テラーノベル
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言葉の重みに反して、凪の声は透き通っていた。
「離縁……」
意味を飲み込めず、将臣はただ繰り返す。
凪の口から吐き出されたとは思えない言葉を──。
「将臣様はもう、重荷を背負う必要はなくなりました」
穏やかな表情の凪を、将臣は息を止めて見つめる。
「……何を……言い出す?」
「私は麒麟堂を継ぎます」
凪の表情は晴れやかだった。
「なぜ……」
将臣は呆然として、次の言葉が出てこない。
(なぜ、私の元から離れる必要があるのか)
迷いのない凪の眼差しが、将臣の胸をざわつかせる。
(凪が……手の届かない場所へ行ってしまう⁈)
書類を掴んでいた指先が、一気に冷えてくるのがわかる。
「将臣様にいただいた勇気で自分で決めました」
凪はゆっくりと、だが、はっきりと言う。
「どうか、もう私にお気を遣わず、安藤家のためにご栄転をお受けください」
重要な決断を冷静な言葉で伝えてくる凪に、将臣の頭に血が一気に上った。
(一人で決めることではないだろうっ!)
「私は頼んでいないっ。勝手に私の幸せを決めるなっ!」
凪の肩がびくりと揺れる。
一瞬、沈黙が落ちる。
「……私が……私が凪を選んだんだ!!」
将臣が机を手で強く叩く。
凪は強く眉を寄せた。
「私はっ、救えなかった兄の代わりなのでしょう?」
将臣の目が一気に開く。
「代わりではないっ!」
「ではっ、なぜ私をっ?」
凪の声も荒くなる。
将臣の拳が、再び激しく机を殴りつけた。
「初めて会う前からっ……お前を迎えると決めていた!!」
凪の喉がゴクリと鳴る。そして、静かに目を細める。
「将臣様は……お優しい方です。……もう、あなたを苦しめたくはないです」
「違うっ!!」
将臣は頭を激しく振り乱した。そして、はっとする。
(私が何を言っても、言い訳になる……!)
縋るように、凪を見つめた。
(桐谷の死の真実をっ……凪に!)
目を伏せ、将臣は拳を握り潰さんばかりに握った。
(怖いのかっ! ここまで来て!!)
奥歯が折れるほど噛み締め、固く握りつぶした拳が震える。
「将臣様が望む方へ進んでください。もう、あなたは自由です」
凪はそっと踵を返す。その動きには、一切の迷いはなかった。
去っていく背中に、将臣は己の弱さに激しく苛立つ。
「……私は、卑怯者だっ……!」
「もう、誰もあなたを責めてなどいません!」
凪は悲しい顔をして、そのまま部屋を出ていく。
「待ってくれ……っ! 行かないでくれ、凪っ!!」
将臣はもつれる足で立ち上がると、凪の後を追った。履物も履かず、足袋のまま外へと飛び出していく。
すぐに追いつき、将臣は後ろから凪の腕を強く掴んだ。そのまま、勢いよく胸の中へ抱き寄せる。真っ白な足袋は、泥に染まっていた。
「将臣様……っ」
凪はなされるがまま、将臣の強い腕の中に閉じ込められた。息が止まる。
将臣が短く速い呼吸を繰り返すと、凪の胸が潰れそうになる。
「逃がさん……絶対に、手放すものか……っ」
言葉にならない掠れ声とともに、将臣の手が凪の後頭部を包み込み、引き寄せる力が痛いほど強くなった。髪飾りがズレて落ちるのも構わず、耳元に荒い吐息が吹きかかる。
「戦地で結菓子を食べるたびっ……無事に帰れたら、絶対に凪に会いに行くと決めていたっ!!」
──将臣の脳裏に、あの夜の光景がよみがえる。
眠ることさえ怖かった、戦地の夜。
目を閉じれば、救えなかった仲間たちの姿が浮かぶ。
そんな時、懐に入れていた結菓子を口にした。
ふわりと広がった甘さと、ニッキの香り。
張り詰めていた心が、不思議なほど緩んだ。
(……この菓子を作った娘に、会ってみたい)
それから結菓子を食べるたび、将臣は同じ願いを胸に抱いた。
(生きて帰ったら……凪に会おう)と──
凪は、力強く抱きしめられる腕の中で顔を上げる。
「桐谷からお前を託されたのが、理由なんかじゃないっ!」
「……え……?」
将臣はひとつ大きく息を吸い込むと、魂を叫ぶように吐き出した。
「俺がっ!! お前を選んだんだ!!」
凪は目を大きく見開き、呆然と将臣の言葉を聞いていた。
ふっと腕の力が解かれ、両肩を強く掴まれる。
「もう……卑怯者にはならないっ」
将臣のまっすぐな瞳が、凪の視線を射抜いた。
「私はもう逃げない。全部、自分で終わらせてくる」
「何を……」
言葉を失う凪を、将臣は逃がさないように再び固く抱きしめた。
腕の中にある、確かな愛しいぬくもりを噛み締めるように。
「だから……頼むから、待っていてくれ……っ!」
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夏目莉央
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