「長年の粘着から逃れられましたこと、お喜び申し上げます」
「ありがとうございます、ノワール殿。貴女がそうおっしゃるのならば、私が彼女に悩まされることは二度とないのでしょう。感謝いたします」
「感謝はどうぞ、我が主様に」
「重ねて申し上げます、時空制御師最愛の御方様。この度は、マルテンシュタイン家の妄執から解き放ってくださいました件にも、深く感謝いたします」
ヨーゼフィーネではなく、マルテンシュタイン家と言う辺りが、何とも心憎い。
実際ヨーゼフィーネの家族や親族にも散々迷惑をかけられたのだろう。
地下室での状況から察するに、マルテンシュタイン家にかかわる一族には、救うべきどころか、救ってもいい人材すらいないようだった。
断絶してしかるべき血統は、このようにしぶとく存在してしまえるのだ。
だからこそ、厄介だったに違いない。
「感謝していただけるのならば、どうぞ早く本来の位置に戻ってくださいませ」
「はい。私もそうしたいと思っております。信頼できる者を通して、陛下へ直接連絡もいたしました。幼い頃から寄り添ってくださった陛下に戻っておられまして、深く安堵した次第です」
「陛下には魅了解除の指輪を、王妃面をしていた女性には、魅了封印のネックレスを献上いたしましたの。効果が明確に出ているようで何よりですね。女性を排除してしまえば、貴女の名誉回復は叶うのでしょうか?」
「はい、誠に有り難いことに。全ては最愛様のお蔭です。かの御令嬢の仕出かしたあれこれが凄まじく周囲へ悪影響を及ぼすものでしたので、本来であれば私の名誉回復を望まぬ者ですら、阻止しては自らに害が及ぶと、理解できているようですから」
ローザリンデの微笑が華やかになった。
それだけ爽快なのだろう。
娼館へ籠もらねばならない身へと追いやった者どもが、自分の復帰を望まざるを得ない現状が。
「では正面から堂々と復帰いたしましょうね。王宮までは当方の馬車へ乗り込んでくださいませ。私も同乗いたします」
「王宮へも、足を運んでいただけるのでしょうか?」
「主人がそうなさいと申しておるので、伺います」
「まぁ! 時空制御師様が! なんと有り難きお言葉でございましょう! 感謝は最愛様の御希望に添うようにいたしますので、何でもおっしゃってくださいませ」
夫に感謝はしているのだろう。
だが、夫の希望に添うより、私の希望に添うと言ってくる聡明さが好ましい。
ローザリンデの選択は正しいのだから。
「まずは、素敵な夕食を堪能させていただきたいわ」
「王宮で饗されている物と比べても遜色ないと自負しておりますわ。存分に堪能いただけたら、私も嬉しゅうございます」
いつの間にか用意されているハイティーのセット。
上流階級ではハイティーと呼ばなかったような知識がよみがえったので、あえて夕食と表現したが、自分の中ではハイティーだ。
何しろケーキスタンドがテーブル中央に鎮座している。
三段式のケーキスタンドは、一番上がケーキ、続いてスコーン、サンドイッチの定番。
他に小さなスープカップ、少量の肉料理、魚料理の皿が二種類ずつ、フルートグラスに入った酒と思わしきもの、新たな紅茶が入ったティーポットが並んでいた。
既に事前調査は完璧らしい。
さっと見たテーブルの上には私の好物しか載っていなかった。
ノワールが下の段に載っていた物を綺麗に皿へと盛りつけてくれた。
ローザリンデの皿にもメイドが同じように盛りつけたようだ。
「それでは僭越ながら、こうして時空制御師最愛の御方様と御縁を繋げましたことに感謝をいたしまして、乾杯!」
ローザリンデがフルートグラスを持ち上げるので、私も倣った。
お互いが今は裏表のない笑顔でグラスを合わせる。
軽やかな音を心地良く感じながら、中身を口にした。
甘めのスパークリングワインはほんのりと苺の香りがして、美味しい。
アフタヌーンティーは基本、ケーキスタンドの下から順番に食べていくというマナーがある。
ただ最近の日本ではSNS映えを意識してか、変則的な並びも多い。
例えばケーキスタンドは二段で、スコーンは別皿。
ケーキが温まってしまうので、ケーキを中段にして、スコーンを一番上の皿にする……といった感じに。
