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ひとくち分の記憶
ざわめきの中、ひときわ明るい声が響いた。
「おーい、家元! もう他地区には馴染めたあるか?」
その声を聞くだけで、少し背筋が伸びる。
懐かしさと気恥ずかしさが、同時に胸の奥に灯った。
「老大さん……お久しぶりです。おかげさまで、なんとか」
「お前は昔から頑張り屋あるな〜。ほれ、あめちゃんやるある」
差し出された掌の上には、陽の光を受けて輝く飴玉。
懐かしい包装紙のカサリという音が、耳をくすぐった。
「……結構です」
「なっ!! お前は昔からそうやって、こういうのは素直に受け取るよろし!」
そう言われて、結局その飴を受け取ってしまう。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
笑う声が背中を押すように響いた。
ほんの少しだけ、心が柔らかくなる。
──その時だった。
「……よぉ、家元」
低い声が背後から届く。振り返ると、見慣れた翡翠の瞳。
その奥に、少しだけ驚いたような、けれど優しい光があった。
「ロードさん。お久しぶりです」
家元がにこやかに挨拶すると、
「げっ!? あ、アヘンあるか……」
「んだよ老大」
「お前も居たのかよ」と訝しむロードと、
「せっかく家元と話し中だったあるのに……アヘンはパランあたりのところにでも帰るよろし」と
シッシッと追い払う老大。
二人の間に家元が入り、慌てて仲裁する。
なだめる家元を見て、ロードは何か不服そうな顔をしていた。
──帰り際。
人混みを抜け、廊下に出たところで──
足音が重なり、お互い「……あ」と声が被る。
少しの間をおいて、ロードがポケットに手を突っ込みながら横目でちらっと家元を見る。
「さっきぶりだな」
「えぇ、先程は老大さんが失礼しました」
身内の非礼を詫び、深々と頭を下げる家元。
「いや、お前が謝ることじゃないだろ……ていうか、老大にはあんな感じなんだな」
顔を上げろと言いつつも、どこかすねた様子のロードに、
家元は一瞬ぽかんとしたあと、ふっと笑って答えた。
「昔から知っている方ですからね。ああ見えて、とても優しいんですよ」
穏やかにそう返すと、ロードは視線を逸らし、
「……ふーん。まぁ、あいつにだけは気をつけとけよ」
ぼそっと呟く。
けれどその声が微妙に柔らかくて、心配しているのがわかる。
「ロードさん、もしかして心配してくださってるんですか?」
少し茶化すように言うと、ロードは真っ赤になって、
「べ、別に! 誰がそんなこと言った!!」
と慌てて否定する。
──廊下の静かな空気。
遠くに聞こえる会場のざわめき。
二人だけの小さな空白。
「ロードさん、せっかく頂いたのでおひとついかがですか?」
先程老大に貰った飴玉を、家元が差し出す。
「……は? いや、別にいらねぇよ」
と言いつつも、家元がそのまま差し出してくるので、
結局目を逸らしながら手を伸ばして取った。
カサッと包み紙を開け、
不器用に口へ放り込むロード。
家元はその様子を見て、微笑んだ。
「……気に入っていただけたみたいですね」
「……まぁ、悪くねぇな」
──その一言のあと、二人の間にふわっと沈黙が流れる。
飴が転がる小さな音と、遠くのざわめきだけが響く空間。
家元が包み紙を丁寧に折りながら言う。
「……老大さん、昔からああいう方なんですよ」
ロードが横目で見ながら、
「……まぁ、そういう“昔”があるのは悪くねぇ」
と不器用に呟いた。
家元は口に飴を含んだまま、
「……少し甘いですね」
「……いいじゃねぇか。たまにはこういうのも」
廊下の窓から見える星々を眺めながら、家元は言った。
「昔といえば、覚えていますか? 私たちが初めて会った時のこと」
「あぁ、覚えてるぞ……」
照れくさそうにするロードを尻目に、家元がくすりと笑う。
「そういえば、あの時。お箸を使うのに悪戦苦闘していましたよね」
「なっ!? あれは初めてだったから仕方ねぇんだよ!!」
「確かお魚でしたよね。初めて掴めたひとくち目を、
あなたがすごく美味しそうに食べるものだから、つい笑ってしまいましたよ」
「あの時、なんでお前が笑ってるのか分からなくて焦ったんだからな」
「二回目に会った時は、あなたの地区を案内してくださいましたよね」
「あぁ、俺んとこのスコーンを、お前が美味しそうに頬ばってたな」
「その時あなたがずっと私の方を見ていたので、顔に何かついているのかと思いました」
「あんな美味しそうに食ってる奴がいたら、誰だって見るだろ」
ふたりは思い出話に花を咲かせた。
「そういえば、この前いいカフェを見つけたんだ。
お前の好きそうなスイーツの店だ」
「それはいいですね! また今度連れて行ってください」
「じゃあ、また連絡する」
「では、またお会いしましょう」
笑いながら歩き去っていく家元の背を、黙って見送るロード。
口の中の飴玉をコロンと鳴らしながら、静かに帰路に着いた。