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「ねぇ、アビィ?」
アラインの声が
ひときわ甘やかに落ちた。
だがその声音とは裏腹に
射抜くような視線が
アビゲイルの横顔を捉える。
「転生者の彼らが、ここに来たのは⋯⋯
キミの〝加護〟の導きなんじゃない?」
ティーカップを持ったまま
アビゲイルの指がピクリと震えた。
それは思考より先に身体が反応した
極めて無防備な動き。
「え⋯⋯わたくし、ですか?」
その問いは、戸惑いと
そして微かな恐れを滲ませていた。
アラインは、その様子を見逃さない。
唇に微笑を浮かべたまま
背もたれにふわりと身を預けると
長い脚をもう一度組み替えた。
その仕草には余裕しかない。
そして、次の言葉はまるで
〝斬りかかるように〟音もなく落とされた。
「そうさ。
今朝、SNSで見たよ?
あの女の子⋯⋯誰だったっけな。
派手なピンクの髪でフォロワー十万超えの。
まぁ、どうでもいいけどさ。
そいつが〝悩みが消えた〟って
あのドリンクを紹介してた。
まるで真実が見えたかのような口ぶりでね。
⋯⋯あれって
時也が読心術で暴いたんだろ?
恋人の不貞も、連れの嘘も。
全部、真実に引き摺り出された。
で、喫茶桜は〝悩みを解決する店〟として
今、爆発的にバズってる。
──どう考えても
加護が働いてるんじゃない?」
アラインの声は淡々としていた。
だがその微笑は
あまりに深く、陰を孕んでいた。
「それで今日──
転生者が複数、同時に現れた。
店は混乱し、アリアは報復を受け
レイチェルは⋯⋯
異能に巻き込まれたのかな?
今も彼女たちがここに居ないのが
その証拠。
看病は当然、不死の時也。
接客も、厨房も、対処も
彼が全部ひとりで抱えてるんだよ?」
その時、アラインの視線がすっと鋭くなる。
眼差しの先にあるのは
アビゲイルの心の奥──
自覚すらしていない領域だ。
「ねぇ、アビィ。
キミは無意識なんだろうけどさ?
〝加護〟は、時也の願いを叶えようとした。
──なら、転生者が現れるのは当然の帰結だ。
でもさ?
叶えるだけじゃ、足りないんだよ。
⋯⋯暴走したら〝願い〟すら壊すんだから」
「おい⋯⋯」
ソーレンの低い唸りが挟まる。
だがアラインは動じない。
あくまで笑みを浮かべたまま
声の温度だけを、氷のように下げていく。
「強過ぎる信仰は──時に神を〝殺す〟んだよ
ねぇ、アビィ。
キミの信仰って、誰のためにあるの?」
その言葉が
空気の温度をさらに落とした。
部屋の中に、僅かな震えが走る。
アビゲイルの喉が、ごくりと小さく鳴った。
「ボクね?言ったよね?
ボクの〝推し〟は時也なんだって。
天使のように神のために狂っていて
神の剣として世界を焼き尽くす力もある──
希少な男なんだよ。
⋯⋯でも、倒れられたら
ボクの楽しみがなくなるじゃないか」
その声音には
冗談めかした響きがあった。
けれどその奥底に潜むのは
ぞっとするような本音だ。
「ライエルは
アリアと時也の力になりたがってる。
キミもそれに応えたいって
喫茶桜に来たんだろ?
⋯⋯素敵だと思うよ、本当に。
でもね?
〝素敵〟なものほど、危ういんだ。
キミが強すぎる加護を──制御しなきゃ」
アラインは立ち上がり
アビゲイルに一歩、ゆっくりと近付く。
夜の帳を纏うように
黒のコートが揺れ、長い黒髪が静かに広がる
「そうじゃなきゃ、ねぇ?
