すると、彼は今までより柔らかな表情で言った。
『上村さんに目を掛けてくれてありがとう。彼女もきっと喜ぶと思う。もし良かったら、社食ででも声を掛けてあげてくれないか? 彼女自身は友達が少ないと思っているから、きっと喜ぶと思う』
『はっ、……はい~……』
推しに話しかけるなんてそんな怖れ多い! と思ったけれど、これで私は公式ファンになれたと思っていいんだろうか。
実際に行動するかは置いておいて、副社長に覚えてもらえたのはありがたい事だと思った。
それに推しを悪く言われたからムカついたのは確かだけど、ああいう人たちがいて部署内の空気が悪くなっているのは事実だから、ぜひ大掃除してほしい。
『では、失礼いたします』
私は笑顔で会釈し、会議室をあとにした。
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その後、バタバタと過ごすうちに、あっという間に就任パーティーになった。
都内のホテルの大ホールを借り、料理は立食形式。
鏡割りのための樽入り日本酒も用意し、会場設営の最終確認も済み、音響確認、あとは招待客を確認していく。
ホテルスタッフと総務部の連携で準備が進んで行き、私は当日尊さんの側で彼のサポートをする。
怜香さんの件でマスコミは新体制の篠宮ホールディングスがどう出るか、興味津々みたいだけど、そつなく就任パーティーをこなす事で「問題ありませんよ、お気になさらず」と示していく所存だ。
今日、外出前に尊さんから「ご馳走を見て食べたくなる気持ちは分かるが、今日はセーブだ」と言われたけど、分かってる!
……そこまで食いしん坊のハラペコ魔人だと思われているのだろうか。
風磨さんは堂々とした社長っぷりで挨拶をし、尊さんも軽くユーモアを交えて場を和ませ、パーティーは終始いい雰囲気で終わりを迎えた。
途中で涼さんや春日さんの姿も見えたけれど、今回は会釈をするだけに留めておいた。
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「はぁ……、疲れた」
帰宅したのは結局夕方だ。
パーティーが終わったあと、会社に戻って少し仕事をして帰ったので、いつもより疲労が倍になったように思える。
「お疲れさん」
「……はい」
私はバッグを置く前にソファに座り、ぐでーっと脱力する。
「お偉いさんとの挨拶ばかりで疲れたよな」
「……それもそうなんですが、やっぱり美味しそうな料理が沢山あるのに、飲食に専念したら駄目だっていうのが、パーティーのくせに……」
「やっぱりそこか」
尊さんはネクタイを解きながら笑う。
「エミリさんが疲れないヒールを教えてくれたから、なんとかなりましたが、立ちっぱなしも結構きつかったです。立食パーティー、そう頻繁には参加したくありませんね」
「女性はパーティーにぺたんこ靴……っていかない場合もあるからきついよな。朱里の足の疲労感が、自動的に分けられるシステムになっていればいいのに……」
「人間じゃないですよ、それ」
私はケラケラと笑い、ジャケットを脱ぐ。
「六月の一番大きいイベントが終わりましたね。あとはちょこちょこ出張とかもありますが」
「第二秘書の面接もあるな」
「そうでした」
次の月曜日には第二秘書の面接があって、三人まで候補が絞られたそうだ。
人事部部長と尊さん、秘書室長と私とで面接官をする事になっていて、少し緊張する。
「私が決める側に立っていいんでしょうか」
「仕事上の相棒になるんだから、主に俺と朱里に決定権があると思うよ。男性三人との面接になるけど、パッと見ての印象とか『生理的に無理』とかあったら、あとで教えてほしい。そういうのも大切だと思うから」
「分かりました」
返事をすると、尊さんは「よし、褒美をつかわすからそこで待ってろ」と言って、廊下を歩いて行く。
やがて水音が聞こえ、戻ってきた彼は手に濡れタオルと乾いたタオルを持っていた。
「何が始まるんですか?」
「猫の足拭き」
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