テラーノベル
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上司 : 藤澤 、 大森
部下 : 若井
全体的に R15
定時を過ぎたフロアは、静かだった。
キーボードの音も消えて、
照明だけが、仕事の続きを許しているみたいに点いている。
「若井」
背後から名前を呼ばれて、
若井は思わず背筋を伸ばした。
振り返ると、藤澤が立っていた。
ネクタイを少し緩めて、
昼間より、ずっと柔らかい顔
「……お疲れさまです」
「まだ帰らない?」
「キリのいいところまで」
そう答えると、藤澤は少し考えてから言った。
「じゃあ、僕も」
それだけの会話なのに、
心臓が、無駄に鳴る。
上司と部下。
それ以上でも、それ以下でもないはずの関係。
……昼間は。
資料をまとめていると、
藤澤が若井のデスクに近づく。
距離が、近い。
「ここさ」
画面を指差されて、
若井は椅子ごと少し横にずれた。
肩が、触れる。
一瞬。
でも、確実に。
「……あ、すみません」
若井が言うと、
藤澤はすぐに一歩引いた。
「いや、こっちこそ」
声が、低い。
沈黙。
仕事の話に戻ろうとして、
戻れない。
「若井」
今度は、仕事じゃない呼び方だった。
「最近、無理してない?」
その問いに、若井は一瞬、言葉を失う。
上司としての気遣い。
そう分かっているのに、
なぜか、胸が熱くなる。
「……大丈夫です」
藤澤は、若井をじっと見る。
「嘘つくの、下手だよ」
定時後のオフィスは、
秘密を作るのに向きすぎている。
藤澤は、声を落とした。
「上司として言うなら、
ちゃんと休め、なんだけど」
「個人的には、 少し心配」
その言い方が、ずるい。
「……藤澤さん」
若井が名前を呼ぶと、
藤澤は、はっとした顔をした。
呼ばれ慣れてるはずの名前なのに、
今は違う意味を持ってしまう。
「距離」
若井は、正直に言う。
「近いです」
藤澤は、すぐに後ずさる。
でも、視線は逸らさない。
「ごめん」
そう言いながら、
どこか名残惜しそうだった。
「今日は、もう上がろ」
藤澤が言う。
「送る」
「え」
「終電、遅いでしょ」
上司としては、正しい。
でも、
それだけじゃない空気がある。
エレベーターを待つ間、
二人は並んで立つ。
触れない。
でも、離れない。
「若井」
扉が閉まる直前、
藤澤が小さく言った。
「これは、
上司の立場としては、言えないんだけど」
若井は、息を止める。
「定時後に、
君の名前を呼ぶの…… 結構、危ない」
エレベーターが動き出す。
逃げ場は、ない。
でも、
まだ、
越えてはいない。
next …
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