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専業プウタ
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生放送の歌番組の楽屋には、いつものように衣装や化粧道具が並び、スタッフが慌ただしく行き交っている。鏡の前では咲良深月(さくらみつき)が小さな声で発声をしていた。彼女は、White Noiseのメンバーの中で一番の歌唱力の持ち主だった。その美声は、こういうわずかな練習でも隠しようがなかった。
「深月、今日も本番前から本気じゃん」
赤根菜生(あかねななせ)が笑いながら声をかける。
深月は鏡越しに菜生を見た。
「本番で声出なくなるよりいいでしょ」
「それはそう」
菜生はあっさり頷いた。椅子に腰を下ろし、自分のスマートフォンを覗き込む。SNSでも確認しているのだろう。彼女はSNSでの営業やネタポストが上手かった。普段は明るくおしゃべりで、White Noiseのメンバーの潤滑油のような彼女だが、スマホを見ているときの目はやけに冷静だった。
そしてその隣では、彩野紗梨愛(あやのさりあ)が鏡に向かって前髪を整えている。
「今日の衣装、絶対写真映えするよね。ファンサもいっぱいしなきゃ」
White Noiseのメンバーは、それぞれのやり方で本番に備えていた。
そして、少し離れたところに朝霧舞白がいた。
美夏は鏡越しに、その横顔を見る。
ひとつ、気づいたことがある。
回帰前の世界の、あの舞白は知っていた。
寿志清純(ずしきよすみ)と楽屋で二人きりになれば、何が起きるのか。
天導隆一と廃遊園地へ行けば、どうなるのか。
それ以外にもきっと、多くのことを知っていたのだろう。
今の舞白にそれらの記憶はない。しかしアザゼルの話によると、完全に失われたわけではなく、断片的な記憶を夢に見ることがあるという。そうであるならば、自分の知らない情報が、夢という形で今の舞白の前に現れる可能性がある。それを知る必要があった。舞白がなぜ、自分を破滅させたのか。彼女は何を憎み、何を許せなかったのか。それを理解しなければ、思わぬ形で足下を掬われる羽目になりかねない。
舞白のことは許せない。しかし、だからといって遠ざければ、重要な情報を取りこぼしかねない。もっとも優先すべきことは、目的の達成だ。そのためなら、憎い相手とも手を組む。それくらいのしたたかさは必要だ。舞白への報復は、彼女が致命的な行為に及んでからでいい。
「ねえ、舞白」
「……なに?」
美夏が声をかけると、舞白は振り向いた。
美夏は、なるべく何気ない声を作り、話しかける。
「この前言ってた夢の話なんだけど。最近も見るの?」
舞白の表情が、ほんの少しだけ強張った。
だが、その理由を尋ねるより先に、楽屋の入口が開いた。
スタッフに続いて、数人の男女が入ってくる。
その中心にいた男を見た瞬間、美夏の表情が固まった。
寿志清純。今日は映画のプロモーションを兼ねて、歌番組に出演する予定になっている。その隣には、黒瀬聖子(くろせせいこ)。相変わらず、彼女は寿志のすぐそばに張り付いていた。
「寿志先生、お疲れさまです!」
「いやあ、今日もよろしくお願いします」
聖子は寿志に向かって、露骨なほど腰を低くしていた。
美夏は、思わず目を逸らした。どうにも、この女は苦手だった。
そんなことを思ったとき、小さく息を呑む音が聞こえた。美夏は舞白を見る。舞白は寿志ではなく聖子を見つめていた。顔から血の気が引いている。驚いている。いや、ショックを受けているのかもしれない。
美夏は眉を寄せ、小声で舞白に尋ねた。
「舞白、あの人を知ってるの?」
「ううん。知らない人。会ったことないと思う。たぶん。でも……」
舞白の目は聖子に釘付けになっている。
その横顔を見ながら、美夏は思った。
──やっぱり、夢で見たの? 回帰前の世界で会ったの?
