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白い真四角の部屋に、40〜50代の女性が立ち尽くしていた。
肩までの茶髪ボブで薄緑色の半袖のシャツに白の7部丈ズボン。足には白サンダル。
胸元にはハートのロケットネックレス。細身であるが細すぎず健康的。平均的な身長の女性。
ぼーっと立ち尽くす女性の後ろに無数の光が集まり、扉を出現させた。
ガチャリと扉が開き、男が入ってきた。
見た目は透き通るような色素の薄い金髪、20代〜30代、白いスーツに白い羽織、ダイヤの形をしたループタイ、膝下までのブーツ。身体つきは筋肉質ではあるが細身、身長は183センチほどと長身。
「失礼致します。」男が女性に声をかける。
女性はハッと意識を取り戻したように周りを見渡し声の主を探す。
「誰?ここは…?私、一体…」
男は優しく女性の肩をトントンと指で叩き、自己紹介を始めた。
「後ろから失礼、今回あなたを天国の門へ導く担当になりました。
尊(みこと)と申します。」
右手を左肩に添えゆっくりとお辞儀する。
「え?天国?ど、どういうことかしら?」
まったくもって状況がわからず困惑する女性。
「まだ意識がハッキリして間もないですから、無理もありません。
ですが、今から私が言う事は真実であり、嘘でもタチの悪いドッキリでもありません。
あなたは月野 唯(つきの ゆい)さん、56歳。ついさっき交通事故が原因で他界。乗っていた車に居眠り運転の高速バスが衝突。娘さんを咄嗟に庇い、搬送された病院で朦朧とする意識の中、娘さんを探して名を呼びながらお亡くなりになられました。」
女性はただ聞いてポカンとしていた。まるで夢の中。そう悪い夢を見ているような。
だが、やがて記憶はゆっくりと花が咲くように思い出し始める。
そして女性は自分の人生すべての記憶を思い出す。
貧しくとも幸せだった幼少期、友人に恵まれた学生時代。夢見た結婚から辛い結婚生活。その中で芽生えた愛しい命。小さな手を引き逃げ出した夜。貧しいながらも幸せな娘との日々。娘の成長が嬉しくて楽しくて、大変だったけど、立派な大人の女性になってくれた可愛い娘。やがて孫ができて最高に幸せだった。病気で記憶がなくなるまでは。何度も手帳に娘の名前を書いた。自分の名前も、孫の名前も、娘の夫さんの名前も。でもしばらくすると書けなくなった。1番娘の名前を書いた回数が多かったのを今思い出した。忘れたくなかった。ただ物忘れが激しいだけの老人でありたかった。娘がくれたあの宝物の日々を絶対に忘れたくなかった。
ハートのロケットのペンダント。娘が家族写真を撮ろうと言ってくれて、その写真を入れてあった。
大切なペンダント。右側に家族写真、左側には数少ない娘の赤ん坊の時の写真を入れて貰った。
そんな大切なものをどこに置いたかも忘れてなくしてしまった。
いつも置いてある場所がどこなのかも忘れたのだ。
正確にはなくしておらず、化粧台の引き出しの奥に入れて忘れてしまっていた。
今なら思い出せる、娘を忘れてしまった日のことを。
どんなに傷つけただろう、不安にさせただろう。娘を友達の誰かだと勘違いして話しかけてた。
娘はドライブに行こうと連れ出してくれた。娘は娘なりに気持ちの整理をしたかったんだと今ならわかる。
事故の瞬間、私は何か言いかけた。それだけが思い出せない。
でもどうしても、あの子に言いたい。
満に。
「思い出されたようですね。すべてを。」
尊と名乗る男は優しい声色で話しかける。
「ええ、私、死んだのね。」
動揺しながらも、自身が死んだことに納得をした月野。
両手で自分の胸元のハートのロケットのペンダントを掴み、少し震えている。
「娘は、無事なのかしら」
「満さんですね、はい。生きていらっしゃいます。だいぶと大怪我をされていて痛々しいですが、月野さんが庇ったのもあってなんとか生存されました。」
尊は少し元気気味に話した。説得力を上げるためだ。
「そう、よかった。本当に…」
月野は涙を浮かべて安堵した。
「私のせいで、死んでしまったかとっ…」
娘への罪悪感で涙が止まらない。床に座り込み、顔を抑える。
「月野さん、あなたのせいで満さんが不幸になったとかは絶対ありませんよ」
尊は真剣な眼差しで言った。そしてハンカチを差し出した。
月野はそのハンカチを頭を下げて受け取り、涙を拭った。
すると罪悪感はなくならずとも気持ちがすーっと落ち着いた。
「…あら、不思議、もう涙が止まった」
尊はニコリとして月野の手をとり、いつの間にか現れた真っ白な椅子に月野をエスコートした。
落ち着きを取り戻した月野、改めて周りを見渡す。
真っ白な四角い部屋、けれども部屋は明るく空気は澄んでいる。
またいつの間にか現れた白い机と椅子。月野が座っている向かいの椅子に尊は腰掛けた。
「あ、ありがとう。ハンカチ、洗って返したいけどどうすればいいかしら?」
「まだお持ちいただいて大丈夫ですよ、魔法のハンカチなので落ち着くでしょう。
返される場合も洗わなくて結構です。あなたは清らかな魂の方なので全然汚れとかは気にしないでください。鼻をかんだっていいですよ?」
月野はありがとう、と言って少し笑顔になった。
「あなたは…えっと…ごめんなさい、お名前もう一度いいかしら?」
「尊です、今回あなたの案内人を任されました。」
尊は笑顔で答えた。
「案内人?…じゃああれかしら、天使ってこと?」
「はい!天使です!あなたを天国の門に導くことが今回の私の仕事です。」
元気よく答える尊。彼はいつの間にか白くゴールドのラインが入ったノートパソコンを開いていた。
「天使もそんなの使うのね」月野は不思議そうに尊の横に椅子をずらしてきた。
尊は見ますかと言わんばかりに横に来た月野にパソコン画面を見せた。
そこには事故の直前の動画があった。
「ここ、あなたの未練が引っかかっている瞬間です。」
尊は動画を指差した。
「…これ私がまだ思い出せないところ、最後の記憶よね?」
尊ははいっと言って頷き、説明を始めた。
「最後の瞬間の記憶は誰でも思い出すのが難しいんです。
でもあなたの未練はここにある。未練があると天国の門に入れないんです。
なのでこの瞬間を見ていただいて、月野さんの希望に沿って、未練を解消していただくって感じです。」
月野はパソコンの画面を見つめ、左手でハンカチ、右手でペンダントを握りしめる。
「そう、じゃあとりあえず…見てもいいかしら?」
尊はもちろんと言って動画を再生した。
『ねぇ、天国ってあると思う?』
『わからないよ、生きてるからね』
『行けたらいいなぁ』
『きっと行けるよ、自信ないの?悪いことした?』
『そうじゃないの、ただね、私…』
ここでバスが突っ込み映像は終わった。