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ぼちゃぼちゃぼちゃっと大量の角砂糖をコーヒーカップにぶち込み、ジャリジャリの液体を流し込む最強の呪術師五条悟はいつにも増して疲弊していた。
仕事に関しては別にほぼ休みがないのは当たり前だし、程よく手を抜いているから原因ではない。
教師としての職も、後進を育てることももちろん楽しいが、何よりも生徒達に癒されているので疲れるどころかおかげで元気ピンピンである。
ではなぜ疲弊しているのか。
それはもちろん、上層部である。
いつもの五条悟嫌いが生じての嫌がらせならまだいい。
ここ最近見合いを進められているのだ。
五条は高専時代、自身の近縁の分家に当たる黒条百合と婚約関係にあったが、それをとある理由で破棄していた。
黒条家は五条家でも保守派寄りの家系であった。上層部としては五条悟を縛れる材料がなくなってしまったため、別の保守派の家との婚姻を進めていた。
保守派家系との婚姻関係など死んでも嫌であるが、それとはまた別に五条には一つ心残りがあり、それがかつての先輩であり、自分が気持ちを踏みにじってしまった信太紫苑の存在であった。
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俺が初めて信太紫苑と出会ったのは高専に入学してすぐだった。
呪術高専は元々学年ごとの人数が少なく、新入生が入ると生徒全員で顔合わせをする。
その中に1学年上の先輩として紹介された人物こそが紫苑であった。
紫苑は千里眼の術式を持っており、呪力量はそこまで多くなさそうだった。
普段ならどうも思わない人材。
しかし、その瞳を染める紅玉のような赤が皓々と瞳孔を輝かせており、何故か惹き込まれそうになった。
俺は紫苑に少し苦手意識を感じたが、何の因果か顔合わせの数日後に彼女から告白されたのだ。
まあ、彼女の目は少し苦手だが、見た目は別に悪くない。
顔も美人の域だと思うし、スタイルも俺が好きだったグラビアアイドル顔負けの巨乳だった。
しかし、この当時から既に引く手数多であった俺にとって、彼女程度のレベルの女など数え切れないくらいに関係を持って来た。
別に彼女の告白で気持ちが揺らぐ程度の人間でもない。
「いや、付き合うのは普通に無理。けどまあいいや。今日の夜俺の部屋来いよ。」
これが俺にとって“呪い”の始まりである。
ガードが高そうに見えていた彼女だが案外あっさりと俺に体を許してきた。
前戯もそこそこで入れるとまさかの処女だった様で俺に組み敷かれながらその瞳をキュッと食いしばっている。
その姿に征服欲がどんどん膨れ上がった。
彼女は俺の事をなんでも受け入れてくれた。
自分勝手に腰を振ろうが避妊具を着け無かろうが、事後には俺にへにゃりと口を緩めてくだらない話をしてくる。
どこどこのスイーツが美味いだの、傑と硝子とは仲良くなれたのかだの全部お前には関係ない話ばかりだ。
「やる事やったし帰ってくんない?俺もう寝たいんだけど。」
そう言って突き放しても反論もせずに俺を労い部屋を出ていく。
気づけばあの苦手だったあいつの瞳の色を俺から探す様になっていた。
赤い菓子、赤い服、赤い夕焼け、更には負傷した際の血の色まで彼女と重ねてしまうようになっていた。
教室で紫苑が他の男と話していればそれに割って入り2人きりになる事を阻止していた。
それを遠目に見ていた傑と硝子に茶化され早くちゃんと今までの事を謝って気持ち伝えなと言われたが、そんなんじゃねえよと素直になれなかった。
だから紫苑への対応も変えることが出来ず、会えば悪態を付き自分の部屋に呼び出し酷く抱いた。
それでも彼女は自分の事を思い続けてくれると言う謎の自信があった。
後悔は全て失った後に来ると分かっていたはずなのに。
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それから俺は2年に進級し紫苑も3年に進級した。
ここ1週間程あいつを抱いていない。
電話で呼び出してもわざわざ教室まで呼びに行ってやっても何かと都合をつけて断られていた。
避けられているのか、興味を無くされたのか。
