テラーノベル
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了道にそんな迷いがあるからこそ、いま葛西組は相良派と三枝派に分かれて両陣営が日和見の重鎮たちを相手に、票集めに奔走している、ゴタゴタの真っ最中だ。
幹部会までにはまだ間があるが、果たしてそれで相良が組長に選ばれた場合……それは本当にあの男自身の幸せなのだろうか? とも思ってしまう了道である。
相良がこの世界に足を踏み入れた、のっぴきならない事情の元凶となった、彼の母親はすでにこの世にいない。
もしも相良京介をこの世界に引き留めているものがあるとすれば、それは了道への義理と、彼が抱えている相良組の面々に対する情に他ならないだろう。
相良京介は漢気もあるし、義理も筋も通す男だ。喧嘩も強いし、頭も切れる。――だが、あの男は根が〝優しすぎる〟のだ。
それが、極道には致命的になりかねないと、了道は相良をこの組に入れたときからずっと、懸念している。
「……」
返事のない相手に、了道は紫煙のくゆる葉巻を指に挟んだまま、自らのグラスを干した。
そうして新たな葉巻を手に取ると、懐から銀製のカッターを取り出す。慣れた手つきでカッターを使って葉巻の先端を切り落とすと、反対側をトーチライターの炎で炙った。静かに揺れる炎の上で、炙られた先端がじりじりと色づき、やがてオレンジに染まる。
何度か軽く息を吹きかけ、煙が立ちのぼったのを確かめてから、深く火を引き込むと、新たな紫煙が応接室のなかへ濃く漂い始めた。
それを無言でしばし見詰めていた栄蔵が、ようやく口を開く。
「その、相良京介のことで、ひとつお願いがあります」
その言葉に、了道の目がわずかに動いた。
「なんだ?」
「大したことではありません。〝このままでいい〟と、彼に思わせないで頂きたいのです」
それ以上は言わなかった。言葉を続けることもせず、意図を明かすこともない。
だが、了道には栄蔵の言わんとしていることの真意が伝わっていた。そもそも栄蔵に対して相良の名を出した時点で、大体のことは分かっていたのだ。
二人の間には、それだけの年月と信頼がある。
「……引き受けた。だが、タダってわけにゃーいかねぇな?」
ぽつりと返された一言には、幾つもの意味が込められていた。
これ以上の言葉は不要だと判断した栄蔵は、ただ一礼する。
「謝礼は十分に」
了道は葉巻をくるくると回しながら、ふっと視線を斜めに逸らした。
「……お前、変わんねぇな。昔っから、大事なトコは口にしねぇ」
「言わなくても、伝わる相手にだけ伝わればいいんです」
「ふん……。相変わらず可愛げのねぇ男だ。けど……まあ、そういうトコも嫌いじゃねぇよ。……ったく。昔っから、お前とは口数少ねぇくせに話が通じてイヤんなる」
了道は葉巻を咥えたまま、ふっと息を吐き――。
「で、これは……なんだ? 〝密約〟ってことでいいのか?」
冗談めかした口調とは裏腹に、了道の目は決して笑ってはいなかった。
静かに、応接室に沈黙が降りる。
鷹槻れん

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#極道
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月詠 涼
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だが、その沈黙は――重い何かを孕んでいた。
その日、二人の男の間で交わされた会話の内容を、他の誰も知らない。
***
その日の夜、熱を出した芽生を看病していた相良京介は、葛西了道から突然の呼び出しを受けることになる。
理由も告げられず、ただ「話がある」とだけ伝えられて――。
***
年末、インフルエンザで寝込んでいた芽生を看病しているときにも葛西組のオヤジ――葛西了道から呼び出された京介だったが、それから数日後。
芽生がようやく回復したのを機に相良組の面々や、悪友の長谷川将継とその恋人の朧木静月らを呼んで数日遅れの誕生日会兼クリスマス会をした次の日の夜のこと。またしても了道から個人的に呼び出しが掛かった。
場所は前回と同じく了道の自宅。だが、部屋は前回のように和室ではなく防音仕様の応接室――洋間――で、京介ひとりで来るようきつく言い渡された。
了道が芽生との交際に釘を刺してきたのは、ほんの数日前。「堅気の女は極道の足を引っ張る」と、かつて千崎にもしたように、自らの〝推薦〟する組の息が掛かった女との縁談をちらつかされ、圧をかけられたのを思い出した京介である。
京介は了道の言葉に、切り殺されることを覚悟して芽生以外の女を娶るつもりはないと宣言した。
了道にとって、あの斡旋は試金石だったんだろう。葛西組の若頭として、京介が極道らしく筋を通すか、それとも、己の気持ちを貫いて、一人の男としての情を取るか。
いずれにしても、あの時点で〝器〟を見極められていたのだ。
あの時は「そうか」とだけ告げて引き下がってくれた了道だったが、逆にそのことが不気味にさえ感じられたのを覚えている。
あれから数日。いよいよ沙汰が下されるんだろう。
そう思って覚悟をしていた京介を、了道は存外穏やかな表情で迎えてくれた。
「相良よ、よく来たな。――まぁそこ、座れや」
葛西了道という男は、構成員の不義理に寛容な人間ではない。そのことを知っているのに、自分の目の前へ座るよう促してきた了道からは、不思議と怒りのような感情は感じ取れなかった。
こういう渡世に長いこと身を置くうち、京介は相手の想いを〝気〟のようなもので敏感に察知できるようになっていた。当然了道に怒りや殺気のようなものが少しでもあったなら、了道がそれを隠そうとしていたとしても何となく感じ取れるはずだが、それがない。
そのことを不思議に思った京介だったのだが、すぐさまあの日の問いは了道から自分への〝試し〟だったと思い至った。
(……あの質問をしてきた時にはすでに、了道の中では答えが出ていたってことか?)
