テラーノベル
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12話 「忘れないでほしかった」
「余白に、光が差す」
その日の真夜中
あやは自室のベッドで、本を読んでいた
外には雨が降っていた
「….ん」
徐々に視界がまどろむ
夢とも現ともつかない、淡い意識の中
ふと
コーヒーの香りが、どこからともなく漂った。
そして、微かに──甘いチョコレートの匂い。
「……ん」
あやの瞼が、僅かに震える。
見知らぬ研究室の光景が、一瞬だけ瞼の裏をよぎった。
万年筆の音。
月明かり。
誰かの、あたたかい手。
『……忘れたくない』
その声は、誰のものかわからなかった。
次の瞬間、あやは飛び起きていた。
チョコ
そして珈琲の香り
懐かしい気配はあやの深層に密かな揺らぎを生み出した。
研究室では
ドリップした雫が珈琲の海におちて
空間に柔らかな香りが漂う
その瞬間
あやは
カフェにいた
……この景色
「余白珈琲…?」
カウンターの前では見慣れた姿があった。
背中までの優しいテナコッタオレンジの髪
穏やかな瞳
琥珀だった
一緒に過ごした日のこと
懐かしい思い出がフィルムのように蘇る
コーヒーの香りとコーヒー豆を煎りながら
私に語りかける琥珀の柔らかな気配
「..この記憶」
あやが目を見開く
気が付けば雨のなか傘もささずに
あやは部屋を飛び出して琥珀の待つカフェを駆け出していた
ーー
雨の匂いがする喫茶店。
《余白珈琲》の窓には、いつからか止まったような雨が静かに伝っていた。
閉店の札を下げたあと、琥珀はいつものように、カウンターの内側で一人、マグカップを拭いていた。
指先が、ふと止まる。
棚には、埃ひとつない本が並んでいる。
けれど、その一冊——指紋のない 真っ白なページだけの本が、ひとりでにゆっくりと開いていく。
風もないのに。
ページが、静かに、静かに、めくれていく。
「……また、これ。」
琥珀は小さく呟いた。
何百回、何千回とこの繰り返し 繰り返し
同じ光景を見てきた。
けれど、1度だって慣れることはなかった。
ふわり、と店の奥から、コーヒーの香りに混じって、ぺトリコールが濃くなる。
カウンターの向こう、空白の席に、光の粒子がゆらめきながら集まっていく。
そこに、無数の記憶の欠片が、フィルムのように浮かび上がった。
――誰かが笑った。
26
#百合
――誰かが泣いた。
――誰かが「またね」と言った。
けれど、その顔は、いつも雨のように輪郭が滲んでいる。
名前も、声も、すぐに霧のように解(ほど)けていく。
「……覚えているのに。」
琥珀の長く綺麗な指先が、宙に浮かぶ記憶の輪郭をなぞる。
指先が触れた瞬間
ぱしゃん、と水面のように波紋が広がり、また記憶が薄れていく。
「覚えているのに、誰も、覚えていてくれない。」
その呟きに応えるように、店の奥の暗がりから、古い五線譜がふわりと浮かび上がる。
音符は、ひとつもない。
ずっと、空白のまま。
琥珀は白い手袋をした指先で、そっとその五線譜に触れた。
「……僕だけが、知ってる。」
その時だった。
からん、とドアベルが鳴った。
雨の中、傘も差さずに、あやが立っていた。
濡れた前髪の下で、まっすぐにこちらを見ている。
「琥珀。」
その声に、五線譜が揺らぐ
「……あや。」
琥珀は少し驚いたように瞬きをした。
けれど、すぐにいつもの静かな微笑みを浮かべる。
「こんな時間に、どうしたの。」
あやにゃは答えず、ただ真っ直ぐにカウンターへ歩いてくる。
そして、まだ何も言わないうちに、そっと手を伸ばした。
指先が、宙に浮かぶ空白の五線譜に触れる。
「……!」
琥珀の瞳が、波紋のように微かに揺れた。