あるいは他に好きなやつでも出来たのか。
むちゃくちゃ癪に障った。
しかし、表立って彼女を組み敷くことは今年から難しくなってしまった。
春から入学してきた1年の中に、幼い頃から顔なじみである婚約者の黒条百合の存在があったからだ。
別にこいつは嫌いでは無いが、ただ家同士が決めた関係なので恋愛感情は持ち合わせていない。
俺にとってはこいつはただの幼なじみだ。
しかし形式上は婚約者。
紫苑はこいつを見てどう思うのだろう。
本当は紫苑にこいつの存在を知られたくなかった。
だから高専も京都校を進めたのに、婚約者同士近くにいる方がいいとかいう理由で東京校への入学が決まってしまった。
否が応でも紫苑の目に触れることになるだろう。
紫苑はこいつを婚約者として紹介したらどんな反応をするのだろう。
嫌だと縋ってくれるのか、あの緋い瞳に大粒の涙を浮かべて泣き崩れるのか。
はたまた、自分への気持ちが覚めて離れてしまうのか。
もし後者だとしたら彼女は他の男に行ってしまうのだろうか。
それだけは嫌だと自分の恋心を否定しているくせに受け入れられなかった。
そして紫苑がどう反応するのかが怖かった。
だから会わせたくなかったのだ。
しかし無慈悲にもその時は来てしまった。
「初めまして!悟兄様の婚約者の黒条百合です!悟兄様がいつもお世話になっています!」
偶然居合わせた俺の腕を絡ませ、紫苑に面と向かって自分が婚約者だと主張したのだ。
この時はどんなタイミングだよと思ったが今思えば黒条なりの牽制の意味もあったのだろう。
しかしそれどころでは無い。
紫苑はどんな反応をするのか。
「初めまして!3年の信太紫苑です。2人ともとってもお似合いだね。」
そう言って自分に向けるいつもの笑顔。
想像していた反応では無く純粋に祝福している様な表情だ。
それが酷くモヤッとした。
なんでそんな顔できんの?俺の事好きなんだろ?泣いて縋りつけよ。
そう思うだけで口には出せなかった。
「ごめんね、私夜蛾先生に用事があるからこれで失礼します。もし任務で一緒になった時はよろしくね黒条さん。」
「もちろんです!またよろしくお願いします!」
そう言って自分にも五条くんまたねと、いつも通りの笑顔ですれ違う彼女の呪力をやんわりと感じることしか出来なかった。
その後、教室に戻るとその一部始終を目の当たりにしていた同期二人にやっちゃったねと呆れられた。
「そうなるから私ら早く気持ち伝えなっていったんだよ。」
「ま、あんなに牽制されちゃねえ。女って怖いなあ。」
「るせえな。」
今日こそは無理矢理にでもあいつ部屋に連れていこう。
そう思った。
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紫苑は夜蛾を呼び出し校舎の隅にある部屋にいた。
「それで話とはなんだ?またなにか見えたのか?」
「いえ…私、高専を中退しようと思います。」
「何故だ?あれだけの幾つもの重大案件を未然に防いだお前が何故唐突にそのような事を言う?」
「私も人間だったって事ですかね。なんかもう疲れちゃって、前々から一般社会に戻ろうかと思っていたんです。これから先の重大案件はみんなが乗り越えられるだろうし、九十九さんにも引き継ぎはしてあります。もう私の役目は終わりました。」
「分かった…お前を失うのは相当痛手だが、決意が硬いのならもう止められないな。お前が2回目の人生だと言ってきた時は訳がわからなかったが、おかげで私も含め大勢の人間達が救われた。本当に感謝してもしきれない。ありがとう紫苑。」
夜蛾は深々と紫苑に頭を下げる。
「すみません、今までありがとうございました。」
「紫苑…お前体調悪いのか?少し顔色が悪いぞ。」
「いえ、そんなことはないです。少し寝不足気味だったので。」
「そうか…そういえばお前は両親に縁を切られていたな。再就職先が決まるまではあの部屋は好きに使っていい。」
「お気遣いありがとうございます。でも、住居は九十九さんの方で手配して貰っているので大丈夫です。あとはよろしくお願いします。」
そう言って退学届をその場で記入し、夜蛾に一例をして部屋を出た。
信太紫苑として人生を送るのは2回目であった。
1回目の人生では五条と紫苑は恋人同士であった。
