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「それはよかったですね」
「あぁ。親のしがらみなど子には関係ない。陸とは普通の兄弟として、過ごせたらそれで良いと思っていた。だが……陸は生まれ付き体が弱くて、よく寝込む子だった」
蒼波様の弟、陸君。
会ったことはないが、彼は彼で辛い立場だったかも知れない。
父親は不在。その出自から、周囲に好奇な目に晒されたこともあるだろう。
子供はそう言ったことを鋭く悟る。
疑惑が渦巻く中、純粋に弟として接してくれた蒼波様の存在は、陸君には心の拠り所だったかも知れない。
兄に父の面影すら求めていたかも知れない。
穏やかな顔で陸君のことを語る蒼波様の様子から、きっと仲睦まじい兄弟だったのだろうと推測出来る。
瞼の裏に蒼波家の華麗な屋敷で、二人がいつまでも仲良く遊ぶ姿を想像するが、いつまでも続かなかったのを私は知っている。
──蒼波陸君は既に亡くなっているのだ。
どんな病に侵されていたのだろうか。
私がもっと早く蒼波様と出会っていれば、烏滸がましいかも知れないが、陸君を助けられた未来はあったのだろうかと、もしものことを考えずにはいられなかった。
蒼波様はそこで一口、水筒のお茶を飲み干し。
唇を潤わせてから陸君のことを、ただ懐かしそうに言葉を紡いでいった。
陸君は病床の淵でも、健気に勉強を頑張ったそうだ。そんな陸君の夢は兄と一緒に軍に入り、立派な将校になること。
そんな、ひたむきな陸君に心を打たれて、蒼波様も時間を見つけてはよく見舞いに行ったり、士官学校を主席で卒業して入った軍のことを沢山話した。
なのに陸君はどんどんと痩せて、起きれなくなり、お医者様がとうとう余命宣告を出した。
それに一番強く反応したのが母親。
それは子の病に悩む、母親なら当然の反応だと思ったが、少々違った。
母親は『蒼波家当主は蒼波陸』だと、蒼波様のお父様が亡くなる前に実は遺書を残していたと、騒ぎ出したのだという。
しかも『蒼波千尋は、遺産相続の全てを放棄をすること』などと、蒼波家お抱えの顧問弁護士も首を捻ってしまう証文を堂々と振り翳すものだから、蒼波家は荒れたと、蒼波様はふうっと大きく息を吐いた。
「それは、とても大変ですわね……」
当たり障りのない言葉しか出て来ない自分が歯痒い。
視線を落とすとお重の中は空っぽ。とても美味しいお弁当だった。なのにその余韻を楽しめることはなく、空になった箱を侘しく思うような気持ちが勝った。
「さて、そこからは僕が話そうかな。チヒロ良いだろう?」
「あぁ、問題ない。第三者から話す方が説得力があるというものだろう」
クリス様の明るい声に蒼波様は緩く首を前に傾けた。私は視線を蒼波様からクリス様へと向ける。
「ちょうど、その揉めているときに僕とチヒロは出会った。僕も外交官のヒヨッコとして駆け出しだったが、あんまり仕事が面白く無くてね。チヒロに出会って、色々あって──コネとお金を使いまくりで士官学校をさくっと飛び級で卒業して、チヒロと同じ軍に入ることにした」
明るい笑顔で言うクリス様に、口元が綻ぶ。
「それは、それは破天荒といいますか、クリス様らしいです」
「まぁね。それで僕もよくチヒロに相談していて、チヒロの相談も受けた。だから僕も、リクの見舞いにも行ったもんさ」
「そうだったのですね」
個人的にはお二人の出会いの話も興味が尽きないところだ。今度じっくりと聞いてみたいとは思った。
「母君が何故そんなことをしたのか。それはかつて自分の家を蒼波家に乗っ取られた、復讐かもしれないし、病気がちな不憫な我が子に絶対の地位を約束させてやりたかったかもしれない。それは歪ながらも母の愛──だったかもしれないね」
「しれない……」
「|possibly《かもしれない》だ。誰も人の心なんてわからない。とにかく、明らかに真っ赤な偽物の遺書を片手に騒いだ母君に味方する者は居なかった。リクがまだ元気でいたなら、蒼波家のお家乗っ取りに手を貸す者たちがいたかもしれないが──」
クリス様は流し目で蒼波様を見つめた。
コメント
1件
第33話、読み終えたわ。蒼波家の兄弟の複雑な過去が一段と深まった感じだな。陸君への蒼波様の想い、それに翻弄される母君の歪んだ愛情……それが偽の遺書にまで発展するとは思わなかった。弁当の余韻が美味しいと感じた後の重い空気、そこで語られる本当の重みがじわじわ来たわ。クリス様の軽妙な語り口が物語の良い緩急になってるのもポイント高い。ラストの「かもしれない」の連続、人の心の計り知れなさを感じさせる台詞回し、めっちゃ好み。続きが気になるわ……早く続き読む😌