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《総理官邸・地下危機管理センター》
時計の秒針の音だけが、
やけに大きく響いていた。
地下の会議室には、
各省庁の担当者、
自衛隊、警察庁、消防庁、
JAXAからのオンライン接続。
そして、
机の中央に置かれた一枚の紙。
『政府機能移転計画(暫定)』
鷹岡サクラは、
その紙を見つめたまま
口を開いた。
「……今日は、
避難の話だけではありません。」
「“政府そのもの”を
どう残すかの話をします。」
部屋の空気が
一段引き締まる。
藤原危機管理監が
資料をめくった。
「現時点の落下予測では、
茨城県北~県央が
主たる高リスク帯です。」
「ただし、
東京圏への直接被害が
ゼロだとは言えません。」
「衝撃波、
交通遮断、
通信障害、
物流停止、
そして群衆の混乱。」
「首都機能の一部喪失を
前提にした準備が必要です。」
総務省の担当者が
スクリーンに地図を出す。
東京。
その周囲に
いくつもの矢印。
西日本の中核都市、
自衛隊施設、
地下通信拠点、
臨時バックアップセンター。
「案は三つです。」
「第一案。
首相官邸機能を東京に残したまま、
指揮系統の一部だけを
西へ分散。」
「第二案。
首相・危機管理中枢は東京に残し、
各省庁の実務中枢を段階移転。」
「第三案。
首相を含む統治中枢を
一時的に西日本へ移す。」
防衛大臣・佐伯が
腕を組んだ。
「現実的なのは第二案だな。」
「首相が東京を空ければ、
国民は“逃げた”と受け取る。」
「かといって
全部を東京に置いたままでは
一撃で指揮系統が沈む。」
田島外務大臣が頷く。
「海外も、
“日本政府がどこにいるのか”を
かなり気にしています。」
「首相が東京にいることには
象徴的意味がある。」
「ただし、
実務中枢のバックアップがなければ
象徴だけ残っても意味がありません。」
サクラは
静かに聞いていた。
(首相が残る。
それは美しく聞こえる。)
(でも、
“首相が残ったせいで
政府そのものが止まった”となれば、
それはただの自己満足だ。)
JAXAの回線越しに、
白鳥レイナが言う。
「政治判断の話になりますが、
科学側から一つだけ。」
「今の予測精度だと、
“東京そのものが直撃する”可能性は
主候補ではありません。」
「ですが、
被害の波及と社会混乱を考えれば、
東京が“機能を一部失う側”に入る可能性は
高いです。」
「つまり、
“首都は無事だから大丈夫”という発想は
もう危険です。」
サクラは
そこで顔を上げた。
「第二案でいきます。」
「首相官邸、危機管理中枢、
そして最低限の政治判断機能は
東京に残す。」
「その代わり、
各省庁の実務中枢、
データ、
決裁系統、
医療・物流・受け入れ調整のバックアップは
西へ移す。」
「“逃げる政府”ではなく、
“倒れても次の手が打てる政府”を作る。」
誰も、
その言葉に反対しなかった。
《各省庁・移転準備モンタージュ》
・総務省
サーバー室で、
職員たちが
外付け記憶装置とバックアップ手順を
無言で確認している。
・厚労省
医療搬送ネットワークの
中枢端末を
関西の拠点へコピー。
・国交省
全国の道路・鉄道・港湾データの
リアルタイム制御系を
二重化。
・外務省
在外公館との回線試験。
「もし東京が数時間落ちても
大阪経由でつなぎ直せます。」
・警察庁
広域応援の司令系統を
東京と西日本で二重化。
・NHK含む公共通信
“首都機能障害時”の
全国一斉放送訓練。
机の上の紙や端末が
次々と箱に詰められていく。
けれど、
それは引っ越しではなかった。
“この国が倒れたあとも
少しでも動けるようにするための
臓器移植”みたいな作業だった。
《茨城県・県北の町》
町役場の駐車場には、
県外ナンバーの車と
地元ナンバーの車が
入り混じって停まっていた。
出ていく車。
残る車。
受け取りに来る車。
どれも同じ“移動”なのに、
意味が違う。
町役場の会議室では、
町長と職員たちが
険しい顔で地図を囲んでいる。
「避難バス、
今日から増便です。」
「でも、
町を出ないと言ってる高齢者が多い。」
「“家と畑を置いていけない”
“墓を守る”
“ここで死ぬ”——」
若い職員が
唇を噛む。
「“ここで死ぬ”って
簡単に言わないでほしいですね。」
町長が
小さく頷く。
「簡単じゃないから
言ってるんだろう。」
「ここで生きてきた人間にとって、
“土地を捨てる”ってのは
身体の一部を剥がされるみたいなもんだ。」
保健師が手を挙げた。
「残る方への対応も
必要です。」
「避難だけじゃなくて、
“残留者リスト”を
作るべきです。」
「誰がどこに残るのか、
持病、
要介護、
連絡先。」
「残る人を
“勝手に残る人”として放置したら、
最後に一番壊れるのはそこです。」
町長は、
少しだけ驚いたように
保健師を見た。
そして、
ゆっくり頷いた。
「……そうだな。」
「避難する人だけじゃない。」
「残る人も、
行政の視界の中に
置いておかなきゃいけない。」
ホワイトボードに
新しい見出しが書かれる。
『残留者把握班』
その五文字が、
この町の覚悟を
言葉にした。
《県外へ向かう高速道路・サービスエリア》
ガソリン待ちの列。
トイレの列。
フードコートで
床に座っている子ども。
