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「来店して頂いてありがとうございます。嬉しいです。それなのに取り乱して、すみませんでした。えっと、手土産とかだったらコンパクトなミニブーケがお勧めです。相手の方の性別をお伺いしても、大丈夫ですか?」
自然な接客を装い。店内に案内して、案内カウンターでリサーチして話を聞くと。
クライアントはご年配の派手好きな女社長さんと言うとで、華やかで明るいものが良いかと思い。
オレンジカラーのダリア。イエローのカーネーション。ホワイトの差し色でかすみそう。この三つをメインでまとめてみた。
ビタミンカラーの見た目で明るいブーケが出来上がり、黒須君に差し出すと。
「とても綺麗だ」
私の瞳を見つめて言うものだから、私に「綺麗」と言われたかと。一瞬勘違いしそうになり視線を下げた。
「え、あ。ありがとうございます。お花、綺麗ですよね。これだったらデスクに飾っても、ワンポイントで目にも華やかで喜ばれると思います」
「ありがとう。立ち寄って良かった」
微笑して、黒須君はブーケの入った紙袋を受け取り。料金を支払った。
そのままお見送りをと、店の外に出たところで。
「櫻井さん。今日の夜のご予定は?」
「夜ですか? 特に何も予定はないですけど」
「そうですか。では、仕事終わりに迎えに来ます。車で来るから、そこのコンビニ前で待っていて下さい」
「え?」
「私の家に案内したい……俺のことを知って貰うには、俺の家で話す方が早いから」
突然の誘いと、一人称が『私』から『俺』に。言葉使いも私的なものに変わった。それだけでドキドキした。
普通だったら、こんな誘い乗らない。
でも誘ってくれたのはずっと好きだった黒須君。今の黒須君のことが知りたい。そんな気持ちから、すぐに小さく頷いて「分かりました」と、返事をしてしまった。
「じゃ、また後で」
そう言うと、黒須君は颯爽と店を後にした。
その背中を見送った後でも、しばらく胸のドキドキは止まらなかった。
黒須君に誘われてしまった。
ともすれば、また浮ついてしまう気持ちを堪え。ひたすらミニブーケ作りや配送作業に集中して、何とか仕事を定時で終わらせた。
その場しのぎだけれども、手持ちの化粧ポーチで何とかお化粧直しをして、いそいそと指定されたコンビニに向かい──少し待っていると。
周囲の車と一線を画すような、壮麗なボディの黒の車がコンビニの駐車場に停まった。
まさかと思うと、そのまさかで。
運転手席側の扉が開き。黒須君が降りてきて、私の姿を見つけると軽く手を上げた。その軽やかな動作だけでも、ときめいてしまう。
緊張しつつ立派な車の助手席に乗り込み。まずは食事に行こうと誘われた。連れて行かれたお店は、おしゃれなイタリアンバー。
そこは狭い裏路地の隠れ家的なお店。
店内は雰囲気が良く。香ばしい香りやじゅうじゅうと肉が焼ける音が、良い店だと教えてくれているよう。
黒須君がおすすめと、オーダーしてくれたのはオーガニックオリーブに、プロシュートのブルスケッタの前菜。
鮮魚のカルパッチョ。 フルーツトマトソースのミラノ風カツレツ。
どれも見た目が美しく、それに合うドリンク。ノンアルコールのスプリッツァも頼んでくれたのに。
緊張し過ぎて味が良く分からなかった。
何しろ黒須君はスーツ姿でピシッと決めていて、相変わらずカッコ良くて。
このお店でも女性達から羨望の眼差しで見られていた。
なのに、私の姿はとてもラフな白のニットに紺のパンツスタイル。
場違いにも程がある。黒須君は学生のときから高嶺の花的な存在。元より私なんかが釣り合うような相手じゃ無いと、痛感してしまった。
そう思ってしまうと、承知してしまった『契約妻』は大胆な決断で身分不相応過ぎるのではと。今更、早まって決断をしてしまったと思うのだった。
だから食事中の会話は黒須君が色々と、私の職場の花屋のことや。黒須君の友達に記者をやっている人がいるとか。
色んな話題を振ってくれたのに、どこか上の空の返事になってしまい。
憧れの人との初めての食事は、散々なものにしてしまった。
