ。醜悪でしょう?」
雪華が楽しそうに私を振り返る。
トゥルンヴァルトはノワールと一緒に、大きな姿見を運んでくると、ヨーゼフィーネの前へ置いた。
「いや、いや、いやあああああ!」
鏡に映るヨーゼフィーネは狂ったようにドレスを脱ぎ捨てた。
下着をつけていないのは、娼館にいたからだろうか?
その現れた豊満な肉体に余すところなく、棘が絡みついたような模様が浮き上がっていた。
しかもその棘には何種類もの毒々しい色がついている。
「色欲は赤、承認欲は黒、金銭欲の黄色、名声欲の青、食欲の紫……ここまで強欲な罪人は、初めて見ますね」
冷静なノワールの声が怖い。
そして、赤と黒を中心に棘を身に纏う姿は、大変悍ましかった。
「では、存分に。何時か死ぬその日まで。贖罪の心を持って、お励みくださいませ」
手を挙げた私は発言の許可を待たずに、食傷気味な気分でヨーゼフィーネに言葉を向ける。
「あ、あ、ああ?」
残念ながら、私の言葉をヨーゼフィーネは理解できなかったようだ。
それだけ己の外見に自信があったのだろう。
鏡を凝視したまま、意味のない言葉を漏らし続けていた。
私は静かに立ち上がる。
トゥルンヴァルトは心得たとばかりに、先導を始めた。
私はドレスの裾を持たれつつ、再び移動をする。
今度こそローザリンデが潜伏している部屋に案内されるのだろう。
ノワールの手によって静かに扉が閉められる。
扉の向こうで我に返ったのか、ヨーゼフィーネが断末魔を連想させる絶叫を上げていた。
先ほどは地下五階まで降りて、今度は五階までの階段を上る。
ドレスの裾は任せてあり神経を使わなくてすむので楽だが、ハイヒールでこの距離を歩き続けたらさぞ疲れるだろうと考えていた。
しかし予想に反して、全く疲れていない。
「……このハイヒールって、何か魔法が付与されていたりするのかしら?」
私の答えには先導していたノワールが返答をくれた。
「はい。地下へ降りると決まった段階で『うんどうぐつ』と同じ機能になるよう、手配いたしました」
運動靴か。
それならハイヒールより疲れていないのには納得だが。
「こちらの階段に敷かれております絨毯にも、疲労軽減の魔法が付与してございます」
続いてトゥルンヴァルトが説明を付け加えてくれて納得した。
二重の効果のお蔭で、疲れを感じない状態でいられるのだろう。
しかしノワールの手配は、どんな手配なのかが気になる。
疲労軽減の魔法といった具合に、魔法なのだろうか。
それともシルキー特有スキル……にもなかった気がする。
想像料理の派生スキルでも覚えたのかしら?
私のノワールへの信頼度は高いと思うし。
などとつらつら考えていたら、ローザリンデの部屋へ着いたようだ。
「御方様とその従者様をお連れいたしました」
ノックのあとで、初めて聞いたトゥルンヴァルトが喜びに溢れた声で扉の向こうへと話しかける。
「どうぞ、お入りくださいませ」
届いた声は通信水晶から伝わってきた声と比べて、落ち着いている。
その分、声の甘さが伝わってきた。
夫もそうなのだが、この手の声は怖い。
気がつけば人を己の思うとおりに誘導してしまう声だ。
何より怖いのはこの声。
誘導されて不審に思うどころか喜びを覚えてしまう点だったりもする。
夫が決して外さないようにと指示したサファイアのネックレスは、精神攻撃も弾くので、万が一にも私がローザリンデに誘導されはしないだろう。
ちなみに特殊装備品のサファイアアクセサリーは、常に身につけている。
着けているが、着けている感覚がなく、必要時以外は他者に認識されないようにもなっていた。
私の、ネックレスがもう少し軽いといいのになぁ……という意見と。
彩絲と雪華の、その時々の装いに相応しいアクセサリーで飾り立てたい! という意見に反応した夫が、いつの間にか便利仕様に作り替えたようだ。
相変わらず夫のチートが過ぎる。
部屋の中央で佇んでいたローザリンデが、素人の私が見てもわかる美しいカーテシーを披露してくれた。
私は軽く腰を落とすだけの返事で答える。
ローザリンデがソファの前に立つので、対面のソファに腰を下ろした。
ドレスの下に沈んだピンクとホワイトのレースで飾られたクッションは、ノワールが手早く取り出して、邪魔にならない場所へと移動してくれた。
私の会釈でベールが持ち上げられる。
ローザリンデが、ほぅ、と至福の溜め息を吐いた。
「女神が地上へ舞い降りたと感じてしまう御尊顔を拝見できて、光栄でございます」
そう言って嫋やかに微笑むローザリンデは、想像していたよりもずっと愛らしい系の令嬢だった。
部屋の中もピンクとホワイトで纏められた、実にメルヘンちっくな内装だったのだ。
「まずは、喉を潤してくださいませ。甘さはお好みで。砂糖、ビーハニー、ミルクを用意してございます」
会釈したローザリンデは、そばに立つメイドに好みの紅茶を淹れさせている。
私の分は当然のようにノワールが整えてくれた。
ビーハニーとミルクのたっぷり入った、ビーハニーミルクティーだ。
癖のない蜂蜜は、どんな蜂が何の花を選んだ蜜なのかを想像しながら口にする。
ノワールの手配に不手際は考えられないのだ。
当然のようにビーハニーミルクティーは美味しかった。
「この度は夜蝶のはばたきまで御足労いただきまして、ありがとうございました。また私に絡んでおりましたヨーゼフィーネ嬢が不敬を働きましたこと、深くお詫び申し上げます」
「随分と勘違いが激しい外道じゃったが、どんな確執があったのかのぅ?」
「はい、彩絲様。当時は王太子でした、現王の婚約者選びの際に、私が選ばれましたときから逆恨みをされて久しい状況でございました」
「公爵家だったから選ばれると、思い込んでいた……」
「ええ、そうでございます、雪華様。マルテンシュタイン家は、先代の功績で公爵に陞爵いたしました。その陞爵にも黒い噂はあったのですが、王太子の地位を確たるものにした、という点が大きく功を
奏しましたので……」
「マルテンシュタイン家が公爵になったのは、ヨーゼフィーネ嬢が王妃になるわ! と我が儘をかましたのと、当主がより強大な権力を求めて、無茶をしでかしたからと聞き及んでおるぞ?」
「無茶の細やかな内容まで、御存じなようですね? ランディーニ殿」
「ふぉっふお。我は闇にとけて、情報を得るのを得意とする種族じゃからのぅ。主がおらぬとてその程度、呼吸をするのと同程度のものじゃ」
ばっさばっさと羽を動かす様子には喜びが見て取れる。
やはり公爵令嬢に評価されるのは嬉しいのだろうか。
公爵令嬢というより、性格容姿ともに兼ね揃えた令嬢の賞賛だからこそ、喜んでいる気がした。
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