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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

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線上のウルフィエナ ―プレリュード―

11 - 第四章 旅立ち、ルルーブ森林(Ⅲ)

♥

15

2023年08月05日

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「ほら、すぐだったでしょー」

「わあ……」


 翌朝、二人は簡単な朝食を済ませ、急ぐように南西を目指す。

 出発する前から変化は見て取れていた。草原地帯には存在しなかった樹木が、遠方に点々と見えていたからだ。

 エルディアの発言は本当だった。ウイルが寝ていた日中に、かなりの距離を進むことに成功していた。昨晩は暗かったため識別出来なかったが、野営した場所からでも森の片鱗が見え隠れしていた。

 ルルーブ森林。マリアーヌ段丘の南西に広がる森林地帯。自然豊かなこの土地では、一年を通して常緑樹が青々と葉をつける。道なりに進めば迷うことはないのだが、一方で油断は禁物だ。木々に紛れて魔物が様子を伺っているかもしれない。それらは草原ウサギよりも手ごわいため、傭兵であっても気を抜いてはならない。

 この森にはヘムト採掘場以外にもう一つ、人間にとって重要な場所がある。

 ルルーブ港。伐採と漁が盛んなこの村は、イダンリネア王国との結びつきが強い。不足しがちな木材を供給しており、付近の海域でとれる魚介類もここから出荷されている。


「この辺りは魔物いないし、森に入ってからも少しの間は平和だろうから、気楽に行こー」

「は、はい」


 エルディアの言う通り、二人の周囲に魔物の姿は見当たらない。

 理由までは明らかになっていないのだが、地域の境目付近には魔物が生息しておらず、近寄りもしない。ゆえに傭兵や旅人はそこを野営地に選ぶことが多く、彼女もそうすることでウイルの安全を担保した。

 朝日を浴びながらの移動は心地よく、足取りも軽快だ。魔物という障害がいないのだから会話も弾み、気づけば周囲の景観ががらりと変わる。


(これが森……、ルルーブ森林か。匂いも違う……。机の匂いってこれだったんだ)


 ウイルは深呼吸と共に噛みしめる。先ほどまでは、足元に雑草ような草が生え広がっているだけだった。それはそれで緑豊かな証拠だが、この地域はそれ以上だ。

 多種多様な樹木が競うように伸びており、とは言え、人間の行く手を阻むほど密集しているわけでもない。

 川も存在しており、南側は海に面していることから、魔物さえいなければ住み心地は素晴らしいはずだ。

 ほのかに甘かった草の匂いから、幹が発する森の匂いへ。

 出発から二日目の朝にして、二人は目的地のルルーブ森林に到着する。


「キノコの魔物に気を付けてねー。羊の方は大人しいから、近寄らなければオッケー」

「キノコ……、確か、ウッドファンガーのことですよね?」

「そうそう。君って案外物知りだよねー。実力さえ伴えば、立派な傭兵になれると思うよ。その年で地図も読めるみたいだし、将来有望だ」


 傭兵は肉体労働だが、頭を使わないわけではない。むしろ、知識と経験が物を言う職業なため、ウイルの教養は決して無駄ではない。


(生物学で習った魔物、だったかな? きっと気持ち悪いんだろうなぁ)


 ウッドファンガー。この森に生息する魔物の一種。別名歩くキノコとも呼ばれており、全長は一メートルにも達する。この時点で畏怖の念を抱くが、胴体の根本には根っこのような突起が六本伸びており、それらがまるで足のように振る舞う。赤茶色の傘も見た目通り毒々しい。


「ここからは道沿いにグングン進んで、夜になってから考えよー」


 マリアーヌ段丘同様、ここにも先人が作り出した道が存在する。歩き潰された地面とも言えるが、幅広なため遠目からでも識別可能だ。薄茶色のこれは旅人の行きたい場所へ伸びており、つまりは辿るだけで三か所のどこかへ導いてくれる。

 ヘムト採掘場。

 ルルーブ港。

 そして、シイダン耕地。

 道は途中で枝分かれするため、その都度、木製の標識を頼りに方向を選べば良い。


「スケルトンってどのあたりに出没するんですか?」

「南の海岸付近と、後は採掘場の中とその手前とか? どこにでも現れるっぽいけど、道沿いだと見かけたことないなー」


 スケルトン。骨だけで構成された人型の魔物だ。夜の間だけ姿を現し、朝の到来と共にいなくなる。不死系に属する厄介な種族であり、庶民だけでなく、傭兵すらも殺されかねない。

 その危険性は三つの要素が積み上げられ、高まっている。

 突然現れる、神出鬼没さ。

 傭兵や軍人すらも手を焼く戦闘力。

 攻撃魔法の行使。

 一つだけなら対処のしようがあるのかもしれない。しかし、三つとなると話は別だ。

 暗闇の中でカタカタと骨を鳴らしながら獲物に忍び寄り、人間離れした身体能力で襲い掛かる。あげくには個体にもよるが攻撃魔法を撃ってくるのだから、夜間のルルーブ森林はとても危うい。

 エルディアの言った通り、道の近くにいれば遭遇する可能性は低く、この教えは旅の鉄則として語り継がれている。


「……となると、海岸目指して南下しつつ、夜はスケルトンを探す、と」

「そだねー」


 ウイルの推測は理にかなっている。

 今回の旅の目的は昇級試験の突破であり、そのためにはここで二つの指定品を入手する必要がある。

 ルルーブクラブの鋏とスケルトンの仙骨。これらは該当する魔物を倒さなければ手に入らず、ともすればそれぞれを見つけることがゴールでありスタートだ。

 この森林地帯は南にルルーブ港と広大な砂浜が存在する。

 ルルーブクラブは砂浜の方に広く生息しており、裏を返すとそこにしかいない魔物ゆえ、二人は数日かけてそこを目指す。


(ここからがある意味本番……。今日はまだ疲れてないし、ペースを落とさないでこのまま進みたいな)


 懸念点は一つ、ウイルの体力だ。まだ十二歳の子供な上、なにより温室育ちだ。長旅への適応力は低い。それでも歩き続けるしかなく、その先に病を治すための薬が待っているのだから、泣きごとなど言ってはいられない。


「お昼は何食べよっかー?」

(え……? その話題、何回目?)


