◻︎接近
次の日。
職場は前日の飲み会の話で盛り上がっていた。カラオケでは、普段は地味な人がノリノリで振り付きで見事に歌い上げたとか、誰かと誰かが途中からいなくなったとか。
でも欠勤した人もいなかったので、みんな無事に帰れたということだ。
「課長!本日午後からのミーティングの件で、少しお話ししたいことが……」
ファイルに綴じられた資料を持って、斉藤桃子がやってきた。昨夜の桃子とのやりとりを思い出し、少しばかり緊張する。
___ここは職場だ、わきまえているだろう
「わかった、関係者も呼んでおこうか?」
「いえ、手短かに済ませますので、5分だけお時間ください」
そう言うと、打ち合わせ用の会議室を指差す。
「わかった」
先に立ち会議室に入り、そこで桃子が差し出した資料を受け取る。そこには水色の付箋が貼ってあり、“11月15日18時”というメモ書きと簡単な地図があった。
「斉藤さん、これは?」
「はい、そこを予約しておきましたので。お忘れなく」
「え?どういう……?」
「じゃ、失礼します。ミーティングの時は、そのメモ書きは廃棄でお願いします」
それだけ言うと、さっさと会議室を出て行ってしまった。
___この店を予約?もしかして二人きりで?
確認をする前に桃子が出て行って、その代わりに、昨夜桃子と話したいと言って同じテーブル席に入ってきた柳と丸山が、二人してやってきた。
「課長、ちょっといいですか?」
「なんだ、君たちもか?」
「えっと、僕たちも……何のことですか?」
「あ、いや、午後のミーティングの話じゃないのか?」
会話をしながら、手早く付箋を外してファイルを持ち替え、何食わぬ顔をする。
「いまの、斉藤さんの話はミーティングのことだったんですか?」
「あぁ、そうだよ。資料につじつまが合わないところがあると指摘されたばかりだよ」
まさか、二人で会おうと誘われたとは言えない。
「そっかー、そうだよなぁー、課長は既婚者だもんなぁー、違うよなぁー」
大袈裟にホッとした二人に問いかける。
「既婚者の僕が、どうかしたのか?」
お前が言えよ、いやお前だろ?そんなやり取りの後、柳が説明してくれた。
「あのですね、昨夜、斉藤さんとLINE交換もできたので、もっとお近づきになりたいと思ってそんな話をしたんですよ、コイツも僕も斉藤さんのことをイイと思ってるので。そしたら“好きな人がいるから、ごめんなさい”とそっけなく断られてしまって」
「へぇー、そうなんだ。斉藤さんは人気があるんだね」
「斉藤さんが好きになったという男が、ものすごいやつで、僕たちが太刀打ちできないなら諦めるんだけど」
「どんなやつかわからないと諦めることも、反対に勝つために頑張ることもできなくて」
僕は、黙ってポケットの付箋を確かめた。こんな時に落とすわけにはいかない。
「悪いけど、僕には若い女の子のことはわからない。他をあたってみてくれないか?」
「……ですね、すみません、課長にこんな話」
「わかったら仕事に戻って、ほらほら!」
二人の背中を軽く叩いてから会議室を出て、自分の課長席に戻る。ミーティングのファイルを見ながら、柳と丸山の話を思い返して、ニヤけてしまいそうになる。
___あの若いイケメン二人より、僕の方がいいということなのだろうか?
いや、ただ相談ごとがあって、それで話をしたいだけかもしれない。
___でも?
とまた思い出す。山田が言っていたことと桃子自身のセリフを。そして、ニヤリとしてしまいそうになって、慌てて頬を軽く叩いた。
「どうしたんですか?課長。歯でも痛いとか?」
ドキッとする。百合に見られていた。
「あー、いや、ちょっと眠気がね。心配してくれてありがとう」
「それならいいですけど。愛美先輩が作る料理が美味しいから、食べ過ぎて虫歯にでもなったかと思いましたよ」
苦笑いでごまかして、パソコンを開いて仕事を始める…フリをする。
まるで不倫を見つかったような気分になってしまった。
___焦った、まだ何もしていないのに。チラリと桃子の方を見たけど、全くいつもと変わらない。
___やっぱり、ただの相談ごとかも
付箋を取り出して、日時と場所を確かめた。その日まではまだ時間がある。行くかどうか決めるのは少し後にすることにした。
◇◇◇◇◇
それからも、桃子とは何もなくいつものように時間は過ぎて行った。もしかしたらあの付箋のお店のことは、ただの冗談かもしれないと思い始めた、その約束の日。
15時を過ぎた頃、スマホが鳴った。
ぴこん♪
《お忘れなく》
桃子からの一言、それだけだった。僕は職場に桃子の姿を探したが、見当たらなかった。出勤表を確認したら、午後休になっていた。
___そうか、半日で帰ったのか
今日は木曜日。スケジュールを確認したが、定時後の予定も残業もない。行こうか?
___でも、もしも誰かに見られたら?
リスクが大きいと考えて、やはり断ろうかとスマホを出したとき、柳がやってきた。
「課長、僕と丸山は斉藤さんのことは諦めました。どうやら今日は午後からデートらしくて、帰ったみたいです。これから丸山とフラレたもの同士飲んできます!」
「あ、あー、そうか。それは残念だったな。あまり飲みすぎるなよ」
その相手は僕だと言いたいところを、グッと我慢した。