テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「ねー響、花火見に行かない?」
ファミレスでパンケーキを食べながら、あさ美が言う。
「花火か、もうそんな時期なんだな」
いつの間にか7月に入り、夏休みがすぐそこまで迫っていた。
奏(そう)ちゃんに失恋して、あさ美に告白された。
あの日以来、俺達は付き合ってはいないが、一緒に帰ったりたまに寄り道したりしている。
こんなに一人が寂しいものだとは思わなかった。
奏ちゃんを知るまでは、一人で過ごすことなんてむしろ気楽だった。
愛しい人と過ごす時間を知ってしまったら、元の生活に戻れない。
だけど、いつまでもあさ美の優しさにも頼っているわけにもいかない。
あさ美は、恋愛対象として俺を好きなんだ。
いつかは答えを出さなければいけない。
「ねー夏の思い出作ろうよ〜」
「あさ美、ホントにお前はこのままでいいの?」
「またその話?いいんだよ、あたしが勝手に響のそばにいたいんだから」
「でも…」
「ねっ、友達として花火に付き合ってよ」
「…わかったよ」
「やった!楽しみ!」
あさ美、ごめんな。
俺、自分がこんなに悪い男だと思わなかったよ。
花火、奏ちゃんと見たかったな。なんてまだ思ってしまう。
花火の日に、きちんと話そう。あさ美に。
響と一緒に帰らなくなって数週間経った。
一人で帰っていると「奏ちゃん!」と呼ぶ響の声が聞こえた気がして振り返ってしまう。
響がいるわけもないのに。
もう二度と俺の名前を呼んでくれるわけないのに。
心にぽっかり空いた穴は、時間も何も埋めてくれない。
響の存在が心の中でますます膨らんでゆくだけだった。
好きだった。いや、今でも響が好きだ。
家に真っ直ぐ帰るのも嫌で、俺は駅まで歩いた。
「藤村!」
本屋にでも入ろうとした所で、声をかけられた。
聞き覚えのある声にドクンと心臓が脈打った。
振り返ると懐かしい顔。
中学時代に付き合っていた彼だった。
「藤村、久しぶり」
「稲葉…くん」
「何だよ、稲葉くんって!呼び捨てで呼んでただろ」
彼は何事もなかったように明るく話しかけてくる。
「稲葉…。元気だった?」
「うん。藤村は?」
「うん、まぁまぁ…」
稲葉が小声で言う。
「新しい彼氏出来たか?」
「えっ、出来てないよ」
びっくりした。そんなこと聞かれるなんて。
「なんか、稲葉にそんな普通に話しかけてもらえる事もうないと思ってた」
「ああ…」
稲葉が一瞬黙る。
「ごめんな。あの時、藤村とちゃんと話し合いもしなくてそのまま別れた感じになって」
「いや、仕方なかったよ」
「今思えばさ…。俺、覚悟が足りてなかったんだよな」
「覚悟?」
「藤村がいなくなって嫌っていうほどわかった。親に嫌われるとか周りに変な目で見られるとか…。そんな事より藤村がいない毎日が寂しくて寂しくて心が死にそうだった」
「稲葉…」
その気持は、俺が今まさに響に抱いている感情だ。
「俺、新しい彼氏出来たよ」
稲葉が言う。
「そうなんだ。うまくいってる?」
「うん、藤村のことがずっと引っかかってたけど。今度は逃げない。親に何を言われても戦う覚悟は出来てる」
稲葉はもうちゃんと前を向いて歩いているんだな。
「どんな彼氏?」
「あーまぁ、藤村のほうが美人だけど。まぁまぁ可愛くて優しいよ」
俺達は二人で笑った。
何年ぶりかに二人で笑った。
あの頃、確かに俺は稲葉のことが好きだった。
「じゃあ、彼氏と待ち合わせしてるから行くわ」
稲葉の顔が嬉しそうだった。
「うん、稲葉。会えてよかった」
「俺もだよ、藤村。またな!」
そうして、稲葉は振り向くことなく走って行った。
俺だけが置いてけぼりだな。
人は寂しいから誰かを好きになるのか。
好きになって失ったら余計に寂しい思いをするのに。
凝りもせずに、また誰かに恋をする。
いま俺の心に浮かぶのは、響の顔だけ。
「響、会いたい」
奏ちゃん!と呼ぶあの愛くるしい笑顔をもう一度俺に見せて欲しい。
今さら戻ることはない日々を、かつて響と一緒に見ていた夕焼けに重ねる。
ねえ、響は、今この夕焼けを誰と見ているの?
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!