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「(お父さん、今日は話せてよかった)」
お父さんのお見舞い、そして日用品の買い出しが終わり、ぼんやりとそんな事を考えながら帰路につく。
最近はお父さんの調子がよく、会話もできるようになってきた。お医者さんには「脳に情報を与えすぎると混乱してしまうから、少しずつ話しかけてほしい」と言われているので、そんなにたくさん話はできないけど。
まふゆもお父さんに本当のことを話してから、自分の気持ちをよく教えてくれるようになった。
「(まふゆも安心できたのかな。『理解してもらえる』って知って。)」
「…そうだったら、いいな」
そう小さく呟き、いつの間にか目の前にあったドアに手をかける。
「(ここも、まふゆが安心できる場所になってたら──。)」
「ただいま、まふゆ。」
「…奏」
わたしが帰ってきたのに気づくと、まふゆは安心したような表情になる。そんなまふゆの「おかえり」は、とても優しくて愛おしいものだった。
「(…といっても雰囲気だけで顔は変わってないから、わたしの気のせいかもしれないけど…)」
「気のせい」だったら少し悲しくなるけど、それでもわたしはまふゆを救わないといけない。…いや、救いたいんだ。誰でもない、まふゆ自身を。
そんなことを考えていると、まふゆはわたしの名前を呼んでこう言った。
「…奏。人はハグという行為をするとβエンドルフィンやオキシトシンなどが分泌される」
「…え?」
「それらの幸福ホルモンが分泌されると、人間の脳はリラックス効果やストレス軽減効果、安心感、幸福感を得ることができる」
まふゆはまるで呪文のような文章を唱え、淡々と「ハグという行為」について説明する。看護師という夢を持っているまふゆなら、こういう医学的な質そうなことを知っているのは納得できるけど、、それにしてもどうしたのだろう。もしかしたらわたしが知らない間に、まふゆのお父さんが…?いや、あのお父さんに限ってそんなこと…
「…えーっと、…どうしたの?まふゆ」
半分困惑しながらもまふゆにそう問うと、まふゆは目を逸らし答えた。
「奏、最近疲れてそうだったから」
顔を覗き込もうとしても、まふゆは一向に目を合わせてくれない。でも、これが拒絶からくるものではないということは、長い付き合いだからかなんとなく理解できる。
若干頬を赤くしているような気もしなくもなくて、これは彼女なりの照れ隠しなのだろうかと都合よく解釈する。その解釈が合っていたとしたら、まふゆも少しずつ自分を取り戻してきているのかもしれない。…いや、今はそれよりも、まふゆがわたしからの問いに答えてくれたんだから、わたしも何か返事をしないと…
そんなことを考えたはいいものの、行動に移さないわたしを見ていたまふゆが、先に言葉を発する。
「…いいの?」
誰かのハグを待つような手を下におろし、まふゆはわたしにそう訊いた。 流石に恋人からのハグのお誘いは人間の本能的に断ることができないので、わたしは慌てて否定する。
「い、いや!よくない!」
久しぶりに出した大声に、それを聞いたまふゆも、大声を出した張本人のわたしも、少し驚いてしまった。
「…なら、…手、広げて」
「……え?」
予想外のセリフが耳に入ってきたので、思わず間抜けな声を出してしまう。
「…ハグは両者に効果があるから。するほうも、されるほうも」
まふゆにしてはよく喋るなと思いつつ、わたしはまふゆのされるがままになって、お願いされたとおりにまふゆを優しく抱きしめてあげた。
「……ねえ、まふゆ」
まふゆの頭を撫でながら、大好きな名前を呼ぶ。まふゆが小さく「どうしたの?」と言ってくれたので、わたしも話を続ける。
「まふゆは『抱きしめる側も抱きしめられる側も同じ効果がある』って言ってたけど…。どうして、抱きしめられる側を選んだの?」
まふゆは数秒黙り込んでから、口を開いた。
「…わからない、けど」
「奏に抱きしめられると…安心する」
まだ拙い言葉で感情を伝えようとしてくれている彼女の顔はよく見えなくて、どんな表情をしているのかはわからない。だけど、雰囲気だけでも、嬉しそうにしているのが感じ取れる。
「(まふゆは『私が疲れているのに気づいて休ませてくれようとしてくれたけど、自分も甘えたくなった』んだろうな。)」
そう思えば、とても愛おしい感情で心が満たされた。
今のまふゆの心の傷を少しでも癒やしてあげられるように、わたしも頑張らないと。
「(…なんて言ったら、怒られちゃうかな。)」
それから、ただ少しだけでもまふゆに安心してほしくて、わたしからの精一杯の愛を伝えていた。