そのとき、スタッフの声が美夏を現実に引き戻した。
「White Noiseさん、本番前の打ち合わせお願いします!」
スタッフに促され、美夏たちは楽屋を出た。
廊下の先には、すでに本番用のステージが組まれている。
巨大なLEDスクリーン。幾重にも配置された照明。床には、カメラが滑るように移動するためのレールが敷かれていた。観客席にはまだ人影が少ない。それでも、ステージの上だけは本番と変わらない緊張感に満ちていた。
司会者の神代和茂(しんだいかずしげ)が五人の前に現れる。
「お疲れさまです」
美夏たちは一斉に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。そういえば、君たちと会うのは今回が二回目だったね。前にも、この番組に出てくれたでしょう?」
「はい。覚えていてくださったんですね」
美夏は少し驚いた。前回の出演は、まだWhite Noiseの名前はほとんど知られていなかった。歌って、短いトークをして、それだけで終わった。それでも神代は、彼女たちのことを覚えていた。
「もちろんだよ。初々しくて、礼儀正しい子たちだと思ったからね」
神代はメンバーを見回した。
「今日は前より、ずいぶん堂々としているじゃないか」
「本当ですか?」
紗梨愛が嬉しそうに身を乗り出す。
「ええ。場数を踏んだ顔になっている」
「やった!」
菜生が小さく拳を握る。
深月は控えめに笑い、舞白も頭を下げた。
美夏は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
前回の出演から、何かが大きく変わったわけではない。
それでも、神代は彼女たちを覚えていた。
「星凪さんは、前に子役をやっていたでしょう?」
神代が改めて美夏に視線を向ける。
「……はい。よくご存じですね」
「昔の映像を見たことがあるんだよ」
神代は懐かしそうに笑った。
「演技が上手だった」
「ありがとうございます」
美夏は頭を下げた。
「今はアイドルなんだね」
「はい」
「芸能界は長いかもしれないけれど、焦らなくていいよ。売れることも大切だけど、長く続けることはもっと難しいからね」
神代の声は穏やかだった。
美夏は顔を上げた。長く続ける──回帰前の自分には、そんな未来など存在しなかった。売れなければ意味がない。結果を出さなければ意味がない。若いうちしか価値がない。母親にも、事務所にも、世間にも、ずっとそれだけを求められていた。長く続けることなど、考えこともなかった。
乾いた土に水が染み込むように、神代の言葉が胸に広がる。
「……ありがとうございます」
美夏はもう一度頭を下げた。
「こちらこそ。今日の本番、楽しみにしているよ」
神代が笑う。その穏やかな笑顔を見ていると、不思議と肩の力が抜けた。
◇
生放送が始まった。
ステージ袖で待機していた美夏は、呼吸を整えた。
「White Noise、スタンバイ!」
スタッフの声が飛ぶ。舞白が中央へ。深月、紗梨愛、菜生が続く。美夏も自分の立ち位置に入った。照明が落ちる。暗闇の向こうから、観客のざわめきが聞こえた。
そしてイントロが流れ出し、一斉に照明が弾けた。
美夏は顔を上げる。カメラ、観客、ステージ。それらすべてを視界に入れながら、身体を動かす。歌う。踊る。笑う。それは、もう苦痛ではなかった。目の前にいる人間に、届くものを届ける。それだけでいい。曲が終盤に差しかかる。美夏が最後のポーズを決めた。一瞬の静寂のあと、拍手が起きる。以前より、ほんの少しだけ大きい。それでも美夏には分かった。自分の知名度が上がった分だけ、White Noiseという名前を知っている人間も増えている。その変化が、確かにここにある。
ステージを降りると、出演者によるトークコーナーが始まった。
美夏は寿志の横に腰掛ける。
「いやあ、White Noiseのみんな、良かったねえ」
神代が笑う。