 笑顔の表情と驚いた表情が、同じ方向を見据えながら歩く。

 一日三食。傭兵であろうと、この程度のわがままは主張したい。


「パンと干し肉に一票で……」

「え~。今朝食べたよー。違うのにしよー」

「う~、他に何があったかな?」


 ウイルの主張は却下された。ならば代替案を提示しなければ議論は進まず、少年は背負い鞄をぐいっと正面にずらし、片腕を突っ込んで漁り始める。


「そろそろ魔物に出くわすと思うし、そいつにしよー」

「キノコか羊……ってことですか?」

「そうそう!」


 魔物食。それは人間にとって当たり前だ。嫌悪する者もわずかに存在するが、一般大衆から王族に至るまで、魔物を日常的に食している。

 草原ウサギがそうであったように、ルルーブ森林の魔物も脅威ではあるが、食材としての一面を有している。


「……一品増える分には、ありがたいと思います」

「でしょう! よっし、どこにいるかなー?」


 食事がいかに大事か。ウイルもその程度のことは学校で習っている。そうでなくとも、生き物である以上、本能でわかる。

 彼女の言う通り、朝と昼の献立が二回続けて同じでは、少々わびしい。パンと干し肉が嫌なのではなく、違うものを食べたいと主張しているだけだ。


「出てこーい!」


 昼食にはまだ早い時間だが、食材の入手と調理にもそれ相応の時間がかかる。だからなのか、彼女の鼻息は荒い。


「どこだー!」

(う、うるさい……)


 走り出すエルディアと、冷めた目で見守るウイル。このままでは彼女の姿が見えなくなるため、少年はしぶしぶ走り出し、追い付けないなりにも追走する。

 数分後、傭兵は喜びの雄たけびをあげ、勢いそのままに背中の大剣を握りしめる。


「いたー!」

(叫び声が森に響いちゃってる……。というか、速い。温存してた体力がもう空っぽだぁ。午後、どうしよ……)


 エルディアは満面の笑顔だが、ウイルは既にげっそりだ。


「今日のお昼は……、キノコの丸焼き!」

「はぁはぁ……、あ、あれが……? 想像より大きいな。あ! 塩ならあるので、塩焼きでお願いします!」

「塩焼きぃ!」


 現れた魔物は歩くキノコ、ウッドファンガーだ。少年が驚くのも無理はない。その大きさはウイルより少し小さい程度。目や口は見当たらず、遠目からは巨大な茸にしか見えない。

 だが、触手のような六本足が自立を可能とするばかりか、せかせかとそれ自身を運んでいる。

 人間の接近を察知し、方向転換と同時に加速するウッドファンガー。狙いはもちろん、迫りくる傭兵だ。

 体当たりはこの魔物の基本的な攻撃手段なのだが、シンプルながらも威力はすさまじく、人間を殺すには事足りる。

 だが、今回は相手が悪かった。

 衝突の直前、エルディアの右腕は躊躇なく振りぬかれ、魔物の柄の部分、言い換えるなら胴体が容赦なく分断される。

 余裕の勝利だ。彼女にかかれば、この森の魔物など歩く食材に他ならない。


「よーし、おかず一品増えたね。頭の部分は美味しくないから、切り落としてっと……」

(や、やっぱりすごい……。今の一撃、速すぎて見えなかった……。あんなに大きな剣なのに、素手のような腕の振り……)


 嬉々としてウッドファンガーを解体するエルディア。

 未だ追いつけず、体力の都合からペースを緩めて走るウイル。

 彼女が戦えば戦うほど、少年は己の無力さを痛感させられる。だからと言って落ち込むつもりはなく、嫉妬という行為が失礼なほど、両者の実力にはひらきがある。

 傭兵としては、まだスタート地点だ。もしくはそこにすら立てていない。そう自覚できたのだから今は焦らず、やれることを一つずつこなすつもりだ。


「こんなもんかなー。二人で食べるには多いかもだけど、まぁ、よし!」


 傘が省かれ、茸姿の魔物は面影すらなくなる。もはや巨大なはんぺんのようだ。


「ぜえぜえ……。お待たせしました……」


 ウイルが遅れて合流する。体力と脚力の差は如何ともし難く、エルディアが走ると必然的にこうなってしまう。


「お、疲れてるねー。お昼までおんぶしてあげようか? 走っていっきに距離稼いじゃうよ?」

「あ、でしたらお言葉に甘えたいです……。ほんとにもう……、足が……」


 限界だ。時間にして数分程度の全速疾走だったが、この傭兵に追いつこうと躍起になったため、体力の消耗をコントロールする余裕はなく、少年はすっかり干からびた。


「んじゃ、鞄とクレイモア、代わりに背負ってー」


 人間を背中に担ぐのなら、その前に荷物をどかす必要がある。エルディアは両手剣と鞄を手渡し、受け入れ態勢を整える。


「あ、はい。って、重い重い! 無理です無理です!」


 灰色の大剣を手にした瞬間、ウイルは青ざめる。この一本ですら、少年の両腕を破壊しそうなほど重く、背負うという動作すら不可能だ。その上、膨らみきった鞄が控えているのだから、もはや恐怖以外の何物でもない。


「そっかー。だったら抱っこにしよっか」

「う……、それでお願いします……」


 恥ずかしいが我慢する。彼女の荷物を背負えぬ以上、背中は満席だ。ならば赤ん坊のように抱きつき、運んでもらう他ない。


「よいしょっと。さぁ、張り切っちゃうゼ」

(あ、良い匂い……)


 まるで恋人のように、正しくは赤ん坊と母親のように、ウイルはエルディアに抱き着き、持ち上げられる。

 互いに鞄を背負った状態ゆえ、摩訶不思議な光景ではあるが、ここに第三者は見当たらない。ゆえに気にする必要もなく、エルディアは意気揚々と駆け出す。


「道も無視しちゃうゼ」

「は、速いぃ!」


 彼女の疾走コースは宣言通り、道を大きく外れている。ただひたすらに南を目指す愚直な前進だ。

 一方、ウイルはグングンと遠ざかっていく風景に恐れおののく。早送りのような移ろいに唖然としつつ、突風のような風切り音にも身がすくむ。


(こ、こんなの、人間業じゃない……。すごい……、すごい……!)