次に壊れるのは〝キミの信じた相手〟だよ」
その囁きは、甘く、優しく。
そして、何よりも──
〝残酷〟だった。
⸻
「クソが⋯⋯っ!」
その呻きは
魂の奥底から絞り出された怒声だった。
ソーレンの理性は
もはや残っていなかった。
椅子が軋む音と同時に彼の身体が跳ね上がり
拳が宙を裂く。
目指す先は
飄々と笑みを浮かべるアラインの顔面。
──だが、拳がその目前に迫った瞬間だった。
ふわりと。
それは春の名残のように
あるいは〝死の兆し〟のように──
一枚の桜の花弁が、拳を撫でていた。
それはまるで〝引き金〟だった。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
桜吹雪が、重力すら拒むように逆巻く。
何も触れていないはずのカーテンが
ざわりと揺れ
ティーカップがわずかに震える。
一瞬遅れて
全身を貫く〝殺気〟が空間を裂いた。
林の奥で──
死の訪れを察知した鳥たちが
枝を弾き、羽音を轟かせて逃げ去る。
本能で死の支配から逃れようとするように。
「⋯⋯そこまでになさってください。」
静かな、けれど決して拒めぬ声音。
言葉に続いたその瞬間
空気の圧が変わる。
まるで世界が
彼の言葉を境に〝制圧〟されたかのように──
彼の姿が、ソファの傍らに立っていた。
櫻塚時也──
桜吹雪を纏い、穏やかなはずの青年の輪郭が
今は〝殺戮の天使〟のそれへと変貌している
「僕の家族を泣かすのなら⋯⋯
容赦は致しませんよ」
その一言が放たれた刹那
空気が、呼吸すら拒む硬質な膜へと変わった
肺が潰れる。
鼓動が異常な速度で打ち鳴る。
血が逆流するような錯覚。
皮膚が内側から凍りつく。
それは〝殺気〟などという言葉では足りない
〝死を確定させる圧〟だった。
ソーレンの額に、じわりと汗が滲む。
重力の魔女─
─重圧に慣れた彼ですら、これは〝重い〟
立つことすら億劫にさせる
絶望的な〝存在圧〟
けれど──
その圧は、決して彼を刺す刃ではなかった。
「ねぇ⋯⋯アラインさん?」
冷えきった鳶色の双眸が
空気を裂くようにアラインを見据える。
その眼差しに宿るものは
慈悲でも怒りでもない。
それは〝意思〟そのもの。
神を愛し
守るために狂信の淵に堕ちた男。
その覚悟をもってして放たれる
〝天使の断罪〟
アラインは、そんな殺気を──
まるで〝待ち焦がれていた快楽〟のように
受け止めた。
全身を焼くような圧が喉を這い、背骨を軋ませ、内臓を蠢かせる。
寒気と熱が同時に駆け上がり、視界が白く染まる中で、彼はただ、うっとりと──
「やだなぁ
泣かせようとしたんじゃないよ?
ボクはただ
彼女に気付いて欲しかっただけさ」
微笑みながら、そう言った。
けれどその声は、かすかに掠れていた。
それほどまでに
殺気の〝余波〟は彼をも蝕んでいた。
──そして。
「っ、あ⋯⋯あ⋯⋯っ」
その場にいたもうひとり
アビゲイルが膝をついた。
胸元を押さえ、唇が震える。
酸素が入らない。
喉が熱い。
頭が痺れる。
殺気に晒された精神は
すでに限界寸前だった。
「ひ⋯⋯っ、⋯⋯かひゅっ⋯⋯」
喉がかすれる。目が霞む。
その時。
ふわり、と
すべてを包むような光が、空間に差した。
時也が、静かに殺気を収めたのだ。
残響のように舞う桜吹雪が
そっと床に落ちる。
一歩、彼がアビゲイルに歩み寄ると
彼女はその場に崩れるように座り込んだ。
「アビゲイルさん⋯⋯」
時也の声は
どこまでも穏やかで、柔らかかった。
「怖がらせて、すみません⋯⋯
もう、大丈夫ですよ」
彼女の背にそっと手を添えながら
ふと振り返る。
その視線の先には
未だ陶然としたままのアラインがいた。
「アラインさん⋯⋯」
鳶色の瞳に、ふわりとした笑みが灯る。
「楽しみ過ぎるのも
程々になさってくださいね?」
その言葉には、怒りも戒めも無い。
ただ、淡い忠告と、深い信頼──
そして
どこまでも静かな、狂信者の愛があった。
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