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セドリックさんがお茶を淹れるために厨房へ向かい、それに続くようにクライヴさんも退室してしまった。部屋には私とレオンのふたりだけが残される。座って待っていようと、ソファに向かおうとしたのだけれど……レオンに手首を強く掴まれ、彼の元へ引き寄せられてしまった。密着するように背中と腰に腕が回されて、私は彼の胸の中に拘束される。レオンのこういった突発的な行動にも少しは慣れたつもりだったけど、やっぱり駄目だった。羞恥心から頬が赤く染まる。
「レオン、どうしたんですか?」
「俺がクレハに初めて会った時のこと……前にちょっとだけ話したよね」
「はい……」
エリスを送り届けるために『とまり木』へ行った時だ。私は気づかなかったけど、レオンもお店にいたのだと聞いた。でも、どうして今そんな話をするのだろう。レオンの思惑が分からない。
「まるで雷にでも打たれたような衝撃だった。目の前の女の子が欲しくて欲しくて堪らなかった。隠れているのを忘れて、何度も君のもとに駆け寄りそうになるのを抑えるのが大変だったんだよ」
また恥ずかしいことをさらっと言う。けれど妙に様になるのは王子だからか。それとも美形だから? 両方かな。
「君に触れたくなるのも、こうやって抱きしめるのも……好きだから。でも理由はそれだけじゃないんだよ」
背中に回された腕が更に強く私の体を締め付ける。少し苦しい。
「時折無性に怖くなる。君を掴まえていないと、どこかに消えてしまいそうで……無意識に体が動いていることさえあるんだ。絶対に離さない、守る、今度こそって」
今度……?
レオンは自分の発言の奇妙さに気づいていない。密着していた体が僅かに離されて開放感に息を吐く。私より背の高い彼を見上げるように見つめると、紫色の瞳が潤んでいた。
「クレハ、好きだよ。お願いだから……俺から離れていかないで」
レオンの様子がおかしい。今日はセドリックさんと一緒にリズに会いに行ったはずだけど……その時に何かあったのだろうか。いまにも泣き出してしまいそうな彼に胸が苦しくなる。
「私はどこにも行ったりしませんよ。あなたの側にいます」
「うん……」
上擦った声でレオンは頷いた。そして再び私を抱きしめる。今度は私も彼の背中に手を伸ばして、あやすようにそっと撫でてみた。さっきまで泣いていたのは自分だったのに。レオンに泣き虫だと笑われるかもと心配していた。それなのに、まさか彼の方を慰めることになるとは……。しばらくの間そうしていると、部屋の扉をノックする音がした。セドリックさんが戻って来たようだ。
「……ごめん。驚かせたね」
レオンはぎこちなく笑うと私の頭を撫でる。彼に頭を撫でられるのが好きだ。てっぺんから形をなぞるように……時々指で髪を梳きながら、優しく触れられるのが気持ち良い。
「レオンの元気が無いと私も悲しいです。私に何かできることはありますか?」
役に立つとは到底思えないけど、話を聞いてあげるくらいなら……そんな気持ちで口にした言葉だった。レオンはローレンスさんの時も手紙で私の愚痴を散々聞いてくれたのだ。そのおかげでずいぶん気持ちが楽になった。私も彼のことがもっと知りたい。力になりたいと思う。
「ありがとう。クレハは優しいね。じゃあ、お願いしてもいい?」
「はい!」
私は勢いよく返事をした。彼の為にしてあげられることがあるのが嬉しかったから。だから……その時のレオンの表情が、まるで悪戯を思いついたような意地の悪いものに変わっていたのに気づかなかった。
「リズは明後日にはこっちに来てくれるそうだよ。クレハの懸念もちゃんと伝えたけど、向こうから逆にお願いされてしまった。クレハの所へ行かせて下さいって」
「リズさんは本当にクレハ様の事がお好きなんですねぇ」
セドリックさんは用意したティーカップに紅茶を注いでいる。良い香りが辺りに漂った。平素と変わらない調子で話すふたりについて行けず、私だけ取り残されている。セドリックさん……何でこの状況に突っ込まないんですか。
「クレハ、紅茶が入ったよ。これは仕入れたばかりの物で、店にもまだ出していないんだ。あとで感想聞かせてくれる?」
「あっ、あの……」
「なーに」
「この体勢だとちょっと飲みづらいかなと」
「そう? 俺は気にならない」
私はレオンと一緒にソファに座っている。ただし、それは向かい合わせでも隣り合わせでもない。私はレオンの足の間に座らせられているのだ。背後から抱え込むように腕を回され、身動きが取れない。つまり抱っこされている状態だ。時々私の肩に顎を乗せたり、お腹を撫でたりするので何とも落ち着かない。レオンが喋るたびに吐息が耳にかかるのもよろしくない。こんな状況でお茶をゆっくり飲むなんてできるわけないし、味なんて分からないよ。
先程レオンにされた『お願い』がこれだ。自分からできる事は無いかと聞いた手前、断れなくて彼の言う通りにしているのだけど……これは恥ずかし過ぎる。セドリックさんが何も言わないのが居た堪れない。
「リズさんは私が責任を持ってお連れ致しますからね。安心して下さいね。クレハ様」
「は、はい。よろしくお願いします」
リズがこちらに来てくれるのは嬉しい。でも、それはつまり……リズにも今の私の状態を見られるということになる。レオンがリズがいるからといって態度を改めるとは思えない。臣下の人がいてもお構いなしなのだから……まさに今現在のように。
レオンの人目も憚らない私への愛情表現がどんどんエスカレートしている気がしてならない。首を後ろ側に捻ってレオンの顔を覗き込むと、優しく微笑んでいる彼と目が合った。恥ずかしい。やっぱり恥ずかしい……けれど、いつものレオンに戻っている事にほっとする。そっと肩の力を抜くと、彼は私のうなじに顔を埋めた。まるで匂いでも確かめるように深く呼吸をする。熱い吐息がかかり肌がざわついた。
「ひゃあ!?」
「ごめん……しばらくこのまま」
セドリックさんに視線を向けると、彼は困ったように笑いながら『しーっ』と人差し指を口元に当てた。
「どうやらレオン様はかなりお疲れのようですね。クレハ様、少しだけ甘えさせてあげて下さい」
甘えって……。紅茶のカップを手に持っていなくて良かった。確実に床に落としていたことだろう。首筋を這うようになぞる彼の唇の感触に背筋が震えた。微かに聞こえるリップ音に耳を塞ぎたくなる。
レオンの様子がおかしかったのは、セドリックさんも気づいていたみたいだ。だから何も言わなかったのか。レオンの行動に冷静に対処し、全く動揺しないセドリックさんは流石としか言いようがない。
レオンは就寝直前まで私の側から離れなかった。セドリックさん曰く甘えていたとの事だが、私にはそれだけではないように見えた。泣きそうな顔で側にいて欲しいと懇願する彼が頭から離れない。まるで、捨てられた子犬のように酷く不安げで頼りない……
カミルの態度もおかしかったし、私まで何だかモヤモヤした気分になってきた。早くリズに会いたいな……話したいことがたくさんあるのだ。