 怖さと同時にうれしさがあふれ出る。この速度で移動出来るのなら、今回の旅も短時間で終わるかもしれない。そう思えた以上、エルディアの体温を感じながら、今は大人しく運ばれ続ける。


「昨日よりは無茶出来るから、このまま突っ走っちゃうよー」

「はい、お手数おかけします」


 今日のウイルは起きているため、エルディアは騒音や振動を気にせず走ることが可能だ。ここは森林地帯ゆえに木々が行く手を遮るものの、邪魔になるほど群生しているわけでもなく、彼女はすいすいと楽しそうに避けながら速度の維持に努める。


(なんでこんなに速く走れるんだろう? やっぱり、脚が太いからかな?)


 彼女の脚力は人間離れしている。今、こうして体感したことでもはや疑いようがない。

 力に飢えているウイルが、その秘密を知りたいと思うことも当然と言えよう。ゆえに、おぶられながら後先考えずに尋ねてしまう。


「どうやったら、そんなに脚が太くなるんですか?」

「悪意のない言葉が私を殺す!」


 その問いかけがエルディアを激しく動揺させ、大きくよろめかす。減速することで転ばずには済むが、全速力を取り戻す余裕など、今の彼女にはない。


「うわ、ビックリした~……」

「少年よ、それは私の台詞……。心臓止まっちゃうかと思ったもん」


 速度が落ちたとは言え、その速さはまだまだ異常だ。ウイルは落とされないよう抱き着きながら、一生懸命踏ん張り続ける。

 一方、エルディアは心に傷を負ったが、その理由は己のコンプレックスに起因する。

 背が高いことも、胸が大きいことも、そして、女性にしては筋肉質なことも、彼女はさして気にはしていない。

 だが、脚の太さだけは我慢ならず、普段から丈の長いスカートを愛用している理由は、まさしくそのことを隠すためだ。

 左足側の大きなスリットによって歩く度にひらひらと生足が露出するが、魔物との戦闘を想定すると可動域を人並以上に確保せねばならず、こればかりは辛抱せねばならない。

 自身の太い脚は恥部であり、見られなくないばかりか、指摘されることもやるせない。

 自分のことは嫌いではないが、この脚だけは嫌い。

 エルディアは傭兵らしく、あえてずぼらな側面を持ち合わせているが、その内側には繊細な側面が潜んでいる。

 そんな乙女心を十二歳の子供が察することなど無茶であり、今もまだ状況を理解出来ずにいる。


「ど、どうしてですか?」

「そりゃー、まぁ、その……」


 ウイルは抱っこされているため、エルディアの顔は真横にある。今はその表情を見ることは叶わない。

 彼女が珍しく言い淀んでいる理由も、想像すら不可能だ。

 ゆえに待つ。言葉の続きを待ち続ける。


「太い脚って……、変じゃない?」

「いえ。かっこいいですけど……」

「え?」

「え?」


 そして二人の間に沈黙が訪れる。もちろん、走っているのだからダダダと足音が騒音のように響いているのだが、会話が途切れたことには違いない。


「私の脚って、ムッチムチだよ?」

「はい、知ってま……、ムッチムチ? その表現はよくわかりませんけど、僕もいつかこんなに速く走れるようになりたいです。だから、憧れちゃいます」


 ウイルの純粋な感想だ。

 それでもエルディアは信じきれない。己の脚を褒められたことなど今まで一度もなかった。なによりコンプレックスなのだから、どうしても疑わずにはいられない。


「太いこと、どうして知ってるの? 見せたことなかった……よね?」

「何日も一緒にいるんですから、普通に気づきますけど……。かがんだ時とか、普通に見えてましたし……」

「ひえぇ……」


 暴かれた事実が、凄腕の傭兵に悲鳴のような声を漏らさせる。

 ロングスカートは確かに彼女の下半身を隠し続けてきた。そのことは間違いないのだが、戦闘だけでなく、移動や食事さえも共にすれば、さりげないタイミングでチラリと見えてしまうものだ。

 その上で、ウイルは本心を口にしている。

 そう気づけてしまった以上、エルディアは恥ずかしさを我慢出来ずに赤面する。見られたくなかった部位を見られ、異常な太さを知られてしまったのだから、乙女としては当然の反応だ。


「いっぱい運動したり、魔物をたくさん倒すしか……、ないんですよね?」

「そ、そだねー……。ところでさ、さっきかっこいいって言ってくれたけど、やっぱり気持ち悪くない? 傭兵でさえ、そうそういないよ? ここまで太いの……」

「いえ。普通にかっこいいと思いますけど……。むしろ、かわいいとすら思えますけど……」


 その瞬間、エルディアは生まれて初めての感情を抱く。耳元で囁かれてしまったことがさらに後押しとなり、心臓が激しく高鳴った理由が走っているせいなのか、それ以外の何かなのか、今はまだ知る由もない。


(顔がー! 火照るー! 何これー!)


 わからない。

 未経験ゆえに答えを知らない。

 隠し続けてきたコンプレックスを肯定されたばかりか、褒められてしまった。

 理由のわからない胸のもやもや。それに抗うことが出来ず、エルディアは焦るように加速する。


「うわっ! すごい……」


 急激な加速がウイルに驚嘆の声をあげさせる。

 今まで以上の勢いで、景色がグングンと遠ざかっては変化する。歩くだけでは、そして正面を見ながらの移動では、決して味わえない現象だ。

 二人は進む。

 ルルーブ森林を駆け抜ける。

 目的地は最南端の海岸だ。傭兵の脚力をもってしても、まだまだたどり着けないほど、そこは遠い。

 それでも、焦る必要はない。この速さが予定を繰り上げてくれる。

 憧れるだけでは強くなれない。そう気づけたウイルは、積み上げることを開始する。

 そして、彼女もまた、新たな視点を持ち始める。


(こんな脚だけど、自分のなんだから、嫌う必要はないのかな……?)


 今はまだ心境の変化でしかない。それも半信半疑の段階だ。ゆえにロングスカートは脱げないが、彼女にとっては小さな一歩なのかもしれない。


(この子はやさしいから、そう言ってくれてるだけ? だとしても……、うれしいかな、うん。でも、このポカポカする気持ちはいったい……?)


