勇作様が正式にこの家の主になって数年.
「縁談ですか.」
夜食をお持ちすると,見合い写真の冊子が机の隅に重ねられているのが目に入った.
「そうなんです.跡取りのことと,なにより孫の顔がみたいと.」
「先代はああ見えて子ども好きですから.会ってみたい方はいましたか??」
「一応,全員に会っておきたいとは思っていますが….」
「“が….”??」
「貴女じゃダメですか??」
「ま!!妥協で私を選ぼうなんて!!いけません旦那様,私はあくまで給仕係です.きちんと由緒正しい家のお嬢様と結婚してくださいまし.」
「すみません.でも貴女といると….」
「“いると”??」
「兄様しかり,もう1人大切な人がいたような….」
「まさか,奥様がいらした…??」
「私に妻が…??」
「思い出せませんか??」
「はい,古傷のせいかどうしても….」
「お薬をお持ちしましょうか.」
「いえ,それほど痛くはないので.」
「承知しました.」
「今日の仕事はここまでにします.寝たら何か思い出すかも.」
「それが良いでしょう. 私はこれで….」
おやすみなさいませ.と部屋をあとにする.兄がいたということは思い出せたが,顔や出来事は靄がかかったように思い出せないという.それにしても内縁の女性がいたなんて….明くる日,結局思い出すことはできなかった.
「あの,もし….」
しばらくして,朝のいつもの時間に門前の掃除をしていると女性に声をかけられた.
「はい.いかがされました??」
「ある人を探しております.この方ご存じないですか.」
と差し出された写真は.
「軍服を着た旦那様…??失礼ですがこのお方の名前って.」
「勇作と言います.」
「間違いなくうちの旦那様です.何故あなたがこのお写真を….」
もっと話を聞きたかったのに,中から私を呼ぶ声が.
「申し訳ありません.私まだ仕事がありまして.」
「こちらこそ仕事の手を止めてしまって,申し訳ありません.」
「私毎朝この時間,ここを掃除していますので宜しければ….」
「わかりました.またお伺いします…. 」
と女性は去っていった.
「(まさか,旦那様の奥様??)」
と思いつつ,その夜自分が知り得る情報全てを手紙に書いてあの方に渡そうと筆を走らせた.そして昨日とほぼ同じ時間に.
「おはようございます.あのこれ,旦那様がこの家の養子になってから今までの経緯を手紙に書きました.」
「わざわざありがとうございます.」
早速目を通されている最中だが.
「失礼とは存じますが,貴女様と旦那様のご関係は….」
「彼とは夫婦でした.」
「左様でございましたか.数日前,兄同様に大切な人がいたと話されたばかりでして.」
「ほんとですか!?その時私の名前は…!?」
「名前は仰いませんでした.思い出そうとすると頭に靄がかかって思い出せなくなるそうです.」
「そうですか….」
「申し訳ありません,そろそろ戻らないと….」
「すみません本当に.あ,お手紙ありがとうございます.私も書きます,彼のこと.」
「はい,明日もお待ちしてます.」
その通り翌日,彼女も手紙を渡してくれた.
「また明日,お返事させていただきますね.」と読みたい気持ちを抑えて仕事に戻る.その夜.
「嘘でしょ….」
彼は陸軍中将の父を持ち,腹違いの兄がいる.しかし父は日露戦争の責任をとって切腹,兄は北海道で死亡している.そしてなにより,実際に婚姻関係を結んでいたが聯隊旗手であるために童貞を貫き,一切の夫婦の営みをしてこなかった.それでも彼女に愛情を注いでいたことに彼らしさを覚え安心した.それをふまえ,また筆を走らせ翌日渡す.そんな文通がしばらく続いた頃.
「お帰りなさいませ旦那様.」
「日本茶を煎れてくれませんか,あと甘いもの…大福が良いです.」
「承知しました.すぐご用意します.」
縁談の席から帰ってきた彼は疲れている様子.
「失礼します.」
入ると彼は珍しく机に足を置きお行儀悪く座っている.
「お持ちしました.」
「ありがとうございます.んー美味しい.体に染み渡ります.」
「今回もご縁がなかった,ですか.」
「そうですね.軍とは一切関わった事がないし,軍事関係の仕事はうちとは方針が違うのに….」
縁談の席で過去の彼のことを調べて故意に記憶を戻そうとする厭らしい方がいるなんて.
「旦那様のお顔の広さを悪用する方々は金輪際,子々孫々うちの敷居を跨ぐのはご遠慮していただいたほうが賢明です.」
「そうですね.貴女にそう言ってもらえてなんか,スッキリしました.」
談笑もひとしおに.