紫苑が2年の時に1年の五条が告白し、始めは任務との両立が難しいとの事で断っていたのだが顔を合わせる度に、寮へ帰宅する度に、極めつけは女子トイレの個室にまで待ち伏せされ結果的に紫苑が折れる形で付き合った。
彼と紡いだ2年間はかけがえのないものであった。
しかしそんな幸せな時間は長くは続かなかった。
天内理子の暗殺、灰原雄の殉死、夏油傑の離反など1年程度で立て続けにショッキングな出来事が続いた。
私はそのような惨状に耐えきれず五条くんとの関係を終わらせ、4年の秋、間もなく卒業して本格的な呪術師になろうかというタイミングで高専を辞めた。
その時の五条くんの顔が未だに脳裏に焼き付いて離れない。
『あっそ…お前まで僕を置いていくんだね。』
その言葉を最後に私は彼を見ていなかった。
あの東京都ほぼ全域が地獄と化した2018年12月24日までは。
画面越しに映る11年振りに見た彼の顔、そして初めて見る彼の変わり果てた亡骸に私は己を恨み、呪うことしか出来なかった。
その後はよく覚えていない。
1回の人生をどう終わらせたのか、なぜ一から人生をやり直していたのか私には分からない。
しかし、こんなチャンスは二度とないことは確かだ。
私は2度目にも与えられた術式千里眼を活用し、まずは夜蛾先生と九十九さんを仲間に取り込み後に伏黒甚爾も呪術師殺しを辞めさせ、高専側に取り込んだ。
伏黒甚爾を仲間にする事は骨が折れる作業かと思ったが彼の唯一愛していた伏黒恵の母の治療費を高専側が請け負うと交渉すると、意外とすんなり高専側に寝返ってくれた。
私が1年生の間はその数多くの重大案件をどう回避するかで手一杯だった。
しかし、彼の事を忘れていた訳ではない。
2年に進級し、あの初々しく懐かしい彼の顔を久々に見れて私は高揚した。
あの時はごめんね、もう二度と君を1人にしないよ。
君の親友も私が絶対助ける。
だからもう一度こっちを向いて。
しかし、向けられたものはあの時私に与えて居たものとは正反対の感情。
2回目の彼は私の事を恋人として傍に置くことはしなかった。
ただただ己の欲を満たすラブドール。
どれだけ彼にまた振り向いて欲しくても彼に好きだと言って欲しくても、それももう叶わない。
私はこれが自分に科せられた罰なのだと悟った。
そしてつい数日前に妊娠が発覚した。
思い当たる相手は彼しかいない。
彼の婚約者が入学することは前々から耳に入っていた。
1回目にはいなかった存在。
2回目になぜ彼に求愛されなかったのか今となっては自分馬鹿だなとてんで笑える。
そうだ、ここではみんなを救えても自分は報われなかったのだ。
寮に帰ったら目いっぱい泣こう。
お腹の子の負担にならない程度に。
そう思い廊下を歩いていると五条くんと鉢合わせてしまった。
どくりと心臓が泣くが無視する訳にもいかない。
「五条くんこれから任務?」
「ん、そうだけど。お前に関係あるそれ?」
相変わらず冷たいな。
彼に対して無関心に慣れたらどれだけ良かっただろう。
1回目の時の彼が脳裏に焼き付いているせいでどんなに酷い扱いを受けても嫌いになるなんてできなかった。
もしかしたらまた自分に好意を寄せてくれるかもという、叶いもしない期待だけで彼に答え続けたことにより何も関係ないこの子のことを不幸へと道連れにしてしまう結果になってしまった。
この子を堕ろすことは容易いがこれは自分への罰であり、救いでもあるのだと思う。
私はこれからこの子が請け負うべきではなかった罪も一緒に背負って生きていく。
そう決めたのだ。
「今日は9時に俺の部屋来いよ。」
「ごめん、今日は行けないんだ。」
「は?じゃあそれ以降でもいいよ。」
「時間の問題じゃなくて今日は本当に行けないの。」
五条は先程の紫苑の対応と言い、自分の誘いを無碍に断り続ける紫苑の態度と言いかつてないくらいに頭に血が上っていた。
「じゃあ俺が特別に任務遅らせて今から抱いてやんよ。」
そう言って強引に腰に手を回して引き寄せた。
「いや!!やめて!!」
紫苑が五条の手を振り払い咄嗟に腹部を庇った。
五条は拒まれた事が理解できないと言いたげな表情で舌打ちをした。
「あーそーいうことね。生理かよお前。きっつ。普通に無理だから終わったら教えて。」
