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1.チョコレート
「ハァ!?バレンタイン!?」
院瀬見が突然机をバーン勢いよく叩く。
「院瀬見先輩知らんの?好きな人とか友達とかに女の子がチョコやるって…」
今日は少し肌寒い。街は知らない間に”バレンタイン”というもので賑わっていた。今までそんな風習に全く縁のなかった院瀬見は乗り気でない様子だ。
「なんで男しかもらえねぇんだよ」
「そんなん知らんわ」
「参加しねぇからな私、そんな勝手に作られた風習なんて従わねぇからな」
院瀬見はそう言い、リヅに背を向けておもむろにパソコンのキーボードを叩いた。その頑固さにリヅは小さくため息をつく。
「…そういえば海は?」
ふと、リヅは辺りを見回した。いつもリヅにくっついて行動しているはずのイサナがいない。言えば朝からいない気がする。
「知らねーよ。トイレじゃねーの?んなことよりリヅお前これ手伝えよ」
「手伝っとるやないかアホ!」
リヅは院瀬見の隣に座った。
2.誰かへの贈り物
「…なぁ」
ふいに、キーボードを打つ院瀬見の手が止まった。
「あ?」
「お前、誰かにあげんの?バレ…なんとか」
突然真剣な口調でそう聞かれ、戸惑いながらもリヅ少し黙って考える。
しばしの沈黙の後、口を開いた。
「…まぁー…はい」
「嘘だろ!?お前好きな奴いんのかよ!?」
リヅの返答に被せるように言い、とてつもなく驚いた様子で院瀬見がグッと近づく。
「あぁぁ今そんな話関係ないやろ!!さっさとこれ終わらせようや!」
「元はお前が切り出したんだろうが…」
リヅに無視された院瀬見は、再びキーボードを打ち始めた。
すっかり日が暮れてきた。冬の日の短さを改めて思い知る。
「んじゃ、お疲れ様でーす」
「気ィつけて帰れよ」
院瀬見は暗くなった外でリヅに軽く手を振った。本部の前で分かれ、それぞれの道筋を辿る。
「あ、そうだ買い物…」
夕飯の材料がなかったことに気がついた院瀬見は、予定していた進路を変え、近くのスーパーに寄ることにした。
3.想いを伝えて
(…バレンタイン、ねぇ…)
必要なものをカゴに入れながら考える。今まで全く目を向けていなかったから気づかなかったが、よく見れば店にも大量にチョコレートが置いてある。
「菓子作りなんてカザメとやって以来だな…」
目の前にあるチョコレートは、幼き日の弟との想い出を想起させた。
(カザメ……)
自分で考え出したくせに。やはり弟を思うと、忌まわしきあの日まで一緒に思い出される。
自分が守らなかったせいで、弟は悪魔に殺された。もし今も生きていたら、どれだけ自分の人生は明るかっただろう。
弟に「あるはずだった当たり前の幸せ」を経験させてあげられなかったことを悔やみ、常に自分自身を責め続ける院瀬見はついに思い立った。
そして、手作り用の大きなチョコレートを一つ、カゴへと入れた。
4.守りたいから
翌日。カレンダーには「2月14日」の印刷がでかでかと載っている。
院瀬見はいつもよりほんの少し早く家を出た。
「早川。おい、早川」
そして、廊下からほんの少しだけ顔を出し、同僚である早川アキを手招きで呼んだ。
「ほらよ」
院瀬見がリュックからチョコを出した。
「…なんだこれ」
「チョコだけど」
「それは見れば分かる。どういう風の吹き回しだ」
アキは院瀬見の手にあるチョコをまじまじと見つめた。
「バレンタイン。どーせ誰からももらえねぇんだろ?」
「…何かの冗談か?」
アキが院瀬見を見る目を細める。疑っている。明らかにイタズラを疑っている。
「社交辞令だよバカ。受け取らねぇなら材料費取るからな」
「無理やりかよ…」
他の誰かが言えば冗談で済むような脅しすらも、院瀬見なら本気でやりかねない。そう判断したアキは仕方なく院瀬見の手からチョコを受け取った。
「じゃ」