だから、必ずしも下から順番に食べなくては駄目なわけではなかった。
塩気のある料理から、デザート系へ……という流れを守るのが無難なようだ。
その点はこちらの世界も同じなのだろう。
盛りつけられた物は塩気のある料理だった。
「モーレン風味のシュリップ、トマトゥ、ボカドアのクロワッサンサンド。ミニベーグルのオムレツサンド。生ハムハ、リコッタズーチー、アスガスパラ(アスパラガス)のカナッペ。ポメロウ(文旦)とブッカのサラダにございます」
どれも美味しそうで口にする順番を迷う。
こんなときは説明順がいいと、クロワッサンサンドを手に取った。
アフタヌーンティーセットといえば、サンドイッチの印象が強い。
夫とともにいろいろなアフタヌーンティーを食べてきたが、クロワッサンは珍しいメニューに入るだろう。
マヨネーズも入っていたが、モーレンが効いているので、さっぱり感が強い。
クロワッサンも軽く焼いてあるらしく、しゃくりとした食感が好ましかった。
シュリップはぷりっぷり、トマトゥは完熟で甘く、ボカドアは濃厚でクリーミーと、どの食材も最高の状態と腕前で調理されている。
さすがは一流娼館の料理人と言うべきか。
公爵令嬢の料理人と言うべきか。
続いてミニベーグル。
入っていたのはターバたっぷりのプレーンオムレツ。
ケチャップは多め。
シャキシャキのレタスも入っていた。
黄色赤緑と重なっているので、見た目も良い。
オムレツのターバが齎すカロリーに怯えつつも、完食した。
ベーグルはなかなかのもっちり具合で、ミニサイズにもかかわらず満足感がある。
ダイエッターが喜びそうだ。
カナッペは全粒粉のクラッカーっぽく、少し暗い色のクラッカーに、リコッタズーチー、生ハムハ、アスガスパラの順番に重ねられていた。
アスガスパラの切り口が鋭くて、職人のこだわりを感じる。
クラッカーが思いの外やわらかかったのが意外だったが、それ以外は想定内。
リコッタズーチーにぱらっと振られた胡椒の香りがいい感じに鼻を抜けていく。
サラダは初めて食べる組み合わせだった。
そしてポメロウとかマニアックな柑橘が存在するのに、夫の影響力を感じる。
味付けはオリーブオイルのみ! と思ったら、オレンジ色の粉が塩味だった。
柑橘系の香りつけがされた塩じゃないかと思う。
オリーブオイルと塩のコンビは、しみじみ最高だ。
ブッカも生なので少々苦みが残る。
ポメロウもやはり苦みがある。
俗に言う大人の味だろう。
「……どれも美味しくて、無言でいただいてしまいました」
「お口に合ったのなら何よりでございます」
「自分でも料理をいたしますので、熟練の技には何時も感心いたしますの」
「まぁ! 素敵でございますね」
「明日は、私が作りました料理で歓待いたしましょう」
「……ここしばらくの苦労が、一瞬で消え失せる気がいたしますわ」
料理をすると告白しても、窘めるどころか喜ばれる。
一体ローザリンデは、何処まで私の好みを調べているのだろう。
少々怖い。
「本当に……憂鬱な日々を過ごしておりましたの。最愛様が現れるまで、いえ、現れてくださらなければもしかしたら、事態は悪化をしていたかもしれませんわ」
「いろいろと手配をなさっていたようですが?」
「ええ、できる限りの手は打っておりました。それでもあの、魅了は。正直神のお力が働いているのかと、愚考してしまいまして……」
穏やかに輝いていた瞳に、暗さが宿る。
確かにあの魅了は厄介だった。
でも、私……正確には夫の力で駆除できるものであったのだ。
神の手は加わっていなかろう。
神に近かった者は加担していたかもしれないが。
ふと人で遊ぶのが大好きで有名な邪神が脳裏を掠めた。
まだグラスの底に残っていたスパークリングワインを飲み干す。
喉を潤してから口を開いた。
「神の力は働いておりませんでしょう。ただ、邪神もしくは神に近しい者の力は働いていたかもしれません」
「最愛様に、そうと、言っていただけると……力が及ばなかった己を……認められましょう。ありがとうございます」
宿った暗さは払拭されて、瞳は再び輝きだした。
それでも、衝撃だったのだろう。
スパークリングワインのお代わりを一息で飲み干している。