 年長者のエルディアだが、こういったことには疎い。子供の頃から、魔物と戦うことにしか興味を抱けず、それは大人になった今でも変わらない。

 傭兵である以上、異性と行動することは多々あったが、それは仲間という間柄でしかなく、こういった言葉をかけられたことは過去に一度もなかった。

 ゆえに、困惑する。

 そして、照れてしまう。

 そんな心情に驚きながら、彼女は誤魔化すように走り続ける。

 およそ二時間後、十分な距離を移動出来たこともあり、二人は本日二度目の食事に向け、準備に取り掛かる。


「さーて、キノコ焼かないとねー」


 乾燥した小枝は既に収集済みだ。ここは森のど真ん中ゆえ、燃やすものには困らない。

 先ほど倒したウッドファンガーは魔物ではあるものの、成分は見た目同様茸のそれであり、焼いて食べると非常に美味だ。


「あ、でしたらマッチ使わずとも僕が……」

「んー?」


 こういった際はマッチにて火を起こすのだが、今回は節約も兼ねて少年が代理を務める。本来は魔物を倒すための魔法だが、このようなことにも転用可能だ。

 ボンと純白の本を出現させ、発動に必要な儀式を開始する。


「色褪せぬ赤は、永久不変の心を顕す」


 白紙大典が自動的に開き、ページが一枚ずつめくられていく。


「守るために巡り、縛るために記されし言霊達……」


 宙に浮く本を介し、ウイルの周囲に魔力のうねりが発生する。


「我らの旅路を指し示し……」

「ちょっといい?」

「あ、はい」


 横やりを理由に魔法の詠唱は一旦中断される。


「もしかして、毎回その呪文みたいなの言うの?」

「そうみたいです……」

「た、大変だね……。戦う前に使っておけば困りはしないだろうけど」


 その通りだ。時間にすれば一分にも満たない工程だが、コールオブフレイムを発動させるためだけに、このような儀式めいたことをしなければならないのだから、世話しないとさえ言える。

 通常の魔法ならその種類にもよるが、平均すると二秒程度で発動は可能であり、白紙大典はこの点で格段に劣る。


(言われてみればそうだよなぁ……。うぅむ……)


 悩んだところで解決策などなく、ウイルは現状通りに言霊を紡いでいく他ない。


(省略出来る方がいい~?)

「うわっ!」

「ん、どしたのー?」


 その時だった。頭の中で言葉が走った。

 ハツラツとした声。エルディアのそれよりも幾分澄んだ音色をしており、つまりは彼女とは別人だ。

 もちろん、ウイルはその正体を知っている。そうであろうと前触れもなく話しかけられたら、驚かずにはいられない。


(この子っておっぱい大きいよね~。この時代の女の子ってすごいな~。私も大きい方だったけど、自信なくなっちゃうな~)

「それって今の話題と関係あります⁉」

「なになにー?」

「あ、この本が突然話しかけてきまして……」


 白紙大典の声はウイルにしか聞こえないため、エルディアは状況が飲み込めない。


「あー、そんなこと言ってたね」

「はい。あ、あの……、魔法の詠唱って短縮出来るんですか?」

(ん、出来るよ~。する?)

「しますします! お願いします!」


 子供が眼前の本に話しかける光景は少々不気味だが、今は恥を忍んで交渉に専念する。コールオブフレイムを使う度に長々と呪文を唱えるのは大変だからだ。


(あーいよ。ちちんぷいぷい……。はい、オッケ~)

「えぇ……」


 チープな段取りにて、ウイルの願いはあっさりと叶ってしまう。うれしいものの、なぜか素直に喜べない。


「ねーねー、私もお話出来ないの?」

「あー、僕を介せば……」

「なるほどー」


 エルディアが白紙大典と直接会話することは不可能だ。その声はウイルにしか届かないのだから、必然的に仲介役をお願いする必要がある。


(んじゃ、もう寝るね~。グンナイ!)

「あ、はい……。おやすみなさい……」


 本に宿った彼女は、稀にしか起きられない。その上、時間も非常に短く、日常的なコミュニケーションは不可能だ。


「あれ、どしたのー? 終わり?」

「そのようです。この本、すぐに寝ちゃうみたいで……。あ、でも、詠唱の簡素化はしてもらえました」

「お、よかったねー。見せて見せて」

「では、早速……」


 運よく願いが叶ったのだから、披露しない理由もない。

 火を起こすため。

 そして、エルディアの役に立つため。

 その魔法を発動させる。


「コールオブ、フレイム!」


 その言葉を受けて、白紙大典は一発で目当てのページを開いてみせる。

 その直後、魔源の消耗と引き換えに少年の右手は赤い炎を宿す。新たな手順で詠唱は完了だ。


「おおー、いいね。これだったら実戦でも使えるよ」

「はい。では、これを火種に……」


 エルディアからお墨付きがもらえたのだから、ウイルは胸を撫でおろしつつ、白紙大典をポンと片づける。勢いそのままに歩き出し、屈むと同時に集めた枝へ右手を近づければ着火作業は完了だ。

 数本がパチパチと燃え始め、連鎖するように赤色が広まれば、たちまち焚火として機能し始める。


(よしよし。思ってた通り、こういう使い方でいいんだ)


 コールオブフレイムは魔物を燃やすための魔法だが、日常生活にも役立てられる。ゆえに、そうしない手はない。

 火起こし以外にも光源として使える便利な魔法だ。消耗する魔源も時間経過であっさりと回復するのだから、積極的に役立てれば無駄な出費は抑えられる。


「ウイル君ってあんまり魔力高そうじゃないけど、あ、ごめん、悪口じゃないよ? その炎ってどのくらい熱いの?」

「え? 確か……、普通の火が千度くらいだったと思いますから、これもそれくらい?」


 コールオブフレイムは詠唱者の拳や武器に炎を灯す強化魔法だ。その状態で魔物を攻撃することで、火傷という損傷を付随させる。

 その温度だが、自然界の火と異なり、使用者の魔力によって上下する。

 つまりは、魔力というパラメータが低い人間の場合、炎の温度は低く、逆に魔力が高い実力者なら千度どころでは済まない。


「ちょっと触ってみていい?」

「……は? ダメです」


 エルディアの提案がウイルの思考を一瞬だが停止させる。


「火傷する前に引っ込めるから……、ね?」

「いやいや、熱いに決まってるじゃないですか……。こうして、点火も出来ましたし。確かに僕の魔力は子供の水準でしょうけど、それでも魔法は魔法です」


 少年の拳を燃やす赤い炎は木の枝をあっさりと燃やし、今では立派な焚火へ成長している。


「いいからいいから。そもそも私から……逃げられるとお思いかな?」

「な、速い⁉」


 本気を出さずとも、この傭兵は一瞬で距離を詰め終える。

 ウイルの右手をがしっと掴み、今では悠々と覗き込んでいる。触ろうと思えばいつでも可能だった。つまりはそういうことだ。


「どれどれ……」

(ひえぇ……、本当に試すつもりだ~)


