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三十年前、アルド・ペリドットはゲルビア帝国に雇われた傭兵の一人だった。
能力を評価されていたアルドは、以前から何度もゲルビア帝国に雇われており、その時もアルドからすれば”いつもの依頼”と言う印象だった。
金払いの良いゲルビア帝国はアルドからすれば良い商売相手だったし、ゲルビア帝国側は何度か正規兵にならないかと打診していたくらいにはアルドを評価していた。
「グレーな仕事が多かった。まあ、こういうのは正規兵よりも傭兵にやらせたいだろうしな。だから、不可侵条約が結ばれているハズのテイテス王国への潜入作戦にも、大して疑問は持たなかった」
赤き崩壊(レッドブレイクダウン)が起きたあの日、チリーはテイテス王国の内部に潜り込んでいるゲルビア兵を何人も見た。アレはやはり、ゲルビア帝国の作戦によるものだったのだ。
だとすれば、突如出現したあの怪物も、ゲルビア帝国と関係がある可能性が高い。
「……目的は聞いていたのか?」
チリーが問うと、アルドは小さく頷く。
「”賢者の石”だ。ゲルビア帝国は、この国に賢者の石があることを知っていた」
チリーの中でバラバラに配置されていた点が、少しずつ繋がっていく。
数奇な運命だ。
あの日、チリー達とゲルビア帝国は全く同じ日に賢者の石を求めてテイテス王国を訪れていたのだ。
「……お父様は、どうして赤き崩壊を生き延びられたの?」
ミラルの純粋な疑問に、アルドは小さく嘆息してから口を開く。
「俺はあの日、初めてゲルビアからの依頼を放棄した。……逃げ出したんだよ」
悔いるように、アルドは言葉を床に吐き落とす。
「あの化け物が、俺は心底恐ろしかった……。チリー、お前も見たんじゃないか? アレを……」
「……ああ」
チリーの脳裏に、三十年前の凄惨な光景がまざまざと蘇る。
アレは、この世に存在して良いものではない。
あの名状し難き肉塊は、明らかに理を無視した存在だった。
赤黒く、流動的な泥の塊のようにも見える巨体に、ギョロギョロと蠢く眼球がいくつもついていた。あの身体から無数の触手が飛び出し、人間を捕らえて身体の中に取り込んでしまうのだ。
まともな武器では太刀打ち出来ず、何人ものテイテス兵が犠牲になるのをチリーは目の当たりにした。
「アレは元々……人間だ。捕虜や犯罪者を使って、ゲルビアは悍ましい人体実験をテイテス王国でやりやがったんだ!」
「アレが、人間……?」
アルドの言葉に、チリーは困惑しかけたがすぐに理解する。
――――適合しなければ、大抵は身体が崩れて死ぬか、呼吸するだけの異形の肉塊に成り果てて……廃棄される。
ラウラの語ったエリクサーの失敗例と酷似している。
ミラルもチリーと同じことに気がついたのか、目を見開いてわなわなと震え始めた。
「それって……エリクサーの……」
「そうだ。ヴィオラ・クレインが発見したプロトタイプのエリクサーは、適合しなかった人間を怪物に変える……ゲルビアは自国内で被害を出さないためにテイテス王国を実験場に使ったんだ! 陽動作戦もかねてな……!」
プロトエリクサーをテイテス王国内で使用させ、怪物を出現させる。
テイテス王国側がその騒ぎに対応している間に、ゲルビア兵を中へ潜入させ、王国内を調べ上げる。それがゲルビア帝国の作戦だったのだ。
チリーとミラルだけでなく、シュエットとシアも息を呑む。
ゲルビア帝国の行った所業は、あまりにも悍ましかったのだ。
「当時何も知らなかった俺は、恐怖のあまりテイテスから逃げ出していた……。そして気がつけば、俺の背後で赤黒い光が全てを飲み込んでいた……」
赤き崩壊は、テイテス王国全体を包みこんでいた。
もしアルドが逃げ遅れていれば、確実に赤き崩壊の中に飲み込まれていただろう。
「俺が怪物の真相を知るのは、赤き崩壊よりも少し後だった。赤き崩壊から逃れた俺は、もう一度ゲルビア帝国に招集された。ほとんど連行のような形でな」
赤き崩壊の後、途方に暮れていたアルドは、ゲルビア帝国兵によって捕らえられ、再びゲルビア帝国へと連行された。
そしてアルドは、新たな任務を与えられることになる。
「俺は当然しょっぴかれるモンだと思ってた。だが、ゲルビア帝国は俺を正規兵として引き入れ、次の任務を与えた……それが研究所(ラボ)の警備だ」
「研究所か……」
アルドの言葉を繰り返し、チリーはヘルテュラシティで戦ったサイラスの言葉を思い出す。