五条は一方的にそう言い放ち、その場を立ち去った。
紫苑は彼を置いて行かないと決意をしたが実際に置いて行かれたのは自分の方だったのだと目頭が熱くなるのを感じた。
「うぅ…ひっぐ…っ…」
私は寮に戻って気の済むままに泣いた。
あの人は最後まで自分にあの態度であった。
強引に抱き寄せられ部屋に連れていかれそうになった時、一番に頭に浮かんだのはお腹に宿る命だった。
妊娠8週目というまだ安定期にすら入って居ない我が子を守ることしか頭になかった。
その相手がこの子の父親でもある。
こんなに無慈悲な事があるだろうか。
散々泣いていると悪阻の症状も酷くなってくる。
込み上げてくる吐き気に我慢ならずゴミ箱に顔を突っ込んだ。
「っ…はぁ、はぁ…。」
この調子では任務もろくに行けない。
夜蛾から次の居場所が決まるまでここにいていいと言われたが、なるべく早くここを出たかった。
必要最低限の物だけをカバンに詰め、メモに置き手紙にもなり得ない業務的な内容だけ走り書きをした。
【備品に出来るものは使ってください。要らない物はすみませんが処分しておいて欲しいです。】
我ながら淡白な文章だと思う。
思ったよりも悪阻が酷くなかなか作業が進まない。
また込み上げ来る吐き気に耐えきれず項垂れる。
そしてまた声を上げて泣く。
その繰り返しだ。
気がつけば時刻は夜の1時を回っていた。
終電でここを出ようと思っていたが、流石に無理だったようだ。
始発の皆がまだ寝静まっている時間を見計らって出るしかない。
その時携帯に一本の着信があった。
画面を見ると九十九さんからであった。
「っ…はい。」
「紫苑?ごめんね、夜遅くに。」
「いえ、私も寝れなかったので…」
「…もしかして今、泣いていたのかい?」
紫苑は取り繕っていたつもりであったが、長い付き合いである九十九には見透かされていたようだ。
「はい…。」
「落ち着いたら外に出ておいで。もう今高専を出るなら私に着いてきてくれて構わないよ。」
「うぅう…っ、ありがとうございます。」
やはり、九十九さんは頼れる人だ。
涙が収まったのを確認し、少ない荷物を持ち鍵を机に置いて部屋を出た。
さようなら私の青春。さようなら五条くん。
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外に出ると自販機の横で2年生3人が屯していた。
咄嗟の事で身を隠す。
「あーまじうぜえあのバカ。」
「いやお前の方がバカじゃん。」
「確かに。本当に君は救いようのないバカだな。」
「俺はバカじゃねえし、超絶最強イケメンだし。なんで俺の事好きなくせに部屋来なくなったんだよクソ。」
「そりゃあ信太さんだって私らと同じ人間だし嫌な時くらいあるだろう?」
「俺がセックスしてやるっつってんのに何が嫌なんだよ。」
「そういう所だよ悟。誰だって他人から無性の愛を受け続けられる訳じゃない。少しは彼女に寄り添える様になったらどうだ?」
「寄り添う方法なんて分かんねえよ。何、ヤッてるときク〇ニもしてやればいいってこと?」
「そうじゃないって言ってんの。例えばここ最近先輩体調悪そうだったからスポドリとか胃に優しい物差し入れたりとか。」
「そうそう。硝子の言う通りだよ。そういうちょっとした気遣いで女の子ってキュンキュンするもんだよ。」
「何それちょろ過ぎね?つーかたかだか生理だろ。病気じゃねえじゃん。」
「そんな軽いもんじゃないよ月の物って。それよりも女性のそういう事情ペラペラ言ったら本当に嫌われるからね。」
「はいはい、さすがモテ男さんは女のあれこれ分かってますね〜。知った気になってんじゃねえよ。偽善者のヤリチン君よお。」
「…悟、口で言っても通じないみたいだね。」
「はいはいストップ。さすがにこんな夜中に騒ぎ出したら夜蛾センのゲンコツだけじゃすまないって。喧嘩するなら明日に持ち越してよ。」
家入の制止のお陰で平常に戻る2人。
さすが硝子ちゃん、2人の扱いはお手の物だね。
二人に巻き込まれずに安心した。
でもどうしよう。
九十九さんはここの自販機の道を通り過ぎないと居ない。
かと言って通話で呼び出してしまったら確実に声でバレる。
仕方ない、メールで事情を伝えよう。
