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トレイン犯の少女を、沙耶がいつもの調子で、いや、いつも以上にてきぱきと椅子に括りつけていく。
ロープを通して、ぎゅっ、ぎゅっと結び目を締めるたびに、木の椅子がきしんだ。
小森ちゃんが、両手で抱えるほどのバケツいっぱいの水を持ってきて、沙耶に差し出した。
「ありがとうございます……」
「ありがと、小森さん」
沙耶は軽く礼を言って、躊躇なくバケツを構える。
次の瞬間――。
勢いよくひっくり返された水が少女の頭上から一気に降り注いだ。
どさっと水滴が庭の土に跳ね、少し遅れて「うぅ、」とうめき声が漏れる。
「目、覚めた?」
にこやかに笑いながら、ぐいっと少女の顔の真正面までしゃがみ込んで覗き込む沙耶。
けれど、少女はその視線から逃げるように、すっと横を向いた。
吹けてもいない口笛を「ひゅ〜、ひゅ〜」と形だけで吹く仕草。
頭からかけられた水で、さっきまでこびりついていたモンスターの血が流れ落ち、素顔がはっきり見えるようになる。
短く切りそろえられた髪、くりっとした大きな瞳、やんちゃそうなくちびるの形。
――どこかで見たことがあるような、そんな顔立ち。
(誰に似てる……?)
ちらりと、沙耶、小森ちゃん、カレンの順に見比べてみる。
……違う。みんな系統が違う。
じゃあ、と視線を七海に向けると――。
そこには、同じように吹けない口笛を吹きながら、目をそらしている七海の姿があった。
「なんで、うちの拠点を襲撃したのかな? 返答次第では土に埋まるからちゃんと答えて――」
沙耶がさらっと物騒なことを言い出した、その瞬間。
「わー! 待つっす! そんな過激なことをしなくてもいいんじゃないんすかね!?」
七海が、ほとんど叫びに近い大声で沙耶の言葉を遮った。
慌てた様子で両手をぶんぶん振っている。
「……なな姉ぇ?」
水で濡れた前髪の隙間から、少女がぽつりとそう呟いた。
その呼び方を聞いた途端、七海の動きがぴたりと止まった。
肩がぴくりと震える。
姉――?
そういえば、前に会社で「年の離れた妹がいる」と七海が話していたことがあった。
あまり自分から踏み込んだ話をしたがらないから、それ以上は聞かなかったけれど。
「あのっすね……? 大変申し上げにくいんすけど……うちの妹っす……」
七海が、ものすごく言いにくそうに、それでも覚悟を決めた顔でそう告げた。
「なな姉ぇ! や゛っ゛と゛会゛え゛た゛!!」
縛られたまま、少女――七海の妹(仮)が大号泣した。
しゃくり上げながら涙をぼろぼろ流す姿は、先ほどまでのトレイン犯の面影を一瞬でどこかに吹き飛ばしてしまう。
あたふたと狼狽えている七海も、ある意味で珍しい光景だ。
いつもは軽口と笑いで誤魔化しながら立ち回る七海が完全にペースを崩されている。
(七海の……身内、かぁ)
あまり家族の話をしてこなかった七海が、一番触れられたくなさそうにしていた部分だろう。
「りー子、泣き止むっすよ! このままじゃうちが恥ずかしすぎて蒸発するっす……」
「なな姉ぇ……本当になな姉ぇだぁ……」
妹の涙を拭きながらも、七海の声も少し震えている。
七海がロープの結び目をほどきはじめると、完全に解かれた瞬間、弾かれたように七海に飛びついた。
ぎゅう、と腕にしがみついて、さらに号泣が加速する。
……しばらく落ち着きそうにないな、これは。
私は七海以外のメンバーと目を合わせ、小さく頷き合うと、そっとその場を離れ、静かに家の中へ戻った。
外には、再会した姉妹の泣き声だけが、しばらくのあいだ広がっていた。
◆
二時間ぐらい経っただろうか。
トランプで時間を潰していた頃、玄関の方から戸が開く音がした。
リビングに入ってきたのは、目元が少し赤くなった七海と、その後ろにちょこんと付いている少女。
「うちの妹が本当に迷惑かけたっす……。りー子も謝るっすよ」
「ごめんなさいです……」
二人揃って、ぺこりと深々と頭を下げる。
私は手元のトランプをテーブルの上に揃えて置き、椅子の向きを変えて、正面から彼女たちと向き合った。
「それで、七海の……妹? でいいんだよね?」
「はいです! |小島《こじま》 |理子《りこ》です!」
元気のいい声と、きれいなお辞儀。
そのはきはきした返事が、年相応の若さを感じさせる。
「あぁ、だから七海がりー子って呼んでるんだね……」
「呼びやすいように呼んでくれて構わないです!」
語尾の「です」が、妙に整っていて、逆に目立つ。
七海が遠い目をしながら、妹を見つめ、ぽつりと尋ねた。
「りー子、それで何でここに来たんすか?」
「えっと……クソ二匹がモンスターに食われて死んだです!」
「やっと死んだんすか!? よっしゃぁ!」
反射的に飛び出した七海の言葉に、思わず目を瞬かせる。
言い草的に何を指しているか想像はつくが普通なら絶句するところを、ここまで晴れやかな声で言い切るのだから、相当な事情があるのだろう。
