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─嗚呼、〝ボクの〟天使は
何故こうも美しいのか─
時也の放った殺気が
桜の風と共に引いてゆく中で
アラインの心は未だその余韻に蕩けていた。
まるで己が
全身を焼かれながらも恍惚とする
殉教者のように──
いや、違う。
彼はただ、讃えているのだ。
〝神の手に仕える天使〟──
時也という存在の、完璧な美に。
その恍惚とした表情のまま
アラインは時也の声に一度だけ頷いた。
それを受けて
時也は、ふわりと微笑む。
けれどその鳶色の瞳は
まるで深海の底のように冷たく澄んでおり──
どこにも笑いの気配はなかった。
「お茶を、今お出ししますね。
少々、お待ちください」
柔らかな声色が空間を和らげるが
それは〝儀礼〟のように
整えられた言葉に過ぎない。
まるで刃の上に敷かれた絹のような
仄かな緊張が含まれていた。
時也は
ゆっくりとアラインの横を通り過ぎていく。
足音はまるで風のように軽く
けれど一歩ごとに
空間の温度を確実に変えていく。
──その時だった。
ふと、リビングの奥。
寝室への階段に繋がる扉の僅かな隙間から
視線が交差する。
アラインは、僅かに眉を上げた。
鉛白の髪、褐色の肌──
そして、蘇芳の瞳が、影の奥で震えていた。
恐怖を湛え、警戒と本能がせめぎ合い
その瞳は
まるで凍った湖面に石を投げ込まれたように
揺れていた。
だが、その視線が
アラインと〝重なった〟瞬間──
怯えた子供のようなその存在は
まるで〝捕食者と目が合ってしまった
小動物〟のように──
呼吸を止め、瞬きを忘れ
扉を閉めることすら忘れて、逃げ去った。
その足音は軽く、しかし必死で。
廊下を掠めてゆく気配だけが
確かに残される。
アラインの微笑が、僅かに深くなる。
ソファに背を預けたまま
足を組み替え、視線をその扉の先に留めた。
──へぇ。
頬を撫でる黒髪がわずかに揺れる。
(あの子が⋯⋯新しく来た転生者、か)
口に出すことはない。
だが
脳裏では既に構図が描かれ始めていた。
ただの偶然では、ない。
これは〝兆し〟だ。
この家の中で──
また何かが動き始めている。
アラインのアースブルーの瞳が
静かに細められる。
そして、扉の先を見つめながら
心の奥底で、誰にも聞こえぬ声が──
甘く、狂おしい調べを奏でる。
──天使の傍には、常に〝試練〟がある。
ならばボクは、見届けよう。
あの子が、どんな物語を連れてきたのかを。
そして──
天使が、それをどう抱くのかを。
⸻
リビングに漂う静けさの中
ほのかに立ち上る湯気が
夜の帳に淡く溶けていた。
その香りは
まるで初夏の朝露を思わせる清冽な気配──
「はい。ダージリンです」
静かに差し出されたティーカップ。
それを受け取るアラインの指先が
陶器の縁を優雅になぞる。
ふ、と香りを嗅ぐ。
薄金色の液面から漂う茶葉の薫りが
喉奥をくすぐり、脳に甘く染み込む。
先ほどまで
この場を支配していた殺気の気配など
微塵も残っていない。
──だが、だからこそ。
(ふふ、ボクの天使は⋯⋯
この手で命を刈り取りながら
同じ手で癒しを差し出すんだね)
アラインの背を、また一つ
震えるほどの愉悦が駆け抜けた。
それはもはや恐怖ではなく、純粋な賛美。
〝神に仕える天使〟という存在の
無慈悲で、清浄な均衡に陶酔していた。
時也はその横顔を気にも留めず
静かにアビゲイルとソーレンの
ティーカップにも紅茶を注ぎ
自身の分も整えると
テーブルの定位置へと腰を下ろした。
所作一つに乱れはなく
その姿はまるで静謐なる
神殿の祭司のようだった。
「それで、ご用件は?」
声に含まれるのはあくまで礼節。
だが、微かな緊張の糸が張り詰めていた。
「残念ながら
ノーブル・ウィルの事業が潤うような
異能のお方ではありませんでしたよ」
その言葉に、アラインの口角が上がる。
まるでその反応すら予想していたような
愉快げな微笑。
「キミとの会話は手っ取り早くて助かるよ。
因みに⋯⋯どんな異能だったんだい?」
時也はティーカップを口元に寄せ
香りを一つ吸い込んでから答えた。
「虫を操る異能の青年に
微細菌を操る異能の少女です」
数秒の沈黙の後、アラインは眉を顰め
しかし楽しげに呟いた。
「へぇ⋯⋯まさしく〝災厄〟だね?」
その瞬間
時也の鳶色の瞳がわずかに細められる。
その視線には
刃を伏せたまま突きつけるような圧が
含まれていた。
「おっと。
別に、キミの新しい家族を
侮蔑したわけじゃないよ。
ただ──ほら、歴史にもあったろ?
〝黒い死〟と呼ばれ
国の人口の三分の一もの人間を
死に至らしめた──
ノミを媒介とする感染症がさ」
アラインはくるりとカップを回し、そこから揺れる湯面をじっと見つめながら言葉を続けた。
「そして、当時の宗教的解釈では⋯⋯
それは、悪魔の所業、魔女の仕業
神の怒りとされ──
それら全てを理由に
魔女狩りは苛烈を極めた⋯⋯。
人々は〝恐怖〟に支配されていたんだ」
その言葉を、時也は静かに受け止め
ふと視線を伏せた。
思い出すのは──
店を襲った、ふたりの転生者の叫び。
─俺は⋯⋯あんたの為に──
厄災になったのに!!─
─私は貴女の代わりに
人間を葬ろうとしただけだったのに!!
厄災は人間どもの方だ!!─
(あれは、きっと……)
「きっと、前世のお二人は──
手段を選ばずに、アリアさんを⋯⋯
魔女を守りたかったのでしょうね」
呟く声は静かだったが
その胸の奥には焦げるような痛みがあった。
守ろうとして、狂った魂。
優しさを歪めて、刃となった意思。
アリアと同じく
彼らもまた〝孤独に抗っていた〟に
過ぎないのだと──
アラインは
その言葉に含まれた哀惜を感じ取ると
ふとカップを傾け、少しだけ紅茶を飲んだ。
「慈悲深いね、キミは。
だからこそ、ボクは見逃せないんだ。
⋯⋯その優しさが、どこまで届くのかを」
そう言って、静かに笑ったその顔は
まるで舞台の幕が落ちる直前
最後の独白を楽しむ役者のようでもあった。