「…てかさ、五条は信太先輩の体調不良の原因生理って決めつけてるけど、本人が言ってたわけじゃないよね?」
キーボードを打つ手が止まる。
「いやちげえけど、なんか俺が引っ張った時腹庇ってたからそういうことだろ。」
やめて、それ以上その話しないで。
「私さ、医師免許とる予定だから今色々勉強してるじゃん?それで生理にしては丸々1ヶ月くらいずっと体調悪そうだったし、おかしいなって。先輩が抑えてた場所って下腹部の当たりって事だよね。」
「そうだけど。」
「女性が下腹部の中心を支える原因は主に二つ。」
やめて、やめて、硝子ちゃん。
「生理か、妊娠だよ。」
五条の手にあったコーラの缶がメキメキと音を立てて潰れ、中身が噴水のごとく飛び散った。
「ま、中に出さなくても妊娠する時はしちゃうからね。勉強になったねパパ。」
「養育費は月2億円くらいかなパパ。」
「はあ!?まだ決まった訳じゃねえし。もし妊娠してたらまじ迷惑過ぎ。俺が一発腹殴って堕胎させてやるよ。」
自分にとって一番彼から聴きたくない言葉だった。
先程治まったばかりの涙が溢れて止まらない。自分にとっての世界一愛おしい存在は彼にとってはゴミ以下でしかないようだ。
でも仕方の無いことだ。
五条くんには将来を約束している女性がいる。
彼女の存在は五条くんにとって唯一無二の存在だと、そう改めて自分が疎ましい存在だと思い知らされた。
その後のことはあまり覚えていない。
気づいたら九十九さんに支えられて嘔吐いていた。
「九十九さん…私…っ私…!!」
「落ち着いて紫苑。もうあの3人は寮に戻るように言ったから。」
「私は…結局最後まで五条くんの何者にもなれなかった…っ。」
「あの子も素直じゃなさそうだからね。ただ殴る云々は私もいただけなかったかな。」
「…九十九さんも聞かれてたんですね。」
「ごめんね、もう少し早くに追い払っていれば君が傷つかずに済んだのに。お腹の子は大丈夫そうだから心配しなくていいよ。」
「ははっ…やっぱり九十九さんには敵わないや…。」
「落ち着いたらここを出ようか。高専から一台車を借りてきたから後部座席で横になってくれて構わない。」
「はい…ありがとうございます…。」
「例を言うのはこっちの方さ。君のおかげでこれから起こることも防げそうだ。例の宿儺の器も監視が行き届いているしね。星漿体の件も無事伏黒甚爾はこちら側に回ってくれている。まあ、五条くんには少々痛い思いをさせてしまうけどね。君の痛みに比べたら微々たるものだよ。」
「五条くんが死なない程度ですよ…?」
「全く、あんなに酷いことされ続けても彼の心配が出来る君が凄いよ。」
「っ…やっぱり、好き…なんです…。」
「そうか…。そんなに思って貰える彼は幸せ者だね。」
そう言って優しく私を包み込んでくれた。
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「…は?」
「なんども言っているだろう。紫苑は高専を辞めることになった。」
「だからは?っつってんだよ!!」
あれから1週間。
久しく紫苑を見ていなかった俺は何度も3年の教室に通ったが彼女に会うことは出来なかった。
寮にも行ったが部屋から紫苑が出てくることはなく電話も通じず、メールも届くことはなかった。
ただ避けられているならまだ良かった。そんな中での夜蛾からの聴きたくなかった言葉。
俺には受け入れる事が出来なかった。
「悟、落ち着いて。何があったんですか?信太さん、あんなに人一倍真面目だったのに。」
夏油は紫苑からいつも気にかけて貰っていた。
体調面でもメンタル面でもだ。
彼女は人一倍優しく、聡い女性だった。
何があったとしても大丈夫。
五条くんっていう親友がずっと君の隣を歩き続けるよ。
そう言われた時、何故だか少し気持ちが楽になるような感じがした。
だからこそ夏油にとっても、もちろん家入にとってもこれはショックだった。
「彼女が辞めた理由は私にも分からんのだ。もちろん3年にも担任にも言っていないらしくてな。あまり模索することも彼女のためにやめておけ。今は受け入れるしかないんだ。」
「ちっ、ああそうですか。」
原因は理解したくないが十中八九俺が原因なのだろう。
果たしてトリガーとなったのはどれか?
