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◇◇◇◇
城門をくぐると、石畳の上で馬車の車輪が静かに止まった。
軋む音がひとつ、冷えた空気の中に溶けて消える。
御者をしていたレオニスは先に馬車を降りる。
石畳に靴音が小さく響いたあと、振り返り、荷台にいるセレナへと手を差し出す。
セレナは一瞬だけその手を見つめ、それから迷いなく取る。
温かく、力強い手だった。
軽く体を支えられながら、セレナは石畳へと降り立つ。
そのときだった。
城の方から一人の男が姿を現した。
整った衣服の裾を揺らしながら、ずんずんと早足でこちらへ向かってくる。歩みは早いが乱れてはいない。だが、その速度には明らかな怒りが混じっていた。
ダルフィードだった。
知的な顔立ちの奥、眼鏡のレンズが光る。その瞳はまっすぐにセレナを捉え、隠そうともせず敵意を滲ませていた。
数歩の距離まで近づいた瞬間、
「おい、ダルフィード。止まれ」
レオニスの声が静かに落ちた。
怒鳴り声ではない。
だが、その一言だけで空気がぴたりと止まる。
ダルフィードの足もまた、そこで止まった。
彼の視線はなおもセレナに向けられている。
「何故ですか」
王に向ける声に、怒気が押し殺されていた。
「この怒りを……どこへぶつければいいとお思いで」
石畳の上で、その声が重く響く。
レオニスはゆっくりと息を吐いた。
「お前が怒ることではない」
短い言葉だった。
だがそこには、感情を押し流すだけの重さがあった。
「すぐ側の脅威に晒されて、先を読む目を失ったか」
レオニスの視線が鋭くなる。
「セレナをヴァルディウスに送ったからといって、バリスハリスが助かった。……そんな甘い話を信じているわけではあるまいな」
「そ、それは……」
言葉が喉につかえる。
ダルフィードの顔に一瞬、動揺が走った。
痛いところを突かれたのだ。
彼自身が誰より理解している。あの決断は、救いではなく、ただの先送りに過ぎなかったことを。
レオニスは小さく肩をすくめる。
「ダルフィード。お前は後回しにしただけにすぎん。ヴァルディウス王国を傀儡にしたエルピアータ帝国は、いずれ必ず俺たちにも噛み付く」
その言葉のあと、レオニスは喉の奥で小さく笑った。
くくく、と。くぐもった笑い。
「お前……」
その瞬間、空気が冷えた。
目に見えない圧が城を覆い、空気そのものが重く沈む。
門にいる兵士たちも、城の扉の前で控えているメイドたちも、誰一人として息を立てない。
ただ、王の声だけが落ちる。
「俺の大切な人を切り捨てて」
一瞬の沈黙。
「時間稼ぎで済ませる気ではないだろうな」
威圧。
それは怒声ではなかった。
だが抗うことの出来ない力が、言葉そのものに宿っていた。
ダルフィードの膝が石畳に落ちる。
かすかな音がした。
「……私の不徳の致すところです」
頭を垂れる。
誇り高い宰相が、完全に頭を下げていた。
レオニスはしばらくその姿を見下ろしていたが、やがて歩み寄る。
ぽん、と。
軽くダルフィードの肩を叩いた。
「自身の過失を認めたところで悪いがな」
声は少しだけ柔らぐ。
「今の国政は緊張している。罰ひとつでも与えたいところだがダルフィード。お前に抜けてもらっては困る」
「わかっております」
ダルフィードはレオニスの言葉を噛み締める。
「頼むぞ」
レオニスはそれだけ言うと、きびすを返した。
そして歩き出す。
城へと。
だが数歩進んだところで、ふと足を止めた。
「それと」
振り返らずに言う。
「もうセレナは、この王国の人間だ。最初からな」
声が静かに落ちる。
「お前もそのように扱え」
「……は」
短い返答。
それを聞くと、レオニスはそのまま城の中へ消えていった。
しばらく、沈黙が残る。
ダルフィードはゆっくりと立ち上がり、眼鏡の位置を直した。
そしてセレナを見る。
「白の魔女」
声は落ち着いていた。
だが、感情が消えたわけではない。
「私はお前が嫌いだ」
率直だった。
しかしそのあと、わずかに言葉が途切れる。
「だが……お前がバリスハリス王国の一人だとしたら」
小さく息を吐く。
「悪かった。仲間を切り捨てるところだった」
セレナは肩をすくめる。
「私もレオニス陛下の口車に乗せられた一人よ。お互い様でいいんじゃない」
苦笑が漏れる。
「でも」
少しだけ空を見上げる。
「なんだか全部、上手く行きそうな気がしてくるのよね。不思議な人よね、あの人」
ダルフィードは小さく笑う。
「あぁ」
その笑みには、どこか諦めと信頼が混じっていた。
「それで上手く運ばなかったことがないからな。……不思議なものだ」
眼鏡の奥の瞳が細くなる。
星空の下、今日はやけに明るい夜だった。