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第3話 雨を飲む傘
星屑修理店の奥には、まだ佐野の知らない景色がいくつもあった。
棚いっぱいのガラス瓶。
古びた時計。
天井から吊るされた星灯り。
そして——窓の外には、夜なのに薄青い雨が降っていた。
「……雨?」
佐野が呟くと、彼は振り返らずに答えた。
「普通の雨じゃない。“零れた感情”が空から落ちてるんです」
「なにそのポエムみたいな説明」
「事実ですよ」
彼は相変わらず淡々としている。
だが昨夜より少しだけ話しやすい。
彼は弱い光の入った瓶を机に置いた。
「今日の依頼はこれ」
「依頼って誰から来るの?」
「届かなかった想い自身」
意味はわからない。
でも、佐野はもう“わからないこと”に慣れ始めていた。
彼は壁際から一本の黒い傘を取り出した。
その傘は、閉じているのに雨音がしていた。
「持って」
「え、これ重っ……!」
見た目よりずっと重い。
まるで誰かの感情が詰まっているみたいだった。
「その傘、“悲しみ”を吸うんですよ」
「さらっと怖いこと言うな」
彼は小さく笑う。
「行きましょう。時間がないんで」
二人が向かったのは、住宅街の外れにある古い歩道橋だった。
雨は強くなっている。
青い雫が街灯に当たるたび、鈴みたいな音を鳴らした。
歩道橋の中央に、一人の女性が立っていた。
二十代くらいだろうか。
ずぶ濡れなのに、傘を差していない。
その足元だけ、雨が黒く染まっていた。
「見える?」
と彼。
「……黒い雨」
「未練が限界になると、ああなる」
女性はぼんやり空を見上げながら呟いていた。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……」
壊れた機械みたいに、何度も。
佐野の胸が痛んだ。
理由はわからない。
でも放っておけなかった。
「この人、どうしたの」
彼は静かに答える。
「大切な人に、最後まで本音を言えなかった」
その瞬間。
佐野の脳裏に映像が流れ込む。
病室。
笑う少年。
無理して笑う女性。
“また来るね”
でも彼女は、その約束を守れなかった。
仕事に追われるうちに、少年は亡くなった。
最後の連絡にも気づけなかった。
『ごめんね』
その想いだけが、雨になって残った。
映像が終わる。
佐野は息を呑んだ。
「こんなの……辛すぎるだろ」
彼は黒い傘を開いた。
すると周囲の黒い雨が、傘へ吸い込まれていく。
女性が苦しそうに胸を押さえた。
「全部消すわけじゃない」
彼が言う。
「悲しみは、なくならない」
雨が静かに弱まっていく。
「でも、抱えたまま歩ける形にはできる」
女性の頬を、一筋の涙が流れた。
その涙は黒ではなく、透明だった。
やがて女性は小さく呟く。
「……会いたいな」
その声と同時に、傘の先から淡い光が空へ昇った。
修理は終わったのだ。
帰り道。
佐野は隣を歩く彼を見た。
「なぁ」
「なに」
「お前、名前は?」
彼は少し黙ったあと、
「暗」
とだけ答えた。
その名前を聞いた瞬間。
なぜか佐野の胸が少しだけざわついた。
まるで、ずっと前から知っていた名前のように。
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