肩書きだけの婚約者を紹介した時?
具合の悪い彼女を無理矢理部屋に連れ込もうとした時?
もしくは_____
“ もし妊娠してたらまじ迷惑なんだけど、俺が一発腹殴って堕胎させてやるよ”
「夜蛾センわりい。なんか体調悪いから今日早退するわ。」
そう言って身を翻し校舎を後にした。
「はぁ…だから私らがあんだけ言ってたのに。失ってからじゃ謝罪も好意も伝わんないっての。」
「…先生、信太さんってもしかして。」
「それ以上言わん方がいい。確証がないからな。ただ紫苑がずっと体調不良だったことは確かだ。」
「私らも先輩にとったら五条を止められなかった共犯者ですもんね。」
「さあ…どうだろうな。」
俺が向かった先は紫苑が過ごしていた寮の部屋だ。
自分の部屋ばかりに呼び出して一度も訪れなかった部屋。
試しにドアを引くと鍵はかかっていないようだった。
ガラリと音を立てて空いたドアからは見える風景はもぬけの殻の様に見えて微かに彼女がいた面影を残していた。
紫苑は必要最低限のものしか持ち出していなかったらしく、彼女が使っていた教科書や文房具などは机の上に整頓されていた。
机の上には彼女が書いたであろうメモと部屋の鍵が残されていた。
走り書きされた文字は、それでも彼女の心を表しているかのように癖がなく綺麗な文字だった。
ハンガーラックには紫苑が着ていた見慣れた制服がかかっていた。
ブレザーは学校指定のカスタムをしていない地味な物で、スカートも切っていない膝丈のなんの色気もないものだった。
もうこの制服姿を見られることはない。
五条くん、五条くんと笑顔で駆け寄ってくる彼女と関わるうちに始めは近寄り難かった赤い瞳も気づけば毎日見つけないと気がすまなくなっていた。
あれだけ侍らせていたセフレ達も鬱陶しくなり、電話がなるのもうざかったので数ヶ月前に全員縁を切った。
だからもうお前しかいなかったのに。
試しに引き出しを開けて見ると中も綺麗に整頓されていた。
中には資料の他に、読んでいたのだろう雑誌が入っていた。
一冊手に取って見てみるとどうやらスイーツ専門の雑誌のようだった。
所々折り目が付いていた。
試しにそのうちの1ページを開くと新規オープンのパフェのお店が見開きいっぱいに掲載されていた。
「五条くんさ、立川に新しく出来たパフェのお店もう行った?この間行ってきたんだけど、すごく美味しかったよ。𓏸𓏸って言うお店なんだけど。」
「ふーんあっそ。少なくともお前とは行かねえわ。」
「そうだよね、ごめん。よかったら夏油くんと硝子ちゃんと3人で行ってみてよ。」
「はいはい、もうやることやったし帰ってくんない?俺もう寝たいんだけど。」
「うん、分かった。今日もお疲れ様。ゆっくり休んでね。」
その次の週に3人で任務の帰りにその店に立ち寄った。
フルーツや生クリームをふんだんに使ったパフェは今まで食べた中で一番美味しかった。
甘いものをあまり食べない2人にも評判がよかった。
「はいこれ。」
「ん?プリクラ?」
「昨日傑と硝子とパフェ屋行ってきた。お前にしてはセンス良かったからお礼にくれてやる。俺の顔何時でも見れるしありがたく思えよ。」
そう言って紫苑に3人で撮ったプリクラを渡した。
写真にはパフェの絵が落書きされている。
普通なら本人が写っていないプリクラなど貰ったところで嬉しく無いはずだが、紫苑は違った。
「ありがとう!大切にするね。」
そう言って顔を赤らめ、笑顔を向けられた時は正直ドキッとした。
他のページをめくっても彼女が紹介してくれた店ばかりだった。
てっきり彼女がたまたま立ち寄っただけの店だと思っていたが俺の為にリサーチしてくれていたらしい。
決してお前とは行かなかったのに。
他に紫苑の痕跡は無いのかと引き出しの中を漁っていると、宝物と記された小さな缶が出てきた。
見るのは少々罪悪感があるがメモには好きにしていいと書いてあったので遠慮無く開けた。
中を見るとそこには自分との思い出の品が入っていた。
