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蓮はあれからすぐに動いてくれたようだった。
期日になっても海藤が何か言って来る気配はなく、私はホッと胸をなで下ろした。
ただ念の為しばらくの間は蓮が送り迎えすると、毎日やって来た。。
「お待たせ」
オフィスビルを出るとすぐに、待っている蓮の姿が目に入る。
私が駆け寄ると、蓮もゆっくりと近付いて来た。
「お疲れ。今日は店寄ってくか?」
近くに停めてある車に向かう途中に、蓮が確認して来る。
リーベルの料理をとても気に入ったと話してから、必ず聞かれるようになっていた。
「うーん……今日は止めておく」
行きたい気持ちはあるものの、昨日もご馳走になったばかり。毎日食べさせて貰うのは気が引ける。
「店で食わない時の夕飯って、どうしてるんだ?」
蓮が車を発進させながら、聞いて来る。
「適当に作って食べてるけど」
「面倒じゃないのか?」
真顔で聞かれ、私は戸惑いながら答える。
「面倒な時も有るけどお腹空くし」
「外食か、買って帰るとかはしないのか?」
「ほとんどない」
一人で外食するのに抵抗は無いけど、あえてしたいとも思わない。自炊の方が節約になるし。直樹と別れてからは人付き合いもしていなかったから、ほぼ毎日作っていた。
「へえ、意外に家庭的なんだな」
「何、意外って」
どんなイメージを持たれてるんだろう。
他愛ない会話をしている内に、アパートに着いた。
「送ってくれてありがとう。それと、明日の帰りは迎えに来てくれなくて大丈夫だから」
車を下りながら言うと、蓮は怪訝な顔をした。
「何かあるのか?」
「……ミドリから連絡が有って、会う約束してるの」
何となく気まずさを覚える。蓮は不機嫌そうに顔をしかめた。
「なんで、あいつと会うんだ?」
蓮は素早く車から降り私の隣に来る。
「話が有るみたいだけど、詳しくは会ってからって言ってた」
アパートに向かって、ゆっくりと歩きながら答える。
「話? 雪香の件か?」
隣を歩く蓮は、私の言葉に鋭く反応した。
やっぱり雪香が絡むと、敏感になるようだ。
「雪香とは別件」
「別件?」
蓮は怪訝な顔をした。
そういえば、蓮を抜きにしてミドリと会ったのを話してなかった。
「この前、ちょっとドリと揉めたの……話はその件じゃないかな」
昨夜、ミドリからの電話を受けた時は驚いた。
私の番号を知っていたのもだけど、ミドリが謝って来たことに。
ファミレスで話した時はまるで敵のような態度だったのに、電話でのミドリは別人かと思うくらい私に気を使っていた。
会いたいと言われて断ろうかとも思ったけれど、話してる内に気持が変わり明日の約束をしていた。秋穂とミドリに対する怒りは消えないけれど、話くらいは聞いてもいい。
「揉めたって何が有ったんだよ?!」
余程気になるのか、蓮が食い下がって来た。
「今度、時間有る時に話すから」
隠している訳じゃ無いけど、もう部屋の前に着いてしまった。
でも蓮は納得がいかないのか、諦めない。
「今、話せよ。これから予定がある訳じゃないだろ?」
「え?……でも」
今からどこかに行くのは正直めんどくさい。部屋に上げるのも抵抗が有るし。どうしようかと悩んでいると、遠慮がちな声音で呼びかけられた。
「倉橋さん?」
蓮とふたりで声の方を向くと、三神さんの姿が有った。
「あ、こんばんは」
探るように蓮を見ている三神さんに、会釈をする。
「誰だ?」
蓮は私にそう問いながら、三神さんを見返している。
誰だ? なんて本人の前で堂々と聞いて来ないで欲しい。
三神さんが気を悪くしたら嫌だなと思いつつ、少し素っ気なく答える。
「隣の部屋の方」
「隣の?」
蓮はそう呟くと、不躾にジロジロと三神さんを見た。
「ちょっと……」
失礼な態度を注意しようとした時に、三神さんが尋ねて来た。
「倉橋さんの友達?」
「はい、すみません廊下で話し込んじゃって……すぐに出かけますから」
私の返事に、三神さんはホッとしたような笑顔になった。
「友達なら良かった、遠目では倉橋さんが絡まれてる様に見えたから、心配したんだ」
「え、絡まれてる様に?」
驚き、反射的に蓮を見た。蓮は気分を害したのか、ムッとして三神さんを睨んでる。本当に短気だ。すぐに揉め事を起こしそうでハラハラする。
