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1時間後。
いくぶん恐怖が薄れた幾ヶ瀬は、有夏に促されるがままに風呂に入った。
「『てるてる坊主』本当に本当に怖かった。稲川淳二先生を見る前に、お風呂入っときゃ良かったよ……」
脱衣場でも何度も口にし、風呂の蓋をあけながらもまた同じ台詞を口にする。
一緒に入ろうと誘ったものの、夕飯前に入浴を済ませた有夏には「は?」と返されてしまう。
気持ちを紛らわせるために、か細い声で鼻歌など口遊みながらシャンプーを泡立てている。
背後なんて気にするまいと、歌は陽気なものをセレクトしたようだ。
「♪ときはなてぇ~こころにねむるぅすべてのパワーをぉぉとざ……え? えっ?」
下手くそな歌が途切れ、彼は恐る恐る背後に視線を送った。
「き、気のせいだよな」
何か音がしたような気がしたのだ。
有夏の脅しを脳裏から振り払うように、体を前後に揺すってリズムをとる。
「♪とざされたぁ~さだめのりこえぇおお……きゃっ!?」
幾ヶ瀬の悲鳴。
気のせいなんかじゃない。
「今……いま……」
コンコンと音がした。
とっさに周囲に視線を走らせるも、音がどこから聞こえたかは分からない。
見られている──そんな気がするだけ。
風呂から出たい。
さっさとシャンプーを洗い流してしまいたいが、それすらも怖い。
最早、眼前の鏡から目を逸らすことすらできない。
全身を硬直させた彼に、更なる恐怖が襲い掛かる。
コンコンコン。
「ヒッ!」
その音が激しくなったのだ。
現世と霊界との境界を横切るような、まるで扉を叩くような音──そこまで考えて、幾ヶ瀬はチラと横目で扉を見やる。
擦りガラスにうっすらと人影が映っていた。
腕が扉にのびる。
コンコン。
「あり、か……?」
力の入らない手で何とかドアを開けると、しゃがみこんだ有夏が顔をあげた。
何ということはない。
音の正体は、恋人の仕業であったのだ。
「有夏、本当やめて……。悪戯がすぎるから。何でそんなにイキイキとしてるの?」
有夏、良い笑顔で立ち上がり、こちらを見ている。
「いたずらじゃないかも? 実際さっき、幾ヶ瀬の背後に……」
あーあーあーーっと幾ヶ瀬が吠えた。
「そ、そんなこと言う有夏には、お、俺のロケットお化けが襲っちゃうぞ!」
「ロケットオバケ…………」
「……って引かないでよ、有夏。不適切な発言でした!」
チラと下を見て、有夏の笑顔は薄笑いへと変じる。
「ロケットって……萎えっ萎えじゃねぇの」
「う……」
自称「ロケット」の萎え具合。
低い笑い声と不躾な視線に、ソレはますます可哀想な状態になってしまった。
「復活を待ってるよ。ベッドで。ハハッ……」
幾ヶ瀬が早々に風呂を出たのは、言うまでもない。
「夏のなごり」完
11「そうだったのか、胡桃沢家」につづく