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結月は躊躇うように手にしたグラスに口をつけ、意図的に唇を湿らせた。そして伏目がちに潤んだ瞳でチラリと彼を見遣り、紅潮させた頬で意味ありげに声を潜ませる。


「おれ、もっと沢山……倉下さんのコト、知りたいんです」


不意打ちの一歩で倉下との距離を詰め、胸ポケットに小さく折りたたんだ紙を忍び入れる。


「……よかったら、来てください。パーティーが終わったら、飲み直しましょう……?」


囁くように言葉を落とし、呆然と立ち竦む彼を置いて、恥じらうようにそそくさと会場を後にした。

さて、これで『罠』は完成した。あとは獲物が自ら飛び込んでくるのを待つのみだ。


目的も果たしたし、この場にもう用はないとそのままホテルのエントランスへと向かうと、受付横から結月を遮るように一人の男が姿を現した。

逸見だ。結月は一瞬迷ったが、下手に関係を探られても困るだろうと、視線を前に向けたまま歩みを止めずに自動ドアへと向かう。逸見も歩を止める事無く、かといって結月を見遣るでもなく、歩く先だけを真っ直ぐに捉えながらエントランスを横切るように歩を進めてきた。

互いに視線を合わせる事なく、すれ違う。そっと、潜めた声が結月の耳に届いた。


「ご伝言です。『無茶はするな』と」

「っ」


誰から、なんて、聞くまでもない。

足が止まらなくて良かった。

心中で安堵の息をつきながらホテルを出て、予約していた近場のビジネスホテルへと向かった。倉下に指定したのも、そこの一室だ。

チェックインは既に済ませてある。フロントに預けていた鍵を受け取り、簡素な部屋に置かれたベッドマットの縁に腰掛けてから、結月はやっと深い息を吐き出した。


「……ホント、もう、なんなの」


営業妨害で訴えてやろうか。

そんな考えが浮かんだが、全く意味を成さないと直ぐに打ち消す。揺らいでしまう理由は主に、結月の胸中に準ずるモノだからだ。仁志に同意は求められない。

本当に、やめて欲しい。こっちが必死に押し込めて、閉じ込めて、切り離しているのに、まるで見透かしたように、存在を主張してくるのは。

気持ちが沈む。本能が今からしようとしている行為を知って、胸中にダラリと不快を流し込み、圧迫してくる。


「だめだ、おれは、おれには、『コレ』しかない」


言い聞かせるように呟いて、結月は自身の身体を抱え込んだ。

『師匠』のくれた、生きる為の術。それを放棄するという事は、最期まで全うしろと願った『師匠』を裏切る事になる。なぜなら結月には、それ以外の道がない。

ふと、脳裏に疑問が過ぎった。


『無茶はするな』


そう言付けた仁志は、一体どこまで知っているのだろう。

結月は『条件』に頷いたというのに、ああもまた重ねるように、釘を差してくるなんて。

仁志は『仕事』の依頼事に、具体的な『手段』は問うてこない。今回だってそうだ。

だというのに――。


ピンポン。

届いた呼び鈴の音に、結月ははっと思考を切る。


(大丈夫。おれは、ちゃんと出来る)


そうでしょう? 『師匠』、と結月は気持ちを押し込み、貼り付けた『プロ』の顔で、部屋の扉を開けた。

立っていたのはまんまと罠にかかった、可哀想な獲物。既にほろ酔い状態の倉下を笑顔で迎え入れ、結月は用意していた酒を冷蔵庫から取り出し、次々と勧めた。

事前に仁志から得ていた社内での彼の功績を元に、いかに倉下の手腕が凄く、それに憧れているかをひたすら並べ立てた。上機嫌になった倉下は、気持よく酒を煽り続ける。

褒めて褒めて持ち上げて、アルコールが正常な判断を奪い、欲に忠実になってしまえば、こっちのモノである。


「……それで? こんなトコに誘って、どうするつもりだったの?」


欲に覆われた双眸が結月を映す。

いや、情報が欲しいだけだし、と胸中で吐き捨てながらも、結月は色を滲ませた笑みを浮かべた。

先を期待して、急かす掌が結月の太腿を這う。途端に吐き気が込み上げてきたが、結月は微かに眉を動かすだけで耐え、その手の甲を撫でるようにして掌を重ねた。

胸中を占めるのは嫌悪感と、罪悪感。


(あー……ほら、支障、出てきたじゃん)


浮かんだ顔と、染まってしまった自身への情けなさにひっそりと苦笑して、結月は倉下の誘いに応えるように、ベッドの淵に腰かける彼の片腿を立膝で跨ぎ乗り上げた。

上から覗きこむような体制で妖しげに笑んでみせて、ゆっくりと、見せつけるように自身のネクタイを解き、シャツのボタンへと手をかける。

外すのは三つまでだ。これ以上は一旦オアズケだというようにクスリと笑い、今度は食い入るように見つめる倉下の首元へ手を伸ばし、態とらしく布の擦れる音をたて、緩んだネクタイを外していく。


「……ねぇ、倉下さん」


息を荒げる倉下の耳元に唇を寄せ、吐息を吹き込みながら囁き、甘い甘い毒を流しこむ。


「おれも、倉下さんみたいになりたい。どうしたらいいかな?」


プツリ、プツリと一つずつ、焦らすように時間をかけてシャツのボタンを外していく。戯れに指先で肌を掠めると、倉下はゴクリと喉を鳴らした。


――ああ、気持ち悪い。


向けられる欲望に染まった瞳も、頬に届く荒い息も。

どちらも『彼』のものならば、どんなによかったか。


「っ、俺が、手伝ってあげるよ」

「……手伝い?」

「向こうの広報と、会わせてあげる。……取引が、しやすくなる」

「……そっか」

「だから、もう」


これ以上は待てないと急かす双眸と、意図を持って腰を這う掌に、結月はニッコリと笑みを向けた。倉下の頬がだらし無く緩んだ隙に、神経を限界まで張り巡らせて、『対象』へと波長をあわせる。

今回は少し多めに消さないといけない。彼が、たった今犯した自身の失態も、すっかり忘れてしまうように。


「……ありがとう、倉下さん」


やっと開放されると安堵に口角を上げながら、結月は身を屈め、いつもの『魔法の言葉』を、その耳元に吹き込んだ。


***

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