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「どうしてお兄さんの居場所が分かるの? 連絡が来たの?」
ミドリのお兄さんには子供も居るから、家を出たもののやはり心配になって連絡して来たのだろうか。
「いや、兄からは何の連絡も無い」
「それならどうして居場所が分かるの?」
本人からの連絡無しで今更見つかるとは思えない。
雪香の行方だって、義父が調査会社まで使って探しているけれど、未だ手がかりも掴めて無いようだし。
「……警察が兄を探し始めたんだ」
「え?」
私は困惑してミドリを見た。
どうして警察が動くのだろう。雪香が消えた時義父が警察に相談したけれど、積極的に探してくれる様子では無かったそうだ。
本人の意志で居なくなった可能性が高い場合、警察はなかなか動かない。
大人の男であるミドリの兄は、更に探して貰える可能性は低いのに。
怪訝な顔をする私に、ミドリは憂鬱そうに息を吐いてから話を続けた。
「兄が会社の資産を横領していたと発覚した。それで警察が動く」
「横領?!」
ミドリの言葉は衝撃的だった。だって、二人は、不倫をして逃げたと思っていたのに、まさか、犯罪と関わっていたなんて……。
「驚いただろ? 家も今大騒ぎだ」
良く見るとミドリの顔色は悪く、目の周りにはクマが出来ていた。
かなり疲れているように見える。
「……お兄さんはどうして横領を?」
お兄さんさんの事は何も知らないけれど、身内のミドリと秋穂をみる限りお金に困っているようには思えなかった。むしろ裕福な家だろうと。
「それは家族の誰にも分からない。だからこそ混乱している」
「そう……秋穂さんは大丈夫なの?」
秋穂は精神的に脆そうだったし、かなりのダメージを受けているだろうと想像出来た。
私の言葉に、ミドリは少し動揺したように身体を揺らした。
「……離婚する事になりそうだ」
「えっ?! 嘘でしょう?」
あれほど夫に執着しているように見えた秋穂が、事情も聞かないで離婚を決めるなんて。
「嘘じゃない。子供を連れて実家に帰る準備をしている」
「話し合いもしない内に? まだ見つかってすらいないじゃない」
「本格的に警察が動き出したら逃げられない。兄は捕まるよ。そして犯罪者になる、子供の将来を思えば離婚しかないんだ」
ミドリの言葉に、私は何も言えなくなった。
確かに現実的に考えれば、秋穂の行動は正しいのかもしれない。
あの依存心が強く頼りなく見えた秋穂も、母親だったのだと実感した。
「とにかくそういう訳で、兄は近い内に見つかると思う」
しばらくの沈黙の後、ミドリが淡々と告げる。私は言葉なく頷いた。
ミドリからもたらされた情報は衝撃的で、なかなか平常心に戻れなかった。
それでも上手く回らない頭で、なんとか今後について考える。
ミドリから聞くべきことは、他に無いだろうか。
「そうだ。この話は雪香の家に伝えたの?」
母は、雪香の行方を熱心に探していた。戻ると知ったらどれだけ喜ぶだろう。
親しくない母でも、悩み弱っている姿は見たくない。もしミドリがまだ連絡していないのなら、早く教えてあげたい。
「雪香の実家には連絡していない」
「それなら、なるべく早く伝えてあげて」
「悪いけど、それは出来ない」
「どうして?!」
私は眉をひそめた。出来ない理由が分からない。
言い辛いとは思うけど、黙っていて良い話ではない。
「雪香が戻る確証が無い。状況から兄と一緒に居ると考えているだけで、誰も見た訳じゃ無いんだ。雪香が一緒に居なかった場合を考えると軽々しく伝えられない」
確かにミドリの言うとおりだけど、納得がいかなかった。
母や、雪香を心配している人達は、ほんの僅かな手がかりだって欲しいはずだ。
ただでさえ、今まで隠してしまっていることが多い。これ以上、雪香の件を一人で抱え込むのは嫌だ。
浮かない表情をする私に気付いたのか、ミドリは譲歩するように言った。
「雪香が一緒に居ると分かったら、すぐに彼女の家族に連絡する」
それでは結局、ミドリのお兄さんが見つかる迄、母達には言わないままになる。
何の解決にもならない。
「私から言うのはどう? 確証が無いとちゃんと伝えるから」
「沙雪がそう言えば、どこで聞いたんだって問い詰められるだろ? 兄との関係が知られたら大事になる。雪香の父親が厳しい人だと知ってるだろ?」
「それは……そうだけど」
確かにあの義父が知れば怒り狂い、ミドリの実家に乗り込んで行きそうな気がする。
混乱中の緑川家としては、それは避けたいだろう。
「……私が言わなくても、義父は雪香の行方を追っているから、お兄さんとの関係もその内ばれるんじゃない?」
「その時は仕方ない。でもなるべく時間を稼ぎたい……せめて秋穂が実家に帰るまでは」
ミドリは憂いを帯びた顔で溜め息をついた。その様子は、先日のファミレスでの出来事を彷彿とさせる。
彼は秋穂の事を心配するばかりで、客観性を失っていた。秋穂を責める私に、ひどく攻撃的で……。
あの時も感じたけれど、ミドリと秋穂の関係は普通の義姉弟とは違っている。
「ミドリは秋穂さんが好きなの?」
「え……」