――――ゲルビアで初期に作られたエリクシアンには、研究所の連中が識別名(コードネーム)をつけている。
研究所に関して詳しいことはわかっていない。しかし断片的に得た情報から、そこがゲルビア帝国の研究施設であり、かつてラウラが所属していた機関であることは間違いない。
エリクサーはそこで生まれ、サイラス達のようなエリクシアンを生み出したのだ。
無数の命の、犠牲の果てに。
「口封じの意図もあったんだろうな。やけに高給で、行き場のなくなりかけていた俺は条件を飲むしかなかった」
赤き崩壊発生当日の作戦は、どう考えても機密だ。もしかするとゲルビアは、作戦中にほとんどの兵士が怪物の暴走に巻き込まれて死亡することも視野に入れていたのかも知れない。
結局、赤き崩壊が発生したことで全てが闇の中に葬られている。もし赤き崩壊が発生しなければ、ゲルビア帝国がどんな方法でもみ消したのか……あまり想像したくはなかった。
「……お父様がラウラさんと知り合いだったのは、そういう経緯だったのね」
「そういうことだ。俺が警備につく頃には、ヴィオラの研究はほとんど娘のラウラに引き継がれつつあった。当時はまだガキだったってのによ……ラウラ・クレインは、間違いなく天才だった」
アルドとラウラが出会った時、彼女はまだ十歳にも満たない少女だったという。そんな彼女が、ヴィオラ・クレインの研究を理解し、エリクサーの研究を引き継いでいたのだ。
「そこで俺は厭でも知ることになった。ゲルビア帝国の人体実験と、エリクサーの存在。そしてあの日の怪物の正体をな」
アルドの任務は、研究所の警備だけではなかった。
日々生まれる怪物の処分や、脱走しようとする被験者の捕獲。思い出すだけで胸の悪くなるような任務が、アルドの日常になっていったのだ。
エリクサーの失敗によって生まれる怪物は、使用されるエリクサーの濃度によって危険度が変化する。ラウラの作っていたエリクサーは濃度を薄めて成功率を高めていたため、プロトエリクサーで生まれた怪物に比べるとほとんど危険性はなかった。
呼吸し続けるだけの異形の肉塊を、アルドは何度も処分した。
「当然こんなこと続けりゃ気が触れる。ラウラもそうだった。母の研究を継いで数年、ラウラはすぐに壊れた」
幼いラウラに、研究所の惨状はあまりにも受け入れ難い。精神に異常を来すのは当然のことだ。
「毎日毎日、大釜のような魔法遺産(オーパーツ)に人間を焚べて魔力を絞り出す。どんな人間にもわずかに魔力はあるんだ。それを魔法遺産で絞り出して、液状化する。それをラウラ達が調整して、エリクサーを調合していた」
これが、エリクサーの生成方法だった。
ラウラが詳細を語らなかったのは当然だ。こんな記憶、出来ることなら一瞬たりとも思い出したくはなかったのだろう。
「……俺はもう、ラウラを見てられなかった。とっくに気の触れてる研究者達の間で、小さな女の子が毎日吐きながらわずかな正気を保っていた。そして俺自身も、ほとんど正気じゃいられなかった」
そしてアルドは、ラウラを連れて研究所を脱走したのだ。あのまま研究所にいれば、アルドもラウラも狂人になり果てるか、感情を失ったかのように淡々と職務をこなすだけの人間になっていたかも知れない。
「そして俺とラウラは研究所を脱走した……。そしてその時にちょろまかしたのが――」
言いつつ、アルドは懐から赤い液体の入った小瓶を取り出してテーブルの上に置く。それを見た瞬間、その場にいた全員がギョッとした。
「研究所にあったプロトエリクサーだ」
「な、なんてもの盗んできてるのよ!?」
カラッとおどけた調子で言うアルドだったが、その手は少しだけ震えていた。
「これを持ち出した時、俺もまともな精神状態じゃなかった。ただ、逃げ延びるのにも資金が必要だと思って、こいつを手に取ってしまった」
チリーはすぐに、それが”本物”だと理解する。
フェキタスシティでロブが持っていた偽物とは全く違う。禍々しい程の魔力が込められている……というよりは、魔力そのものが液状にされて詰められているようだった。
濃度が高く、不適合者を怪物へ変え、適合者をイモータル・セブン並みのエリクシアンに変える劇薬だ。それが今、目の前にある。
思わず息を呑んでしまう。
この感触は、あまりにも賢者の石の魔力に近い。
「……だが売らなかった」
チリーがそう言うと、アルドは頷く。
