テラーノベル
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目を覚ますと、薄暗い部屋の中、芽生は一人ぼっちだった。
「京、ちゃ……」
体調不良な上に寝起きなことも手伝って、京介の名を呼ぶ声は弱々しく掠れていた。応答がないのは声が小さすぎたのか、聞こえないくらい離れた場所に彼がいるからか、どちらだろう?
ふと足元に視線を転じると、寝室の扉が薄く開いていて、あちら側からの光が差し込んでいた。
(京ちゃん、リビング?)
解熱鎮痛剤のお陰で痛みなどから解放されたからだろう。薬を飲んですぐ、芽生はしんどいのに眠れなかったのを取り戻すみたいに意識を手放した。
あれからどのくらい時間が経ったのか分からない。一時間? 二時間? それとももっと――?
芽生が眠ったのを確認した京介が、束の間自分の傍を離れたからといって、一体誰が彼を責められるだろうか。
頭ではそう分かっているのに、寂しさと心細さがそれを許してくれない。
(京ちゃんのバカ。ずっとそばにいてくれるって言ったのに……)
そんなことを思ってしまって、芽生は自分の考えにハッとした。
(私、なんてイヤなやつなの)
熱で意識が朦朧としている間、京介がずっと自分の横にいてくれたのは明白な事実だ。なのに――。
涙目になりながら己の心の狭さに打ちひしがれていたら、光の筋が大きくなって、京介が寝室へ戻ってきた。
「起きたのか?」
汗で額に張り付いた髪の毛を優しく払いのけてくれながら、京介に柔らかく微笑みかけられた芽生は、我慢出来なくなってほろりと涙を決壊させる。
京介から濃い煙草の香りがふわりと漂ってきて、(京ちゃん、煙草を吸いに行ってたのかな?)と思ったら、自分のためにそういうのも我慢させていたんだと気が付いて、キュッと胸が痛くなった。
「おい、どうした? しんどいのか!?」
途端京介が心底心配そうな表情をして芽生の体調を気遣ってくれるから……芽生はフルフルと首を横に振る。頭を動かすとくらりと目眩がして、頭が痛んだけれど、今はそんなのどうだっていい。
「違う、の。京ちゃんが私のために色々と優しくしてくれるのが嬉しくて……。なのに私、目が覚めた時ひとりぼっちだったの、が寂しくて……京ちゃんのバカって思っちゃったの」
頬へ伸びてきた京介の手にそっと触れて眉根を寄せたら、「バーカ。だからって泣くこたねぇだろ」と笑いながら芽生をヨシヨシしてくれる。
だが、そうしながら、何故か京介は不意に申し訳なさそうな顔をするのだ。
その表情に違和感を感じた芽生が、「京ちゃん?」と彼の名を呼んだら、京介がベッドサイドに跪くようにして、芽生に視線を合わせてきた。
「芽生、悪い。実はな――」
***
佐山文至が細波鳴矢に汚された後部シートへ掛けられたシートカバーを引っぺがしていたら、相良京介から電話が掛かってきた。
先日芽生と弱った子猫を連れて行った、『みしょう動物病院』へ、猫を引き取りに行って欲しいという依頼だった。
「身体を休めろって言ったくせに、こんなこと頼んですまねぇな」
昨日倉庫にいた面々はすべからく徹夜明け。そのメンバーには最低でも半日は家でゆっくり休むように京介からお達しがあった。佐山もその一人である。
「いや、それは構わないんですが……あの、カシラ。その任務は姐さ……、神田さんをご自宅へ迎えに行ってから一緒に行く方がいいって話っすか?」
神田芽生と、自分の属する組織の組長である相良京介の関係がぐんと進展したというのは、石矢経由で聞いている。だが、正式にカシラから発表があったわけではないので、〝姐さん〟呼びはまだ早い。そう判断して〝神田さん〟と無難な呼び名を選択した佐山だ。
汚れたシートカバーは剥がしたものの、あの男が盛大にお漏らししてくれたから、まだ若干ニオイが残っている。そんな車にカシラの大事な女を乗せるのはどうだろう? と考えてから、市役所に細波が借りていたレンタカーがそのまま置き去りになっていたのをふと思い出した佐山は、いざとなったらあれを使わせてもらうのもありか……と思いを巡らせた。
移動中、車内でこらえ切れずダムを決壊させて悲惨な状態になった細波鳴矢を、『さかえグループ』本社前に放置したのは半日以上前のことだ。
京介からは仕事が済み次第、家に帰って休息するよう言われていたけれど、さすがに車がヤバいことになったのでそのままにする気になれず、後処理だけは……と思って動いていたところに、わざわざ謝罪まじり。カシラ自身から電話が掛かってきた。
