渡慶次たちは、なんとか1階までたどり着いた。
とりあえず、知念と上間の話を信じ、昇降口ではなく、隠れる場所の多い美術室に逃げ込む。
「……はあっ……はあッ!」
顎から滴る汗を拭いながら、皆を確認する。
普段から水泳部で鍛えている上間は、さすが基礎体力があるらしく、意外と平気そうだ。
知念も見た目にそぐわず足が速く、息もそこまで上がっていない。
問題は―――
「ククッ……!」
新垣だ。
逃げている最中も、美術室に入ってからも、何が面白いのか笑っている。
「お前、大丈夫かよ……?」
渡慶次が眉間に皺を寄せながらのぞき込んだところで、
「……渡慶次?」
並んだイーゼルスタンドの後ろから柔道部の|中村敏明《なかむらとしあき》と、女子の中ではあまり目立たない渡辺由真(わたなべゆま)が出てきた。
「ああ、無事だったか!」
渡慶次は2人に駆け寄った。
「他のみんなは?」
「昇降口が開かなくて窓も壊せないってわかったら、みんなそれぞれの方向に逃げて行っちゃって」
「俺たちは偶然一緒に……な?」
2人は顔を見合わせた。
「そうか。でもこんな状況下だから、ある程度人数がいた方が心強いよ」
これは本心だった。
役に立つ立たないに関わらず、人員は多い方がいい。
他に興味を反らしている隙に反撃の方法を考える時間も余裕も生まれる。
「これからは一緒に行動しよう」
渡慶次は渡辺の丸い肩をポンと軽く叩いた。
すると渡辺は薄暗い月明かりでもそれとわかるほど赤面した。
こんな非常時に、愛だの恋だの意識する余裕があるめでたい脳みそが羨ましい。
―――って人のこと言えないか。
渡慶次は自嘲的に息をついた。
「あ、そうだ」
渡慶次美術室を見回した。
「ここならバケツも水もあるよな」
窓際に逆さまにされて乾かしてあるバケツを手に取り、それを教室内の流し台に突っ込んだ。
「渡慶次くん、何を?」
戸惑う渡辺に上間が口を開く。
「あのピエロ、どうやら水が弱点みたいなの」
2人を振り返りながら渡慶次は言った。
「弱点というよりはメイクを落とすってのが攻略法みたいなんだ。もちろんそれで倒せるわけじゃないんだけど、メイクが落ちるとその場に座って化粧直しするんだよ。その間は近くにいても攻撃されない」
「………」
渡慶次の解答に鼻を曲げた様子の上間は、ぷいと向こうを向いてしまった。
「弱点……攻略……。ここって本当にゲームの世界なのかよ」
中村は大柄な身体全体でため息をついた。
「俺もよくわかんないけど、多分な」
水が溜まったバケツを流し台から下ろし傍らに置いた渡慶次は、改めて皆を見回した。
中村、渡辺、上間、知念、そして新垣。自分を入れて6人。
あとはどれくらいの生徒が生き残っているのだろう。
「……んで?新垣は一体どうしたんだよ?」
中村が眉間に皺を寄せながら、まだ時たま吹き出すように笑っている新垣を見下ろす。
「さっきピエロと対峙してからずっとこうなんだ」
渡慶次がため息をつくと、中村は迷惑そうに腕を組んだ。
「こんな状態で逃げたり隠れたりできんのか?」
確かに、中村の言う通りだ。
このまま正気に戻らなかったら足手まといどころか、近くに置いておくのも危険だ。
「……さあな」
――いざとなれば捨て駒にするくらいの利用価値はある。
ため息をついた渡慶次を、黙ったままの知念がじっと見つめていた。
◇◇◇◇
「……んで、これからどうする?」
口を開いたのは渡辺だった。
「水がある限りピエロは怖くない。ずっとここに居ても拉致が開かないし、バケツ持ってとりあえず出られるところとか探してみる?」
「うーん。外か……」
渡慶次は腕を組んだ。
さっき校長室からみた光景が忘れられない。
舞台のホリのような星空。張りぼてのような街並み。
もし外に出られたところで、そこに救いはあるのか?
それどころか、そこに世界はあるのか?
「まあ少なくても……」
後ろから声が聞こえた。
「ここがゲームの世界なら、動かないと話にならないだろうね」
そう言ったのは知念だった。
「RPGでもアクションアドベンチャーでも、立ち止ってクリアできるゲームなんて聞いたことないから」
「―――」
渡慶次は知念を見下ろした。
夏にあったクラス対抗大縄跳びでは、渡慶次の提案でみな背の順に並んだ。
しょっちゅう縄に引っ掛かっていた知念は、隣の隣だった。つまり身長はほとんど変わらない。
それなのに彼が小さく見えるのは、知念が極端に猫背だからだろう。
私立でも進学校でもないうちの高校では珍しい漆黒の髪の毛。襟足は短いのに、極端に長い前髪は2つの目を避けているように伸びている。
それに加えて、
「まあ、ゲームなんて興味ないから知らないけど」
この温度を感じない声と、可愛げのない言葉選びだ。
彼は自分で気づいていない。
その態度が、その顔が、声が、
周りをどれほどムカつかせるかを――。
「まあな。確かに」
中村は大きく頷くと、渡慶次に倣ってバケツに水を汲んだ。
「どうなるかはわかないけどとりあえず進んでみよう」
黙って聞いていた渡辺も頷く。
「それで、コレはどうする?」
中村はイーゼル代の前に立ちなにやら鉛筆で書きこんでいる新垣を親指で示した。
「―――こいつは」
渡慶次は息を吸った。
決めなければいけない。
少しでも生存率を上げるために。
上間を助けるために。
「今はここに置いていく」
「……ま、しょうがないよな」
その判断に中村が小刻みに頷き、渡辺が神妙そうな顔を作る。
渡慶次も頷き返そうとしたところで、
「――ひどい……」
低い声が美術室に響いた。
振り返ると、両腕で自分を抱きしめるように立っていた上間がこちらを睨んでいた。
「見捨てるってこと?あんなに仲良かったのに」
置いていくことに賛成してくれた中村も、否定しなかった渡辺も一切見ようとせず、上間は渡慶次ただ一人を睨み続けた。
「だれが見捨てるって言ったんだよ。一旦ここに置いてって、クリア方法がわかったらまた……」
「もしここにピエロが来たとして、新垣君はこの状態で逃げることなんてできる?」
「それは――」
渡慶次が言葉に詰まると、
「また見捨てるんだね。渡慶次くんは」
上間は低い声で言いながら大きく瞬きをすると、小さめのバケツに水を汲み、一人で出て行ってしまった。
「――なんだあいつ。上間ってあんなツンツンした奴だったっけ?」
中村が眉をしかめる。
「……さあ。いこうぜ」
渡慶次はバケツを持ち上げると足を踏み出した。
さっき汲んだときには何も感じなかったバケツが、やけに重く感じた。
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