「ありがとうございます!」
菜生が元気よく答えた。
ゲストの寿志も満足そうに頷いている。
「いや、本当に。最近は人気も出てきてるんじゃない?」
「ありがとうございます」
美夏は頭を下げた。
寿志は上機嫌だった。映画の宣伝も兼ねている。テレビの生放送に出ている。そして、自分が監督する映画の主演女優も隣にいる。
その状況に酔っているのか、寿志は豪快に笑いながら言った。
「まあ、人気が出なくても気にしなくていいんですよ。アイドルにはAV女優になるって道がありますからね」
一瞬、空気が止まった。
美夏は何も言わなかった。何を言えばいいのか分からない。分かっていることといえば、何を言ってもこの男には通じない、ということくらい。ただ単に常識がないというだけではない。この男はいったんスイッチが入ると止まらない。だが──それでいい。それを知っているからこそ、わざわざ天導に働きかけ、生放送に呼んだのだ。まさかここまでひどいとは思っていなかったが。
ハイテンションになった寿志は笑いながら続けた。
「デビューさえできれば、あとはイージーモードでしょ」
神代の表情がわずかに変わった。
だが、寿志は気づかない。
「俺もAV撮ってみたかったんだよなぁ。映画は無理でも、AVなら俺にも撮れるかなって」
「……え?」
菜生が素っ頓狂な声を出した。
「寿志監督って、映画をいっぱい撮ってるんじゃないんですか?」
悪意のない、純粋な疑問だった。
寿志が一瞬黙る。
「いや、まあ……そうだけど」
「じゃあ、なんでAVなんですか?」
「……そりゃ、まあ、なんていうか……やっぱ、AV堕ちしたアイドルを撮るのってロマンなんだよねぇ。新人アイドルを見るとわくわくするんだよ、この中から何人AV堕ちするんだろうって」
寿志は贅肉を揺らしながら下品に笑い、まくし立てた。
美夏は横目で神代を見た。彼は穏やかな顔をしていた。だが、その目からは笑みが消えている。やがて神代が、静かに口を開いた。
「寿志さん。それは他人の人生を消費する人の視点ですよ」
「……?」
寿志は、子供のようにきょとんとした。
神代の言葉の意味が、本当に分からない様子だった。
神代はそれ以上、寿志に何も言わなかった。番組はそのまま進行した。けれど美夏には、何かが壊れたことが分かった。
その夜。番組終了後のスタッフルームで神代が静かに言った。
「……今後も寿志さんを出演させるなら、私は司会を降ります」
「え……?」
番組プロデューサーの顔から血の気が引いた。
「神代さん、それは……」
「冗談ではありませんよ」
神代の声は穏やかだった。
だからこそ、周囲のスタッフは凍りつく。
演歌歌手の神代和茂は、芸能界の重鎮だ。芸歴は長く、穏やかな人柄で、人前で声を荒げることはほとんどないと言われている。その人柄と実力ゆえに、彼は多くの人間の信頼を得ていた。芸能人はもとより、スポンサー各社、テレビ局の上層部、そして彼の所属先以外の芸能事務所の幹部にも一目置かれている。広告代理店と繋がりの深い寿志清純は、テレビ局にとって『上客』だった。しかし神代の築き上げた信用と、それらを敵に回すことによって被る損益は、寿志のもたらす利益など比較にならないくらい大きい。神代和茂と寿志清純のどちらかを選ばなければならないのなら、その答えは明白だった。
Studio Asterの作り上げた寿志清純という虚像は、彼自身の失言によって壊れ始めた。
コメント
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第21話読みました。寿志のあの発言、生放送であそこまでやるか……と思ったけど、美夏がわざわざ天導に働きかけてこの場をセッティングしたってのが怖いですね。彼女は寿志の自爆を狙ってたんだろうな。でも、それ以上に神代さんの「他人の人生を消費する人の視点」という一言が胸に刺さりました。ああいう大人がいるってだけで、読んでて救われる気がします。