「大丈夫です。ちょっと話してただけなんで」
早く三神さんに部屋に入ってもらった方がいいと思い、愛想笑いを浮かべて言うと三神さんは頷いた。だけど何かを思い出したように眉をひそめた。
「お節介でごめん、でもこの前の手紙のこともあるし、心配だったんだ。最近はこの辺りも物騒だからね」
「あ……手紙の件はすみませんでした。でももう解決しましたので大丈夫です」
秋穂がまた手紙を送ってくる可能性は無いと思うけど、念の為明日ミドリに釘を刺しておこう。
そう考えながら答えてると、頭上で不機嫌な声がした。
「手紙って何の話だ?」
会話についていけなくて不満を感じているのか、蓮の機嫌は悪くなる一方だった。
「後で話すから」
早口で言い三神さんに挨拶をする。蓮を引っ張り車に戻った。
「手紙は雪香とは直接関係無い話だから」と言ったけれど、蓮が納得しないので、結局リーベルで食事をしながら話すことになった。
結局こうなるなら初めから行ってれば良かった。
そうすれば、時間を無駄にせずに済んだし、三神さんとも会わなかったのに。
三神さんが、蓮の態度で気を悪くしていないか心配だ。
隣の部屋の人とは、適度な距離を保っていたい。親しくなり過ぎるのも、逆に険悪になるのも避けたかった。
そんなことを頭の片隅で考えながら、蓮にミドリと手紙の事を説明した。
「あいつ……やっぱり信用出来ないやつだったな」
一通り話し終えると、蓮は大きな舌打ちをした。
蓮も私と一緒に、ミドリの嘘を聞かされ騙された訳だから、怒りも大きい。
それと同時に、ミドリの兄と雪香の関係にも苛立っているようだった。
嫉妬している訳では無いと思う。蓮は雪香に普通に幸せになって欲しかったんだと思う。
姿を消して、逃げ回るような暮らしを送るのではなく、誰からも祝福されるような……そんな普通の幸せを掴んで欲しいと願っていた。
不意に雪香と最後に交わした会話を思い出した。
全てを捨てると、もう戻らないと、決意の滲む声で言った雪香。
あの時、聞こえて来た鐘の音を雪香はどんな気持ちで聞いていたのだろう。
あれは雪香にとって、祝福の音色だったのだろうか。
沢山の人を傷付け、今迄築いて来たものを何もかも失う代わりに、想い合っている相手と一緒に生きていく。
それで本当に幸せと言えるのだろうか。
今、雪香は満足しているのか、それとも後悔しているのか。
何も分からない。それに自分の雪香に対する気持ちも、分からなくなっていた。
恨む気持ちは、まだ残っているけれど、それとは別の何かを感じる。
はっきりとは言葉に出来ない思いが、いつも胸の中に有った。
翌日、仕事を終えるとすぐにミドリとの待ち合わせ場所に向かった。
場所は私が決めた。会社から徒歩で十分程の何度か入ったことのある喫茶店だ。
「お待たせ」
先に待っていたミドリに近付き声をかけると、ミドリは初めて私に気付いたかのようにビクッと体を揺らして顔を上げた。
「どうしたの?」
「ちょっと考え事をしていた……もうこんな時間だったんだな」
彼は時計に目を遣りながら、後半は独り言の様に呟く。かなり前から待っていたのだろうか。
「話って何?」
ミドリの前の席に座って前置きなく切り出す。
「先に注文しよう。落ち着いて話したい」
確かに何も頼まない訳にはいかない。
ミドリはコーヒーとスパゲティ。私がアイスティーを注文する。
「何か食べないのか?」
「お腹空いてなくて」
本当は空腹だけれど、前回のファミレスでの会話を思い出すと、ミドリと仲良く食事をする気にはなれなかった。
ミドリは、店員にポテトフライを追加注文してメニューを閉じた。
食事が運ばれて来ると、ミドリは私の前にポテトフライを置いた。
「え?」
戸惑いながらミドリを見る。
「自分だけだと、食べ辛いから」
ミドリはサラリと言い、スパゲティをフォークに巻き付けた。その様子を見ながら、私もポテトフライに手を伸ばす。
「……いただきます」
適度に塩の効いたそれは、想像以上に美味しかった。
「それで……話って何?」
二つ目を口に運びながら問いかけると、ミドリはフォークを動かす手を止めて私を見た。
浮かない表情。良くない話なのかもしれない。
「近い内に兄の居場所が分かりそうなんだ……だから、一緒に居るだろう雪香も見つかると思う」
私は驚き大きく息をのんだ。