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陽翔は思わず目をぱちくりさせて百子と目を合わせ、呆然とどういうことだと呟く。今ひとつ彼女の言葉が理解できないからだ。
「だって本当にその人を責めてるなら、謝ってもらったら許せる筈だもん。例えば道端で肩を偶然軽くぶつけられても、謝られたら許せるでしょ? わざとの場合は違うけども」
陽翔は彼女に向かって頷いたが、百子の真意を測りかねて、もう少し話して欲しいと訴えた。
「謝られて許せるのなら、他人を責めてるのよ。でも謝られてもなお責め続けるのなら……それはその人を責めてるんじゃないよ。陽翔は元婚約者に言いたいことを言えなかったから、今でも辛いんだと私は思う。それか彼女を許せないって思いを否定してるか抑え込んでるかの場合もありそうだけど」
(俺が……自分を責めてる? 許せない思いを抑圧してる? 否定してる……? まさか……)
エアコンの駆動音が再び二人の間を流れているが、陽翔の脳内はこれでもかと言うくらい忙しなくやかましい。百子の言葉がいちいち自分の心に抜けない銛のように突き刺さったものの、突き刺さったことを否定する自分もいて心に嵐が吹き荒れた。陽翔が文字通り頭を抱えると、百子がそっと陽翔の頭を撫でる。
「突拍子無いこと言ってごめん。でもそれしか思いつかなかったの……陽翔、お願い出てきた思いを否定しないで私に聞かせて? 私の言葉が刺さった?」
陽翔は逡巡していたが頷く。まるで心の底まで百子に見透かされている心地がして酷く気分が悪いものの、百子の悲しげな両目が目に入ると嘘をつくのも躊躇われた。陽翔自身が百子に隠し事や嘘が嫌いだと言った手前、自分が嘘をつくわけにもいかないと思ったのもある。
「どんな言葉が刺さったの?」
「……自分を責めてるとか、思いを抑圧してるとか、否定してるとか」
「そうなのね……まあ私も自分で言ってて刺さるわ。私だって自分の気持ちを抑えてたり否定してたりするもん……でもやっぱり自分の気持ちを抑えてたらずっとそれを引きずって、自分だけがしんどくなるから……それは陽翔が教えてくれたのよ?」
陽翔は目を見張ったが、思い当たることがあったようで二、三度うなずいた。陽翔も百子の悲しい気持ちを引き出した時に自分を抑えるなと言ったことを思い出したのだ。
「ねえ陽翔……陽翔は元婚約者に何を言いたかったの? 実際に言えるかどうかは別として、伝えたかった本当のことは何?」
陽翔は文字通り固まってしまった。思いはあるのに、喉から出そうとしたら引っかかったような感覚があって、口を開けないのだ。口を開けたとて、そこからは言葉は出てこないだろう。陽翔自身が言葉を出すのを拒否しているのだから。
「ゆっくりでいいの……私に教えて? 何回でも言うけど、私の前では強がらないで……私の前では、感情をどうか抑えないで……」
陽翔は自分の髪を今にも泣きそうな顔の百子が撫でるのを見て、彼女の体を引き寄せて強くかき抱いた。彼女の肩に顔を埋めた陽翔は血を吐くように声を震わせた。
「……どうしようもなく、腹が立った……俺を裏切ったことも、不倫された俺自身にも……! でもそれ以上に悲しかった……!」
「……うん」
百子は彼の胸板に顔を押し付けられながらも、短く相槌を打って彼の背中に手を回す。そしてその広い背中を擦った。
「悲し、かった……置いて、行くなと……そう言いたかった……俺とは、真実の、愛で、結ばれて、無かったのかと……そう、聞きたかった……! 俺といた時は……ずっと、ずっと、我慢、して……付き、合ってた、のか、って! あの、半年、は……なん、だったのか、って……!」
陽翔の声はくぐもっており、体が僅かに震えていた。百子はその震えを宥めるかのように、繰り返し彼の背中を擦る。