 エルディアは左手で標的を拘束しながら、空いている右手をゆっくりと近づける。人差し指をピンと伸ばし、赤い炎は既に到着寸前だ。


「ん~……。ふむ、なるほど……」

「何か……、わかりました?」

「うん。これは……、えい」

「えぇ⁉」


 その瞬間、ウイルの拳がエルディアの手のひらに包まれる。もちろんそこでは魔法の炎が燃え盛っており、このままでは彼女の右手が焼け焦げてしまう。

 そのはずだった。


「ちょっち、ぬるいねー。まぁ、精進あるのみ。焦らない焦らない」

「ななな……、なんで大丈夫なんですか⁉」


 ぱっと離された彼女の右手は、なぜか綺麗なままだ。時間にして十秒以上は炙られていたのだが、焼けるどころか焦げることもなく、肌はその色を保っている。

 ウイルの右手が無事な理由は、魔法の使用者だからだ。攻撃魔法や弱体魔法の類は、自身を傷つけることはせず、そもそもそんなことを試みるものもいない。

 コールオブフレイムは分類上は強化魔法だが、性質は攻撃魔法に近い。つまりは、作り出した炎は他者だけを燃やし、己が巻き込まれる心配はない。

 にも関わらず、エルディアもまた、火傷すらせず、今も笑顔を向けている。

 少年の魔力は非常に低いが、それでも火である以上、人間の肌など簡単に燃やせる火力を有している。


「だって私、傭兵だしー? その辺の魔物が吐く炎なら、いくら浴びてもへっちゃらだゼ」

「は、はぁ……?」


 彼女の発言は本当だ。そもそも嘘をついたところで誰も得はせず、コールオブフレイムに手を突っ込むという荒業にて証明も済んでいる。


(この人は……、傭兵はびっくりするくらい頑丈なんだ……。だから、傭兵なんだ。傭兵をやれてるんだ……)


 何度目の衝撃だろうか。ウイルの常識はまたも砕かれ、ガラガラと崩れていく。

 火に触っても無傷の人間が、眼前にいるという事実。

 もちろん、頼もしい限りだが、素直に喜べない自分に驚きはしない。

 ひとえに信じられないからだ。見せられてもなお、一般常識から外れ過ぎているため、手品のように思えてしまう。


「キ・ノ・コ。き・の・こ。あ、お塩ちょーだい」

「ど、どうぞ……」


 昼食の献立は未確定だが、キノコの塩焼きだけは決定している。おかずとして申し分なく、栄養も量も合格だ。


(ここまで抱っこしてもらえたおかげで、だいぶ休めたな。午後は自分の足で歩けそう。甘えてばかりいないで、体力つけなきゃ……)


 ウイルは落ち葉の上にそっと座り、己と向き合う。昇格試験を急いで終わらせるだけなら、今後もエルディアに運んでもらえばそれがベストだ。しかし、この方法には欠点も存在する。

 ウイル自身の鍛錬には結びつかないということだ。今後も護衛役に助けてもらえば良いのかもしれないが、もし、彼女に何かあった場合、その後は一人で旅を続行しなければならない。そんな状況に陥るとも思えないが、可能性がゼロではない以上、鍛錬は必須だ。

 助けてもらいたいが、甘えすぎてもいけない。元貴族として、そうわきまえつつも、無力な子供であるという事実も受け止めねばならず、この境遇はただただ歯がゆい。

 魔物と戦える程度には、強くなりたい。

 朝から晩まで休みなく歩けるだけの体力が欲しい。

 わがままかもしれないが、そう願わずにはいられず、そのための努力として、午後はいそいそと歩くつもりでいる。


「さあ、出来た。良い匂いだよー。食べよう食べよう」

「ですね。僕は……、チーズパンと干し肉でいいか。あ、きゅうりの味噌漬けもあったか」


 歩くキノコの胴体部分を切り分け、炙りつつ塩をまぶせば、あっという間に一品が完成する。脅威的な頑丈さを誇る魔物であっても、死んで解体されれば、単なる食材になり下がるため、焚火程度の火力でも調理可能だ。

 焦げ目がついたそれからは、ほのかな自然の香りが漂う。ウイルはエルディアから手のひらサイズのおかずを受け取り、昼食の献立が出揃う。

 パンと干し肉ときゅうりの味噌漬け、そしてキノコの塩焼きだ。貴族時代と比べれば質素かもしれないが、それを嘆くような性格ではなく、ウイルは嬉々としてそれらを眺める。


「私は……、フッフッフ。もう干し肉しか残ってない!」


 巨大な鞄を漁った結果、右手は干し肉しか取り出せず、エルディアは開き直るようにガブリと噛みつく。


「きゅうりの味噌漬け……、半分どうぞ……」

「ありがとー。いや~、最近あんまり金策してなかったから懐が寂しくて。世知辛い世の中だゼ」


 傭兵は決して稼げる仕事ではない。収入そのものはそこそこの金額なのだが、それ相応に出費も多く、プラスかマイナスで言えばプラスではあるものの、その金額はたかが知れている。


(色々買って正解だったかも……。夜からは二人分だそう)


 そう決意しながら、ウイルは焼き立ての茸を頬張り、この森の味を噛みしめる。


(うん、いけるいける。淡泊な味わいだけど、塩のおかげでアクセントもきいてるし、不思議と飽きはこないなぁ。現地調達でお金もかからないし、さすが傭兵って感じ)


 新鮮な食材を無料で入手。即座に調理し食すのだから、味わいは別格だ。貴族御用達の食事と比べること自体が誤りなのかもしれないが、少年は満足そうに塩焼きを堪能する。

 その後、他愛無い談笑を交えながらも昼食を済ませ、二人は南を目指すため移動を再開する。


「ふ~、食べた食べた。出来れば今日中に川まで行きたいなぁ」

「川なんてありましたっけ? あ、いや、シイダン耕地に続く川があったか」

「うんー、今日は水浴びしたい」

(となると、限界までがんばらないと、か……。ダメそうだったら大人しく抱っこしてもらおう)


 ルルーブ森林には、横断するような形で河川が走っている。川幅はあまり太くないが、水流は穏やかゆえ、傭兵や旅人には愛されている。洗濯だけでなく、己の体を洗うにも適しており、とりあえずの目的地としては最適だ。

 エルディアの傭兵らしい提案を受け、ウイルはテキパキと歩く。不思議と体は痛くなく、疲労は蓄積しているが筋肉痛の類は発症していない。

 子供ゆえに歩幅は狭いが、彼女はそれを見越してペースを合わせてくれる。


「夜は羊肉食べたいなー」

(え……? もう晩御飯の話?)


