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「お腹いっぱいですね」
柴田は、林が淹れてくれたコーヒーを啜りながら笑った。
「本当は契約後にここらで有名な寿司屋にでも連れて行こうと思っていたんですけど」
秋山が目を伏せる。
「いえいえ、それは夜に楽しみにしていますので!ぜひ秋山さんオススメのお店に連れて行ってください!」
柴田が笑う。
由樹がお好み焼きの箱を片付け、秋山が簡単にテーブルを拭いた。
「それでは改めまして―――いいですかね?」
柴田が書類をテーブルに並べた。
「こちらが契約書です。それと今後は製品開発に関わっていただくので、誓約書が必要になります。大事な書類ですので、読み上げますね。」
柴田が咳払いをする。
「ええと、本契約に置いて『機密情報』とは有形・無形を問わず、委託業務を遂行するに際にして、一方当事者が知り得た地方当事者との技術上、営業上、業務上その他の一切の情報を言い―――」
由樹は一つ一つの言葉を頭の中で咀嚼しながら頷いた。
◇◇◇◇◇
「……よって、受領当事者は、本契約終了後又は開示当事者から要請があった場合には、提供された機密情報の開示当事者の指示に従って変換し、またはその責任において廃棄し、廃棄したことを証する書面を提示する」
柴田は顔を上げた。
「以上ですが、わからないことはありませんか?」
「大丈夫です」
由樹は頷き微笑んだ。
「ええと、それでは契約を交わす前に」
柴田はまた咳払いをすると、由樹を正面から見た。
「私は今回、君が快く二つ返事で引き受けてくれたこと、心から感謝しています。ありがとう」
由樹は胸が熱くなった。
全国に500を超える展示場と、20を超える工場、そして社員数6000人を超える会社の未来を担う開発部の部長が、自分にそのような言葉を掛けてくれていることが、素直に嬉しかった。
「新谷君。期待しています!」
柴田が頭を下げる。
「………精一杯、尽力します!」
由樹はもっと深く頭を下げた。
「それじゃあ、これが契約書になります」
由樹はそれを見下ろした。
それを柴田が開く。
「ではここに、サインを―――」
「ちょっと、待ってもらっていいですか?」
低い声に、荒い息に、全員が顔を上げた。
「…………」
由樹が口を開ける。
「……しの、ざきさん?」
篠崎の手が由樹の腕を掴む。
「ちょっとだけ、こいつと話があるので、待っていただいていいですか」
篠崎は丁寧な言葉遣いの半面、有無を言わさぬ切羽詰まった表情で、柴田を見下ろした。
「か、構いませんが……」
柴田が篠崎と秋山と由樹の顔をキョロキョロと見回す。
「すみません。借ります」
言うなり篠崎は由樹をぐいと引きあげた。
「あ、え?」
そのまま展示場の外に引きずり出されながら、腕の強さと引きずるスピードに、とてつもない怒りを感じて由樹は震えあがった。
「―――――」
「――――」
「ええと、今のは?」
和室に残され、先に口を開いたのは柴田だった。
「八尾首展示場の篠崎マネージャーです」
言いながら秋山は、猫舌の彼にとってはちょうどいい温度になったコーヒーを一口啜った。
「彼が篠崎マネージャーですか…。お噂はかねがね…」
柴田も仕方がないので、残り少なくなったコーヒーに口を付ける。
「……それで、篠崎マネージャーは」
柴田が秋山の顔を見る。
「一体どうしたんでしょうか?」
その当然すぎる疑問に、秋山はクククと肩を揺らして笑った。
「さあ。多分、勘違いをしているんじゃないかな?」
ひとしきり笑うと、秋山は柴田の顔を覗き込んだ。
「待ちましょう。数分後、2人は必ず、頭を下げながら現れます」