テラーノベル
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柔らかくて暖かなベッド。広さも充分。大人がふたりくらいなら余裕で寝そべることができるだろう。誰が見ても高級品だと分かるそれは、当然の如く寝心地も最高だった。
室内は薄暗く、窓に取り付けられたカーテンの隙間からも光がほとんど差し込んでいない。時刻がまだ真夜中であることが窺えた。
そうだった。ここは俺の家じゃなかったんだ。お昼に時雨と美作と一緒にラーメンを食べて……そしてそれから買い物に行って……その後はどうしたんだっけ。
またしても曖昧な自分の記憶。おおかた疲れて寝落ちてしまったのだろう。そうなると、時雨にベッドまで運んで貰ったということになる。また世話を焼かせてしまったのか……
寝起きでぼんやりとしている頭で状況整理を行なっていると、部屋の端の方から物音がした。カチャリという扉の開閉音……誰かが部屋に入ってきた。
ゆっくりと入り口の方へ顔を向ける。間違いなく俺以外の人の気配がするけど、明かりが点いていない部屋の中では黒い塊が蠢いているようにしか見えなかった。
塊はこちらに近付いてくる。俺が寝ているベッドのすぐ横にまで到着すると、薄っすらではあるが塊の正体が浮かび上がってくる。このマンションの部屋に滞在している人間は俺を除けばひとりしかいないので、正体は初めから分かっていたようなものだった。
『……時雨さん』
案の定、寝室に入ってきたのは時雨だった。俺の様子を見に来てくれたのだろうか。それなら照明くらい点ければよかったのに……起こさないように気を使ってくれたのかな。
俺は瞳を閉じた。まだ少し眠かったのもあるが、自分が来たせいで俺を起こしてしまったと、時雨が誤解するかもしれない。寝たふりをしてやり過ごしてしまおうと考えたのだ。
時雨が俺を見下ろしている。頭から足の先まで……まるで品定めでもしているみたいだ。目を閉じていても分かるくらいの強い視線。どうしてこんなにマジマジと見つめてくるのだろう。寝たふりをしているのがバレたのか。
時雨がなかなか部屋から出ていかないため、少し焦りを感じ始めたが、次に彼がとった行動により、焦りは一瞬にして恐怖へと塗り替えられてしまった。
「寝てるね……」
時雨が一言呟いた。次の瞬間――――
寝ている事が確認できたのだから、てっきり部屋から出ていくのだと思っていた。それなのに……彼は俺が寝ているベッドの上に乗り上げてきたのだ。
大きなベッドは体格のいい成人男性が乗ってもびくともしない。安定感も抜群で、ベッドが壊れる心配は無用だ。いやいや、そういう問題じゃなくてだ……
時雨は俺と一緒に寝るつもりなのか。もしかしてこの家は寝具がひとつしかないのか? これだけ広い間取りなのだから、ゲストルーム的な奴があるんじゃないのか。そもそも時雨の家はこことは別に存在しているだろ。あまり使っていない部屋だからという理由で、俺が住まわせて貰えることになったはずだ。
時雨の行動が予想外過ぎる。理由を一生懸命考えても分からない。同年代の親しい友人同士ならともかく、時雨のような大人とこういうシチュエーションになることはそうそうないだろう。
意外にも時雨のパーソナルスペースは狭いのか。ベッドには余裕があるし……驚きはしたけど、俺も別に嫌とかではない。時雨はれっきとした大人ではあるが、子供っぽいところもある。少しはしゃいでいるのかもしれない。
彼が気にしていないのならいいか。なんかもうどうでもよくなってきてしまった。深い意味などないだろう。そう考えて二度寝しようとするが……事態はそんなに単純なものではなかった。
『は? 何やってんのこの人……』
時雨は寝ている俺の体を跨いだ状態で膝立ちになる。更にその態勢を維持したまま、なんと自らの服を脱ぎ始めたのだ。
上着は床に乱雑に放り投げ、その下に着ていたシャツのボタンに手をかけた。迷いの無い動作で、あっという間に全てのボタンが外されてしまう。シャツも上着と同様、適当に床に落とす。ここまでなんとか薄目の状態で堪えていたけど、これ以上寝たふりを続けることはできなくなった。
「……時雨さん、何やってんの?」
ついさっき頭の中でした突っ込みを、そのまましっかりと声に出した。上半身は完全に裸となってしまった時雨と目が合った。虚を突かれたような顔。彼は今、どんな事を考えているのか。この意味不明な状況に対して、俺が納得できる説明をしてくれるんだろうな。
「ああ、透。ごめんね、起こしちゃった」
時雨は俺が起きたことに対してはそこまで慌てた風でもなく、なんなら笑顔まで浮かべる始末。俺の上から移動する素振りもみせない。
日頃から友人たちに抜けていると呆れられている俺でも、半裸の成人男性にのしかかられる事には恐怖を感じてしまう。俺を起こしたことには謝罪してくれたのに、何をしているのかという質問に対しては、時雨は華麗にスルーを決め込んでいる。
「よくわからないけど、どいてくれるかな。時雨さんがここで寝るなら俺はソファにでも移動するし……」
あくまで冷静を装って逃げようと試みたが、時雨はそれを許してくれなかった。彼の大きな手が俺の顎を捉える。僅かに起き上がりかけていた体は再びベッドへと沈んだ。
「……震えてる。透、もしかして怖がってるの? 大丈夫だよ。眠ってる間に済ませた方が楽だと思ったんだ。透は疲れてるし、負担をかけたくなかったんだよ」
今度は弁明らしきものをし始めた。それでもやはり彼の目的がいまいち分からない。俺に危害を加えるつもりはないと主張しているが、この態勢が心臓に悪過ぎる。とりあえず、会話をするよりもまずはどいて欲しかった。
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