佐山に負担を掛けることを「すまねぇ」と前置きしたうえでもう一仕事して欲しいと希われたということは、恐らくカシラが葛西組から呼ばれて、猫の退院に付き添えなくなったということだろう。
そう判断して神田さんも一緒の方がいいかと問い掛けてみたものの、電話口から盛大な溜め息が聞こえてきて、佐山はすぐさま失言だったと後悔した。
攫われた神田芽生を助けに行ったときは不可抗力だったとして、彼女と自分が二人きりになるのはカシラ的にまだ納得のいかない部分があるのかも知れない。
「あ、あの……カシラ?」
そう思い至って恐る恐る電話口へ声を掛ければ、
『……ああ、すまん。連れてってやれたら喜ぶんだろうが……実はその芽生が今、インフルでダウンしちまっててな。外出は当分無理なんだわ』
きっと煙草をくゆらせているんだろう。長い吐息とともにそんな言葉が落とされた。
「え? でも昨日お会いした時は……」
『ああ。俺にも元気に見えたんだがなぁ。色々あって、精神的にも肉体的にも限界を越えちまったのかも知れねぇな』
疲れたようにこぼされた『可哀想なことをした』というカシラのつぶやきに、佐山は(確かに……)と納得する。
飼い猫の体調不良を心配している最中にクソ男から拉致されて、無理矢理婚姻届を書かされたりしたのだ。提出前に何とか食い止めることは出来たものの、そこからは怒涛のように猫の入院、カシラからの告白、本当の血縁との再会……と、それはもう目まぐるしい一日だったと聞いている。
神田芽生は線の細い小柄な女性だ。
ホッとしたと同時に体調を崩しても、仕方ないと思えた。
***
突然京介に真剣な顔で見詰められた芽生は、(何を言われるんだろう?)とドキドキした。〝悪い〟と断られた時点でいい話じゃないことは明白だから、その思いは一入だ。
「さっきな、お前が寝てる間に葛西組の方から召集が掛かっちまってな。どうしても行って来なけりゃなんなくなった」
京介は相良組の組長さんであると同時に、葛西組の若頭さんだ。芽生には京介たちの世界のことはよく分からないけれど、何となくの肌感覚で、葛西組は相良組の一次団体だと認識している。本社からの呼び出しには、京介も応じざるを得ないんだろう。
直前に、寝起き、京介がそばへいてくれなかったことが寂しくて、責めるようなことを思ってしまったと懺悔したばかりの芽生なのだ。このタイミングでそんな自分を置いて出掛けなくてはいけないだなんて……きっと滅茶苦茶言いづらかったに違いない。
「あ、あの……京ちゃん、私……」
――さっきはあんな風に言ったけど、一人でも大丈夫だよ?
そう続けようとしたら、京介が「けど……」と継ぐから……芽生はひとまず口を噤んで京介の言葉を待った。
「お前を一人にしねぇって約束はちゃんと守るから安心しろ」
「え?」
それは、どういう意味だろう?
キョトンとする芽生に、京介が言う。
「さっきな、佐山に連絡して、殿様を迎えに行ってくれるよう手配した」
「と、のさま……、予定通り退院、出来るの? 元気に、なれた……?」
昨日酷い下痢と嘔吐で弱ってしまって一晩ほど動物病院へ入院させることになった子猫のことをこのタイミングで出されて、芽生は恐る恐る京介を見上げた。
京介が朝、田畑栄蔵の家に自分を迎えに来てくれた時からずっと……殿様のことは気になっていた。けれど、京介がなにも言わないから、怖くて聞けなかったのだ。もしかしたら、まだ元気になれていなくて、京介があえて芽生にその話をするのを避けているのかも? とも思っていた。
自分の体調不良も重なって、結局殿様のことを聞くタイミングを逸してしまっていた芽生だったけれど、京介は頭のいい男だ。芽生が口にしなくても、殿様のことをちゃんと覚えていてくれたみたいでホッとする。
「ああ、さっき動物病院へ電話して確認した。下痢も嘔吐も収まって、腹減ったって騒いでるらしいぞ?」
ククッと笑う京介を見て、芽生はホッと肩の力を抜いた。
「良かった……」
嬉し過ぎると、言葉は案外出てこなくなるらしい。
もっと気の利いたことが言えたらいいのに、芽生はそうつぶやくので精一杯だった。
「それで……ブン、佐、山さんが……殿様を連れてここへ来てくれる、の?」
だから京介が出かけても、芽生は一人ぼっちにはならないと言いたいのだろうか?