デザートのティラミスアイスを食べ終わる頃には『君とは合わない。契約妻の話は無かった事に』とか言われ。このお店で解散されても、仕方ないと思っていたのに。
黒須君は愁眉を寄せながら「料理が口に合わなかったみたいで、悪かった。何が好きか教えて欲しい」と、言わせてしまい。気をつかわせてしまったと、慌ててしまった。
どうにか、そんなことはない。今日はちょっとお昼が遅めだったからそんなにお腹が空いてなくて──と、しどろもどろの返事をしたのにも関わらず。
黒須君は怒ることもとなく。
支払いをさらりと済ませ。私をまた車に乗せてくれて、いよいよ黒須君の自宅に向かうのだった。
その自宅も黒須君にピッタリと言うか。
弁護士と言う職業や、黒須君のご実家自体がとても裕福と言うこともあるのだろうけど。
家だと言われた場所は市内でも一等地の場所。最近立てられたタワーマンションだった。
夜に紛れない存在感ある、縦に長い建物。
むしろ暗闇を背景に夜気を纏うことでより、高級感を増すようなマンション。
そんなマンションはチラシや電車での広告でしかお目に掛かったことがない。
更にそこに実際に住んで居る人に出会うのは、なんだか不思議な気持ちだった。
立体駐車場から車を降りてから。エントランスに向かう通路を黒須君の背中とマンションを見つめて。そんなことを考えながらやや、後ろを歩いていた。
(黒須君と私とじゃ住む世界が違う。やっぱり私には無理があるんじゃ……)
今から黒須君に何を言われるのか緊張する。
そんな気持ちでマンションの内の敷地内に入るとガラリと雰囲気が変わり。
アプローチには芝や花壇が綺麗に剪定されていて。ライトアップの効果でガーデンパークみたい雰囲気だった。
整えられ花や緑を見て、少し気分が和らぐのも束の間。
エントランスホールの中に入れば、スッキリとしたホテルのカフェみたいな空間。
ホール内はホテルさながらの受付カウンターがあり、男性のコンシェルジュがニコリと優雅に挨拶を送ってくれて、また緊張してしまう。
「す、凄いところに住んでいるんですね……」
エレベーターホールと言うには洗練され過ぎた空間に辿り付き。
やっと、黒須君に声を掛ける事が出来た。
「知人に紹介して貰った。この辺りはまだ開発が進むから資産価値として、お勧めだと言われれたから」
資産価値があるからって、直ぐに購入できる経済力に恐れいるばかり。
やっぱり凄いと、しか言いようがなくて。
エレベーターに乗り込み、黒須君の長い指先が押した階は一番上。
また凄いと口に出しそうなのを、なんとか堪えたのだった。
「ここが俺の家。どうぞ」と、案内された先には重厚な扉があり。
黒須君がガチャりと扉を開けると、その向こう側はアイボリーホワイトで統一されたモダンな空間だった。
四角い広い玄関。
そこから続く、幅広い廊下の先に大きな窓とリビングルームが見える。
余分な装飾やなく。生活感がない白一色。けれども、壁や廊下をほんのりと照らす間接照明の温かな光や、足元のフットライトが無機質な空間に柔らかさを演出していた。
「わぁ。ホテルみたい」
「広すぎて持て余しているだけ。これからは櫻井さんが、好きなようにしてくれていいから」
「私が……」
「必要なものがあれば買えばいい。俺のカードを
渡す。それで俺の書斎以外は自由にしてくれていい」
(カードって、クレジットカード? まさかね)
いきなりカードの話題はし辛く。とりあえず、お邪魔しますと言って。黒須君が出してくれたスリッパを履いて、そろりとお家にお邪魔した。
廊下を歩いた先に、玄関から見えた広いリビングルームがあった。
そこも白い家具で統一されていて。非常にシンプルな部屋だったが、それが返って贅沢な空間だと思った。
「そこのソファにどうぞ」
言われるまま、大きなソファに座る。
黒須君はさっとジャケットを脱いでソファに置いてから、リビングから見える。まるでプロ仕様の立派なアイランドキッチンの向こう側に移動した。
そのキッチンで、さっと手を洗いながら訪ねて来た。
「この家には申し訳ないが紅茶や珈琲とかも無くて。天然水か野菜ジュースぐらいしか置いてない。どちらがいい?」
「あ、えっと。お水で大丈夫です」
