数ヵ月後。
都内のビル。
エレベーターを降りると、壁も床もベージュやピンクの優しい色で統一された落ち着く空間。
まだ器具の搬入もあり業者の出入りはあるけれどほぼ出来上がった室内に、乃恵が足を踏み入れる。
「院長先生、お疲れ様です」
白衣を着たスタッフが、乃恵を見つけた。
「おはようございます。あの、院長先生はやめて下さい。なんか、人ごとみたいで」
別に照れているわけではない。
普通に『乃恵先生』って呼んでもらう方が気が楽だから。
ここの責任者である以上、院長って呼ばれるべきなのかも知れないけれど、乃恵にはまだしっくりこない。
「乃恵ちゃん、こんにちは」
「あ、麗子さん。あれ、一華さんも」
約束をしていたわけではないけれど、尋ねてきてくれた2人。
「どうぞ座ってください」
乃恵は広げかけた書類を片づけて、イスを出した。
春らしいパステルカラーのニットにパンツを合わせた一華の腕には優華が抱かれている。
目元は一華、口元は鷹文に似たかわいい女の子。
時々「あー、あー」と一華に向かって手を伸ばす。
かわいいな。
小さな子はいくら見ても飽きない。
「ねえ、いつから診察を始めるの?」
ゆったりしたワンピースを着てお腹をさする麗子。
「来月くらいから始めたいと思っていますが」
まだ前の病院での残務もあり、なかなか体が空かない。
結局、徹が用意してくれた『乃恵レディースクリニック』の開院計画に乗っかることにした乃恵。
不安や迷いがないと言えば嘘になるが、今の自分達にとってこれが最善策だと思えた。
経営に関しては引き続き弘道がサポートしてくれるみたいだし、山神先生のお陰で大学病院との連携も上手くいった。
なんとかやっていけそうなめどが立った。
***
「出産ギリギリまでここで診てくれるのよね?」
「ええ、検診は私が診させていただきます。お産は紹介状を書きますから産院か大学病院でお願いします」
1人で始める小さなクリニックは検診と女性外来と、不妊に特化した病院。
お産までやっていては乃恵の身が持たない。
徹と何度も話し合い、入院施設は持たない昼閒のみのクリニックにと決めた。
「それにしても麗子さん、随分大きくなりましたよね。このまま病気で死ぬかもって言っていたのに」
笑いながら、一華がお腹に手を当てる。
あの時、「生理は来たんだから妊娠の可能性はない」と言った麗子の言葉をそのまま信じたけれど、実際麗子は妊娠していた。
体調不良はつわりで、癌でも悪い病気でもなかった。
「まさか妊娠しても出血があるなんて知らなかったんだもの」
「それでも、おかしいと思えばまず調べませんか?」
「それは・・・」
いつもはっきりものを言う麗子も、この話題ではおとなしくなってしまう。
「まあいいじゃないですか。着床出血なんて知らなくて当然だし、生理が来れば妊娠はしていないって思うわ。一華さんだって、妊娠に気づいたのはかなり遅かったはずでしょ?」
「それはそうだけれど」
優華が生まれた大学病院に勤めていた乃恵は、一華の妊娠の経過だって知っている。
一華だって4ヶ月になるまで妊娠には気づかなかったはず。
「もう、勘弁してちょうだい。この件では孝太郎に散々叱られたんだから」
フフフ。
乃恵も一華も笑い出してしまった。
***
「一華ちゃんっだってもうすぐ3ヶ月でしょ?」
「ええ」
そう言えば、一華も2人目の赤ちゃんを妊娠した。
まだ初期だけれど、順調にいけば同い年のいとこが生まれる予定。
「一華さんはこのまま同居を続けるの?」
あんなに嫌がっていたのに。
あれ以来、鷹文は「しばらくは家を出て3人で暮らそう」と何度も言っているけれど、一華はうんとは言わない。
「同居って大変でしょ?」
マンションに2人暮らしの麗子の意見。
「うん、最初は辛かったけれど慣れれば楽しいんですよ。それに、このクリニックで育児サークルをはじめさせてもらえることになって、結構忙しいんです」
以前の一華とは見違えるように生き生きしている。
入院も見越してかなり広く確保してもらったスペースの一角を利用して、育児サークルやマタニティーヨガの教室に使える女性限定スタジオを作った。
早速一華が育児サークルを立ち上げる準備をしている。
「一華ちゃん、幸せそうね」
満面の笑顔で尋ねる麗子。
「ええ、とっても。麗子さんも、乃恵ちゃんも幸せでしょ?」
「「ええ」」
2人の声がそろった。
何よりの幸せは素敵な旦那様に出会えたこと。
いい友達に出会えたこと。
明るく楽しく、自分らしく生きられること。
3人の女神たちはやっと幸せを手に入れた。
fin
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