「それで、わたしの住んでた拠点がモンスターに壊滅させられて、前になな姉が配信に映ってたから必死にモンスターから逃げながらここまで来たです」
必死に逃げて、この拠点までたどり着いた――その道程は想像を絶するものだっただろう。
「七海、言いにくかったら言わなくていいんだけど……クソ二匹って?」
「生みの親っすよ。生物学上で親ってだけっす。性格はごみクソうんちっす。酒とたばこと暴力が日常茶飯事で嫌すぎて身一つで東京に出てきてたんすよ」
いつもの軽いテンションのまま、さらっと言ってのける。
内容は全然軽くないのに。
七海は続けた。
「高校時代のバイト代全部使ってりー子を施設に頼んだんすよ。その後もうちの給料から施設費を出してたっす。けど、またクソ二匹と一緒にいたなんて……何があったんすか?」
「実は、ダンジョンがブレイクして施設が壊れたです。それで仕方なく……」
「なるほどっすねぇ、いやぁ。でも精々したっすよ!」
「ですです」
実の娘からここまで言われる親というのも、なかなかだ。
どれだけ酷い環境だったのか、ぼやけた輪郭だけでも伝わってくる。
七海が頬をぽりぽり掻きながら、こちらを見た。
「それでっすけど……りー子を拠点に住まわせて欲しいっす……」
「おねがいしますです」
姉妹揃って、もう一度深々と頭を下げる。
私は自然と視線を沙耶へ向けた。
拠点運営の責任者としての判断が必要なところだ。
「うん、いいよー。七海さんがルールとか説明してあげてね」
沙耶は、あっさりと、でも迷いのない口調でそう言った。
「恩に着るっす!!」
「ありがとうございますです!!!」
「最初からずっと気になってたんだけど、理子ちゃんは語尾に“です”を付けるんだね?」
「はいです! なな姉ぇからつければ全部敬語になるって教わったです!」
ぴくり、と七海の眉が跳ねた。
ちらりと七海の方を見ると、ひょっとこのような妙な顔をして、また吹けない口笛を「ひゅ〜」とやっていた。
相変わらずテキトーな事を言っていた。
「ま、まあ一件落着っすよね!? りー子、部屋に案内するから来るっす!」
「はいです!」
七海は、逃げるような勢いで立ち上がり、理子ちゃんの手を引いて二階へ駆け上がっていった。
嵐みたいな姉妹が去ったあと、リビングの空気がふっと軽くなる。
私は沙耶と目を合わせ、同時に、くすりと笑った。
◆
その後は、理子ちゃんの歓迎パーティーになった。
野菜と肉をこれでもかと使った料理がテーブルいっぱいに並び、理子ちゃんは「おいしいです!」を連発していた。
笑い声と食器の音が入り混じる中で、夜はゆっくりと更けていった。
やがて各々の部屋に引き上げ、静けさが戻る。
私は、夜中にふと尿意で目が覚め、トイレを済ませた帰りに、ふとリビングの方へ視線を向けた。
掃き出し窓が、少しだけ開いている。
そのステップに腰を下ろし、外の夜空を見上げている人影が一つ。
近づいてみると、それは七海だった。
月と星の光だけが、彼女の横顔をぼんやりと照らしている。
いつもの陽気さは影を潜め、どこか遠いところを見ているような目つきだった。
私は足音をできるだけ殺して近づき、隣にそっと腰を下ろした。
「寝れないの?」
「……先輩」
蚊の鳴くような、小さな声。
名前を呼び返したあと、言葉が続かないまま、短い沈黙が落ちる。
しばらくして、七海がぽつり、ぽつりと言葉を零し始めた。
「うち、クソ二匹が死んだらもっと精々すると思ってたっす……」
そこには、昼間の「よっしゃぁ!」と叫んでいた七海とは違う、素の感情がにじんでいる。
私は相槌も挟まず、ただ横を向いて七海の横顔を見つめた。
続きを待つ、という意思だけを、沈黙で示す。
「だけど……もう、うちの家族がりー子しか居ないって考えると少し寂しいって思っているうちも居るっす」
ぽた、と温かいものが、私の手の甲に落ちた。
顔を隠す暇もなく、堪えきれなかった涙がこぼれたのだろう。
私はそっと腕を回し、七海の肩を引き寄せる。
彼女の頭を胸元へと導き、逃げ場がなくなるように、少しだけ強く抱きしめた。
「泣きたいときは無理せず思いっきり泣きな。胸ならいくらでも貸してあげるからさ」
ゆっくりと、その髪を撫でながら、静かに言葉を置く。
どんなに憎んでいても、どれだけ嫌っていても――親は、親だ。
自分の「始まり」にあった存在が、この世から完全に消えるという事実は、簡単に割り切れるものじゃない。
「先゛輩゛……」
押し殺した嗚咽が、胸元からじわりと伝わってくる。
肩が震え、指先が服の裾をぎゅっと掴む。
その音は、私以外の誰にも届かない。
ここにいるのは、今は私と七海だけだ。
窓の外では、風が木々を揺らす小さな音と、遠くで鳴く夜鳥の声だけが、静かに流れている。
七海の泣き声は、その夜の闇と溶け合っていき――やがて、少しずつ、少しずつ、落ち着いていった。