「あの,旦那様.一度お会いになってほしい方がいるのです.」
「…どんな方ですか??」
「旦那様が旦那様らしくいることを尊重してくれる方です.」
「気になりますね,貴女が推薦するならなおのこと.」
僕らしさって何だろうと呟きながらお茶と大福を頬張る.
「この日,いつもの時間にホテルの予約をお願いします.あと貴女も一緒に.」
と端書きしたものをくれる.
「承知しました.向様にもそうお伝えします.」
すっかり堪能した空の器をさげ部屋を出る.そしてあの方にこの事を伝えるべく筆を取った.翌日渡した時,もちろん彼女は驚いたが了承してくれて,縁談をする運びとなった.
「初めまして.今日はよろしくお願いします.」
当日,彼は彼女を前にしても思い出す素振りはなく,いつもの笑顔で会話を楽しんでいる.
「失礼ですが,ご家族はどのような方々でした.」
彼の言葉に思わず食事の手が止まる.離別経験が彼女にあることは事前に報告済みであるが….
「残念ながら両親,義両親ともに亡くなっておりますが,尊敬できる方々でした.義理の兄は祝言以来顔を合わせておりませんが,私たちのことを祝福してくれていたのは確かです.」
「そうですか.ご両親に会えないのは残念ですが,貴女が愛されて育ったことは,今の貴女を見て思います….」
「旦那様??」
「そういえば兄に同じような事を言ったような気がして….兄は自分は家族に好かれてないと決め込んで私と距離を取ろうとすることが多かった…ような.」
ここまで鮮明に思い出されたのは初めてかもしれない.彼女も思わず目を見開いて彼を見ている.
「変なことを言ってすみません.でも貴女と話していると,忘れていた大切なものを思い出せそうな気がするんです.」
と穏やかな笑顔で彼女に言うものだから,彼女は思わずハンカチで目元を拭った.
「すみません泣かすつもりはなくて!!あああっ,仲人の貴女まで!!」
「申し訳ありません,でもお二人がまたこうして向かい合っているのを見たらどうしても…!!」
思わずお二人に慰められ,それ以降和やかに事は進んだ.
「本日はお疲れ様でございました.」
帰宅後,紅茶をご所望されたので持っていく.
「貴女も仲人を請け負ってくれてありがとうございました.あんなに和やかな縁談は初めてです.」
「それはようございました.」
「またあの方に会ってみたいと思います.」
「左様でございますか.お住まいの住所もお聞きになりましたので,その旨をお手紙でお伝えするのがよろしいかと.」
「はい,早速書こうかと思います.」
紅茶を飲みつつ手紙を書き,空になった器と手紙を受け取って部屋を後に.
それから文通と逢瀬を重ねること数ヶ月.お二人は祝言を挙げた.
「本日は誠におめでとうございました.」
縁側に座っている2人にお茶を差し出す.
「こちらこそありがとうございます.素敵な方を紹介してくれて,仲人までしてもらって.」
彼女も同じように頭を下げる.
「とんでもございません.お二人には幸せで居てもらいたいので,そのためなら何でも致します.」
「そんな頼もしい貴女に私達から贈り物があります.」
彼はそう言って彼女に目配せし,彼女は席を立つ.そうして渡された花束.
「杜若です.花言葉に高貴・思慕・必ず幸せはくるという言葉があります.私達もこの先の貴女の幸せを願っています.」
「ありがとう存じます.私この身が保つ限り旦那様や奥様,そのお子様や孫までお仕えする所存でございます. 」
またも感極まって目元をエプロンで拭う始末.
「私まだ仕事が残っておりますので,失礼させて頂きます.どうぞ器はそのままで,後程回収致します.」
そう言い残しその場を離れる.
「(記憶が戻った後も末長く穏やかに過ごせますように.)」
お二人の給仕係になった今,そうなる日は遠くないであろう未来に願う.
コメント
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いえいえ、全然大丈夫です✨読んでくれてありがとうございます!! 文字数に気をつけながら、物語上の時系列に違和感と矛盾が生じないように書きました!!そして、物語を想像しながら読んでくださるおかゆさんにほんとに感謝です!!✨
自分からリクエストしておいて、見るのが遅れました💦すみません。話題がいきなり変わるのですが、今回も口調や時代背景はいつも通りとてもしっかりしていて読みやすかったです‼️何をどうしているのか、そこがしっかりと書かれていたので何をしているのか瞬時に頭に浮かびました。