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あの日――――。
6月19日。
尚子は一人の男と会っていた。
出会い系アプリで出会った、20代のサラリーマン。
小柄で大人しそうで清潔そうで、見た目は完璧にタイプだった。
一緒にホテルに行った。
シャワーを浴びて、ベッドの上でセックスをした。
生で入れたがった。
「妊娠しないから」といって、OKした。
「中で出していい?」
「妊娠しないから」といって、OKした。
OKしたのにーーー。
直前で男は怖気づいたのか、尚子から抜いてそれを顔にかけてきた。
とっさのことで瞼を閉じられなかった。
精液が左目を直撃し、あまりの痛さに尚子はのたうち回った。
その様子に男は驚いて逃げ、尚子は自力でラブホテルの洗面所で目を洗い流した。
それでも脈打つような痛みが消えず、ハンドミラーで目を見ると、真っ赤に充血していた。
夜―――。
あまりの痛さに祖母に訴え、父の運転で救急に連れて行ってもらった。
幸いにして院内にいた眼科医は、結膜炎を起こしかけていた尚子を眼を覗き込んだ。
「もしかして、性病を持ってる人となんて性行為をしていないよね?」
ーーー父が羞恥と怒りで震えているのが視界の端に映った。
家に帰ってから、熱いシャワーを制服ごと浴びせられた。
「誰にやられた!どこの誰にだ!そいつの連絡先を言え!」
父は叫んだが、アプリでやり取りをしていたため連絡先なんてわからなかったし、きっとあの様子じゃブロックされているからメッセージも届かない。
尚子はただ顔を横に振った。
「このふしだら娘が!」
父の平手が飛んでくる。
「お前のこれは!死んでも治らないんだ!!」
拳が飛んでくる。
痛い。
痛い。
痛い痛い痛い。
生きるのって痛い。
生きるのって辛い。
もう―――。
死んでしまいたい……。
「殺して」
気が付くと尚子は父にそう言っていた。
「私を殺して。お父さん」
「ちょ……君!!」
声を上げたのは尾山だった。
「――――!」
花崎が身構える。
―――え。何?
尚子は自分を見下ろした。
自分の制服はビショビショに濡れて、スカートからもカーディガンの裾からも、水が滴り落ちていた。
「…………」
その制服に赤い色が滲んでいる。
上に行けば行くほど赤色が濃くなる。
尚子は自分の手で後頭部を触った。
「――――!」
頭の後ろが―――
どこの美容院に行っても、「頭の形、綺麗ねー」美容師さんたちが褒めてくれる後頭部が、
ボコッと、凹んでいた。
生暖かい感触がして、手に血だけではない液体が纏わりつく。
「―――うわああああ!」
尾山が悲鳴を上げる。
花崎も眉間に皺を寄せた。
仙田もこちらを見つめている。
その瞳が揺れている。
『―――土井さんがほしい♪』
皆が言葉を失う中、アリスが口を開いた。
「土井さん。僕たちはあなた以外に選択肢がない。あなたは誰を選ぶか、決まりましたか?」
「……………」
尚子は仙田を見つめた。
彼は顔を歪めたまま、ゆっくりと頷いた。
ーーー大丈夫だ。
彼は尚子を裏切らない。
裏切る理由がない。
『仙田さんがほしい……』
尚子はそう呟くと、ゆっくりと眼帯を外した。
真っ赤に充血した左目に、男たちが一歩下がる。
その中で仙田が一人、前に進み出た。
尚子も出る。
高校のグラウンドの中心で、二人は向かい合った。
2人が使うのはのはグーかチョキ。
1人になってしまった方が、グーを出すルールだ。
つまり尚子は出すべきはグー。
仙田はチョキで負けてくれるはずだ。
そして負けた仙田は、自分の隣に並び、手を握ってくれるはずだ。
尚子は弱く握った拳を差し出した。
しかし仙田は着崩したブレザーのポケットから手を出そうとしない。
「ーーー高校時代の仙田さん、かっこいいね」
話しかけてみる。
仙田はふっと笑った。
「今さら褒めても何にも出ねえよ?」
その口調は昨日のベッドの中での口調と同じだった。
尚子は少しほっとしながら彼を見上げた。
「本当だよ。このころ出会えてたら、恋をしてたかもしれない」
言うと、金髪の仙田はこちらを見てもう一度笑った。
仙田が言っていた「自分の為に死んだ女が誰だかわからない」というのもあながち嘘でないのかもしれない。
「仙田さんの死因って刺殺じゃない?」
「は?」
「女に刺されたんじゃないの?」
「――――」
仙田は目を細めると片方の唇を引き上げ、奥歯を見せて笑った。
「ーーーかもな」
仙田はやっとポケットから手を出し、掲げた。
鳶職をしている今とは比べ物にならないほどの白く美しい手。
それを見ながら尚子は微笑んだ。
「最初はグー」
「ジャンケンポン」
尚子が出したのは、グーだった。
仙田が出したのは――
パーだった。