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今朝テレビで流れていた歌がなぜか1日頭から離れなくて、気づけば口ずさんでいた。普段聴くジャンルとは違うバラードだったが、そのスローテンポが妙に頭に残る。
「……ふふっ」
ソファに腰かけ爪を切っていた手を止めた。顔を上げると、隣でジヨンが嬉しそうにこちらを見つめている。
「……なんだよ」
「今日のヒョンずっとそれ歌ってるなーって」
指摘されて思わず顔を顰める。よくわからないがなんだか恥ずかしい。
「…いいだろ別に」
「うんもちろん。すごい嬉しいし」
「…?」
言われた言葉に、再開しようとしていた爪切りの手が止まる。
「俺好きなんだ、ヒョンの歌声」
「……俺の歌声?」
「うん。普段はヒップホップとかでしょ?もちろんそういうテンポも、ラップを刻む声も好きなんだけどさ」
ジヨンの腕が俺の腰にまわった。身体を擦り寄せるように抱きついてくる。
「バラード歌ってるときの声も好き。低いけど心地よくて、すっごい優しい声してる」
「……」
「歌声って性格が出るよね。ヒョンは優しい人だから」
そう言って嬉しそうに微笑む彼に、なんだか頬のあたりが熱くなった。そんなことを言われたのは初めてだったし、彼がそう思っていたなんて知らなかった。こんなにストレートに褒められて、照れてしまう。速まる鼓動を抑えるように、俺は身体の力を抜いてジヨンに体重を預けた。
「……俺、優しくなんかないぞ」
「ううん、優しいよ」
「初めて言われた」
「じゃあみんな気づいてないんだ、勿体ないね………あ、でも、俺だけが知ってるってことだからいいか」
「………ふは、なんだそれ」
えへへ、と彼が笑った。こいつが嬉しそうだから、まあいいか。
ジヨンが先生と話している間にこっそりとレッスン場を抜け出しそのまま外に出た。裏庭にある小さな喫煙スペースでタバコをふかす。今頃俺のこと探してるんだろうな、なんて思いながら。
「あ!またここにいた!」
こいつ、俺にGPSかなにかつけてるのか?と聞きたくなるほど、想像より早くジヨンが現れて思わず笑ってしまった。
「バレたか…」
「また吸ってる〜も〜…」
そう言いながら俺の隣に座った。前まではやめろとうるさかったがさすがに諦めたらしい。最近は臭いと騒ぎながらも大人しく隣にいるようになった。
「……俺も吸おうかな」
「あ?」
「だってそしたらもっとヒョンと一緒にいれるじゃん」
なんだそれ。お前ほんと、どんだけ俺といたいんだよ。十分今だって、トイレ以外の時間は俺と過ごしてるくらい一緒にいるだろ。それが当たり前になってる、俺も大概だけど。
「……じゃあ1本吸う?今度は噎せるなよ」
そう言って箱を差し出す。だがジヨンはその箱をじっと見つめるだけ。
「……ジヨン?」
しばらく黙っていた彼の手が動いたと思えば、それは箱を通り過ぎて持っていた俺の手首を掴んだ。当たり前だが初めて会ったころよりずっと男らしくなった手。散々俺に抱きついてくるそれが、今更ながら大きくなったなと思う。
「なに、」
グッと強く引っ張られた。突然のことで俺はそのまま前につんのめっていく。言おうとした言葉ごと、ジヨンの唇に塞がれた。
「ん…っ」
反射的に離れようとしたが後頭部を抑えられ叶わなかった。目を見開く、彼も開けていたから至近距離で見つめあった。掴まれた手首も触れる身体も全部熱くて、連動するように心臓が速くなっていく。彼の柔らかい唇が微かに、俺の唇の感触を味わうように動いて思わず背筋が震えた。そうしたあと、やがてゆっくり離れた。
「……じ、よん、」
「……………やっぱ、美味しくない」
カッと頬が熱くなる。目の前の彼の顔も真っ赤だった。
「……なんで、」
口から滑り落ちた。なんで、なんでなんで。
「…………ほら、もう戻るよ」
「待てよ、」
そう言って離れていこうとするジヨンを引き止めた。
「…なんで………」
「……」
「…………なあ、俺たちって………」
思わず声が震える。それ以上言ったらそれこそなにか変わってしまいそうだった。そうだ、俺はずっとそれが怖くて聞けなかった。
でも、もう焦れったい。
「お前、俺のこと………、」
「あ、いた!」
聞こえた声にハッとした。声の主はドンスだ。彼も年齢とともに大人びた顔になって、低かった背もここ最近でぐんと伸びた。
「すみません、お話中でしたか?」
「い、いや大丈夫…なんだ?」
「ジヨンヒョン、学長が呼んでます。お話があるそうで…」
「俺?」
はい、と答えるドンスに、2人で顔を見合せた。学長からの話なんて、いいか悪いかどちらか二極に限られる。
「………お前、なんかしたのか?」
「してないよ!………多分」
「多分て」
ちょっと行ってくる、と走り出した背中を見つめながら、タバコを灰皿に押し付けた。まだ吸えそうだったがなんだか吸う気にならない。