黒須君が分かったと返事をして、後ろの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
そして私の目の前のガラスのローテブルの上に、クリスタルグラスに注がれた水を「どうぞ」と、置いた。
美しいグラスを見つめ。
食器も格が違うと感じた。
ここまで黒須君との差を感じたら、一周回って私とは縁がない雲の上の人。初恋は実らない。そう思うとふと肩が軽くなった。
(黒須君みたいな立派な人の契約妻は私なんかじゃ、務まらない。こうして食事が出来て、お家にも来れた。それで充分)
弁護士の依頼は母を説得しよう。それだけは黒須君に受け持って貰おう。
そんな気持ちが強くなり、そろっと黒須君の様子を見ると。向かいのソファに座り、眼鏡のブリッジをすっと押して。口を開いたところだった。
「早速だけれども。契約妻の話をしたい。いいかな?」
ゆっくりと頷く。
断るにしても、いきなり断るのは良くない。まずは話を聞いてから、それからちゃんと自分の気持ちを言おうと思って耳を傾けた。
「俺が思っているのは最低でも一年は妻としての関係を持続して貰いたい。長くて三年を目処。松井所長や周囲が俺には『妻がいる』と認識して、馴染んで貰う期間がこれぐらいだと思っている」
しっかりと私を見ながら言う姿勢は、単刀直入で聞いていて分かりやすい。
「三年。リアリティありますね」
妻を務め、三年間を過ぎて離婚したと周囲に言ってもこのご時世。別に有り得なくはない話だと思った。
「籍は全ての事に納得がいったら、入れて欲しい。結婚式はしなくていい。代わりにウェディングフォトや身内だけの披露宴パーティは妻を演じて貰いたい。そして女性の大事な二十代の時間を俺と過ごして貰うのだから──毎月の手当を報酬として支払いたい」
「手当、ですか」
その言葉に黒須君は小さく頷いた。
「ここに実際に住んで貰い、妻と変わらない働きを俺は希望している。仕事は続けて貰って構わない。外から見て、俺の妻だと言う行動をして欲しいと言うことだ。休日には一緒に外に出掛けたりとか。そう言ったことも含む、報酬だと思ってくれて構わない」
契約妻を仮に請け負うとしても、別にお金なんか要らない。けれども、黒須君が言うことは『契約妻』を前提にしている。それを鑑みるととても、こちらに寄り添ってくれていると思った。
そして、やはりあの事が気になった。
それは子供のこと。きっと望んでは居ないとは思うけれども、黒須君はどう考えているのか気になってしまった。
断るにしても、これぐらいの疑問は聞いても良いだろうと思い。
目の前にあるグラスを手に取り、冷たい水をこくりと飲む。
口元に当たるガラスは薄作りで、唇への感触が心地よかった。唇を潤して、質問しようと思うと先に黒須君が口を開いた。
「因みにだが、子供を作ってくれとは言わない」
胸の内を見透かされたかのような、その言葉にちょっと安心して。
苦笑しながらグラスを机の上に静かに戻して「そうですよね」と、呟く。
「しかし、性的交渉は櫻井さんが嫌じゃなければ、コミュニュケーションの一環として……セックスは『有り』だと考えている」
「えっ……えっ!?」
聞き間違えかと思ったけれども。黒須君はごく真面目に答えた。
「性欲は人間の三大欲求だ。その性欲を外で発散されるのは好ましくない。契約妻として一緒に生活はするが性的交渉はなし。それだと、いつか破綻しかねない」
「……な、なるほど」
言いたいことは分かった。
私が契約妻を請け負い。夫婦として生活をするとしよう。しかし、互いに好き勝手に性欲を外で発散したら。その相手を好きになったりすると、夫婦としての体裁を保つのが難しくなるだろう。
そうならない為にセックスをする。
しかしそれは愛情行為ではなくて──。
(だからって、そんなのは性欲処理だけの関係。セフレみたい……体だけの関係。契約妻なら、そうか。それも別におかしくないのかな。でも、普通はそんなのダメに決まっている)
そんな常識的な考えは一応出来た。
でも。ちらっと黒須君の顔を見て。いや、好きな人の顔を見て。
(私はそれでも黒須君とならして……みたい)
すぐに自己的な浅薄な思いに至り。恥ずかしくなって下を向く。