「うん……悲しいよね。だって……不満に思うことがあったらまずは話し合わないとだめなのに……彼女はそれをサボって……ひょっとしたら逃げてたのかもしれないけど、陽翔と向き合うことを放棄したのよ。しかも不倫って形で裏切ったんだから……怒って当然だし、悲しくて当たり前。置いて行かないでって寂しくなるのも当たり前よ……陽翔はその気持ちを全部一人で抱えてたのね……」
陽翔の震えが今度は小刻みになり、彼の吸う息と共に肩が上下していた。百子は陽翔の胸板に軽く唇を押し当てる。
(こんな思いがあったのね……陽翔……辛かったね……私も……この気持ちを知ってる。陽翔が私に置いていくなって言ったのはそんなことがあったからなのね……)
彼の心の叫びを反芻していた百子は思わず涙ぐむ。元彼にされた仕打ちと、その時の悲しみが手に取るように分かったからだ。
「辛かったね……そんな気持ちを押し込めてたらしんどいのは当たり前よ。押し込めるのだってエネルギーがいるんだから……でももう大丈夫。ちゃんと口に出して陽翔は気持ちを言えたんだから。嫌な気持ちを否定しなかったんだから。ちゃんと自分の思いを認めたんだから。陽翔……あなたは一人じゃないのよ。辛いなら辛いと、苦しいなら苦しいって、私に聞かせて? 一緒にどうしていくかを考えましょう」
陽翔は百子の目を憚ることなく、大声で泣き出した。
そして百子はしゃくりあげ、陽翔につられて号哭した。それに気づいたのか、陽翔も彼女の頭をゆるゆると撫でる。しばらく二人で抱き合い、互いが互いを慰め、二人は同時に勢い良く鼻をかんだ。
「百子……ありがとな……恥ずかしかったけど、百子が抑圧しないでって言ってくれたから……そうしたらどうしても耐えられなかった……俺、かっこ悪いよな……」
「何言ってんのよ! そんな訳ないでしょ?! 悲しくて泣くのは当たり前よ! ほらまたそうやって自分の気持ちを否定してる……私は陽翔が泣きじゃくっても嫌いにならないのに」
百子は人差し指と親指で輪を作り、それを彼の額に向けて人差し指を強く弾く。
「いてえ……何でデコピンなんだよ……」
パチンという音がして、彼は額を思わず擦る。大して痛くはないのだが、百子からデコピンをされるとは思わず、驚きの方が大きかった。
「もう! 気持ちを抑えるなって教えてくれたのは陽翔の方なのに! なのに何で陽翔はそれを自分に言ってあげられないの?」
「それは……」
陽翔は言い淀んだが、尻目を百子に向けた。
「いや、百子だってそうだろ。百子だって俺に辛いことを言わずに隠してただろうが」
今度は百子がたじろぐ番だった。左右に瞳を泳がせる彼女を見て、彼は小さく吹き出す。
「俺達、似た者同士なんだな」
「……そうみたい」
彼につられて百子も微笑むと、ふと陽翔は体を傾けて口づけした。
「まさか俺が苦しかったのが、自分を責めてるからだったなんてな……俺一人じゃ気付なかった……ありがとな、百子」
「私は陽翔の言葉に何で? って聞き続けただけよ。それで陽翔が苦しみから解放されたのなら良かったわ。本当に溜め込むのって良くないわね。溜め込む気持ちは分かるんだけども」
百子は首を振ったが、彼の首に手を回して口づけを返す。
「じゃあ俺もそうする。百子が辛い時は何で辛いかを聞いて、その思いから解放できるように手伝うから……百子も俺に隠すなよ? 隠そうとしたらこうしてやる」
陽翔はそう言うが早いか、百子を再び膝の上に乗せて唇を性急に奪う。先程までしていた唇を合わせるだけのキスではなく、舌で彼女の唇を、歯をこじ開けて肉厚のそれをするりと彼女の舌に絡ませた。百子は少しだけ体を跳ねさせて小さく呻くが、彼の腕にしがみついて舌を動かして応える。丹念に頬の内側や歯列、舌の裏までなぞられた百子は、彼に負けじと自分の舌を彼の口腔に踊らせる。唇を離すと陽翔のニヤリとした瞳と目が合い、次の瞬間百子の目の前はぼやけた白が一面に広がってしまっていた。
タオルで目隠しをされたと気づいた百子だったが、彼の指が全身を隈なく這い回るために、羞恥心が悦びに変換されてしまう。通常よりもぞくぞくとした悦びで、体を跳ねさせていた彼女は、陽翔と共に白い雷に打たれ、ふわふわとした感覚と、彼の熱い体温に微睡んだ。