「……スンヒョンヒョン、」
「ん?」
「実は僕見たんです、さっき黒い車が門の前に止まってて」
「車?」
「はい。あれ多分、ヒョジョンヒョンやインソクヒョンが入った事務所関係のと同じだったと思います」
………ということは、
「つ、ついにジヨンがデビューするってことかっ?」
「まだ分かりませんけど、そうなのかなと…」
同じスクールからデビューを果たした先輩たちが多く所属するその事務所は大きく、こういったスカウトも珍しくない。ジヨンは世界に通用する偉大なアーティストを夢見ていた。その夢を果たすにはもってこいの事務所と言っても過言ではない。
「そっか、ジヨンがついに…」
テーブルに向かいひたすら歌詞を書いていくジヨンの顔を思い出す。周りの声が聞こえなくなるほど集中し、どこか空中をぼんやり見つめるあの瞳。
「……頑張ってるもんなぁあいつ。よかった」
心の底から出た言葉だった。彼の努力は、誰よりも俺が知っているから。
「何言ってんですかヒョン」
「ぇ?」
「スンヒョンヒョンだって同じくらい頑張ってるでしょう」
「!」
ドンスが微笑む。
「ジヨンヒョン、ずっと言ってたじゃないですか。スンヒョンヒョンと2人で一緒にデビューするんだって」
「…」
「ジヨンヒョンは誰よりも努力家で才能の持ち主だと思います。その彼があなたを選んだんですから、絶対2人で活躍するアーティストになると僕は思ってます」
「ドンス…」
「もしかしたらこのあとはヒョンに話が来るかもですよ?2人の夢が叶う日も近いですね」
「………あはっ、そうだな」
俺は立ち上がると、彼の頭を撫でた。
「ありがとう」
「ジヨンヒョン、今頃スンヒョンヒョンのこと熱く語ってるんだろうな〜」
きっと大はしゃぎで報告してくるだろう。部屋のドアを開けて飛び込んでくる彼が想像できる。なら部屋で待っといてやるか。聞きたかったことは聞けなかったが、今日のところは黙って抱きしめて、その頭を思いきり撫でてやろうと思った。
ドアの開く音がする。思ったより戻ってくるのが遅かった。
「ずいぶん長かったな」
「……」
「………?」
てっきり大喜びで入ってくると思ったから些か拍子抜けした。ジヨンはなにも答えず、ただ顔を俯かせたまま。
「………ジヨン?」
様子が明らかにおかしい。不気味なくらい静かだ。
「………どうした」
「…………………ヒョン、お風呂まだ?」
「え?…あ、ああ」
「…じゃあ先行ってきて」
「ぇっ」
驚いた声を上げてしまった。いつも一緒に行くのに、こんなこと言われたのは初めてだ。もう一度どうしたのか聞こうと思ったが、彼の固く結ばった口を見て言葉が出なかった。
「………わかった」
立ち上がって部屋を出る。振り返ったが、そこには寂しそうに佇む背中しかなかった。
風呂から戻ってくると、入れ替わりでジヨンが出て行った。まるで俺といることを避けるような動きにますます首を傾げる。なにかあったのだろうか。
(……戻ってきたら聞いてみるか)
いつも隣にいる彼がいないだけで、部屋が酷く静かに感じる。時計の針の音が大きく聞こえた。
俺は歯を磨いてベッドに横になった。携帯を弄っていると、程なくしてジヨンが戻ってきた。ドライヤーもしていない彼の髪はしっとりと濡れていて水滴がいくつもついている。
「おいちゃんと髪乾かせよ、風邪ひくぞ」
「………ねぇ、」
俺の言葉にに答えず、ジヨンはゆっくりと俺の寝ているベッドに近づいた。
「今日、一緒に寝ていい?」
「あ?」
「一緒に寝たい」
呟くように言われた言葉に混乱する。寂しそうな声がなんだか切ない。
「…どうしたんだよ、そんな子どもみたいなこと言って。怖い夢でも見そうなのか?」
努めて明るい声を出して言ってみた。が、彼の表情は一向に晴れない。むしろ眉間にシワが寄っていく。
「………お願い」
「っ、」
ふっとその眉が下がり途端にジヨンの顔が歪む。今にも泣き出しそうな顔だった。こんな表情、初めて見た。
俺はゆっくりとベッドの端に身体をつめる。空いたスペースにすぐさま入ってきた。そしてぎゅっと抱きついてくると、俺の胸に頭を押し付ける。まだ濡れている髪からシャンプーの匂いがした。
「……おい、本当にどうしたんだ」
「…………ごめん、今日はなにも聞かないで、なにも言わないで……このままで、いさせて」
震える声に、無性に胸が痛くなる。俺は応えるように、その背中にまわした腕に力をこめた。
「…ああ、わかった」
「…………ヒョン、」
「ん?」
「……俺…、俺………………どうしたらいいか、わかんない」
胸元あたりがじんわりと濡れていく。それが彼の髪のせいなのか、瞳から零れる涙のせいなのか、わからなかった。
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