コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「なんだ、喧嘩か?」
「あの子、林田さんじゃない? また八つ当たりしているのかしら?」
「おいおい、これ以上面倒事起こすなよ」
周囲の声に反応するように、美玲は怒りの表情でぎりっと歯を食いしばる。
その様子を見た千秋は微笑を浮かべながら美玲に提案する。
「まだ話すことがあるなら場所を変えてもいいよ。ここは結構目立つから君には不利だと思うけど?」
千秋はオフィスビルのあいだの狭い路地へ移動し、美玲は彼を睨みつけながらついて来た。途中、思いついたように千秋が笑顔で振り返った。
「ああ、そうだ。君も飲む? ここのお店のコーヒー、美味しいんだよね」
「あんた、あたしのことバカにしてんの? どうでもいいわ、そんなこと!」
「そうか。俺は結構好きなんだけどな」
千秋は困惑の表情で自分の手に持つタンブラーを見つめた。彼のその行動に美玲がさらに逆上した。
「あんたの好みとかどーでもいいんだよ! 金輪際紗那に近づくな! あんたがいなければすべてうまくいっていたんだ。あたしが紗那を救ったのに横取りするんじゃねーよ!」
千秋は再び真顔になり、美玲をまっすぐ見つめた。
「気づいてる? 君はさっきから自分のことばかりだ。紗那がどう思っているかなど考えてもいないんだろうね」
「あんたに何がわかる? あたしはずっと紗那のそばにいて彼女の苦しみを共有してきた。あんたみたいに外見だけ繕って中身からっぽの男に紗那を救えるわけがない」
「んー、君さ、俺のことまったく知らないよね」
美玲は額にじわりと汗をかきながらも、笑みを浮かべて告げた。
「あんたの実の父親、本社の取締役でしょ。名字が違うから誰も気づいてない。あんたは愛人の子でどうせ情けでこの会社に入れてもらったんだ」
千秋は目を丸くしながら感心するようにため息をつく。
「へえー、よく調べたな。でも惜しい。愛人の子じゃない」
「でもあんたは金に苦労してない。あんたみたいな金持ちに紗那の苦しみがわかるわけないのよ」
「なぜそう言える?」
「あの子は家族から虐げられてお小遣いだってもらえなかったんだ。元カレもクソ野郎で紗那はずっとお金に苦労してきた。あたしもそうだった。だから、あたしだけがあの子を理解してあげられる」
美玲は千秋を指差しながら声高に叫ぶ。
「紗那のそばにいていいのはあんたじゃないんだよ!」
美玲の言葉が途切れた瞬間、千秋はため息まじりにぼそりと言った。
「Have you lost your mind(気でも狂ったのか)?」
「日本語でしゃべれよこのやろーっ!!!」
千秋はわざとらしく肩をすくめながら美玲に向かってふっと笑った。
その態度に美玲がぶち切れる。
「あんた、人をバカにするのもいい加減にしろ!」
すると千秋は再び真顔になり、今度は冷静に話す。
「君の恋愛を否定する気はないよ。俺の友人に海外で同性婚しているカップルもいる。彼らはお互いに思いやりがあって平穏に暮らしているよ」
「いきなり何……」
「君が紗那に恋愛の情を抱いていようが君の自由だ。しかし看過できない部分がある」
千秋は鋭い目つきで睨みつけると、美玲は少々怯んだ。
その勢いのまま千秋はきっぱりと冷静に告げる。
「君は紗那を傷つけるようなことをした。それが、俺と君の違いだ」
「まるで自分はそうではないとでも言いたいの?」
「ああ、そうだ。俺は紗那を手に入れるために彼女を傷つけるようなことは絶対しない」
美玲はとっさに返す言葉が見つからず黙る。その隙に千秋は遠慮なく続けた。
「君がやっているのは愛情表現じゃない。ああ、そうだな……日本ではそれをモラルハラスメントというのか」
「あ、あたしが紗那にモラハラしたとでも言うの?」
「そうだよ。外面は完璧で紗那を手に入れるために手段を選ばない。結果、彼女を傷つけることになろうがお構いなし。紗那のためと言いながら自分に都合のいいように行動する」
狼狽えながらなんとか反論しようとする美玲。
それを与えないよう千秋は間を置かず切り込む。
「君が紗那に向けているのは愛情ではなく所有欲。君はただ自分が可愛いだけ。強烈な自己愛に溺れている典型だ。紗那の元カレと君は非常によく似ているよ」
「言わせておけばペラペラと……あたしをあんなクズと一緒にするな!」
「ああ、ごめん。そうだね。紗那の元カレのほうが素直だからまだマシというものか」
「ふざけんな!!」
激昂した美玲は千秋の衣服を掴んで大声を上げた。千秋の背が高いせいで胸ぐらを掴めず、彼女はシャツをくしゃくしゃに掴んでいる。
すると千秋は冷たい目で美玲を見下ろしながら静かに言った。
「シャツがしわになるからやめろ。2回目だ」
「うるさい、クソ野郎!」
「いいのか? これも録音しているんだけど……」
美玲はぎりぎりと歯を食いしばりながら黙り込み、千秋から離れた。
「あんたのこと、会社に訴えてやる」
「いいよ。俺は解雇されても構わない。それくらいの覚悟で紗那を助けるつもりだ。もっとも、今の君の話を上が聞いてくれるか疑問だけどね」
顔を真っ赤に染めて怒りで震える美玲に、千秋は畳みかけるように続ける。
「それより君は自分のことを心配したほうがいいんじゃない? なんならいい転職エージェントを紹介してあげるよ」
「もういい! しゃべるな! あんたと話してると頭がおかしくなる!」
美玲はそう吐き捨てると、千秋から目をそらした。
千秋は微笑を浮かべながら思いついたように言う。
「ああ、そうだ。君にお土産があるんだ」
千秋のその言葉に美玲は眉をひそめながら顔を上げた。その瞬間、彼女の顔にバシャッとコーヒーがかかった。
千秋がタンブラーの中身を美玲にぶっかけたのだ。
顔から下がコーヒーで染まって放心状態になっている美玲に、千秋は静かに告げた。
「君は紗那にコーヒーをかけたよね。だからそのお返し」
さっきから千秋が手もとのコーヒーをひと口も飲んでいないことに美玲はようやく気づく。ひと気のない場所に誘い込んでこれを実行するためだったのだ。
美玲は冷えたコーヒーの感覚に震えながら声を上げた。
「あたしがやったんじゃない!」
「だが命令したのは君だ。乃愛にそれをやらせて紗那を周囲から孤立させる写真を撮って拡散させた。正直、この程度では生ぬるいと思ってる」
千秋はもう笑っていなかった。美玲をまっすぐ見つめて怒りの表情を見せている。
「こんなことしてタダで済むと……」
「みんなに言いふらしていいよ。俺にやられたと。君がそれを実行したら、俺は今のやりとりを世間にさらす」
「卑怯者が!」
「卑怯者はどちらだ? 散々、紗那を苦しめておきながらよくもそんなことが言えるな」
これ以上反論する言葉を見つけられなかったのか美玲は真っ赤な顔で叫んだ。
「あんたなんか消えてしまえ!」
それを捨てゼリフにして美玲は涙ぐみながら千秋の前から逃げていった。
本当はもっと苦しめてやりたい思いが千秋にはあったが、もう充分だと判断した。
そして彼は空になったタンブラーを見つめてぼそりと呟く。
「もったいないことしたな」