カバンの奥深くに眠っていたいつのか分からない飴、このキャラお前にそっくりと言って渡した任務先に落ちていた趣味の悪いドクロの缶バッチ、インクが出なくなった愛用していたボールペン、そしてあの時パフェのお礼に渡した3人で撮ったプリクラ。
「はは…ゴミばっかじゃん。」
全部俺があいつに渡したガラクタばかりだった。
あれだけ酷い扱いをしていたのに、こんなの見たら自惚れちまうじゃねえかよ。
まだ何か紫苑との繋がりがないだろうかと隅々まで探した。
するとベッドの下から棒状の物が見えたので拾って確認する。
それは妊娠検査薬だった。そこにはくっきりと2本の線が記されていた。
どういう意味かは知らなかったが、つまりそういうことだと察した。
家入が言っていた事は当たっていたのだ。
手の震えが止まらなかった。
ああ、俺はあいつにとんでもない事をしでかしちまったんだ。
拾い上げた検査薬とガラクタばかりが入った缶を手に持ち、代わりに机に彼女が好きだと言っていたソーダ味のグミとアイスティーを置いて部屋を出た。
俺の覚悟は決まっていた。
携帯を取り出し、実家に電話をかける。
「あーばあや?あのさあいつとの婚約破棄しといて。拒否ったら家潰すから。」
そう言って返答も聞かずに電話を切った。
何度もかけ直しの電話が入るが30分もしたら鳴り止んだ。
その後、血相を変えた元婚約者がどういう事かと人の部屋に勝手にズカズカと入ってきたがその胸で輝いている俺の瞳と同じ青色のペンダントすら見たくもない。
睨みつけると黙ってどこかへ消えた。
何やら捨てセリフを吐いて言ったが特に聞いていなかった。
騒ぎが収まったタイミングで隣部屋の傑が部屋に入ってきた。
「君の婚約者?が酷く騒いでいたみたいだけど何があったんだ?」
「あー婚約破棄した。」
「…まじ?」
「おおまじ。」
そう言って傑は俺が指で示した物を見ると何も言わずに納得していた。
「大丈夫なのか?あの子って悟の家と一番繋がりが深いんだろ?」
「別に血の繋がりが近いだけでそんな対した家じゃねえよ。あいつのこと恋愛対象として見た事ねえし。」
「でも、君の子だとしても彼女の居場所が分からなければどうすることも出来ないじゃないか。探偵でも雇う気か?」
「さすがにそこまでしねえよ。あんな最低なこと言っちまったし。でもやれることはやるつもり。散々苦しませた分今度は俺が苦しむ番だから。」
「そうか。それなら私と硝子も協力するよ。彼女からしてみたら悟を止められなかった共犯者だからね。」
「いやいいって。お前らは悪くないよ。全部俺がやった事だし。」
「でも、私達は親友だろう?悟の罪は私の罪でもある。」
「…なんだよそれ。」
「そのままの意味さ。」
「あっそ。…ありがとな傑。」
「お礼なら2人に償ってからだよ悟。」
「りょーかい。」
そう言って俺は傑に向けて拳を突き出し、あいつも受け入れたように拳を俺に合わせてきた。
もうこれ以上俺は紫苑を傷つけない。
一生お前への罪と罰を背負うって決めたから。
________________________
【登場人物紹介】
信太紫苑
1話目で唯愛のお母さんしてた子。
実はさしすの1つ上の先輩でした。
前世というか、同じ人生の2回目を生きている人。
1回目ではメンタルが滅入り過ぎて五条を置いて行っちゃったから、2回目では絶対に置いて行かないと決めたのに、気がついたら自分が五条に置いていかれていたっていう報われない人生。
唯愛を妊娠したから高専を辞めて自分の出生地だった新潟県に身を潜めてる。
術式
千里眼
未来を透視するもの。
呪力があまり多くないから1回目のあの惨状を透視する事は出来なかったけど、2回目で色々頑張りました。
頑張り過ぎちゃったせいで唯愛を産んでからは数十分前を視るのが限界になっちゃった。
黒条百合
五条の近縁の分家出身で婚約者。
五条は家が勝手に決めたって思ってたけど、実はこの子が我を通して婚約まで持ち込んでたってやつ。
見た目はご想像にお任せします。