ミドリは顔を強張らせる。
「ごめん、踏み込んだこと聞いて……ただミドリは彼女が絡むと態度が変わるから。彼女をことだけを考えて、他の人の気持ちを蔑ろにするんだとしたら、それは違うと思ったから」
普段なら人の事情にここまでに口出しはしない。ただ今は状況が違う。
ミドリは険しい顔をしていたけれど、ややして語りはじめた。
「秋穂とは幼なじみで、子供の頃から一緒だった。兄と結婚した後も兄嫁というより、仲の良かった幼なじみとして接していた」
「……幼なじみ」
子供の頃はお兄さんも入れて三人一緒に過ごしていたのだろうか。
「彼女は昔から頼りなくて、兄も俺も過保護になっていたかもしれない。でも今回、雪香の実家に話さないで欲しいのは秋穂の為だけじゃない。家族みんなの為だ。両親をこれ以上苦しませたくないんだ」
家族の為……確かに緑川家の混乱は相当なものなのかもしれない。人を気遣う余裕がなくて仕方ないともいえる。
「……分かった、雪香の実家に直ぐには言わないようにする。でも今日ミドリと会うのを蓮に話してあるの。必ず内容を聞かれると思う。彼には話してもいいでしょ? もちろん口止めはするから」
ミドリは顔を曇らせた。反対したいけれど、私が譲歩しているのを分かっているから悩んでいるようだった。
「沙雪は彼と親しくしているのか? 以前はそうは見えなかったけど」
「まあ、いろいろ有って」
言葉を濁しながらも頷くと、ミドリは少し驚いたようだった。
「なんだか意外だな……沙雪は誰とも馴れ合わないと思っていたから」
「別に馴れ合ってる訳じゃ……ただもう雪香の件を一人で抱えて悩むのは嫌なの。それに蓮は雪香の為を想ってる。義父に話して大事にするような行動は取らないはずだから」
ミドリはしばらく考え込んでいたけれど、しばらくすると小さな声で言った。
「分かった、でも……」
「でも?」
険しい顔のミドリに聞き返す。
「あまり彼を頼り過ぎない方がいい」
「別に頼ってなんて……」
ミドリの言葉に驚き、私は言葉を詰まらせた。
海藤とのトラブルでは助けてもらったし、その後も親しくはしている。でも蓮に、必要以上に頼っているつもりは無い。
「頼っているように見えるよ。前は彼の言葉に耳を貸さなかったけど、今はかなりプライベートな話も抵抗がないようだし……短い間に随分距離を縮めたんだね」
決めつける言い方に、苛立ちを覚えた。
私は今迄一人でちゃんとやって来たのに、蓮と親しくしているだけで、自立心を否定しないで欲しい。
「蓮との付き合いを、ミドリにとやかく言われたくない」
少し前に自分も踏み込んだ発言をしたのは棚に上げて、素っ気なく言う。
ミドリは顔を曇らせた……言い過ぎたかもしれない。
だけど、取り繕う気にもなれず、私も黙り込んだ。
「……話さないでくれって頼んでいながら矛盾したことを言うけど、兄が見つかったら、雪香も戻って来る可能性が高い」
さっき言ったのと同じ内容を、ミドリは真剣な表情で言った。
「それは分かってるけど」
なぜまた話を蒸し返すのだろう。戸惑う私に、ミドリは更に言葉を続ける。
「それなら、雪香が帰って来た後の生活も考えておいた方がいい……雪香が居たら彼は沙雪に構っている暇は無いかもしれない」
「……!」
ミドリの言葉に、私は動揺して息をのんだ。
「……そんなの、言われなくても分かってる。それに今は蓮に助けて貰ってるけど、雪香が戻れば私がトラブルに巻き込まれることも無くなるんだから、助けても要らなくなるだろうし」
冷静を装いながらも、動揺はなかなか治まらなかった。
ミドリの指摘した当たり前の事実が、胸に突き刺さり、鈍い痛みが胸中に広がっていく。
「それならいいんだ。余計な事言って悪かった」
ミドリがバツが悪そうな表情で言い、私は小さく頷いた。
「ミドリもいろいろ大変だと思うけど、新しい情報が入ったら教えて欲しい」
「分かってる。今日は急に呼び出して悪かった……それにこの前も……」
彼が、ファミレスでの出来事を言っているのだとすぐに分かった。
「それはもういいよ。ミドリの態度は秋穂さんを庇いたい気持ちからだと分かってるから、もう気にしないで……私だって言われっぱなしで黙ってた訳じゃないし」
ミドリは何か言いたそうな様子だったけれど、結局何も言っては来なかった。
私達はその後直ぐに店を出て、そのまま別れた。
すっかり暗くなった街を、一人、駅を目指して歩いて行く。
ミドリとの会話を思い出すと、気持ちが沈んだ。
決して蓮に頼ったり、依存しているつもりは無かった。
直樹に捨てられた時、もう誰かを頼らないと決心したのを忘れた訳じゃない。
そもそも蓮は私の恋人じゃ無いし、直樹との関係とは全く違う。
そう分かっているのに、蓮の言ってくれた言葉が嬉しくて、差し伸べてくれた手が頼もしくて、いつの間にか自分でも驚く程心を開いてしまっていた。
雪香が帰って来れば、余計な問題に巻き込まれずにく静かに暮らせる。
それなのに、喜べない自分に困惑した。
思っている以上に、蓮に依存していたんだと気付かされた。このままじゃいけない……。
もう必要以上に蓮と関わらない方がいいのかもしれない。