男爵令嬢如きにではなく。
その背後にいた存在に敵わなかったのならば、致し方ないと。
人の手に負える存在でなかったのならば、納得できる。
それほどの矜持を持っているのだ、
目の前の公爵令嬢は。
何とも高潔だ。
この国の未来は明るそうで良かった。
夫が手塩にかけて育成した世界なのだから、できる限り長く有り続けてほしい。
ノワールが新しい皿を置いてくれた。
今度はスコーンだけが載っている。
種類が多いからかサイズは小さい。
一口サイズのスコーンの良さは食べやすさに尽きる。
「プレーン、チョーコレート(チョコレート)、ウォルナッツのスコーンでございます。テッドクリーム(クロテッドクリーム)も用意してございます」
本来であれば説明はローザリンデ付きのメイドがするのだと思うが、ノワールが淡々と説明してくれる。
シルキーはそれだけ特別なのかもしれない。
ローザリンデ付きのメイドを慎重に観察しても、不快感は察知できなかった。
「一口でいただけるのに、テッドクリームは贅沢かしら?」
「そんなことはございませんわ。私は大きくても小さくてもウォルナッツのスコーンには、必ずテッドクリームをつけていただきますの」
「まぁ、それなら遠慮なく。私もウォルナッツのスコーンにつけていただきますね」
薔薇飾りのついた可愛らしい、小さなスプーンに山盛りのテッドクリームを載せる。
そしてウォルナッツスコーンへと全部塗りつけた。
さすがにスプーンをぺろりとする無作法はしない。
限界まで塗りつけてのち、ぱくりと一口でいただく。
ほろっと口の中でスコーンが崩れた。
このスコーンはほろっと系らしい。
スコーンに関しては、ほろっと系もしっとり系も大好きで選べないのだ。
以前焼きたてのプレーンを食べ比べたけれど、やっぱり選べなかった。
「ほろっと系のスコーンも、しっとり系のスコーンも大好きなのですが、ローザリンデ様は如何でしょう?」
「どうか、私のことはローザリンデとお呼びくださいませ。私は、どちらかと言えば……しっとり系でしょうか。ただしさくさくのしっとり系でございますね」
「あぁ、そうですね。さくさく要素は必須ですわね」
プレーンは何もつけずにいただいた。
ターバと良質な粉の香りがする。
これぞプレーンスコーン! と拍手をしたくなる王道の味だ。
勿論さくさくでほろほろの食感がいい。
ここで紅茶を一口。
やはりほろっと系は水分を持っていかれる。
チョーコレートはビターが使われているようだ。
甘さがない。
けれどこの独特の酸味と苦みが堪らなかった。
大きなスコーンにざくざくと大量に入っているのもいいが、今回のスコーンのように小さい中にもしっかり入っているタイプも捨てがたい。
「またしても一息にいただいてしまいましたわ」
「次の機会をいただけました日には、しっとり系のスコーンを召し上がっていただけますでしょうか?」
「ええ、喜んで。きっとそちらも美味しいのでしょうね……話は変わりますけれど、ローザリンデは、彼女を、どうしたいのかしら?」
「彼女……ゲルトルーテ・フライエンフェルス、のことでございましょうか?」
「あら、そんな名前でしたのね? 今まで知りませんでしたわ」
「まぁ!」
「しかも私、王の名前も存じ上げませんでしたわねぇ……」
「……まぁ!」
王自ら名乗りを上げる機会とかそもそもないとは思うけど、本来であれば無謀召喚したときにするべきだったのよね。
ローザリンデはこのあと王の下へ戻るわけだけれども。
あの王に、ローザリンデを娶るだけの甲斐性があるのかしら?
ない気がするんだけどなぁ。
さすがに最強で最高の夫と比べるのは、夫に申し訳ないからしないけどね。
こちらへ来てから出会った男性と比べても、駄目男ですが、何か? という臭いを感じ取ってしまう。
ゲルトルーテよりもむしろ王をどうすべきか、聞かないとまずい気がしてきた。
「公爵令嬢の立場としましては、不敬罪で裁いていただくのが無難でございましょう」
「次期王妃予定だった点を鑑みたら、死刑確定かしら?」
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