 エルディアは健啖家なわけではない。旅の道中は他にすることもなく、ならば献立を考えること自体は有意義と言えよう。


「ここにはウッドシープがいますし、見かけたら狩っちゃいます?」

「そだねー。んじゃ、早速探そっか」

(見かけたらって言ったはずだけど……、まぁ、いいや)


 ルルーブ森林には不死系を除くと三種類の魔物が生息している。

 キノコの魔物。

 カニの魔物。

 そして、羊の魔物。

 これらはどれも食材になるため、そういう意味でもこの土地の利便性は非常に高い。

 蛇行気味に歩き出すエルディア。足取りはわずかに加速しており、完全に獲物を探す狩猟者だ。

 ルルーブ森林は広い。

 正しくは、この世界は広い。

 ゆえに、魔物が至る所に生息しているわけでもなく、探している時ほどなかなか見かけない。それでも諦めるわけにはいかず、根気がなければ傭兵として生きていくことなど不可能だ。

 三十分程度探した頃、偶然にもウイルが先にそれを発見する。


「あ、あれでしょうか? 白いのが右に……」

「お!」


 いくつかの樹木を越えた先に、ふわふわとした毛玉のような獣が、四本足でもっそもっそと歩いている。

 全長はウイル程度で、白い毛が顔と足以外を覆っており、その姿はまさしく羊そのものだ。


(あれが、ウッドシープ……。歩くキノコを見た後だから驚かないけど、大きいな~。いや、僕が小さいだけ?)


 ウッドシープ。この森に生息する獣の魔物。草原ウサギ同様、温厚な性格をしており、不用意に近づかなけば人間を襲うことはない。

 この魔物は人間をある意味で支えてくれている。それを構成する部位の多くが生活に欠かせないからだ。

 羊毛は繊維として。

 毛皮はなめすことで加工品として。

 そして、羊肉は食材として、人間の役に立っている。

 ゆえに、ギルド会館の掲示板には、日常的にウッドシープの狩猟依頼が貼りだされる。

 討伐難度は高くなく、スケジュールも立てやすい。そういった背景から人気のある依頼の一つだ。欠点は報酬の低さくらいだが、実力が低く、経験も浅い新参者にとってはそれでも十分ありがたい。


「よっしゃ! 任せて……。あ、ウイル君がやっつけてみる?」

「え? ぼ、僕……?」

「うん。素振りも大切だけど、やっぱり実践が近道だしねー」

「な、なるほど、確かに……。僕にもやれますか?」


 魔物の討伐は、実力を高めるための最短コースだ。その原理は未だに解明されていないが、事実そうなのだから傭兵は強くなるために、日々それらを討伐している。

 エルディアもそうだった。

 もっとも、強くなるために倒し続けていたのか。

 倒したいから倒していただけなのか。

 真意は本人にしかわからないが、どちらであろうと彼女の実力は偽物ではない。


「大丈夫ー。戦技で手伝うから。ね、いってみよー」

「お、お~……」


 南への進軍は一先ず中断だ。右へ進展し、遠方の白い獣を目指す。


「草原ウサギの倍くらいは強いから、気を付けねー」

「え⁉ じゃあ、絶対無理です……」


 エルディアの感想ゆえ、二倍かどうかは定かではないが、ウッドシープが強敵なことには違いない。

 そそもそもの前提として、草原ウサギとこの羊とでは、大きさも重量も比較にならない。単なる体当たりであっても威力は即死級だ。

 ウッドシープによって人間が殺された、という報告は滅多にないが、それは弱いからではなく、人間を積極的に襲わないためだ。

 だが、敵対行動をとれば事情は変わる。この魔物も身を守るため、反撃を開始するからだ。

 普段は大人しくても魔物は魔物。決して侮ってはならない。


「平気平気。ほら、あの子、ボディががら空きだよー」

「ボディとはいったい……。もっさもさで完全に隠れてますけど……。くぅ、コールオブ……フレイム!」


 楽しそうなエルディアを横目に、ウイルは腰の短剣を右手で抜き取り、唯一使える魔法で武装を強化する。

 茶色の刃に巻き付く赤い炎。それは轟々と揺れながら、今か今かと出番を待っている。

 二人と標的の距離は目と鼻の先だ。魔物も人間の接近に気づいている。耳を動かしながら警戒している様子からも一目瞭然だ。


「ちゃんと守ってあげるから、ゴーゴーゴー」

「お、お願いしますよ……、ほんとに!」


 そして、少年は駆け出す。

 正面には白毛の羊。顔だけをこちらに向けて、未だに動こうとはしない。油断ではなく、ギリギリまで見極めるつもりだ。

 その場に留まるのならそれはそれで構わない。むしろ好機だ。

 ウイルは灰色の髪を揺らしながら距離を詰める。勢いそのままにブロンズダガーを突き刺せば初手は完了だ。

 そのはずだった。

 次の瞬間、少年は実力差を思い知らされる。刃が当然のように空を切ったからだ。

 眼前にいるはずのウッドシープが、なぜかいない。その理由も、なによりこの状況が理解できず、ウイルは茫然と無人の正面を見据え続ける。

 瞳に映るは、木々が隆々と立ち並ぶ光景。ここは森林地帯ゆえ、当然と言えば当然だ。


(き、消えた……?)