臨時ニュースが
テレビから流れている。
〈政府、首都機能の一部バックアップを西日本に移転〉
〈首相は東京に残留〉
ベンチに座る中年男性が
苦笑する。
「政府も半分引っ越し、か。」
隣の女性が言う。
「でも総理は残るんだって。」
「それ、
安心していい話なのかな。」
「分かんない。」
男性は
紙コップのコーヒーを見つめた。
「でもさ、
“残るやつ”と
“移すやつ”を
ちゃんと分けてるってことは、」
「まだこの国、
考える頭は残ってるってことだろ。」
女性は
少しだけ笑った。
「そうだといいけど。」
少し離れた席では、
高校生くらいの兄妹が
タブレットで授業動画を流していた。
「まだ見るの?」
「……なんか、
止めるとほんとに全部終わる気がして。」
高速道路の向こうには、
どこまでも晴れた空。
《新聞社・社会部》
今日の社内は
さらに静かだった。
電話の数も減った。
人がいないからだ。
桐生誠は
社会面の見出しを調整していた。
『政府、首都機能を一部西へ分散』
『茨城県北~県央、避難と残留の分岐』
編集長が
紙の束を机に置く。
「配送網、
明日からもっと怪しい。」
「西へ移るやつ、
今日また二人増えた。」
桐生は
短く「そうですか」とだけ返した。
編集長が
少し低い声で言う。
「お前はどうする。」
またその問いだ。
桐生は
原稿から目を離さずに答える。
「まだ、
書くことがあるので。」
「“まだ”か。」
「はい。」
少しの沈黙。
「家族は?」
桐生は
答えに詰まった。
「……考えます。」
編集長は
それ以上言わなかった。
デスクに戻る途中、
桐生は
空いた席の一つに
まだ置きっぱなしの
家族写真を見た。
(みんな、
残るか移るかを
それぞれ決めてる。)
(俺だけが、
“記者だから”で
先延ばしにしてるのかもしれない。)
それでも、
手はキーボードから離れない。
《とあるネットカフェ・個室》
城ヶ崎悠真は、
首相会見の切り抜きと
政府機能移転の記事を
無言で見ていた。
〈政府機能の一部、西日本へ分散〉
〈首相は東京残留〉
〈茨城県内では“残る人”への行政把握始まる〉
(政府も、
残るものと移すものを
分け始めたか。)
彼は
目を閉じた。
(だったら俺は、
何を残して
何を動かす?)
自分の中にあるもの。
知識。
後悔。
恐怖。
そしてまだ、
渡していない断片。
スマホを握る。
連絡先一覧。
桐生。
見つめる。
閉じる。
(今送れば、
また何かが動くかもしれない。)
(でも、
それが救いになるのか、
混乱になるのか
分からない。)
画面の中で、
サクラが言っていた。
『残る人も、
行政の視界の中に
置かなければなりません。』
城ヶ崎は
小さく笑った。
「……俺は、
どこの視界にも
入ってないけどな。」
その笑いは、
すぐ消えた。
《総理官邸・夜の会見》
ライトの下で、
サクラはいつも以上に
まっすぐ前を見ていた。
「本日、政府は
首都機能および各省庁実務の一部について、
西日本への分散・バックアップ移転を
開始しました。」
「これは、
東京を放棄するためではありません。」
「政府が一部機能を失っても、
国として動き続けるためです。」
「私は、
危機管理中枢とともに
東京に残ります。」
その言葉に、
会見場の空気が
わずかに揺れる。
「同時に、
茨城県内では
県北から県央にかけての高リスク帯を中心に、
避難支援と、
残留者の把握を始めています。」
「避難する方だけでなく、
残る方もいます。」
「動けない方。
動かないと決めた方。
土地や家族や仕事の事情で
すぐには離れられない方。」
「その方々を
“勝手に残った人”として
切り捨てることはしません。」
記者が問う。
「総理、
首相ご自身は東京に残るのに、
省庁機能は一部移す。
矛盾ではありませんか。」
サクラは
静かに答えた。
「矛盾ではありません。」
「政治の責任として
私がこの場所に残ることと、」
「国の機能を
次の一手が打てるように分散することは、
両立すべきです。」
「“残ること”が美徳で、
“移すこと”が逃亡だとは
考えていません。」
「守るために残る。
守るために移す。」
「その両方が必要です。」
会見の最後、
サクラは少しだけ声を落とした。
「地震は、
突然来ます。」
「だから人は、
その瞬間までは
普通の暮らしを続けられました。」
「でも今回は、
来る日が見えています。」
「その恐怖は、
毎日少しずつ
人の心を削っていく。」
「だから政府は、
避難する人にも、
残る人にも、
受け入れる人にも、
できる限り伴走します。」
「最後まで、
この国の機能を
止めません。」
その言葉は、
励ましというより
誓いだった。
Day5。
オメガ予測落下日まで、あと5日。
残る者。
移す者。
逃げる者。
受け入れる者。
日本は、
その全部を抱えたまま
“国としてどう生き延びるか”を
考え始めていた。
石が落ちる前に、
国家の臓器は少しずつ移され、
それでも心臓だけは
東京に残される。
それが正しいかどうかは
まだ分からない。
けれど少なくとも、
この国は
まだ考えることをやめていなかった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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