早々に切り上げて自席に戻ろうとする院瀬見に、アキが「なぁ」と声をかける。
「…なんで俺なんだ。他にも欲しがってる男はいるんじゃないのか」
「…? いや、お前にあげねぇと姫野が報われねぇだろ?」
「はぁ?」
アキは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。どうやら院瀬見の言葉は本音のようだ。その中に恋愛云々の感情は1ミリも含まれていない。
何を聞くんだコイツは、と呟く院瀬見。
そのすぐ隣を、イサナがすれ違った。
「!? イサナ!?お前昨日何して…!」
何事もなかったかのように歩き回るイサナを呼び止めようとして、でもやめた。
「どないしたん?」
声を聞きつけたリヅが廊下にひょこっと顔を出した。院瀬見は黙ってイサナを指さす。
「え!?」
イサナがチョコを渡そうとしていたのは、なんと天使の悪魔だった。
「嘘だろ…!?」
あまりに予想外すぎる出来事に、院瀬見の顔には薄く笑みが浮かんでいる。
「……」
イサナは天使に無言のままチョコを差し出した。
「…くれるの?」
「……」
それに気づいた天使は振り返る。返事はない。
「…よく分からないけど…ありがと。もらっとくね」
天使はイサナに直接触れないよう、静かにチョコを受け取った。
「…なんでアイツなんも喋ってねぇのに通じてんだ…?」
「さぁ…」
院瀬見とリヅはそのすぐ後ろから、イサナの様子をじっと見つめていた。
「そういやリヅ、お前結局誰に送るんだ?」
思い出したように聞く院瀬見に対し、リヅの心臓が跳ね上がる。
「…それ…言わなあかん?」
「あかん」
リヅはどはぁとため息をつく。照れるあまり顔を真っ赤にし、そっぽを向き、そして小声で呟いた。
「…黒瀬さん」
「黒瀬ェ!?!?」
またも予想外すぎる答えを聞いた院瀬見は、思わずどデカい声で反復した。近くにいた大勢が一斉に振り返る。
「…ぶん殴りますよ…」
「わりィ。え、黒瀬って京都の…?」
「まぁ…」
驚いた。リヅが黒瀬をそんな見方をしていたなんて思ってもみなかった。
そういえば、前にリヅが黒瀬と握手した時もリヅの顔は真っ赤になっていた。院瀬見こそ気づかなかったが、思えばあの時から既に気になっていたらしい。
だがそこで、院瀬見は違和感を持った。
「あれ…黒瀬って確か…」
先の言葉を制するように、ゴホンと近くにいた暴力の悪魔が咳払いをした。
「暴力…」
暴力は何も言わず、そのまま遠くからリヅを指さす。
暴力の意図にハッと気づき、気を利かせた院瀬見は出す予定だった言葉を飲み込んだ。
リヅはその暴力に気づいていないのか、そのまま何か考えだした。
「でもどないしよ…京都からわざわざ来てもらう訳にもいかんし…」
悩める乙女と化したリヅを一目見て、院瀬見は何かを思いつき、人差し指を立てる。
「…んじゃあ、これはどうだ?」
5.その後の話
バレンタインが過ぎてしばらく経った。
イサナが犯した謎の無断欠勤事件も詳細が明かされた。実はあの日、天使に渡すためのチョコレートの材料を買った後に、途中の道で迷子になって仕事に来れなかったらしい。結果、イサナは一人での外出禁止令を言い渡された。
1人で身の回りのことがまだできないイサナは、今はリヅの家に勝手に上がり込んでいるんだとかいないんだとか。
そして肝心のリヅのバレンタインだが、後日院瀬見とリヅが京都公安1課宛に小包を送った。院瀬見は天童・黒瀬に友達として、リヅは相変わらずの悩める乙女の顔をしながら(ただ小包に入れるだけなのに)。
そして、またしばらくしてから手紙が返ってきた。
『チョコおおきに』と、それぞれの直筆でメッセージが書かれた写真が入っていた。天童曰く、黒瀬はいっぺんに2人からもチョコレートをもらえて嬉しがっていた、とのこと。
生まれて初めてバレンタインを知った院瀬見と、悩める乙女リヅ。
2人はイサナを連れ、また新たな任務へと向かっていった。