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「ああ!月子は、足を怪我しているんだった!」
車の中を覗きながら、岩崎は、大きな声を張り上げる。
そして、
「すまん。しばらく、こちらに合わせてくれ」
と、月子に、こっそり言うと、有無を言わさず抱き上げ、車から降ろした。
「御母上は、もう暫くお待ちを。すぐに終わりますので」
月子の母へ、申し訳なさそうに岩崎は言うと、月子を抱き上げたまま、何故か、玲子の側へ行った。
「すまんな、一ノ瀬君。こうゆうことだから、合奏どころではなく、個人レッスンも、無理だろう?」
言われた玲子は、意地悪く目を細める。
「先生、その方と、お見合いを?どちらの女中さんですの?」
そんな、みすぼらしい格好で見合いなど、と、玲子は、あきらかに、月子を見下している。
「ああ、それは、こちらの手違いなのだよ。お嬢さん。京介が、日時を間違えてね。月子さんに、急遽いらしてもらったから、身支度する暇もなかったのだ」
男爵が、笑いながら言った。そして、
「こちらの月子さんは、帝都でも有数の材木商のお嬢さんだ。しかも、感心なことに、店の裏方、つまり、人夫や、出入りの職人達の世話を行っている。つまり、店をしっかり、守っているのだよ。それぐらいの、働き者、そして、気丈さがないと、うちの、京介の相手などできやしない。支度をすると、言われたがね、普段の姿が、私は見たかった。そうだろ?一緒に暮らすことになるんだから、気取った姿ではなく、素顔、と、言うものが、誰しも見たいと思うものだ」
と、何のことやらと思ってしまうような事を、いけしゃあしゃあと言う。
「そうそう!着飾って、本性を隠すご令嬢もいますからね。私も、京一さんのお考えに賛成したの。普段着ですからと、恥ずかしいと、恐縮されていたけれど、その、普段着というのが、また、質素で良いじゃない?どちらへ、お出かけ?って、くらい着飾っているお嬢さんが、いらっしゃるけれど、そんな方では、とても、京介さんを支えることなどできやしない。何しろ、教鞭に、演奏会にと、飛び回っている訳でしょ?月子さんなら、家をしっかり、守れるわ!」
芳子も、取って付けたようなことを言った。
「ああ、私も、月子だ。月子しかいない、と、一目見て思いました。兄上」
岩崎までも、どこか調子に乗っていた。
皆、口々に、月子を褒め称えつつ、チラチラ玲子を見ている。
「おお!そうだ!私の不注意で、月子は、足を挫いてしまった!なんたること!私は、一生、月子の足になろう!」
「まあ!なんてことかしら!足を!そうね、京介さん、あなたは、月子さんと、一生添い遂げないといけないわっ!」
嘆き、決意を表明する岩崎へ、芳子が煽るが、さすがに、男爵は、この茶番に堪えきれなくなり、吹き出した。
すかさず、芳子が、コホンと咳払いする。
と、同時に、堪えきれないのは、玲子も同じようで、みすぼらしい、木綿の着物姿の月子が、何故、誉められるのかと、苛立っている。
「わかりましたわ。お邪魔な様ですから、私は、帰ります。ですが、その様なご事情なら、なおのこと、岩崎先生?記念の演奏をぜひ、私と!お考えくださいませ!」
玲子は、嬉しげな口調で言うと、一礼し、立ち去ろうとしたが、
「月子様とおっしゃたわね。これから、お邪魔すると思いますが、私にも、お茶を入れてくださいましね」
ふふっと、意地悪く笑うと、何食わぬ顔で、去って行った。
もちろん。怒りの声をあげたのは、芳子で、それを、男爵がなだめつつも、結局、一緒になって、玲子の態度に文句を言い始める。
「すまなかった。余計なことに付き合わせてしまい」
岩崎が月子へ詫びる側から、芳子が、玲子憎しと、愚痴りつつ、
「京介さん!それじゃあ、月子さんと暮らすのね。あなた、月子しかいないと言ったわよね!」
「うん、私も聞いた。そして、見合いの話を、進めて良いと了解したと見たが?」
男爵夫婦の言葉に、えっ、と、月子が驚いた。
「ほ、ほら、芝居は、もうやめにしないと、彼女も驚いています」
岩崎も、ばつが悪そうに、眉をしかめて言う。
「何が芝居?!とにかく!京介さん、あなたは、言ったのよ!男に二言は、なしでしょ?さあ、いまから、同居なさい。いえ、もうね、夫婦になっておしまいなさいな!」
おお、それは良い。などと、芳子の言い分に、男爵も頷いている。
「あの!同居は、まだよしとしても、夫婦にって言うのは、行き過ぎでしょう?!」
はいはい、同居は、よろしいのね、と、岩崎は、芳子に揚げ足を取られる。
男爵も、ニマニマ笑っている。
あっ、と、岩崎は、息を飲み、乗せられてしまったと後悔するが、すでに、遅し。
男爵が、おーい、と、門扉を閉めようとしていた、使用人を呼んで、二人の部屋を用意するようになどと言っている。
その、あまりの手際のよさに、岩崎も、月子も、何も言い返せなかった。