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タイトル:登載宝
僕が初めて「舞台」という言葉を知ったのは、小学校の体育館だった。
卒業式で流れた音楽に合わせて、ひとりだけタイミングをずらして足を運んだ僕を、先生は叱らず、「君の動きには、何かがある」と言った。
貧しい家で育った。母はパート、父は消え、食卓に音がなかった。
けれど僕は、音楽と動きを重ねることで言葉の代わりを得た。
ダンスでもない。演劇でもない。僕が選んだのは身体表現だった。
高校卒業後、独学で舞台を学んだ。アルバイトで食いつなぎながら、誰もいない公園で深夜にひとり舞う。
観客のいない時間が、僕の魂を耕した。
初めて立った舞台は小劇場。5人の観客のうち、2人は途中で寝ていた。
だが、終演後にひとりの年配客がこう言った。
「君の身体には、言葉より深い記憶がある」
その言葉を支えに、僕はさらに磨いた。
静かに歩く、止まる、重力を虫したような緩やかな跳躍。
舞うことでしか僕は、感情を語れなかった。
やがて小さな新聞の文化欄に取り上げられた。
「静寂を生む男」──そんなふうに。
そしてある日、通知が届いた。
「あなたは文化庁指定《登載宝》に登録されます」
「今後の演目、生活、体調、表情はすべて文化的保持の対象となります」
「舞台活動は国家主導のもと、“保存目的”で実施されます」
僕はその時、深く頭を下げた。
子どもの頃、表現者になることが夢だった。
その夢が、制度の中で叶った。
そのことを、誇りと信じた。
初めての“登載舞”では、800人が客席を埋めた。
拍手は、鳴らなかった。
なぜなら「作品を保存する」という建前上、観客は感情を示すことを禁じられていた。
それでも、舞う僕を誰かが記録している。
心拍を、表情を、微細な筋肉の震えを。
「生きていること」そのものが保存の対象になった。
それからというもの、笑うことも、泣くことも避けた。
顔が崩れるたび、研究所から警告が届く。
「表情変化は文化財としての価値を毀損するおそれがあります」と。
次第に、誰も僕を名前で呼ばなくなった。
親しい友も、母でさえ、こう言った。
「立派になったね、登載宝さん」
その一言に、なぜか涙が出た。
でも泣いてはいけなかった。
文化財は、濡れてはならないからだ。
その後の人生は、「保護」と「保存」に塗りつぶされた。
年に4回だけ舞う。体重は常に指定の範囲内に保たれる。
食事は医師の判断。感情の高まりがあれば、薬物で制御。
最後に自分で踊った舞は、誰にも見せられなかった。
ただ、研究室で無音で録画され、文化庁のデータベースに“静止舞記録0028”として保存された。
僕の名前は、そこにはなかた。
「登録者:登載宝0028」
僕は、何を守ったのだろうか
僕は、夢を叶えたのだろうか
誰かの記憶に残るために踊ったはずが、誰にも語られない形で保存されたのだ。
僕の身体は、今も静かに展示されている。
冷凍保存室で、永遠のポーズのまま。
立ち姿のまま、目を閉じたまま、感情のない笑顔のまま。
その下に、こう記されている。
「登載宝。感情を持たず、完璧な姿で保存されし国家の記録物。」
僕は、人ではなくなった。
それでも、“表現者”としての夢は叶ったというのだろうか。
いや、違う。
僕は叶えたのではない。
ただ、“登載”されただけだった。
—完—