それでも即日には下知がなく、こうして数日後に再度呼び出されたということは、了道の先に誰か別の人間が噛んでいるのかも知れない。
なんとなくその相手があの〝タヌキ爺〟な気がしたのは、了道とその男の年齢が近いことに気が付いたからだろうか。
二人とも地元を離れてどうこうしているわけではない男達だ。どこかで接点があったとしても不思議ではない……と今さらのように気が付いた。
そんなあれこれに思いを巡らせる京介を、了道がじっと見詰めている。
おそらく今夜、あの時告げられなかった〝処分〟が、了道の口から告げられるのだろう。
応接室は程よく暖房で温められていたが、了道から漂う気配のせいだろうか。体感温度がかなり低く感じられる。
そんな中、京介は微動だにせず目の前のオヤジを見つめた。
しばしの沈黙ののち、了道がいつものようにどこか静かに、余裕すら感じさせる声音で言葉を紡ぎ始める。
「……相良よ、お前、前に俺がいい女ぁ紹介してやるつったのに突っぱねて堅気の女を選んだよな? あの気持ちに変化はねぇか?」
その口調には怒気も詰問の調子もなかった。ただ、京介の返答が変わらないことを分かっていて、すべてを見透かした上であえて問うているような気配だった。
「ありません」
「そうか。若ぇ頃の俺だったら、お前をぶん殴っていたかもしれねぇな」
わざと冗談めかして笑う了道に、京介は言葉を詰まらせる。
「けどよ……」
言って、了道は懐から銀製のカッターを取り出して、机上に置かれた深い赤褐色の木目が美しいマホガニー製の箱へ静かに手を伸ばした。
金具をカチリと外し、蓋を開けると――ふわりと鼻腔をくすぐる、甘く湿った香りが室内に漂う。
中には整然と並ぶ葉巻の列。一本、一本が丁寧に揃えられ、まるで工芸品のような佇まいをしていた。
了道はその中から、ひと際色味の濃い一本を無言でつまみ上げると、己の肌でその温度と柔らかさを確かめるように、親指と人差し指でそっと転がす。
手にしたカッターで先端を落とすこともしなければ、火をつける様子もない。ただ手持ち無沙汰のようにそれを弄びたいだけみたいだった。
「……あれから考えたんだ。今まで俺に逆らうことなんてなかったお前がそうまでして守りてぇ女ってのは、どんなもんなんだろうってな」
「……」
「で、今夜はその〝答え〟を渡しに来た。――お前は、組を継がなくていい」
静かに、けれどはっきりと、了道が言葉を紡ぐ。
「葛西組は三枝に任せる。お前にゃー相良組を……てめぇ自身でケリつけてもらう」
言葉は厳しいのに、表情は柔らかい。了道はそこでわずかに口元を緩めると言い放った。
「……堅気に戻れや、相良。俺との義理を捨てた代償が、それだ」
不意を突かれたように京介が瞳を見開く。
「オヤジ……。それは……破門、ってことですか?」
「俺の気持ち的にはな。けど……表向きは絶縁って措置にするつもりだ」
了道はあっさりと、そんなとんでもないことを言う。
破門は謹慎処分に近いので、まだ復縁の余地がある。だが絶縁となると金輪際極道の世界には足を踏み入れられないということを意味する。それは、葛西組はもちろんのこと、相良組にも……また他のどんな組織にも京介の居場所はないと言われたも同然の宣告だった。
「けど……オヤジ……」
「お前が足洗うっつったら、てめぇの女はむしろ喜ぶと思うがな。――違うか?」
眉をあげ、問い返されて京介は唇を噛む。
「――その通りです」
「だったら黙って受け入れろ。これは〝罰〟じゃねぇ。お前が選んだ女と一緒に生きていくための、俺からの贈りもんだ」
そして最後にこう締めくくる。