そう思った芽生だったけれど、あんなに警戒していたはずの佐山文至と自分が二人きりになるの、もう平気なの? と思ってソワソワしてしまう
「ああ。殿様の迎えついで、猫の飼育用品とかも一式買いそろえて来てくれるよう頼んであるからな。そう言うのの設置もアイツがしてくれる。けど――」
そこで芽生の頭をくしゃりと撫でると、
「アイツとお前が二人っきりになるっちゅーのはまだなんとなくモヤモヤしちまってな……」
言いながらいつも通り。照れ隠しみたいにふいっと芽生から視線を逸らせると、
「お前は俺のモンだ。万が一にも間違いがあっちゃぁ困んだろ?」
京介が半ば吐き捨てるみたいに吐息交じりな言葉を落とすから、芽生にはそんな京介が愛しくてたまらない。
「京、ちゃん……」
――なんにも心配なんてする必要、ないよ?
そう言おうとした芽生だったけれど、もしそれが京介と他の女性だったら……と置き換えて考えて、凄くイヤな気持ちになった。
「引いたか?」
芽生が眉根を寄せるのを見て、勘違いしてしまったんだろう。
「俺の愛情表現は重いっ言ったろ?」
バツが悪そうにそっぽを向いたまま京介が吐息を落とすから、芽生は京介の手にそっと触れた。
「私も……一緒、だよ……?」
「……一緒?」
「京ちゃんが……他の女の人と二人きりとか……絶対ヤダってこと!」
芽生がぷぅっと頬を膨らませて見せると、京介が一瞬キョトンとした顔をして、「そうか……」と微笑んでくれた。京介のそんな表情に、芽生は心底ホッとする。
「じゃあ……佐山さんは殿様をここへ連れてきてくれて……飼育用品を設置し終えたらすぐに帰っちゃうって認識でいいかな?」
解熱鎮痛剤のお陰で随分楽にはなったけれど、熱のせいでぼんやりした思考回路のまま、懸命に考えた芽生が京介を見つめたら、京介が「ああ、佐山は、な?」と含みのある言い方をする。
「どういう、意味?」
京介との会話で、自分を一人にしないというのは、殿様が帰ってくるからだろうと解釈していた芽生は、京介の真意を測りかねて困惑した。
「ああ。実はもうちょっとしたらな――」
京介がそこまで言ったところでチャイムの音が鳴って、話が中断する。
どうやら誰か来たらしい。
(ブンブンかな?)
飼育用品を買って、殿様を動物病院へ連れに行ったにしては早すぎる気がしたけれど、京介がいつ佐山に連絡を取ったのか、芽生は知らない。案外結構早い段階で彼に頼みごとをしていたのかも知れないよね?
そう思った芽生の予想に反して、京介に伴われて芽生の前へ姿を現したのは、ブンブンとは別の人物だった。
***
「千崎、無理言ってすまねぇな」
「いや、私は構わないですよ。ところで神田さん、インフルなんでしょう? 大丈夫なんですか?」
向こうの方で、京介と彼の腹心・千崎雄二の声が聞こえてくる。寝室のドアは開け放たれたままだったけれど、玄関やリビングの方は死角になっていて見えない。だけど芽生は〝千崎〟という名前を聞いただけで、緊張にギュッと身体を縮こまらせた。
しかもてっきり京介に伴われて寝室へ来るとばかり思っていた千崎が、何故か一人で芽生の前へ姿を現したからたまらない。
鷹槻れん

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#極道
鷹槻れん

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鷹槻れん

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月詠 涼
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コメント
2件
千崎さんに頼む…もありえないよね? 男性だし。 うーん🧐
お疲れさまです、鷹槻れんさん。第36話、読ませていただきました! 芽生の“かまってちゃん”な心の動きと、それを自覚して自己嫌悪するところがすごくリアルで、思わず「分かるよ…」とうなずいてしまいました。インフルで弱ってる時に一人になる寂しさは、理屈じゃないですよね。 しかも京ちゃんが煙草を我慢してたことに気づくシーン、あの優しさの裏側に気づける芽生の目の細かさに胸がじんわりしました。バカって思った自分をちゃんと伝えられるところも、ふたりの関係の深まりを感じます。 ラスト千崎さんが一人で登場して終わるあの引き、すごく気になります。そばにいてくれる人が増えるのかな…? 次回も楽しみにしています!