「これ……あやには、見えないはず。」
「見える」
あやは静かに笑った。
「だって、私も、ここにいたから。」
その言葉が、雨音の中に、ぽつりと落ちる。
琥珀の白い手袋が、はらりと床に落ちた。
素手のまま、震える指先で、あやにゃの手にそっと重ねる。
「……本当は。」
言葉が、そこで詰まる。
雨が、少しだけ強くなる。
「本当は……忘れないでいて、欲しかった。」
その瞬間だった。
からん
誰かが入店したときの小さなベルの音が鳴る
音と同時に
店中の記憶の欠片が、いっせいに光を放ち始めた。
輪郭の滲んでいた顔たちが、一人、また一人と、はっきりとした像を結んでいく。
そして、空白だった五線譜に――
たった一音だけ。
柔らかに光る 小さな音符が、ふわりと浮かび上がった。
「覚えてるよ。」
あやにゃの声が、静かに、けれど確かに響く。
「私も覚えてる。だから、琥珀はもう、一人で抱えなくていいよ」
パリン、と何かが割れるような、優しい音がした。
琥珀を包んでいた、雨色の結界のようなものが、静かに解けていく。
店の中に満ちていた記憶の欠片が、光の粒子となって、ゆっくりと琥珀の胸元へ吸い込まれていった。
琥珀の瞳の奥で、止まっていた秒針が――
かちり、と、動き出す。
「……はは。」
こぼれた笑みは、今までのどの笑い方とも違っていた。
「そうか。」
琥珀は、震える指先で、そっとあやにゃの手を握り返した。
「これからは……忘れていいなんて、言わなくていいんだな。」
窓の外、雨が少しずつ、光を纏いはじめる。
まるで、雨粒の一つひとつが、小さな星のように輝きながら。
カウンターの隅、ずっと空白だった五線譜には――
今、静かに紡がれ始めたばかりの、短い旋律が、光の粒となって揺れていた。
ーー
次の日
琥珀に呼ばれて 余白珈琲には7人が集まっていた
「宇宙同期の件」
琥珀が口を開く
「私も行く」
「危険な道にあやだけ進ませる訳にはいかないから」
そこには静かで深い決意が宿っていた
「琥珀…!」
あやは琥珀を瞳を輝かせてみつめる
エルが歓喜して梓に抱きつき
梓は少し微笑んでいる
澄は本から顔をあげ
栞は微笑ましそうにその光景を目を細めてみつめた
「よろしくね!」
あやが琥珀の柔らかな手を優しく包み込む
琥珀は少し目を丸くしたあと、穏やかな微笑みを浮かべる
「あや そしてみんな」
「こちらこそ これからよろしく」
その光景をみて壁際に寄りかかっていた
ロクがふっと微笑み 1歩こちらに踏み出す
「一件落着って感じだな」
「まあ、細かいことはどうでもいい」
「俺も行くぜ」
シンプルな言葉。
でも、その声には、いつもの軽い調子の奥に、はっきりとした意思があった。
琥珀が、少し驚いた目でロクを見る。
「……ロク」
「お前が一人で抱え込むのも、もう終わりだろ。
なら、俺が横で適当に茶々入れてやるよ」
ロクはあやの方を見て、にやりと笑った。
「来る覚悟があるなら、最後まで付き合う。
途中で逃げたら、絶対に許さないけどな」
あやは、少しだけ目を細めて笑った。
「……わかってる」
「よし」
ロクは軽く手を振る。
「じゃあ、決まりだ」
雨上がりの光が、店内に差し込む。
七人の気配が、初めて同じ空間に揃った瞬間だった。
コメント
1件
うわあああ…!この回、めちゃくちゃ美しかったです…!琥珀がずっと一人で抱えてきた「忘れないでほしかった」という気持ちが、あやの「覚えてるよ」の一言で報われた瞬間、本当に胸が熱くなりました。雨の夜のペトリコールとコーヒーの香り、空白の五線譜に一音だけ浮かび上がる音符の演出が心に沁みます。ロクが「俺も行くぜ」と加わって、七人が揃うラストも最高でした。続きが待ち遠しいです!