「……お前に、もう一度『極道に戻りたい』って言わせるような生き方はさせたくねぇんだよ。分かるな?」
京介は、胸の奥に熱い何かが込み上げてくるのを感じながら、深く、深く頭を下げた。
***
「……さて、と」
相良京介を送り出したのち、葛西了道はソファの脇に置かれたマホガニーの葉巻ケースに目をやった。
先ほど相良と話していた際、一度はケースから出してみたものの、結局は手持ち無沙汰に弄んでいただけの葉巻をケースに戻すと、銀製のカッターも懐へ仕舞う。
今は、葉巻を吸いたい気分でもなかった。
——こっちからはもう、相良を送り出した。あとは、田畑がそれをどう受け取るかだ。
了道は着信履歴をたどり、田畑栄蔵の番号を押すとしばらくの間、呼び出し音を聞く。
着信音が五回鳴ったところで、通話が繋がった。
「俺だ。お前との密約の件、全部片ついたぞ」
『――で、どうなりましたか、先輩』
受話口から聞こえたのは、栄蔵のしわがれた声だった。
意識が逸れていたのか、あるいは気が緩んだのか。ふと昔の呼び方を口にした栄蔵へ、了道は思わず噴き出してしまう。
実は自分と栄蔵は同じ中学で、柔道部の先輩後輩だった。礼儀も上下関係も厳しい部だったが、当時からその空気は結構肌に合っていた。
卒業後は別々の道を歩んだものの、大人になって再会してからは妙にウマが合い、若い頃はよく二人で酒を酌み交わしたものだ。
「オイオイ、お前にそう呼ばれんの、懐かしいな」
了道の笑いを含んだ声音に、ハッとしたように栄蔵が『すみません、つい』と謝罪する。
「構わねぇよ。俺も、一個人としてこの話をお前にしてぇ」
その言葉に、栄蔵が息を呑んだのが分かった。
「田畑よ。……相良は、お前の孫を取ったぞ? だから俺はお前との約束通り、ヤツを〝こっちの世界〟から追放することにした」
電話口の向こうで、一瞬の沈黙が返る。
『……そう、です……か』
「俺は結論を出したぞ、田畑。――お前はどうするつもりだ?」
『わたしは……』
その先の言葉を口にしないまま、栄蔵が短く息を吐く。
その呼吸を受けて、了道がわざと軽い口調で言った。
「まさかこっから先は、〝秘密〟ってか? 俺にここまでさせといて水臭ぇ男だな」
冗談めかして言った了道の言葉に、電話の向こうで栄蔵がふっと笑う。
『慈善事業ってわけじゃなかったでしょう。わたしはそれなりに貴方へお礼をしましたよ? それに……わたしからどうこう言わなくても、そちらへ筒抜けになるのを知らないとでも?』
「……フン。お前は相変わらず、可愛げがねぇな」
(俺が田畑の身辺を調べさせたことなんざ、孫の件を出した時点でお見通しって牽制か)
そうでなくちゃ面白くない。
タヌキとキツネの化かし合い。そんな関係が築けるからこそ、田畑栄蔵とは縁が切れないでいられる。
『お互い様です』
そんなことを思った了道は、電話口から聴こえてきた吐息交じりの声に、薄く笑みを刻んだ。
コメント
2件
破門と絶縁の違い。 そうなんだ!と思って読みました。 知らなかった! とそれはさておき、オヤジさんからの絶縁、絶対に京ちゃんへの贈り物ですよね! めいちゃんが大企業の社長の血縁となると、極道のままでは色々問題ありそうだし。
読み終えました……この話、めちゃくちゃ重くて静かで、すごく好きです。 了道が京介に「堅気に戻れ」って言ったの、あれ絶対「罰」じゃなくて「贈り物」なんですよね。厳しい言い方の奥に、ちゃんと京介の幸せを考えてる了道の優しさが沁みました。あと、栄蔵との通話で「先輩」って呼び方出てきたの、思わず笑っちゃいました。ずるいですよね、こういうギャップ。 伏線の回収の仕方、丁寧で本当に読んでよかったです。続きが気になります……!