 目の前にいるはずの魔物が姿を消したのだから、そう勘違いしたとしても仕方がない。

 答え合わせは、左方向からの慌ただしい足音であっさりと済まされる。

 左前方のわずかに離れた場所で、急旋回で反転を終えた羊がじっとこちらを睨んでいる。ただただシンプルに、それは急発進で短剣をやり過ごしただけだ。


「うぅ……」


 この状況が少年に恐怖の吐息を吐かせる。

 一見するとウッドシープの顔は温厚そうだが、その眼光は完全に獲物を狙うそれだ。そのターゲットはウイルであり、力量差は今の攻防で明らかとなった。

 このままでは殺される。経験の浅いウイルですら、容易に理解可能だ。

 その証拠に、次の一手は攻撃と防御が入れ替わる。

 殺意をみなぎらせる魔物と、怖気づく少年。この時点で勝敗は確定だ。


(はやっ……⁉)


 ウッドシープの発進を察知し、眼球だけはそれを捉えるも、残念ながらそこまで。肝心の回避行動へ移行しきれず、頭突きのような体当たりがウイルの胸部に迫る。


「そい」


 ドゴンと響く轟音。それは少年の眼前で発生し、静かな森を賑わす。

 エルディアだ。彼女が即座に距離を詰め、右足で魔物を蹴り上げた結果、鈍い騒音が木々を揺らす。


「手に汗握る戦いだったねー」

「ひえぇ……、ど、どこがですかー……」


 巨体が落下したタイミングで二度目の音が鳴り響く中、傭兵はケラケラと笑い、ウイルは顔をこわばらせる。


「とどめ刺していいよー」


 勝敗は決した。しかし、魔物はまだ死んではいない。強烈な蹴りを胴体に受けた結果、既に虫の息ではあるものの、かろうじてまだ生きている。立ち上がることもままならず、放っておいても死ぬだろうが、裏を返せばまだ生きている。


「は、はいぃ」


 震える体に鞭打って、少年はばっと駆け出す。

 横たわっていようと、苦しそうに吐血していようと、この魔物はウイルとほぼほぼ同程度の大きさだ。

 白いモコモコの毛だけを眺めればかわいらしいが、サイズ感と圧力、なにより魔物という事実が無力な人間を委縮させる。


(でも……!)


 やるしかない。ウイルには目的があるのだから、チャンスを手放すことはご法度だ。

 短剣を逆手に持ち替え、羊の首付近へグググと刃を突き入れる。この手ごたえは草原ウサギ以来だが、躊躇も後悔もしない。

 命を奪い合う。この世界ではごく当たり前の行為であり、殺されたくないのだから殺すしかない。

 ウッドシープが痙攣するように四肢をばたつかせるも、諦めるように静止する。


「おっけー」

「ふぅぅ……」


 エルディアの声を合図に、ウイルは短剣を抜きつつ嘆息する。

 残酷な行為かもしれないが、獲物を仕留めたという事実が少年に達成感を与える。殺したいから殺したのではなく、強くなるために、そして羊肉を入手するための殺傷だ。負い目を感じる必要などない。


「んじゃ、解体しちゃおっかなー。あ、そのダガー貸してー」

「あ、どうぞ」


 エルディアに手渡された短剣が、テキパキと魔物の体を解体し始める。

 その光景に眩暈と吐き気を覚えたウイルは、討伐の達成感を喪失させながらフラフラとその場を離れる。


(今後は、こういうことも習って、自分でやらないと……か。うぅ、自信ないなぁ……)


 先ほどまで生きていた生物が、皮を剥がされ、あちこちを切り裂かれ、内臓を取り除かれる。その時点で少年は正視を諦めるも、そんな事情はお構いなしに、傭兵は可食部を次々と切り離していく。

 三十分後、エルディアは真っ赤な手のひらに大きな肉片をいくつも乗せて大いに喜ぶ。


「今晩と明日の朝は羊肉のパーティだ! やったね!」


 まさしく戦利品だ。生きていくためには食事は必須であり、肉の接種は栄養面で欠かせない。ましてや彼らは傭兵だ。強靭な体を作るためには、非道であっても生き物の血肉を食らう必要がある。


「毛とか皮は捨ててくんですか?」


 ウイルは元貴族として、当然の疑問を口にする。

 エルディアの背後には、バラバラ死体のような残骸が転がっており、そこには売り物になりそうな部位がいくつも見て取れる。捨て置くにはもったいない。


「うんー。もちろん、持ち帰って売ってもいいんだけど……、すっごい安いよ? 多分だけど、これ全部持ち帰ったとしても、二千イールにならないと思う」

「そ、それだと……、ただただ面倒ですね……」

「一定数確保しておけば、掲示板で納品の依頼を見つけて納めると、少しは稼げるんだけどねー。今回は急ぐし? いらないかなぁ。あ、欲しかったら持ってってー」

「いえ……、結構です……」


 魔物の体を売却することで小銭を稼ぐことは可能だ。しかし、その金額は非常に低く、持ち帰る労力には決して釣り合わない。

 だが、時と場合によっては事情が変わる。

 それが、傭兵組合が発行する依頼だ。

 ウッドシープの羊毛を三体分。

 黒虎の毛皮を五体分。

 このような内容の依頼が、時折張り出される。

 それを確認し、受領してから、収集を開始するも良し。既に持っていれば、受領と同時に納めることももちろん可能だ。

 店頭で魔物の体を個別に売りさばくよりも、こういった依頼の方が圧倒的に稼げるため、傭兵は手間や現在地等を加味した上で、魔物の死体をどう扱うか、検討する。

 今回は羊肉だけを入手し、残りは土に還ってもらう算段だ。


「さーて、お肉もゲット出来たし、川目指して進もう」


 エルディアの合図で旅は再開される。目指すは南の海岸だが、今日中の到着は距離的に不可能なため、本日のゴールはその手前に流れる河川に設定される。

 水の有り無しは、休憩に際してその場所の利便性を大きく左右する。水浴びをしたいという彼女の主張はもっともなため、ウイルも合意の上、南下する。


「ウッドシープって動き速いんですね……。かすりもしないとは……、本当にびっくりしました」


 ウイルはすっかり落ち込んでいる。斬撃がいとも容易く避けられたことが、少々ショックだった。


「んー……、このあたりの魔物は、かなりどんくさい方だよー」

(それはつまり、僕がどこまでも弱いってこと……かぁ)