「闇市に流せば相当な金額になるのはわかっていた。だが研究所を出て、正気に戻ったんだよ……これを闇市に流すということは、この世のどこかに怪物を産み落とすことと同じだったんだ」
本物のプロトエリクサーが闇市に流れれば、必ず誰かが手に入れて使用する。生まれるのが怪物であれエリクシアンであれ、間違いなく何らかの被害が出る。
「そ、そんなもの、捨てればいいだろう!?」
「……それも出来なかった。最悪俺が使うことも考えていた。だが結局、使う勇気はおろか廃棄する勇気さえなかったんだ……今もな」
アルドが自嘲気味に答えると、シュエットはうまく言い返せずに押し黙る。
もしプロトエリクサーに適合すれば、これはゲルビア帝国に対して大きな切り札になり得る。しかし失敗すれば確実に命か人間性のどちらかを失うことになるのだ。
零か百か。表裏一体の切り札。それがこのプロトエリクサーなのだ。
「……少し話がそれたな」
そう言ってもう一度忌まわしげに小瓶を見つめてから、アルドはそれを再び懐に収めると、すぐに話を戻す。
「研究所を脱走して、俺とラウラがたどり着いたのが、当時まだ復興が進んでいなかったテイテス王国だった。俺がアグライさんや陛下、王妃殿下と知り合ったのはその時だった」
当時のテイテス王国は、赤き崩壊の爪痕が大きく残った悲惨な状況だった。
国としてはほとんど成立しておらず、ほとんど無政府状態のようなものだったという。
そのため、かつてのような入国制限は機能しておらず、アルドとラウラのような脱走者が逃げ込んでくることも少なくなかった。
「逃げ込んできた俺達の事情を聞いて、陛下は俺達を匿ってくれた……。この国も、陛下自身もかなりギリギリだったってのにな……。一生かけても返しきれない恩だ」
そうしてアルドは、テイテス王国に残って復興を手伝うようになった。
金銭的な謝礼が出来ない以上、アルドは誠心誠意を尽くしてテイテス王国の復興に力を注ぐことに決めた。
ラウラと共にテイテス王国でひっそりと暮らし、アルドは復興を進めるために毎日国王夫妻とアグライの元で働き続けた。
もっとも、ラウラは途中でラズリルの襲撃を受け、最終的には彼女と共にフェキタスシティへ逃れることになったのだが。
「だが赤き崩壊の後も、ゲルビア帝国の不穏な動きは続いた……それどころか一層苛烈になっていった。この辺りはお前らも知っての通りだ」
ハーデン・ガイウス・ゲルビアが皇帝の座に着いた後、ゲルビア帝国は大規模な侵略を始めた。
各地で魔法遺産を回収しながら、賢者の石を探し始めたのだ。
「聖杯は代々テイテス王家の王女に引き継がれる。王妃殿下からミラルに聖杯が引き継がれた以上、このままテイテス王国にいるのは危険だとアグライさんは判断した」
ゲルビア帝国が各地をくまなく調べ上げれば、何らかの手がかりから聖杯の所在について突き止める可能性がある。その時、テイテス王国にまだ赤子のミラルが居続けることは極めて危険だった。
「だからアグライさんは、俺にミラルとブローチを託したんだ」
ミラルを危険から遠ざけるため、アグライはアルドにミラルとブローチを託した。いずれそのブローチが、彼女の身分を証明することを信じて。
そしてアルドは、ミラルに絡みついた宿命を少しでも解くため、エリニアシティに居を構えたのだった。
「これが俺とミラルがエリニアシティで暮らすようになるまでの一連の経緯だ」
長い話を終えて、アルドはようやく一息つく。ここに至るまでにかなりの苦難があったが、今は無事にこの地でミラルやアグライと再会出来たことに心底安堵した。
「……つまりこの子は、マジで正真正銘テイテス王族の最後の一人ってワケね」
シアはそう言いつつ、ミラルをまじまじと見つめる。シアからすれば田舎娘に見えるが、出自は純血の王族だ。人の雰囲気を形作るのは、血よりも育った環境なのだろう。
「ミラル様がこの地に戻られて、陛下と王妃殿下もさぞお喜びでしょう……」
「……うん」
ミラルには、両親の顔を思い浮かべることさえ出来ない。ミラルにとっての父親は、やはり育ての親であるアルドなのだ。その認識は変わらないだろう。
しかし、この地で両親に育まれ、生まれたことは事実だ。この世に生を受けたことを、ミラルは静かに感謝した。
「このアグライ、長らくこの地を陛下の代わりに治めて参りましたが……ようやく肩の荷を少しだけ下ろせますな」
「え?」
「ミラル様、あなた様こそが……テイテス王国の次代の女王陛下でございます」
アグライの言葉に、ミラルは一瞬頭が真っ白になった。