第六話 甘い時間
朝の光が届かない地下室で、晴明はゆっくりと目を開いた。
室内は静かで、時間の流れさえ止まってしまったように思える。
だが、扉の下から差し込むごく薄い光の色だけで、
“朝になった”ということがわかるようになってしまっていた。
明が出勤する午前7時――
晴明の一日はそこから始まる。
階段を下りる足音。
それだけで胸がきゅっと締めつけられる。
怖いはずなのに、どこか安心してしまう自分がいる。
「行ってくるね、お兄さん♡
いい子にして、待ってて?」
扉越しに聞こえる声は優しくて、甘くて、
その甘さが逆に逃げ道を塞いでいた。
「……行かないで……」
言葉は小さすぎて、明には届かない。
でも自分にははっきり聞こえた。
明が扉を閉め、足音が階段を上がっていく。
その音が消えるたび、晴明の胸の奥に
寂しさと恐怖が混ざった感情が沈む。
昼頃になると、スリットがカタンと音を立てた。
そこに置かれたのは、簡単な食事。
前日の“食事抜き”の辛さがまだ身体に残っている。
その反動で、差し出されたご飯がやけに温かく見えた。
「……ちゃんと……食べなきゃ……」
箸を持つ手がかすかに震える。
食べないと、明が悲しむかもしれない。
怒るかもしれない。
それが怖くて、晴明は一口、また一口と口に運んだ。
食べ始めた瞬間、静かな部屋に声が落ちてくる。
――お兄さん、えらいよ。ちゃんと食べてるね♡
スピーカーのライトが点滅する。
「……見てたの……?」
――全部見てるよ。お兄さんの一日の全部♡
僕がいなくても、ちゃんと僕を感じられるようにね。
晴明の背筋を冷たいものが走る。
でも同時に、胸の奥に小さな安堵が灯った。
見られているという安心感。
逃げられないという絶望と一緒に、縛りつけてくる。
「……そんなこと、しなくても……」
――必要なんだよ。
お兄さんはひとりだとすぐ不安になるから♡
甘い声。
優しい声。
それなのに支配しか感じられない。
午後。
晴明は部屋の隅に移動し、膝を抱えた。
逃げたい気持ちが、時々ふっと浮かぶ。
でも同時に、逃げたら――
明が自分をどう思うのかが怖くなる。
「……逃げても……また捕まるだけだよ……」
声が消えるように呟かれる。
本当に逃げたいのか、
それとも“捕まえてほしい”のか、
自分でもわからなくなっていた。
――お兄さん、今日は落ち着いてるね。
突然声が落ちてきて、晴明の肩が跳ねた。
「……っ、明くん……?」
――大丈夫だよ。
お兄さん、僕が見てると思うと動けなくなるんだね。
それ、とっても可愛いよ♡
涙が滲む。
怖いのに、心がじわりと温かくなる。
その温かさが、何よりも恐ろしい。
夕方。
階段を下りてくる足音がした瞬間、
晴明の体は条件反射のように震えた。
恐怖と期待が混ざる。
嫌なのに、心が明を求めてしまう。
――ただいま、お兄さん♡
扉が開く音。
明の姿が影になって晴明の視界に差し込む。
その瞬間、体の力が抜けた。
「……明……くん……」
名前を呼んだ自分の声が、ひどく弱くて情けなかった。
でも、明は優しく微笑む。
「今日はよく頑張ったね。
僕がいない間、ちゃんと“僕のためだけ”に時間を過ごせた?」
「……わかんない……
でも……明くんの声が……聞こえて……
それで……」
「それで、寂しくなった?
それとも安心した?」
胸が痛む。
どちらも正解だった。
「……どっちも……だよ……」
明が目を細めて、ゆっくり近づく。
指先が晴明の頬に触れた。
「ねぇ、お兄さん♡
こうやって僕の言葉に揺れてくれるの……すごく嬉しいよ。
逃げようともしないで、ただ僕を待つだけの時間……
お兄さんはもう、それが“当たり前”になってきたんだね」
「……やだ……そんな……言わないで……」
「ふふ……
でも、お兄さんの体も心も、もう“ここ”に馴染んできてるよ。
僕なしじゃ、何もできないくらいに♡」
その言葉に晴明は涙を落とした。
否定しようとして、少しだけ口を開く。
でも、言葉は出ない。
明はそっと、涙を指で拭った。
「大丈夫。
壊れるのは、これからだから♡
ゆっくりね……お兄さん」
夜が静かに降りる。
地下室の薄闇が、今日も晴明を包み込んだ。
コメント
2件
完全に晴明君、明くんの事を求めてきちゃってる…どんどん晴明君が壊れて行くの自分も楽しみにしてしまっているグ腐腐腐腐ww 明くんはいつでも見てるし晴明君はそれで安心してきちゃってるどうなる晴明君 続き楽しみにしてます!