 魔物が機敏なのではなく、ウイルの実力が傭兵の水準に達していない。つまりはそういうことになる。


「焦らない焦らない。機船に乗ったつもりで、安心してー」

「……王国は機船を建造してませんけどね」

「え、そうなの? 時々港にいるよー?」


 機船。魔法の力で大海原を渡る巨大な運航船だ。エルディアの言う通り、イダンリネア王国の港で時折見かけるのだが、実は他国が所有、運用している。


「あれは東から来てるんです、何日もかけて。僕のマジックバッグも機船が運んでくれたんでしょうね」

「ほほー。知らなかったー」


 教育の差だ。学校に通えた者とそうでない者。機船についての見聞が日常生活に役立つことなどないが、それでも知っているか否かで知識の厚みに差が生じてしまう。


(今となっては、勉強なんかこれっぽっちも役に立たないからなぁ。貴族でいることを止めると、求められる能力はこんなに変わってくるのか……)


 地理学でルルーブ森林について学ぼうと、森の中を何時間も歩くことは出来ない。

 魔物の生態について学ぼうと、魔物は倒せない。

 ゆえにウイルは、今までの財産を何一つ活かせてはいない。

 傭兵という生き方を選んだことに後悔はないが、それでも気持ちは焦ってしまう。

 もっとも、ウイル本人が気づけていないだけで、隣を歩くエルディアはぼんやりとながらも成長を感じ取る。

 その成果が、体力の向上だ。

 魔物を大量に倒したからか。

 何日も歩き続けてた結果か。

 どちらにせよ、ウイルは午後の間、数回の休みを挟みつつも見事最後まで歩き続けてみせる。

 日が沈みかけた頃合いに、二人の眼前に小さな川が現れる。

 右から左へ、言い方を変えるなら東から西へ、そよそよと水が流れており、ウイルはうれしそうに駆け寄る。


(これが、ルルーブ森林の川。王国のと違って、補強されてるわけじゃないんだぁ。魚は……、いなさそう。浅いからかな?)


 もう少し上流へ向かえば川魚が生態系を築いているのだが、このあたりでは小魚すら見当たらない。

 それでも、透き通った水の流れを眺めているだけで、全身から疲労がわずかに抜けていくようだった。


「これでルルーブ森林も半分ってとこかなー。いや、もうちょっと進めてるかも? さてと……、暗くなる前に火を起こそうかねー」

「あ、手伝います」


 森の中ゆえ、遮蔽物が多いからか、日没が迫ると急激に光が失われていく。夜を明かすための準備に早すぎるという言葉はない。

 せっせと落ち葉や枝を集め、魔法で着火する。ボウと炎が上がれば、この場の空気は途端に柔らかくなる。


「遠くに行かなければ、そこらへんウロウロしてていいよー。スケルトン、出るかもしれないけど」

「う……」

「なーんてね。大丈夫~。この時間帯はまだ現れないと思うよー。もう少し遅い時間からかなー」

「じゃあ、先に二人分のパン出しておきますね」

「お、助かるー」


 エルディアは先輩として、夕食の準備に取り掛かる。

 ウイルは手伝えることがほとんどないことから、見聞を広めるために周辺を見て周るつもりだ。

 小皿にパンを盛りつけた後、わずかな恐怖心を抱きながら暗闇へ踏み出す。


(魔物に気を付けないと……か。川沿いに少し歩いてみよう)


 一人っきりの探索だ。魔物に出会ったら最後、逃げることすら難しいのだから、エルディアからは極力離れてはならない。

 とは言え、そのような制限では行動範囲も限られてしまうため、水流を追いかけるように歩き出す。

 河川が珍しいわけではない。イダンリネア王国の領土内にも川は存在しており、貴族のような上級階級が住まう区画からは離れているが、畑や牧場が広がる場所まで移動すれば、生活水も兼ねた水流が見学可能だ。


(怖いくらい静か……)


 見通しの悪さがそう思わせるのかもしれない。街灯もなければ、あえてランプも持ち歩いてはいない。

 この状況がいかに危険か気づけたため、ウイルは慌ててコールオブフレイムを発動させる。

 こうすることで右手が炎をまとい、エルディアに自分の居場所を提示することも可能だ。

 ルルーブ森林。マリアーヌ段丘の南西に位置する森林地帯。自然豊かなこの場所は、人間に様々な恵みを与えてくれる。

 だからと言って油断してはならない。魔物が蔓延るこの世界では、人間は狩られる側だ。


(学校の先生が言ってた。魔物は人間を襲っても食べはしない。一方、人間は魔物を殺した後、使えるところは徹底的に使う。皮、骨、牙、肉。そういった意味でも、人間は賢く、だからこそ魔物に屈したりはしない……、だっけ?)


 当時は納得した。教師が嘘を教えるはずもなく、内容にも首を縦に振ることが出来た。

 しかし、今は違う。

 人間の方が本当に強いのか?

 自分というひ弱な存在のせいで、素直にそう思うことは難しい。エルディアという手練れの傭兵になら間違いなく当てはまるが、人間という大きな枠組みで考えた場合、大多数はウイルのような弱者だ。

 人間の方が魔物より優れているなどと、到底思えない。


(そもそも、魔女を魔物だってうそぶく理由は何だろう? そうじゃないって、偉い人だけでなく、軍人でさえ気づいてるんじゃ……?)


 軍の仕事は巨人族の討伐だけではない。実は、魔女の掃討も含まれている。

 ならば、彼女らと戦ったことがある軍人なら、魔女が人間だと気づいていても不思議ではない。

 同じ言葉を話し、意思疎通も可能。

 見た目は人間の女性であり、唯一の違いは特徴的な眼球だけ。


(わからない……)


 考えたところで、答えにはたどり着けない。

 ウイルは踵を返し、来た道を戻る。ここからでも焚火の光が見えるのだから、エルディアからも魔法の炎は視認出来ているはずだ。

 それでも不必要に離れることはせず、今晩限りの拠点へ帰還する。

 疲労困ぱいだ。小さな体がとにかく重い。それを振り払うだけの余力もなく、暗闇の中、川沿いをゆっくりと歩き続ける。

 イダンリネア王国を出発して、まだ二日目。焦る必要はない。されど、焦らずにはいられない。

 そんな感情にもやもやしながら、少年は彼女の元に到着する。


「良い匂いでしょー。しっかり焼かないとね」

「お腹減ってきました~」


 ここはルルーブ森林。

 二人の傭兵は、楽しそうに夜を明かす。

線上のウルフィエナ ―プレリュード―

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